ある朝、楊ゼンは猛烈な喉の渇きで目が覚めた。
朝はそれほど強いほうではないが、今朝はいつにも増して頭がぼんやりしている。
少し頭を横向けただけで、頭の中を無遠慮に手を突っ込まれてかき混ぜられるような気がする。
(・・・・・・そうだ、昨日は酒宴で)
明日からしばらく自分が城塞に赴くからと、武王姫発の口実で始まった極内々の宴。
そこで生まれて初めて人界の酒を飲んだが、それがいけなかったらしい。仙酒では絶対に後には残らない。
このような体調で午後から城塞へ出発しなくてはいけない。考えるだけで憂鬱になりながら、仰向けになっていた重い身体をゆっくりと横にする。
すると腕が何やらあたたかいものに当たった。
目線を下向けると、見慣れた赤味のかかった黒髪が目に入る。
(・・・・・・それにこの人につられてつい飲み過ぎちゃったんだよな)
ぼんやりと昨夜の事を反芻しながら、ふとある事に気がついた。
(何でこの人が一緒に寝ているんだ?)
想い望みて 擦れ違う
(・・・・・・たしか5杯目が注がれたところで武王が踊り出して、6杯目は天化君が酌をしてくれて・・・・・・。いや、その前に太公望師叔にもう1杯注がれたんだったか・・・・・・)
その辺から少しずつあいまいになっているらしい。さらに二日酔いでうまく思い出せない楊ゼンは苛立ち、いつものくせで前髪を掻き上げた。
「・・・・・・?」
そこであることに気がつき、髪を掻き上げた姿勢のまま止まる。
自分の二の腕が裸のままむき出してあるのだ。
いや、腕だけではない。日頃からよく鍛え、引き締まった胸も腹も裸である。
恐る恐る下半身に手をやると下衣の感触があり、一度は安心したが、腰紐は緩められており、下帯も着けていない。
(・・・・・・思い出せ、楊ゼン! あの後どうやって部屋に帰ったんだ?!)
一気に酔いの覚めた頭で必死に思い出そうとする楊ゼン。
その時、隣りがもぞもぞと動いたかと思うと、太公望の寝ぼけた顔が掛布から出てきた。
太公望は一つあくびをすると、緩慢に瞬きをし、中途半端な姿勢で固まっている楊ゼンを翡翠色の両眼でとらえる。
「お早う、楊ゼン」
少し上ずったぽやぽやした声で無防備に微笑みかけられて、楊ゼンは思わず寝台の反対側まで後退る。
「楊ゼン、どうしたのだ」
朝一番の不可解な行動に、太公望が上半身を起こすと、寝間着がずり落ちて白い華奢な肩が露わになった。
蔀の隙間から洩れるわずかな日の光で鎖骨が影を作り、いっそうその細さを際立たせる。
そんな太公望を見て何故か落ち着かない気持ちにさせられた楊ゼンは、それを覚られないよう慌てて口を開いた。
「あ、あの、何で僕とあなたが一緒に寝ているんですか?」
大きな目をさらに見開いて楊ゼンを見つめる太公望。
「・・・・・・もしやおぬし、何も覚えてないのか?」
しばしの後、信じられないといったふうに首を振り、つぶやいた。
「昨夜、おぬしはわしに・・・・・・」
そう言うと勢いよく顔を背けた。口もとに手を当てて、やがて肩を震わせ始める。
「あ、あの・・・・・・」
とりあえず太公望に声をかけるが、その先は続かない。
この状況はどう考えても、情事の後の朝だ。
寝乱れた寝間着越しに震える華奢な肩を見た楊ゼンの脳裏に、自分に組み敷かれて喘ぐ太公望の姿が浮かび、一気に顔が赤くなった。
だがそうしているうちに、太公望はやおら寝台から立ち上がると、楊ゼンから顔を背けたまま走り去ってしまう。
「ああっ、師叔!!」
楊ゼンは反射的に呼び止めようと手を伸ばしたが、太公望はそのまま部屋の外へ消えてしまった。
(なぜこんなことになってしまったんだ?)
半裸のまま寝台の上で頭を抱える楊ゼン。もともとの白皙の顔は、今や蒼白である。
しかしいくら記憶がないとはいえ、この自分がその気もないのにコトに及ぶとは思えない。
ましてや相手は誰よりも敬愛する上司である。
そこでふとある考えに思い当たった。
敬愛だとばかり思っていたこの気持ち。
(僕は本当はあの人の事を・・・・・・)
先ほどの妄想の続きが浮かび、再び頭に血が上った。
そして彼に対してどう責任を取るかを考えると、一気に血が下がる。
「うわあ――っ!!」
晴れ渡る西岐の空の下、叫び声はよく響いた。
「おい、太公望。あの後どうなったんだよ」
新米の王へ、軍師直々の帝王学教授の時間。
早々に飽きてしまった姫発が、鼻の下に筆を挟みながら訊ねる。
昨夜はめったにないものを見せてもらった。
いつもは取り澄ました顔の天才道士・楊ゼンが、宴も終盤になったころ、突然すっくと立ちあがり、服を脱ぎ始めたのだから。
しかもその行為を制止する太公望に対して、幼子のように駄々をこね始めたのだ。
「あのまま最後までやらせときゃよかったんだよ」
軽く非難するような口調。どうせだったら、城中の女官らを呼んで見せてやればよかった。
「そう言ってやるな。あやつは人一倍自尊心が強いのだ。そんな醜態をさらしたら仙界に帰ってしまうだろうよ」
あからさまに顔に出している姫発に、「それではわしが困るよ」と太公望は宥めるように笑った。
「それにしても昨日のあやつは・・・・・・」
宥めすかして何とか部屋に戻らせると、途端に下帯まで脱いで寝台に横になる楊ゼンの弛緩した重い下半身に何とか下衣を履かせて、さて自室に戻ろうと思ったところで楊ゼンに寝台の中へ引きずり込まれ、抱きしめられてしまったのだ。
着やせして見えるが、優秀な武人でもあるよく鍛えられ,引き締まった肉体に痛いほど抱きすくめられ、男の腕の中で腹上死は勘弁してくれとじたばたするが、華奢な太公望の抵抗などどれほどもない。
朦朧とする意識の中、もはやこれまでと観念したところで、頭上から声がする。
「・・・しょー、ししょー」
その甘えた声と共にふっと腕の力がゆるんだ。
慌ててその腕から抜け出すと、寝台に残されたのはこの上なくしあわせそうな楊ゼンの寝顔。
常の超然とした態度からは想像もつかない顔を思い出し、再び太公望は口もとに手をやり、肩を震わせる。
「何だよ、何か面白いことがあったのかよ! 一人で笑ってないで俺にもおしえろ!!」
「いや、とてもとてもおしえられぬよ」
むくれてにらむ姫発の横で、太公望は引き付けを起こした子どものように笑い続けたが、やがておさまると、窓からのぞく青空を見上げて、その眩しさに目を細める。
「たまには休暇をやらんといかんかのう」
そして、昨夜の調子で師である玉鼎真人に甘える楊ゼンを想像し、くくっと一人悦に入る太公望であった。
城塞に戻った楊ゼンは、現場指揮官から城塞建設の進み具合を説明されながら、問題のある場所へと案内されていた。
(朝の反応からすると、お互い合意の上でのことだったようだけど・・・・・・ということは、太公望師叔も僕のことを?!)
よく乾いたさわやかな風が城塞を駆け抜けるが、楊ゼンの妄想が吹き飛ぶことはない。
(軍師と補佐官がそのような仲になってもいいのだろうか・・・)
仙界に知られたら自分は封神計画から外されるに違いない。そうなっては師に顔向けできないし、何より天才道士の自尊心が許さない。
何よりも体面を気にする楊ゼンは、想像して青ざめるが、すぐに頭を振った。
(いや、一番辛い立場に立たされるのは最高責任者であるあの人だ。僕の気持ちに応えてくれたあの人を、僕がお守りしないで誰がするんだ!)
鼻息も荒く、決意のこぶしを握りしめる楊ゼン。すでに現場指揮官が説明を止めたことも、彼を含めた多くの部下や人足が遠巻きに自分を奇異の目で見ていることもお構いなしである。
(僕の気持ちに応えてくれた愛しいあの人・・・・・・)
今朝見た頼りなげな肩から伸びる細い腕が、楊ゼンの首にまわり、そのまま花弁のような紅く可憐な唇に引き寄せる。
(僕もあの人の背を抱きしめて、そのまま唇を重ね、そして・・・・・・)
真っ赤になって身悶えしながら、三尖刀を振り回して奇声を上げ始めた天才道士さまに、遠巻きに眺めていた男達は一人残らず蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「ああっ、太公望師叔・・・、愛しい人」
その場に残されたのは、西岐の方角の空をうっとりと見上げる楊ゼンと、乾いた風であった。
――了
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いつかステキ楊ゼン友の会に石を投げられるでしょう・・・。
いつもの「今日の豊邑の話題」編にしようと思ったのですが、書いていてリズムが悪かったのでやめました。
太公望に関してだったら、封神ワールド一近視眼的な楊ゼンさんが好きです。
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