注:内容は、ほぼノンフィクションです。
雲の街、ロンドン。商館街の一角を、小柄な少女が駆けていく。
「たっだいまー!」
ばん、と商館の扉を開け放ち、叫ぶ様に声を発する。外見通りに、幼さを多分に残した声。そのまま更に走って、奥のカウンターの前で、音を立てて停止する。
「お帰りなさいませ、レティシア様」
にこりと、商会秘書が微笑むのに元気よく答えて、海の上にいる間に売れたものの、売上金を受け取る。結構な期間航海していたためか、彼女が預けていた物は全て売れており、なかなかの額になっていた。
それを副長のマーティンに渡し、航海の準備としばしの休憩を船員達に言い渡す。船員達が酒場なり家なり女なりへと繰り出して、レティシア一人――秘書はこの際数えないとして――が商館に残った。
「久しぶりのロンドンだし……取り敢えず商館でも見て回ろうかなーっと」
そんな事を気楽に言いながら、出口へと向かおうとする。すると――
「レティちゃあぁぁぁぁぁんっ!」
そんな黄色い声を上げながら、緑色の人が入口からタックルしてきた。
「ぐめりゃっ」
奇声――悲鳴ではなく――を上げるレティシア。咄嗟の事で一歩も動けず、真正面からそのタックルを喰らう事になったのだ。そのまま床へと倒れ込む。
緑色の人――緑色のチャドリを着た女性は、もろともに倒れながら、レティシアをがっしりとホールドした。抱擁というよりもベアハッグである。
「久しぶりー!!」
「ひ、久しぶり……」
やたらと嬉しそうな声に、絞り出すように――そんな声しか出せない状況だった――答える。
「いいなあ……」
「……」
続けて入ってきた女性が、その様子を羨ましそうに見ている。連れ立ってきたのだろう、レティシアと同じくらいの体躯の少女がその脇で無表情。女性は、そちらをちらりと見る――少女は無音で距離を取った。
「ちぇ……」
そんな中、レティシアの顔色が赤くなってきた。どうにかこうにか、肺の中に残っていた空気を吐き出して、懇願する。
「アイさ……そろそろ離して……落ちる……」
「あ、ごめんごめん」
アイと呼ばれたチャドリの女性は、言われてようやくレティシアをがっつりと捕まえていたのに気付いたようで、慌てて離れた。
しみじみと、咳き込んでいる彼女のさまを見ながら、
「うん……やっぱりレティちゃん一号が一番可愛いッ!」
そんな事を力説する。ちなみに、何故一号なのかと言えば、彼女らの所属する商会である「Bar
Like a Child」にはレティシアという名を持つ人間が二人いるからであった。
先に所属していた、先程までアイに文字通り抱き締められていたレティシア=ダークローズがレティシア一号。無表情で二人の様子を見ている少女、レティシア=アーヴィングが二号である。
「可愛いよねー」
二号に無言の拒絶をされて、しょんぼりとしていたエアリーンが、ようやく笑顔を浮かべてアイに同意する。
「ダメよ、レティちゃん一号は私のだから」
「うむ。売約済みだからな」
改めてレティシア(一号)を抱き締め、エアリーンの方ににこやかに言い放ったアイの背後で、何時の間に入ってきたのか、髪と髭を真紅に染めた大柄な男性が頷いた。
「だから、何時の間に売ったのよ、ラクゴさん」
「お前の知らん間にだ」
不満の声を上げた一号に、至極あっさりと、間髪入れずに答えるラクゴ。彼もやはり「Bar
Like a Child」の商会員である。本業は海賊だが。
「ちなみにれち子二号は開いてるぞ。エアさん、どうだ?」
「買いますッ!」
即答。値段さえ聞いていない。
「……買われた」
二号がぼんやりと、無表情のまま呟く。状況を把握しているのか何なのか、起きたまま夢を見ているような、そんな雰囲気である。
「いや買われた、じゃなくて」
思わずレティシアは突っ込んだ。
「値段の交渉はまあ後でするとして、だ。色々とオプションもあるが、どうする? アイさんも、何か追加があるなら聞くが」
懐からおもむろにメモを取り出して、ラクゴがエアリーンとアイに訊ねた。
「私は、放任主義だから特にないわ」
さらり、とアイは答える。恐らく一号を買った時にでも、検めていたのだろう、躊躇いも迷いもなかった。
「ふむ……これとか、要らん?」
再び懐に手を入れ――じゃらり、と鎖を引き抜く。その先には、何やら大きな革の輪っか。有り体に言えば、それは首輪だった。
「「いやそれはどうかと」」
期せずして、レティシアとアイがハモった。しかし、レティシア二号は相変わらず焦点がどこかぼやけた目のまま、ラクゴに近付き、それを受け取る。
「……付ければ、いい?」
かちゃかちゃと装着。その後、窺うようにエアリーンの方を見た。
「………………可愛い、かも」
エアリーンは、どことなく陶酔するように、呟いた。
「……マジで?」
その様に、ラクゴが少々引きつった顔で聞き直した。どうやら冗談だったらしい。おおよそ実際に首輪を用意していた者としてはおかしいリアクションだが。ネタのためだけに準備していたのだろうか。
「っていうか何で付けてンのっ! レティちゃん!?」
一号が、二号に全力で突っ込む。彼女ら自身は、互いを一号、二号とは呼ばない。当たり前だが。
「……買われた」
「その前提がおかしいとは思わないわけっ!?」
「……?」
よく分からない、そもそも理解出来ない、と言った感じで首を傾げられる。レティシアは、目眩を感じた。
「ダメだ、この子……」
「まあ、その辺は当事者同士に任せるとして。レティちゃん?」
ずりずりと、一号を引きずってきて。がっしりを顔を両側から掴んで、アイが微笑む。
「な、何……?」
少々の寒気を感じて、レティシアは聞き返した。
「何でそんな格好をしてるのかしら?」
現在のレティシア一号の格好は、熟練した冒険者のみに着ることを赦されたジュストコールという提督服だ。一人前の船乗りといった雰囲気のこの服は、彼女のお気に入りだった。
「え……何か変?」
「変じゃないけど、露出度が低いわ。膝を出してこそのレティちゃんでしょう!?」
凄い迫力でもって断言される。確かに、ジュストコールは肌の露出などは首から上と手だけだ。そして手にはミトンを嵌めている。つまり、今の彼女は顔しか出してない状態である。
私の存在意義って何だろう。
そんな事をぼんやりと思いながら、それでも彼女は負けずに切り返した。
「や……ほら、色々買うお金、ないから……」
「ん? 今、貯金はどれくらいなの?」
瞬時に素に戻るアイ。この辺りの切り替えの速さは、流石、商会でもトップクラスの冒険者である。
「んー……諸々込みでー……後20万ドゥカートくらい?」
「少なっ!?」
実際には、結構な大金ではある。だが、航海者達の価値観からすれば、それは一月もせずに食いつぶせる程度の額でしかない。というか、例えば海戦をしようとすれば、その準備にすら足りなかったりする。
「何にそんなに使ったの!?」
「あー……爵位買っちゃったから……」
言いにくそうに、しかし素直に答える。正確には、爵位が貰えるまで投資し続けたのであった。ようやく受勲したときには、それまでの貯金は殆ど残っていなかった。
「だ……大丈夫なの?」
「……多分?」
何故か答える声が疑問系。とはいえ、贅沢をしなければ、冒険者というのは意外と出費は抑えられるものだ。この程度の貧乏具合ならば過去に数度経験もした。問題はないだろう。
商館の入口付近では、いつの間にかレティシア二号がエプロンドレス(首輪付き)に着替えていて、エアリーンが黄色い歓声を上げ、ラクゴは天を仰いだりしている。
対称的に、微妙な沈黙が、レティシアとアイを包んでいた。
「えーっと……服とか我慢してるし。大丈夫だよ?」
「そう……」
俯き加減に、レティシアの声を聞くアイ。ばっ、と顔を上げると、その表情は――
――何故か、満面の笑顔だった。
「あ……アイさん? その顔は……」
「私が養ってあげるよ、レティちゃん!」
「……はぁ!?」
理解しきれずに聞き返すが、アイは取り合わずに商会秘書の所へ行き、何やら受け取って、戻ってきた。その手にあるのは純白のドレス。
俗に、ウェディングドレスと呼ばれるものだ。
「こんなこともあろうかと! 既に! 準備はしてあるの!」
どんな事態を想定していたのだろうか。
何を準備してあるのだろうか。
何故――そのウェディングドレスは、サイズが小さいのだろうか。
アイが着るには明らかに丈も、幅も合っていない。それは――そう、例えるならば、レティシア一号や二号が着るのに丁度いい大きさではないだろうか。
「さあ! レティちゃん!」
「わ、私……そろそろ出航しなきゃ……じゃあねっ!」
何やら凄く恐ろしくなって、レティシアは駆け――否、逃げ出した。
「可愛いなあ、もう」
何事かとこちらを見るエアリーン、レティシア=アーヴィング、ラクゴを気にする事もなく。
アイは、心底から楽しげな顔で、唇に、舌を滑らせた。