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白い髪が妙に瞳に焼きつくような感覚だけが、彼女には感じられた。
整った顔立ちからは、性別は判断できない。
伏せられた瞳を縁取る長い睫も、真白な雪色をしていた。
その奥に隠された瞳は、外界に曝されない。
「…死ん、でる…?」
ノヴェルの呟きに、研究員はびくりと身を震わせた。
ゾンビか何かと勘違いしているに違いなかったが、それを敢えて云ってやる事すら頭の片隅から吹き飛んでいた。
唯、吸い込まれるかの如く手を伸ばす。
血の気のない、冷たい青白い肌に彼女の小さな指先が触れる―――その寸前。
ぱし、と音を立てて手を止められる。
「嬢、待て」
少し遅れて降って来たのは、玖瑠亜の声だった。
「うむ、ニヴィは其奴と共に中に入っておれ。何があるやも予想すら付かぬ」
そう云って珍しく玖瑠亜の意見に相槌を打ったスタディは、腰の抜けた研究員を指差した。
それは、ノヴェルに中に連れて行けという意味でも、『お前だ、立て』と指図している訳でもない。
「往け」
小さくスタディが呟くとほぼ同時に、研究員の姿は忽然とその場から消えた。
火のような赤いものが、ちらりとそこに舞うのみだ。
如何やら移動魔法を使ったらしい。
「ニヴィ、…何をしておる。早うお主も行け」
呆然と未だに白い髪のひとを見下ろしたまま動かないノヴェルにもう一声掛けるも、反応は得られない。
「ニヴィ?」
「嬢、行け。こいつは、…死んでねえから」
見かねた玖瑠亜が、云い聞かせるように、ゆっくりと云うと、ノヴェルは僅かに顔を上げた。
「…ほんと?」
「ああ」
「……解った、中で…待ってるね」
ふ、と無理に作ったかのような笑顔を一瞬浮かべて、ノヴェルはガラスのドアの向こうへ消えた。
それを見送って、玖瑠亜が云う。
「あいつは…ひとが死ぬのが嫌いなんだよ…。俺と同じでな」
それはスタディに向かって浴びせた言葉だったのか、それとも唯の独り言だったのか。
ともかくその言葉にスタディが驚かされたのは云うまでもない。
(本当に、此奴には時々自分を否定された気分になるわ――)
知識を何も持たない癖に、そういう所はしっかりと見ている。
その人にとって何が大切で、何が苦痛か、『ひと』を良く見ていると云えば良いか。
上っ面だけではなく、親身に相手の事を考えて言葉を紡げる。
(儂には――到底出来ぬ芸当じゃな)
いつも傍にいるノヴェルの事さえ気遣ってやれぬ自分には。
「おい、ぼーっとしてんなよ。こいつ、どうするんだ?」
玖瑠亜の声にはっと我に返る。
考えに耽っている場合ではない。
「あ、…ああ悪い…今少しばかり調べておこう」
そう云ってその人間の形をしたそれにもう一度しっかりと焦点を合わせた。
人間にしては白すぎる肌。
まるで血が通っていないかのような。
慎重にその肌に触れると、ひんやりと冷たかった。
それは死人特有のそれとは違って、どこか金属を思わせる冷たさだった。
「…創造体か、此奴…」
「…何だって? 騒々しい?」
呟きに、間の抜けた言葉が返ってきて、スタディは肩を落とした。
「創造体じゃ。…お主、知らぬのか」
「知るか、んなもん。なーんだ、じんこーなんたら、って奴じゃないのか、そいつ」
「人工人間、だろう。…そうじゃな、学術的にはそう云う…」
意識も半分にそう返しながら、瞼をこじ開けようと、指で上に押し上げてみる。
しかし、重く固まっていて、開かない。
どうやら人間でない事は確かなようだ。
「ふーん…。で、それって何なんだ?」
「それはな……」
そう云いかけて、自分が何を説明しようとしているかを思い出す。
創造体など、ノヴェルでも知っているではないか。
「それは?」
「阿呆か、お主。嘘も大概にしろ。そのような事、子供でも知っておるわ」
「でも俺は知らねえし」
すっぱりとそう返される。
「だって今まで見たこともねえもんどうやって知りゃあ良いってんだよ?」
「何ィ!? 見たことがないだと!? ほざけ、そんな訳がなかろうが!」
「ウルセエなあ、知らねえもんは知らねえんだよ。悪いか?」
悪びれる様子もなくそう返ってくる。
見たことがない? そんな訳がある筈ない。
この研究所の中にも何体もいるのだ、それは皆知っている事だ。
「この中央棟の中にも居るではないか!」
「はぁ?」
何を云ってるんだ、とでも云いたげな視線で、スタディを見返してくる。
「ここにはそんな名前の人間の形した奴なんざいねえじゃねえか。生きた人間しかいねえだろ?」
玖瑠亜にとっては真剣な、けれどスタディには唯の阿呆な言葉にしか聞こえないその言葉を切に、スタディは口を開く力さえも減退した気分になった。
「本当に…阿呆じゃな、お主。救いようもないわ…」
「で、何なんだよ、その…騒々…」
「創造体! …簡単に云えばロボットじゃよ。人間が作り出した、人間型の機械。此奴の場合は…サイボーグという言葉の方が合っているやも知れぬが」
「サイボーグ、ねえ」
「そう、生身の人間を土台に創りかえられたロボットの事じゃ。…その程度は知っておろう」
「…さあ?」
どうやらそちらの方も知らなかったらしい。
大げさに溜息を吐くと、玖瑠亜がむっとしたような表情になった。
「しょうがねえだろ、知らねえもんは知らねえんだから!」
「…お主どういう経緯を経て今まで生きてきたんじゃ…。ろくに教育も受けておらぬのか?」
その言葉に一瞬押し黙る。
スタディは馬鹿にしたとまた云い返してくるかとばかり思っていたので、その反応に少し驚いた。
硬く眼を一度閉じ、そして再びその紫の瞳でこちらを睨みつけて来る。
「どうでもいいだろ、んな事は!」
ばん、と同時に玖瑠亜の手が地を打った。
怒りに任せた行動だったが、その行動自体は別段悪くはない、けれど、打ち所が悪かった。
地を打った、というのは間違いだったらしい――その手の下には、ひんやりと冷たい感覚。
「あ、阿呆玖瑠めが…!!」
自分の手の先をみると、そこには白い人間の姿があった。
「やべっ…傷とか付いてねえよな?」
「良いから早く手を離せ、阿呆が!」
「ちょっと待ってろって、今…」
そう云って手を引くも、まるで吸盤のように、その身体にくっついた手が全く離れない。
「あ…あれ、おい待てよ、離れねえぞ…!?」
「何ィ!?」
もう片方の手で白い身体を押さえつけて腕を引いても、びくともしない。
反対に、呑み込まれていくような感覚さえ覚える。
「どういうことだよ…っ、おい、ミニガキ! お前学者だろ、これ説明しろって!」
「わ、解らぬ…儂とて眠った創造体を目の当たりにしたのは初めてで…っ」
「くっそ、何だってんだよ…!?」
玖瑠亜は全体重を掛けてとにかく呑み込まれまいと腕を強く引いた。
その光景は、事情を知らない他人から見れば何とも滑稽なものに相違なかったが、そんな事に構っていられる余裕などない。
力いっぱい噛締めた歯の間から、ギリ、と嫌な音がして、玖瑠亜は一瞬腕に掛ける力を緩めた。
その力を緩めた一瞬。
トクン、と、小さな鼓動が掌に伝わる。
自分の鼓動ではない、全く別の―――。
「―――な……ッ!?」
急に掌の圧迫感が消え去り、全体重を掛けていたその身体は後方へ投げ出された。
「うわ…っ!?」
擦るような音と共に、玖瑠亜は地に打ちつけられた。
再びその場に土煙が舞い上がる。
「無事か、玖瑠亜!」
「…っゲホ、うえ…思いっきり背中打った…」
「無事じゃな!」
「無事じゃねえよ! …っゲホゲホッ」
大げさに咳き込む玖瑠亜の声に、スタディは胸を撫で下ろした。
「それだけ喋れるのなら上等じゃ」
「少しは人の事気遣えよな…痛て〜…」
そう云って玖瑠亜は吹き飛んだ原因である白い人間の方を睨んだ。
何故突然あんなにしっかりとくっついていた掌が開放されたのか。
「何が起こったんだよ…」
慎重に傍に寄る。
その空間は、白く細い糸が絡められたかのように、輝いていた。
風で舞った埃によって起こった訳でないのは確かである。
何故なら、その白い輝きは、色素の薄い長く細い指に拠って、元の場所に還っていったから。
すう、とその指が白い河を下ると、毛先がさらりと揺れた。
その動きには、ぎこちなさなど一欠片も見受けられない。
ごく自然な、ごく人間的な動作。
そして、こちらの気配に気付いたのか、ふわりとこちらに視線を向ける。
白いカーテンの先に見えたのは、薄い茶の瞳。
まるで、白い睫に縁取られた、美しい宝石のような。
「…貴方は…誰…」
血の気のない唇から紡ぎだされた声は、ボーイソプラノの良く通る声。
「…お前…?」
「貴方が…目醒めさせてくれたのですね…?」
「え…」
戸惑う玖瑠亜に、白い人間は更にこう付け加えた。
「ファイを…導くのは、貴方ですか…?」
□■□
中央棟は主に研究をする場というよりは、資料を集めた図書館というに近い。
本が沢山あるというわけでもないが、殆どの知識をスタディが持ち合わせているからである。
つまり、彼は生きた辞書といっても過言ではない。
よって研究員達は中央棟の事を『知識の箱』と俗称で呼ぶのだった。
その中央棟に唯一つある研究室に、スタディ、玖瑠亜、ノヴェル、そして白い人間―創造体が集まった。
とにかく創造体が動いてくれたので、有無を云わさず引っ張ってきたのである。
状況が呑み込めていないらしい玖瑠亜とノヴェルを尻目に、スタディは彼に向かって質問を投げかけていた。
「お主、名は?」
「アルビネイターサイボーグ β−105式、ファイ=シータインです」
「アルビネイター…白色創造体という奴か」
「はい、その通りです」
「β−105式……随分と古い型じゃな」
先刻玖瑠亜に向かって打ち付けた巨大辞書を捲って云った。
その言葉に玖瑠亜が口を挟む。
「古いってどの位古いんだよ?」
「大体…千年程昔のものと見て良いな」
「せ、千年!?」
「うむ、何処かの遺跡に眠っておったのじゃろう。その頃の記憶はないか?」
「少しお待ち下さい…」
そう云って眼を閉じる事数秒、僅かに眼を伏せたまま答える。
「かなりメモリが破損されていて、断裂的にしか分析できません…続けますか?」
「否、いい。そのまま待っておれ」
そう云って、説明しろと云いたげな2人の方を見やった。
「此奴はアルビネイターサイボーグ。白色創造体と云ってな、昔の技術では創造体を創る時に、色素を発生させる遺伝子を死滅させてしまっていたのじゃが、此奴はその結果できたものじゃな。よって髪が白く、瞳も薄茶であろう。動物にも白色体は存在するのじゃが、その場合瞳は赤になるのは解るじゃろう?」
その問いにノヴェルは即座に答えた。
「…血色」
「そう、その通りじゃ。瞳の中に通る血の色が透けて見えるのじゃな。此奴の場合は…オイルで動いているのじゃから薄茶になるのも容易に想像できよう」
「ああっ、ちょっと待て!」
スタディの長い説明に、玖瑠亜がストップを掛ける。
「て事は、こいつはロボットにされた時に、色素を失くしちまった……細胞…」
「サイボーグだよ、玖瑠」
「ああそうそう、サイボーグって事だろ?」
ノヴェルに助言してもらいながら、玖瑠亜は何とかスタディの言葉を簡潔に整理して述べた。
その光景に半ば呆れながら、まあそんな所か、と返してやる。
「じゃあさっきこいつが俺に向かって云った言葉は?」
「何と?」
「導くのは…俺か、とか何とか」
「ああ、そうか…その事を忘れておった」
そう云って再び白色体の方を向いて云った。
「指導者は儂、スタディ=ラーンカルドじゃ。この建物の長じゃから、まあそれで良いだろう。但し、儂の云った事が全てと思うでない。お主なりに考えて行動するようにな」
「ファイを導く者…スタディ…様」
「様など要らん。云うたであろう、儂はお主を下僕のように使うつもりは到底ない」
「では、…スタディ」
「うむ。お主は…ファイで良いな」
そう云って、今度はノヴェルをこっちへ来いと呼び寄せる。
「此奴はノヴェル=リング。幼いが頭はよく切れる。暫くはお前と一緒に行動してもらおう」
良いな、とノヴェルに問いかけると、嬉しそうに微笑んだ。
「あたしノヴェル。スタディにはニヴィって呼ばれてるわ。宜しくね、ファイ!」
「宜しくお願いします、ニヴィ」
実験台の上に座ったまま、ファイは僅かに頭を下げた。
しかし、全く微笑まない。
サイボーグは愛想良く創られている筈、珍しいとスタディは首を傾げた。
「あ奴は…いいじゃろう。どうせいつも研究棟内にいる癖に姿が見えぬのだからな」
「何ィ!? 俺の紹介はナシかよ!」
玖瑠亜がスタディの言葉に食い掛かろうとした正にその時。
「貴方は、玖瑠亜=不由。知っています、玖瑠」
ファイがそう告げた。
「此処に来る前の貴方の事を、良く」
「…何?」
その言葉に、玖瑠亜の声色が、一瞬にして豹変した。
冷たい、怒りと疑いの混じったような声。
「『フューア』。ファイは貴方の気配で目醒めたのです」
「お前、一体…?」
「ファイは…空(あき)だから。沢山のものが足りない…。ファイを創った人間は、心の大切なものを失った人の近くにファイを置き、その人に心をもう一度取り戻してもらおうと思っていた。…そこまでしか覚えていないけれど、確かにその人間は玖瑠の事を知っていて、それをファイに植えつけた」
「良く…知ってんじゃねえか、千年も昔の奴が俺の事を…」
「だから玖瑠、ファイを玖瑠の傍に置かせて欲しいのです。玖瑠が何か手に入れるその時、ファイも何かを手に入れられるかもしれないから」
ノヴェルは勿論、スタディもその会話の内容を今一呑み込めなかった。
玖瑠亜の心に欠落しているものがあるとでも云うのか。
それが真実だとして、如何して千年前の人間がそんな事を知っていよう?
「…ああ、解った。お前が一体何処まで知ってんのかは解らねえけど…他言はしないでくれ、絶対に。その代わり、お前はお前の目的を果たせばいい。近くにいたいんならいりゃあいい。俺は…ここから動くつもりもねえから」
「…はい」
その言葉を切に、玖瑠亜はその日、一言も口を開く事はなかった。
空虚の白き遺産を前に、再確認したのかもしれなかった。
自分には、何かが足りない事を。
そして、自分が此処から恐怖ゆえに、身動き一つ取れなくなっている事を。
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次の日からは、また、何ら変わりのない生活が始まった。
その研究所に、住人が一人増えた事を除いて。
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