...the Cup for the Moon, the Jewel for the Dark.

W

THE WORLD OF CHILD -1-
コドモノクニ

 ファイが研究所に居候し始めてから、数日が経った。珍しくスタディのいない研究所長室で珍しく玖瑠亜がソファに横になってうつらうつらと、夢と現の間を行ったり来たりしていると、コンコンと軽い音が響いた。遅れて歪んだ声が響く。
「スタディ学士〜、いらっしゃいますかぁ?」
 歪んで聞こえるのは、半分眠っているからなのだろうが、その気持ちの悪い声に玖瑠亜は無理にでも眼を醒まさずにはいられなかった。
「いねえよ」
 不機嫌そうな声を返すと、ああ、という妙に納得したような声が返ってきた。続いて扉の開くキィという独特の音が聞こえてくる。
「やっぱり玖瑠くん。丁度良かった」
 姿を現したのは、良くスタディの所にやってくる東棟の研究員のうちの一人だった。黒に近い茶の髪に、ダークグリーンの瞳。歳は自分より6、7上という程度だろうか。名前は――確か。
「あ〜っと…クェル?」
「うん。入るよ?」
「ああ…どぞ」
 玖瑠亜の返事を聞いて、ゆっくりと扉を閉めた。振り返り様に、まだ半分寝ぼけ眼の玖瑠亜に苦く笑って。
「珍しくこの部屋に居るかと思ったら、居眠りかい? スタディ学士に留守でも頼まれていたんじゃないの」
「まあ…そんなトコ」
 2つの問いに1つの返事を返す。
「で、あのミニガキ学士さんに何か用?」
「いいや、実は君に、ね」
「俺?」
「うん。何処にいるか捜すのも大変だろうと思って、学士に渡そうと思ったんだけど」
 酷えな、と軽く笑うと、クェルもつられて笑いながら謝罪した。事実なので、玖瑠亜も皮肉に一々怒ったりはしないが。
「はい、君宛の手紙」
 微笑みはそのままに、懐中から黒い封筒を抜き取って彼の前に差し出す。そこには確かに、銀色のペンで『玖瑠亜=不由様』と走り書かれていた。裏返すも、差出人の名前はない。
「珍しいな、俺宛の手紙なんて」
「しかも黒封筒! また何かヤバイ事にでも首突っ込んでないだろうね?」
「突っ込むかよ。…ていうか『また』って何だよ、俺前科者か?」
「はは、冗談冗談。まあ悪い物は入ってないから安心して」
「はいよ。サンキュな」
 黒封筒を受け取ると、クェルは学士に宜しく、と云い残して帰っていった。きっと研究の途中にでも抜けてきてくれたのだろう。急ぎ足の階段を下りる定期的な音が部屋に届く。その音が遠ざかったのを確認して、玖瑠亜は部屋の鍵を閉めた。かちゃん、と独特の音が部屋に静かに響く。
「この黒封筒…まさかな…」
 云いながら、封筒の封を開ける。中には、同色の便箋が一枚入っていた。短い文章が便箋の中央辺りに、宛名の文字色とは違った血色のペンで綴られている。
「…『振り返れば貴方の傍に』……?」

「そ、フューくんの傍に!」

 背後から響いたのは、明るい女性の声。玖瑠亜の首に、細い腕が絡まる。
「どわあ!!」
 全体重を突然掛けられ、バランスを崩しそうになるも、何とか踏みとどまる。しかしその体勢のまま、後ろの女性は離れようとしなかった。
「コラ、離せ!! …ッお前っ、何処から沸いて出やがった!」
「うっふふ〜、だあ〜れだ?」
「いい加減にしろよ、シュリカ!!」
「流石フューくん、当ったりィ! そこら中に引っ張り凧、今巷で大人気の売れっ子引取り屋のシュリカちゃんが、わざわざ会いに来たんだからv」
 フューくん限定で、と付足したところで、終に玖瑠亜に突き飛ばされた。不安定な状態だったがしかし、身軽に地面に着地する。
「酷ぉ〜い、振り払う事ないじゃない!」
「ウルセエな、離れねえお前が悪いんだろ」
「相変わらず冷たいんだから…」
 そう云ってシュリカと呼ばれた暗赤の髪の女性はパンパンと膝を叩いた。埃が僅かに宙を舞う。そして勢い良く玖瑠亜の方を向いた。その仕草で、軽装備ながら身体に取り付けられた鎧がかしゃんと音を立てる。
「女のコには優しくするモンよ」
「ハイハイ。…で、その大人気で大忙しの筈の引取り屋のシュリカさんが如何してこんな所にいるんだよ」
「そりゃ勿論、フューくんに会いに!! …と云いたいところなんだけどねえ。実は仕事でなんだ〜」
 はあ、と沈んだ溜息が漏れる。
「早く済ませて久し振りの再会を堪能したいんだけど」
「仕事だぁ? こんな辺境の研究所に何があるってんだよ」
「辺境ってねえ、ここ首都のど真ん中なんだけど?」
 もう本当相変わらず何も知らないんだから、と苦く笑う。その答えに、玖瑠亜も引きつった笑いを浮かべて僅かに弁解する。
「ま、まあ良いじゃんか」
「良いって…あんまり良くないと思うんだけど」
「……。そ、それで? 仕事って何なんだよ」
 今一納得できない表情のまま、シュリカは告げた。
「…勿論、あるモノを引き取りに。王様の命でね」
「いつからお前あそこの犬になったんだ?」
「キミの 『組織』 に御贔屓にしてもらってた頃から、わたしはお城で可愛がって貰ってるよ」
「そりゃ初耳だな」
「初耳に決まってるじゃない。わたし、城から派遣された一種のスパイだったんだもん。自分の素性バラす訳ないでしょ?」
 得意気にそう云ってみせる。如何やら呆然とした玖瑠亜の表情の方は見えていないようであった。
「まあそういう訳で」
「ちょっと待てェ!! 今何て云った!?」
「 『まあそういう訳で』 って」
「その前だ!!」
「王様の命で…」
「違〜ッう!!」
「もう、細かい事は良いじゃない」
「細かくねえだろ全然!」
 憤慨した彼とは対照的に、余裕の表情で彼の言葉をかわして、シュリカは話を続けた。
「とにかく! 引き取りに来たったら来たのよ。この研究所内に王に無断で置かれている筈のアルビネイターサイボーグをね!」
「…!」
 何十回も耳元で云われたその単語は、幾ら阿呆の玖瑠亜と云えども、覚えてしまったらしい。ひょんな事から、この研究所に住み始めた、ファイ=シータインの事に間違いなかった。
「何だ、フューくん知ってるの?」
「まあ…な」
「へえ、じゃあ城に連れて行きたいからさ、ここまで連れて来てくれないかな」
 軽く頼むような口調だった。別に何の悪気もなく、咽喉の奥から零れ出た言葉。その返答は、笑顔と共に降り注いだ。 「無理なご相談」
「…は!?」
 断られるとは思っていなかったのか、シュリカが思わず声を上げる。
「多分、あいつはここから動かねえよ。…俺と同じでな」
「随分解ったような云い方ね」
「ま、な。何なら本人に訊いてみるんだな」
 会わせてくれるの、と喜びの声をシュリカがあげる前に、玖瑠亜は背後の扉に、なァ、と呼びかけた。何の事やら解らずにその扉の方を見やるも、この部屋に他の人影はない。
「ファイ。そこに居るんだろ。声だけでいいから答えな」
 ややあって、静かなボーイソプラノの綺麗な声が扉越しに濁って響いた。
「…お断りします」
 いつから気付いていたのだろうか、その僅かな気配にはシュリカも気付かなかった。玖瑠亜はそんなシュリカには構わず、ほらな、と溜息半分に云ってみせる。
「今回は諦めな。あいつの石はカタイぞ」
「意思、でしょ」
 石が硬いのは当たり前じゃない、と付け加えて云って、今度は扉の向こうに声をかける。
「ねえ、ファイくん…っていったかな。キミは、どうしたら城に来てくれる? 来てもらわないと困るの」
「如何してですか」
「王がね、キミについての文献を城内で見つけたから、是非見せたいって仰るの。だから、来て欲しいんだ」
「ファイの…文献…」
「そう。お願い、文献を見せる交換条件として一度城に来て欲しいって仰るのよ。キミにとっても悪い話じゃないと思うよ?」
「…そっか…」
 話をやっと飲み込んだらしい玖瑠亜が、ぽつりと呟いた。
「云え、ファイ。行きたいか行きたくねえか。お前の意見を優先する」
 突然今まで反対していたはずの玖瑠亜から零れ出た、思いもよらない言葉に、シュリカは驚いた。一体如何いう事なのかは全く解らないが、とにかく扉の向こうの返事を注意深く待つ。
「…読みたい、です。――しかし…っ」
「解った。大丈夫、お前一人じゃ行かせねえよ。…シュリカ。これは交換条件だ。俺も連れてけ」
「ええっ、フューくんも!?」
「でなきゃファイはここから出ねえ。…さァ、如何する?」
 その選択に、暫くシュリカはう〜んと唸って。そして大きく溜息を吐いた。
「しょうがない。フューくんは予定外だったけど…まあ 『アーくん』 もキミとなら話も合うだろうし…」
「アーくん?」
「あ、ああ何でもないの、気にしないで。それから、スタディ学士も同行してもらってね。話の解る人、一人は付き添ってもらう予定だったから」
 そう付け加えて云って、にこりと微笑んだ。
「じゃあ、明朝10時、迎えに上がります。今度は正門から、ね」
「おう」
「ファイくんも、…姿見られなくて残念だったけど、また明日」
「…はい」
 その無機質な答えに苦笑して、シュリカは窓辺に寄った。そして、躊躇いもなく足をかける。
「じゃ、またね〜」
 明るい声と共に、シュリカの姿は、窓の外に消えた。

□■□

「有難う…玖瑠」
 ソファに向かい合って座った状態で、ファイは小さくそう云った。
「ん?」
「城に、行かせてくれて」
「ああ、…うん」
「ファイのメモリは殆ど破棄データになっていて、判別が不可能だから…文献を読むことでそれが直るかもしれない…」
「…そか」
 殆どその言葉の意味を解しないで、生返事を返す。その様子に、ファイが唇を僅かに歪めた。ふ、と。柔らかな笑みを浮かべたのである。今まで一度たりとも笑わなかったファイが、薄く笑みを浮かべたのだ。
「ファイ…何だお前、微笑える…じゃんか」
「え…?」
「ははっ、やっぱり俺、お前がロボットだなんて今でも信じらんねえや」
 嬉しそうに笑う玖瑠亜を見たのは、ファイとて初めてであった。子供らしさが窺える、素直な表情。
「だってさ、こうやって俺と喋ってさ、俺がお前の云ってる意味が解んなくても…、お前と会話できて、一緒に笑ったり怒ったりできる。如何考えたって人間だろ、お前は!」
「玖瑠…?」
「会話できるんだぜ…生きてるって、証だろ…。少なくとも、少なくとも、お前は微笑って俺と話せるんだ…」
 ふっと、笑顔が玖瑠亜の顔から消える。切なげに伏せた瞳は、自分の掌だけを見下ろしていた。ややあって、下ろした視線を窓の方へとやる。
「俺にはさ、もう話せねえ奴が居るんだ。いや、奴等、か。だからお前は、…お前こそは、自分の事を知って、負い目なく俺と話してて欲しいんだ」
「……」
「お前とは、自分の事を知った上で、『人間』 として一緒に喋りたいんだよ。自分を納得した上で、さ」
 見やった窓の先には、太陽の沈む直前の橙と藍の交じり合う、綺麗な夕焼け空が浮かび上がっていた。紫色の瞳に、橙の光が映り込んで、揺れる。
「お前は 『生きてる』 んだよ。だから…もしその文献に何が書いてあったとしても、それから、もし何も書いていなかったとしても――」
 自分の言葉に、昔の記憶が重なる。

―――あなたは 『生きてる』。それだけは、捨てないで――?

「捨てたり、すんなよな…」
 ファイには、玖瑠亜の言葉の意味が半分ほどしか理解できなかったけれど。彼が云いたい事はきっと。
「…はい」
 何があっても、絶望だけはするなという事。絶望がどんなに恐ろしくても、自分の事すら知らずに生きていてはいけないという事。何もかもを知った上で、力強く生きていけと、お前にはその権利があるのだと。きっと、そういう事だろう。
「捨てません…」
「…そか」
 素っ気無い返事は、いつもと変わらぬように聴こえたけれど、ファイの心に小さな鼓動を齎(もたら)した。機械的に紡がれるそれとは違う、また別の、『心』 の鼓動を。

□■□

―――私はロボットと同じ、心の無い人間の形をしたモノ。私はもうずっと昔に死んでしまったの。でも、あなたは違う。そうやって、生きていくのに、罪の意識を感じることが出来るでしょ? 自分の生まれに、悔いを感じることが出来るでしょ? あなたの過去を私は知っている。あなたがそれを受け止めるのは酷く困難な事だという事も知っている。それでもあなたには全て知ってほしい。私のように自分自身を見失って、感情の無い人形にならないで欲しい。どんな結果が待っていたとしても、お願い。その笑顔だけは。忘れないで。あなたは 『生きてる』。それだけは、捨てないで――?

 お前が云っていた事、俺が通ってきた路。全てが――ファイに重なる気がする。
 なァ、お前も見ただろ? ロボットでさえ微笑えるってのに、お前に感情がないなんて事、ありえねえじゃねえか。次に会う時こそ、『あいつ』 と同じように微笑ってくれよな?

  もう会えない
  もう逢えない

俺は信じない。

  何処かで死んだんだ
  何処にもいないんだ

俺は信じない。

―――捨てないで?

 捨てなければ、お前に会える?



 夕日に向かって想った言葉は、もう届かない。

□■□

 薄暗い寝室に、蝋燭の光がひらりと蝶のように舞っている。その光を受けるのは、冷たい碧の瞳。
「お帰り、シュリカ」
 床に敷かれた独特の赤いカーペットの色にも似た髪を持つ女は、その声ににこりと微笑んだ。
「ファイ=シータインには会えた?」
「明日の昼連れて来るよ」
「そう。楽しみ」
「それから、もう一人、良いモノが釣れちゃったv」
「へぇ、誰?」
 す、と振り向くと、金色の髪が宙に靡(なび)いた。
「ふふ、『ストーナーのフューア』 だよ。珍しいお客人でしょ」
「フューア! 彼が来るのかい!」
「今は玖瑠亜=不由っていうんだけどね」
「余計明日が楽しみになった。今日は眠れないね」
「夜更かしなら付き合ってあげる」
「それはそれは。今日は仕事ないのかい?」
「だってわたし、もう王さま限定の引き取り屋だもん」
「おやおや、それは嬉しいね」
 ベッドに腰掛けて、にこりと微笑む。
「じゃあ、また頼むよ」
「いつでもどうぞ。シュリカは、…子供の国の王さまの、仰せのままに」
「心強いね」
「 『アーくん』 の頼みなら何でも聞いちゃうぞっ」
「ある意味…裏がありそうで怖いけど? 王族(うち)の秘宝財宝目当てじゃないだろうね?」
「まさか」
「なら良いけど」
 くつくつと笑って。
「子供の国の王さまは、罰則にも手を抜かないからね」
 声と共に、蝋燭の灯りは、消えた。

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