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意識もはっきりしないままに、部屋に閉じ込められたように思う。はっと気づいたときには、見慣れない部屋に黒い布を持ったまま、直立不動していた。慌ててドアのノブを引くが、如何にも開きそうにない。外から鍵がかかっているらしい。ガチャンガチャンと、けたたましい音が暫く部屋に響いて、そして一瞬の間と共に止んだ。
「…何だってんだよ、一体」
見慣れない部屋とはいえ、内装は良く見知った研究所のそれと全く同じであるからして、ここは自分の現在の住処である首都研究所中央棟内に違いはない。しかしその一室に、如何してこんなに朝早くから閉じ込められねばならないのか。
「…訳解んねえんだけど…」
その呟きに、返答が返る筈はない。しかし、少し遅れて、聴き慣れた中性的な声が耳に届いた。
「その服に着替えれば良いのですよ、玖瑠」
ボーイソプラノの通る声は、紛れもなく。
「…ファイ」
「お早う御座います」
「…ん、ああ、…はよ」
そう云って視線を向けた時、玖瑠亜はその不自然な光景に気付いた。何かが、おかしい。暫く相手を凝視して、その違いにようやく気付いた。
「…珍しいな、…お前が黒い服、着てるなんて」
「スタディの命ですから。それに、貴方もでしょう、玖瑠」
如何やら半身だけ着替え終わったらしい、黒のズボンに身を包んでいたが、上半身は未だに、白っぽい色の服のままだった。
「んあぁ、これか。メンドくせえなあ…ったく」
そう云って、のそのそと着替え始める。ベルトをがちゃがちゃと音を立てて外しながら、玖瑠亜は改めてファイの不思議な姿を眺めた。
細身の長身で、その身体を彩るのは、白い髪、白い肌、白い睫。唇の色素も薄く、殆ど白に近い桜色に染まっている。整った顔つきは、女性のそれそのままで、どう見ても男には見えない。右眼はこの研究所に運ばれた時に故障していたので、白い眼帯が付けられて、姿は見えない。左眼は長く切り揃えられた白髪の向こう側に隠れているが、時折覗くそれは、二重瞼に薄茶色の瞳で、どこか生気の感じられない、まるで死んだ魚の眼のような、曇った感があった。左頬を始め、身体の至る所に、青っぽい色の刺青のようなものが彫りこまれており、それが一層人間味を薄くさせる。そして、見え隠れする腰の、ヒトでいう臍(へそ)のある辺りには、ぽっかりと穴が開いていた。深さが三段階ほどになっているその丸い穴は、入り口は広く浅いが、奥に行くほど細く狭い、何か棒状のものを差し込むような形になっていた。いつもは、確かそこに、何かがついていた筈である。
「どうかしましたか」
声に、思考が遮断される。あまりに視線が刺さっていたのか、ファイが云ったらしい。否、と首を振ってから玖瑠亜は再びファイの姿を見て、一瞬息を呑んだ。その手は、上半身の白い服のファスナーに置かれていた。そして、前触れもなく、下へと降りていく。その行動に躊躇いは一切ない。
「…うわっ、ちょ、待て! 待てって、俺、他の―――」
「はい?」
「だから…、あ…、……あ?」
素っ頓狂な声を上げた。それもその筈、そこには、顔とは似つかない身体があったから。
「お前…女じゃなかったのか?」
「え?」
今度はファイが声を上げる。そして沈黙の後に、くすくすと笑い出す。
「ふ、…あはは…っ、玖瑠、…それ、本気で云っているんですか…?」
人間らしい顔で笑うファイに一瞬眼を奪われながらも、その言葉に反論した。
「な…っ、だってお前、その顔にその身体はねえだろ…!」
「あはは、噂通り…、本当にスタディの話を聞いてないんですね…」
「ウルセエな! …っああもう! 一体何だってんだよ…」
一頻り笑い終わって、ファイは一つ息をついて答えた。
「ファイは、…中性体ですから、男性器も女性器もないんですよ」
「…は?」
「つまりファイは男でも女でもない、という事です」
「な…」
「昔から創造体には性別がないんですよ。最近創られている女型、男型、というのも、外見だけです」
「…何ィ!?」
「本当に知らなかったんですか? …ふふ、ちゃんとスタディ、話しておられましたよ」
呆れたようにもう一度笑って、ファイはシャツを着込んだ。丁寧にボタンを掛けてゆく。
「また阿呆扱いされる…ファイ、この事は黙ってろよ?」
「はい、解ってますよ」
「おい、頼むぞ…ってああ!また笑うし!」
手で口を押さえながらも、小刻みに震える身体からは、笑っているのが見て取れる。まだぎこちなさはあるし、大笑いをするというわけでもないが、それでも、楽しげに。
「くっ…ふふ、あはは…っ、解ってますって…。でも…はは、本当に…、二ヴィの云った通りですね…っ」
「嬢?」
「この間も掃除中に二ヴィから聞いたんですが…」
「わっ、何聞いたんだ! 吐け!」
「あはは、やっぱり止めて置きます」
「こらファイ!!」
「ほら、玖瑠。早く着替えないとまたスタディに怒られますよ」
「話し逸らすなよな、たく…」
云いながら自分もシャツを羽織った。襟元から2、3個ボタンをあけて、残りの数個だけを掛ける。ネクタイも適当に結んで、かなり弛めのまま襟の奥に押し込んだ。
ファイの方はというと、それとは対照的に、きっちりとネクタイを結んで上着を羽織る。
「支度、出来ましたか?」
「おう」
上着は着ずに肩に掛けて、いつもバンダナの中に仕舞っている長い髪を服に付いていた紐で括った。それを見て、ファイは楽しげに云った。
「じゃあ行きましょうか」
「行くったってなあ…ドアが開かねえじゃんか」
「大丈夫ですよ…ほら」
そう云ってファイが開いた掌の上には、小さな鍵が一つ。
「 『あの阿呆は信用出来んから渡せぬわ』 と」
「あンのミニガキィ…!!」
かちゃん、と小さな音がして。
「早く行かないと。きっとシュリカさん、もう来ています」
部屋の時計をちらと見やってファイが云う。その声に、気だるそうに玖瑠亜はドアへ向かった。
□■□
扉の外には、いつもとそう変わらぬ格好のスタディの姿がある。あえて声はかけずに、近くに寄った。そこにはノヴェルの姿はないようである。
「遅い」
気配に気付いたのか、ぽつり、スタディがぼやくように云う。
「すみません」
「迎えは?」
「もうとっくに…」
そう云ってスタディが振り返った先に、しかし人の姿は無い。
「おかしいの…先刻までは確かに…」
「ついにボケたか、ミニガキ!」
「五月蝿いわ! 儂の脳はお前ほど衰えておらぬ」
「何ィ!?」
云い掛け、一歩踏み出すが、そこに一瞬にして闇が舞降りる。驚いて身を引くが、僅かに遅かった。
「どあ!!」
物凄い音がして、玖瑠亜の姿が目の前から消えた。如何やら上から降ってきた何かに倒されて、地に伏したらしい。ファイとスタディがその光景を呆然と見やる。
「…っお早う! もうこんなに可愛いシュリカちゃんを待たせるなんて、フューくんも悪い男ねー」
明るい声が響く。如何やら云った彼女がこの騒動の元凶らしい。うつ伏せになった玖瑠亜の上に座り込んだまま頬を膨らませている。
「お前な……2日連続だぞ…!」
鎧着たまま乗るな、と玖瑠亜が喚くと、仕方なしにシュリカが立ち上がる。玖瑠亜も汚れたスーツを払いながら、何とか立ち上がった。それを尻目に、シュリカはファイの方へ向かう。
「お早う、ファイくん。お眼にかかるのは初めてだね。わたしがシュリカ。宜しくね」
「お早う御座います、シュリカさん。案内、…宜しくお願いします」
「勿論! まっかせといて!」
胸を張って拳を握ってみせる。かしゃんと鎧の軽い金属音がした。
「では行くとしようか」
云って歩き出すスタディに、気になっていた事をファイは問うた。
「ニヴィは?」
「留守番じゃ。何やら体調が悪いようでの…。そうでなければ、彼奴が行かぬわけが無かろう」
「そうですか…」
「ニヴィなら心配要らぬ。クェルに看病を頼んだからな」
そう微笑んで云ってやると、ファイの顔が少し和らいだ。そしてゆっくりと頷く。
「ほら行くぞ。……何をして居る、阿呆玖瑠。置いて行くぞ」
後方で項垂れる玖瑠亜の方に、そう一声かけて、白と緑と暗赤の髪の三人の姿は次第に遠ざかっていく。はああ、と長く溜息をついて、玖瑠亜も後を追った。同行する、と云った事を少し悔やみながら。
□■□
何棟も隣接する研究所全てを囲む高いコンクリートの壁は、余りにも眩しい陽の光を反射して、触った時の人工的な冷たさを消していた。東へ抜けるゲートから出ると、シュリカが持ってきたらしい、『ボード』と呼ばれる少々特殊な移動装置が幾台か置かれていた。
「さあ乗って乗って! 一人一台ね」
急がなきゃ時間に遅れちゃう、と、シュリカはそのうちの一台に飛び乗って、角のように突き出たハンドルを思い切り引いた。キュンっ、と軽い音がして、たちまち彼女の四方を光の壁が囲む。
「ほう、ボードか。この辺りでしか使えぬから、余り普及していないとの噂を聞いたが…ある所にはあるものじゃな」
「城では良く使われるんです。あれ、ここの研究所では使われてないんですか?」
「実はこの辺りの地層は 『リニア地層』 が薄くての、余程の風使いでもない限り乗り回すのは難しいのじゃ」
「リニア地層?」
スタディとシュリカの会話を聴いて、ファイが不思議そうに云った。
「お主が生まれた頃には、まだこの地層の解明が進んでいなかったからの。そうじゃな、…簡単に言えば風属性の粒子を含んだ魔地層なのじゃが、ふつうの魔地層とは少し違ってな。一種の磁力貯蔵の役割を果たしておるんじゃ」
「磁力…。風属性の魔力がそれを引き起こすのですか」
「まあそんなところじゃ。それと相反する磁力を発するよう作られたのが、このボードなんじゃ。地の風魔力を利用して周りに大きな磁界を発生し、それに相反する力をかけて、飛翔し進む変わった移動手段、という訳じゃな」
その磁界、というのがボードの周りに現れた光の壁のようだ。スタディもシュリカと同様に、ボードに乗ってハンドルを引く。ファイも見様見真似でハンドルを引いた。すると、世界が遮断されたかのように周りに白い壁が一瞬にして現れた。不思議と視界の妨げにはならないようである。
「ファイ!」
スタディの声が妙にはっきりと右前から響いた。
「乗り方は玖瑠に教わると良い。あ奴、…こういう類のものには強いからの」
「はい」
返事をすると、直ぐに今度は左後方から玖瑠亜の声が響く。如何やらこの磁界を通して声を伝えているようだ。
「ファイ、目の前のハンドルを前に倒せ! そうすりゃ前に進む。曲がりたければそっちの方向にハンドルを曲げりゃ良い」
声と共に、後方から前方に影が相当のスピードで走り、キュンと涼しい音を立てて90度回転して止まった。
「止まる時はハンドルから手を離せば止まる。…危なくなったら云え、俺が何とかしてやるから」
「…少し不安ですが、何とか、…やってみます」
恐々とハンドルに手を掛けると。
「大船に乗った積りで付いて来な!」
明朗な、笑いの混じった声が返ってきた。
□■□
城が見える頃には、玖瑠亜の適切なアドバイスもあってか、吸収力の強いファイはもう大分ボードを乗りこなしていた。その前を走る玖瑠亜はというと、猛スピードでボードを走らせながら、右へ左へと障害物を避けていく。まるで鳥が颯爽と空を飛び交うかのように、ボードは地の僅かに上を駆け抜けてゆく。シュリカがそれを追うように走っていくのが見えた。
「フューくん、ストップ! わたしが先に行かなきゃ、城内には入れないよーっ」
片手で入城パスを振りながら主張するが、軽く鼻で笑った。
「この城壁、飛べばいいじゃねぇか!」
急にボードが直線に軌道を変え、更に速いスピードで城壁に向かう。
「キャーっ、止めてフューくん!」
「こンの阿呆玖瑠!! 不法入城は大罪じゃぞ!」
「ボードが壊れちゃう〜っ!!」
「知るか!」
云って、思い切りハンドルを逆に引いた。同時に、密かに詠唱し終わっていた風の魔法をボードにかける。
「風珠(ふうじゅ)発動! 行っけえ!!」
途端、ボードは壁に沿って、垂直に空を目指し始める。城前に到着した3人は、ボードから急いで下りて、その光景を唖然と見上げた。
「飛んだ…」
ボードは城壁の遥か高くに至り、放物線の頂点を描き―――。
「で、……ああああ!?」
地を目指し、一直線に。
「…墜(お)ちたな」
酷い音がして。スタディが顔を顰めた。
「あとで研究所のボードをこちらに持ってこさせる事としよう。…王に会って云わねばならぬ事がまた一つ増えたな」
自分で云った言葉に、深く溜息をつく。
入り口ゲートでは、シュリカが門守にパスを見せながら入城許可を取っていた。
「すいません、シュリカ帰還いたしました。客人を3人一緒に…」
「ええ、話は聴いていますからどうぞ。…しかし、お一人足りないようですな。如何されました」
「……雨になって、先に入城してます…」
雨ですか、こんなに良いお天気ですのに、という門守の見当違いな言葉に、3人は笑うしかなかった。
□■□
大きな音と、酸素の薄い煙を吸って、玖瑠亜は我に帰った。如何やら酷い怪我はないらしい、酷く痛む所は余りない。ただし、ボードの方はそうもいかないようだったが。
「あちゃー…マズイなーこりゃ」
大破したボードの欠片を幾つか手にとって、後に起こることを想像し、はああと肩を落とした。
その時である。
「おや、随分と堂々とした泥棒さんだね。白昼堂々と、何をお求めかな?」
墜落で起こった白煙の向こうから、そう声がして、玖瑠亜はそちらをふと見やった。声は続いて云う。
「宝物庫の巨大なスターサファイアかな? それとも聖堂の聖剣ホワイトセイヴァー? …ああ、それとも」
くすくすと笑うその人物の影は、小さい。ちょうど、スタディの背丈ほどしかないその影は、もう一言付け加えた。
「王である、僕の命かな?」
大きな帽子から見える金の髪。こちらを見据える冷たい碧の瞳。それは何処から如何みても、この国の王家に代々伝わる容姿の―――。
「教えて欲しいな」
笑顔が可愛い、幼い、…少年。
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