夢の中へ
「おい、帰ったぞ」
太公望は外の澄んだ朝の冷気を小柄な身体にまとわりつかせたまま、もどかしげに玄関で靴を脱ぎ捨てる。
しかしその声は誰にも受け止められずに、寂しく部屋の奥へ消えていった。
彼はむうっと顔をしかめ、わざと大きな足音を立てながら廊下を通り、リビングに向かう。
キッチンのカウンターにコンビニの袋を無造作に置いて、そのまま開け放たれているドアからベッドルームを覘いた。
薄暗い室内の中で、手前には一応整えられた自分のベッド。その奥には盛りあがったシーツがそのままのベッド。
シーツの中身は空だ。
ぼすっと抜け殻を手で押しつぶすと、太公望はさらに足音を大きくしてリビングにあるソファの前に仁王立ちになった。
そしてソファの上に長い蒼髪を広げて子どものようにクッションを抱きしめている楊ゼンを険のこもった藍の目で見下ろす。
「わしが散歩から帰るまでに支度をしておけと言ったであろう!」
長身の彼にとっても大きめの綿入半纏に包まっている蒼い髪の美麗な眠れる森の王子様は、大声音に一瞬眉をひそめて、そっと長い睫越しにその仁王立ちの小さな身体を見止めた。
低血圧で寝起きのすこぶる悪い楊ゼンだが、律儀に愛する人の言いつけどおり起きて、しかしリビングであえなく力尽きたらしい。
「バレンタイン特別限定、丼村屋の桃チョコ大福が売り切れるではないか!
本店のみで30箱限定だぞ!!
だから昨夜あれだけ早く休むように言っておいたのに・・・・・・!!」
昨夜は説得もむなしく、結局最後まで流されてしまったのだ。それを思い出して、腹立たしさと恥ずかしさに顔を真っ赤にして無意識にその場で地団駄を踏む。
そんな太公望に対して、楊ゼンは緩慢な瞬きで返答をした。
部屋からあふれるほどの怒りも、茫漠とした紫の瞳は音もなく吸い込んでいく。
水面には波紋ひとつ起こらない。
どうやら未だ太公望とは別世界にいるらしい。
完全に業を煮やした太公望は、腰をかがめると、絹糸のような蒼髪を散らした優美なカーブを描く白皙の頬を容赦なく引っ張り上げる。
「起、き、ろ!!」
耳元で大声を出され、頭が浮くほどの勢いで頬を引っ張り上げられた楊ゼンは、抱きしめていたクッションをぽろりと手放した。
「ふーふ、いはい・・・」
「痛いならさっさと起きんか、たわけが」
目にいっぱい涙をため、のろのろと重たげに両腕を上げた楊ゼンに、ようやく覚醒したかと頬から手を離し、身体を起こそうとする。
「・・・わぷっ!」
突然2本の腕に絡めとられた太公望は、ぎょっと目を剥く。中腰の不安定な姿勢であったため、当然身体の重心が狂い、そのまま楊ゼンの上に覆いかぶさるようにして突っ伏した。
「い、っ痛!!」
腕だけではなく脚までに絡めとられて、太公望はこの夢の世界の不埒者に文句の3つ4つ言ってやろうと口を開いたが、コートに未だまとわりつく冷気のために、自分を抱きしめている楊ゼンの身体がこわばるのを感じて慌てて身体を起こそうとする。
しかし普段とは違い、寝ぼけているだけに力加減ができていない楊ゼンの力に華奢な太公望の身体が抵抗したところで到底かなうはずがなく、逆に自分の体温で暖めようとでもするかのように大きめの綿入半纏の中にすっぽりとくるめられてしまった。
かろうじて動かせる首を上向けると、そこにあるのは至福の笑みを浮かべる綺麗な寝顔。
ほしいものを手に入れた子どものような満足げなその笑みに、すっかり怒りは萎えてしまう。
太公望は不自由気に首をめぐらせ、壁にかかった時計を一瞥して深くため息をつく。この分ではもう間に合いそうにない。
一瞬脳裏にバレンタイン特別限定、丼村屋の桃チョコ大福をたらふく食べる自分を思い描き、そしてそれに泣く泣く別れを告げた。
「ホワイトデーは高くつくぞ」
藍の瞳できつくにらんでから、太公望はその身を完全に預け、引き締まった広い胸に頭を置く。
きつめの抱擁も分厚いコートの上からだとむしろ心地よい。
いつもの薄物越し、または直接肌が触れ合う抱擁と違い、ゆるゆるとお互いの体温が混ざり合っていく。
規則正しい鼓動と寝息を耳で感じて、夢の中で散々に文句を言ってやろうと画策しながら、やがて太公望も彼と同じ世界へ出かけていった。
忘れ去られたコンビニの袋が、一度カウンターの上でカサリと小さく主張したが、それでふたつの寝息を邪魔することはできなかった。
――了
−−−
さあ、今はいつなのでしょうか?
・・・ごめんなさい。世間はすっかりホワイトデーだというのにごめんなさい。
このお話は、某サイト様の新年グリーティングイラストから発想を得て書いたものです。
でもここにいらしている皆さんはたぶんいただいていると思うので、言ってしまうとせっかくの素敵イラストのイメージがぶち壊しなのでヒミツv
あのイラストの幸せな雰囲気を出せるような、そんなものが書けるようになりたいものです。(精進!)
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