「起きろ…おい、起きろって」
「ん…んぅ…?」
 声と共に躰を揺さぶられる。心地よい眠りを遮られ、やや不満を感じながら虹乃が薄く目を開けるとそこには――男の顔があった。瞬時に意識が覚醒する。
「!」
 とっさに右の抜き手を放つ。手加減抜きで目を狙った攻撃は風切り音を響かせて男の顔を貫いた。
「おし、起きたな」
 貫いたはずの攻撃を避け、暁が平然と声をかけてくる。その顔は攻撃範囲から紙一重の位置にあった。
「時間だぜ。さっさと準備してブリーフィングルームに集合してくれ。位置は分かるだろ?」
「何故…躱せたのですか」
 虹乃の覚醒を見てすぐさま踵を返した暁の背に、彼女は問いかけた。
 出会った直後と、今。二度とも不意打ちだったはずなのに。二度ともいとも簡単に避けられている。それが彼女には不満で――不思議だった。ニュー・エルサレム軍のエース。幼い頃から殺し、壊し、潰す技のみを仕込まれてきた彼女の攻撃をこうもあっさり躱す人間がいるというのが信じられなかった。10人に満たない〈大天使〉の中でも、彼女の実力は最高クラス。故に彼女は『ラグエル』を使わされているのだから。こんな辺境の、流れの傭兵程度に負ける道理など何処にもないはずのに。
 暁は足を止めて、顔だけで振り返る。その瞳は真剣で――だが、何処か悪戯っぽい光を宿していた。
「この世に絶対なんてねぇのさ。神だろうが技だろうが――な」
「答えになって…いません」
 恐らくは神の絶対を持ち出すことではぐらかそうとしたのだろうが――通用しない。彼女にとって信仰とは大した意味はないのだ。自分で神を――Y・H・V・Hを信じたワケではなく、所詮は周りの環境の一つに過ぎない。そんな事より彼女には自分の実力を否定されるような事の方が重要だった。則ちそれは彼女の全てを否定することになるのだから。
 そんな虹乃の様子を見た暁は、諦めたような溜息を吐く。
「大体予想出来てたからな。さっきも今も。お前さんみたいなキャラをからかったり、起き抜けに顔付き合わせたりすりゃそりゃ不意打ちの2,3発来るって」
 嘘を――吐いている――
 何故かは知らないが虹乃は直感した。暁の言葉は真実ではない。嘘ではないのだろうが――それが事実の全てを語っているわけでもない。それがもどかしく、けれど何も言うことが出来ない。証拠も何もないのだ。
「んじゃ先に行っててくれ。アールグレイが居るはずだから。俺は大輔起こしてから行くわ――っと、そうそう。部屋に鍵くれぇかけときな。色んな意味で襲われっぜ。後は…枕に抱き付く癖は治した方がいいかもな」
「死になさい」
 要らない事を言う暁に、虹乃は部屋に鍵をかけなかった迂闊さを呪った。

『今から出れば30分以内に交戦可能な距離になるはずだよ。出来たらあんまりここには近づけない様にね』
 自分の機体に搭乗し、機体の起動が終わった3人にアールグレイの通信が入る。近づけるなと言うその顔は、単に迎撃が面倒なのだという意志をひしひしと感じさせた。
「はいはい。ま、単純計算で戦力比が1:50以上なんだから何機か抜けるのは覚悟しとけ」
 暁も面倒くさそうに答える。雑兵の百や二百に遅れを取るつもりはないが、全部を食い止めるというのは物理的に不可能だ。所詮はHMTのサイズなのだから。何kmも先を通過しようとする機体に攻撃を仕掛けるのは非常に手間がかかる。
『えー。全部止めてくれよぉ』
『無茶言ってンじゃねぇよ』
 不満そうなアールグレイに苦笑しながら大輔が言っている。互いに本気というわけでもない。じゃれ合っているだけだ。
『では…行きましょう』
 さっさと仕事を終わらせたいのか虹乃の言葉はにべもない。
『ああ』
「了解、っと」
『じゃあ第二,第三格納庫のハッチを開放するよ。各自気を抜かないように。グッドラック』
 アールグレイの指示で、3人は出撃した。
 デアボリカカスタム『アズライト』での初出撃だ。暁は宇宙に出た後軽く使い勝手を確かめる。
「うし。ほぼ予定通りのスペックだな」
『いい機体ですね。思ったより普通ですけど』
 その様子を見ていたのだろう――見ない理由も特にない――虹乃が世辞とも本気ともつかない誉め言葉を送ってくる。どんな機体を予想していたのだろうか。暁は苦笑する。
「大輔みたいな趣味丸出しの機体ってのも悪くねぇんだけどな。俺は基本的にあいつのサポートだし。奇抜なの使う理由もねぇさ。俺はむしろあんたの機体の方に興味があるね」
 三機の中でアズライトは最もスタンダードなタイプのHMTだ。全高21mとやや大きく、斬艦刀を持ってはいるが、デアボリカのカスタム機なのだから当然と言えば当然だが。大輔の機体『カオティック・ブルー』はオリジナルのワンオフ機。全高はほぼ標準サイズの18m。携行武装はなしで全ての武器が内蔵火器となっている格闘専用機。ストライク・ナックルやフィールドバリア兵器など殆ど冗談と思える程奇抜なものがある。
 しかし、それと比べても尚虹乃の機体『ラグエル』は異質だった。全長50m程の巨大な戦闘機。はっきり言って常識外れのサイズだ。そんなものが趣味というわけでもなく、ニュー・エルサレム軍の正式エース専用機ともなれば尚更である。暁はそんな機体がまともに稼働するだけの出力や兵装規模を考えて頭を抱えたくなった程だ。費用がかかりすぎる。その癖使い勝手はお世辞にも良いとは言えないだろう。戦闘機はHMTより速いが、AMBAC――マニューバ機動での体勢変更――で回避することもできないし方向転換にも旋回半径を必要とする。機動力と運動性は必ずしも一致しない。はっきり言って欠陥機と言えるだろう機体である。
「そんな機体でよくもまあ戦う気になれるもんだ」
『ニュー・エルサレムの実力をみくびってらっしゃるようですね』
 皮肉に対して、虹乃は挑戦的に笑う。彼女も恐らく、自分の機体がどういう目で見られるか分かっているのだろう。それ自体に気分を害した様子はない。
「そうかもな。ま、すぐに見せて貰えっだろ」
 それに自信を読みとったのか、暁はあっさりと会話をうち切り、話題を変える。
「作戦は散開してタコ殴り。俺らは通信を普段開きっぱにしておくけど――虹乃サン、あんたはどーするよ?」
『私も開いて置いた方が便利でしょう。周波数は幾つですか?』
 何の気なしに答えた虹乃に、暁がにや、っと笑うのが分かる。
「そーやって俺らの使う周波数帯を把握しておくのかな?」
『み、見くびらないでくださいッ!』
 言われて思い出した。彼らは敵なのだと。彼女の所属を気にしない基地の連中や傭兵達のせいですっかり忘れていた事を恥じる。その様子が伝わったのか、二人は可笑しそうに笑った。
「冗談だよ。特別な周波数なんざ使ってねぇ。通常回線で開いておけばいい」
『しかしそれでは敵に傍受されませんか?』
『されても大して問題じゃねぇよ。どうせ非常識な戦力差で戦うんだし』
 虹乃の疑問には大輔が答える。確かに動向がばれても大した問題はあるまい。というかどうせ彼らは勝手に動いて戦うのだ。戦闘中に打ち合わせる必要がないなら傍受の危険も同様にない。しかし何で彼らは同じ様な思考形態なのだろう。
「お、見えてきたぜ」
 虹乃がそんなどうでもいい事を考えている間に、敵が視界内に入る程接近したらしい。まだ多少距離があるが、だからこそ連中の全部を把握する事が出来る。
『結構いるな。けどまあ、あんくれぇ固まってりゃなんとかなっか』
「だな。一気に突っ込んで行きてぇとこだけど…エネルギー使うのもなあ」
 あちらと違いこちらは3機で戦う。通常2割の戦力低下で戦術的勝利を収めることが出来る戦闘だが――宗教戦争の場合は少々違う。この場合は目的は敵の殲滅になり、勝利そのものは特に望まない事が多いからだ。極端な話、相打ちでもいいのである。その分異教徒の数も減るのだから。
 殲滅戦を展開する可能性を考慮すると、エネルギーの余計は消費は可能な限り避けねばならない。長丁場になりそうな今回は、多少の不利を強いられてでも慣性移動した方がいい。二人はそう考えたのだろう。
 そこまで考えて、虹乃はふと閃いた。
『お二人とも。手は空いてますよね?』
『ん? まあ、俺はなんも持ってねぇし』
「片手でいいならな。斬艦刀持ってっから」
 斬艦刀は機体にくくりつけるには大きすぎるのである。
『なら――ラグエルに掴まってください。一気に加速して突っ込みます』
 彼女の言葉の後、二人のHMTに捕まる場所を示したデータが転送されてくる。
「お。いいな、それ。それで行くか」
『了解、っと』
 二人の傭兵はあっさりとその案を採用して、相対速度あわせに入る。その様に虹乃は苦笑する。
 ホント、警戒心とかないのかしらね。
 敵を基地にあっさりと招き入れる。その案を採用する。普通は考えられない事だ。だが、そんな彼ら――暁と大輔に限らずアースゲインに居る人々――の持つ空気は、彼女にとって非常に良い物であった。だからこうして協力することが出来る。
 ラグエルとアズライト、カオティック・ブルーの相対サイズからすれば掴まる事は容易かった。それを確認して虹乃はコンソールを操作する。
『では、行きますよ』
 二機のHMTを付けた大型戦闘機が、昏い空を引き裂いて走る――