Say Something


雨は嫌いなんだ。
なんでこんなに空から水が降ってくるんだろう。
周りにはいっぱい水があるのに。
いっぱいいっぱいあるのに。
いっぱいあり過ぎて、もう、いらない。




雨が降る雨が降る。


げほげほと咳き込むサンジは、見つけた店の軒先に倒れるように駆け込んだ。
手に持っていた買い出したばかりのスパイスは、厳重に包装されている上に
ビニールの袋に包まれているから湿気を含む事は無いだろう。

見慣れない街の風景は、ここにスパイスの業者が来ていると聞きつけて
少し遠出をして初めて来た場所だった。
慣れないために道がわからず、何人かの人に道を聞いてやっと業者が
露店を開いているところへ辿り着き、ここらでは手に入りにくい香り高い
スパイスを数種類買い込んだ。

なんとなくあのジジイが喜ぶだろうと思った。
きっと、笑顔は見せないだろうけど。


倒れ込んだ店は酒場らしく、陽の出ている時間のために店はまだ開いていない。
このまま少し休もうと、サンジは考えた。


雨の日は、どうしても体調が悪くなる。
偏頭痛は気圧の変化によるものだろうが、それ以上に気分が滅入っている。
まだ抜け切れない過去のトラウマ。


店の名前が、流れるような文字で描かれている小さめの木の扉に凭れかかっていた
サンジは、ずるずるとそのまま座り込んだ。

大きな通りから1本入った路地裏にあるこの店は、なんだか居心地が良さそうだった。
出しゃばらず、派手でなく、うまい酒を出してくれそうだ。
地元ピープル行きつけの店ってか。今度店が開いている時間に来てみよう。


サンジは、手に握り込んだままだったビニル袋を開き、中身を確認する。
豪勢に木の箱に収められている小瓶はどうやら割れてなさそうだ。

胸ポケットから煙草を取り出し、湿ったマッチを何回か擦って火を点けた。
通りの方からきゃあきゃあと子供の騒ぐ声が聞こえる。


雨がそんなに楽しいのだろうか、昔は雨が好きだったな、オービット号に
乗っていたときは、雨が降るたびに甲板に出てはしゃいでいた。
何がそんなに楽しかったんだろうか、今となってはもう思い出せない。


煙を一筋吐き出しながら、建物に挟まれた狭い視界の通りを眺める。

額に手を翳して駆ける女性や、傘を差してゆったりと散歩をしている風な老夫婦。
憂げに空を見上げる子犬は、雨が止むのを待っているのだろうか。


痛むこめかみを煙草を挟んだままの右手で押える。
雨がさらさらと降る音が、耳に五月蝿い。



「クソ・・痛え・・・」



なんとか体を起こして座り込んでいたサンジだったが、
時間と共に酷くなる頭痛と気だるさにその場に横になる。



(・・船に戻りてえ)



目を閉じて浮かぶのは海上レストランバラティエ。
口も手癖も人相も悪い揃いも揃ったクソコック達が、
もう何日も会っていないかのように懐かしく思える。


薄れる意識の中で見えたのは、手からこぼれた煙草を踏み消す黒い靴先だった。






最初に戻ってきたのは聴覚だった。


・・・I wont say anything cos I don't mean it
Won't make a promise cos I won't keep it
Believe me now I'd only lie to you・・・


やんわりと、額に触れる手を感じる。
心地良いその鼻歌にも似た歌声と手の感触に、サンジはくぐもった声を発した。



「・・雨はまだ・・・」



I've sailed・・と続く声は止まり、頭上から柔らかく暖かな声が聞こえる。



「まだ降ってるなあ」



歌の続きが聞きたくて、そのまま黙っていると、額に触れる手が髪を梳いた。


・・・I've sailed the thought times
I believe in something I can't find・・・


So believe me・・と続けながら、髪を梳いていた手は離れていく。
そこでようやっと目を開けたサンジは、離れていく手を目で追った。
腕にASCEの文字。なぜかSにバツが打たれている。



「エー・・ス?」



now I'd only lie to you・・と歌い振り向いた男は、小さく頷いた。



「濡れてたから勝手に脱がせたけど」



と、言われて気付けばシャツ1枚と下着のみ残されていて。
壁際の棚にハンガーで上着とズボンとネクタイが掛けられていた。



「調子ど?」
「調子・・?」



そういえば、頭痛が酷くなって酒場の店先に座り込んだのは覚えている。
思い出したように微かに頭がまた痛み出し、顔を顰めると、エースはカップを手渡した。



「起きれる?」
「・・なんとか」



サンジはエースに支えながら体を起こし、受け取ったカップに口を付ける。
ホットミルクだった。



「ありがとう・・っつか失礼ですけど、ここどこで、アナタは誰ですか?」
「どういたしまして。ここはアナタが倒れてた店の2階で、
 俺はエースっつってここでバイトしてんの」



エースはサンジの手からカップを取り、サイドボードへ置く。



「えーっと・・名前は?」
「サンジ」
「俺がここに帰ってきたらドアの前でサンジが倒れてて、
 とりあえず起こそうと思ったら腕掴まれて離してくんなかった」
「俺が?」
「そ。で、あそこであのまま寝てたら肺炎起こして死んじゃうかなあ、
 と思ってここ。俺の部屋まで運んでやったって訳です」



あんだーすたーん?と付け加えたエースはサンジの体を寝かしてやる。



「・・そりゃあ、どうも」



腕を掴んで放さなかった。人肌恋しかったのだろうか。
思い当たるふしが、無いとも言えない。
雨が降っているから。


ベッドの横に置かれた椅子にエースは腰掛けた。



「頭痛持ち?」
「・・まあ、そんなとこ」
「薬とか持ってないの?」
「嫌いだから」



ははっ、と笑うエースに、サンジは続ける。



「・・いつも痛えわけじゃねえし」
「そういえば、雨がどうとか?」



天井を仰いでいたサンジはエースの方へ顔を向け、
その時初めて真正面からエースの顔を見た。



「雨は・・嫌いなんだ」



エースは、サンジの強張った表情に少し驚いたような感じで、ふうん、と笑いながら、



「俺も」



と付けた。
その笑顔が人懐こく、サンジは思わずつられて頬を緩ませた。



「とりあえずもう少し寝てれ。雨、まだ降ってるし」
「迷惑だろ?」
「ここまで来たら同じっしょ?」



心配すんな、というように、エースはサンジの頭にぽんぽんと手を置く。
去り際の手が、髪を一房名残惜しそうに梳いた。


・・・Say something
Please say something
Believe me now I'd only lie to you・・・


歌を歌いながら多少散らかった部屋を歩くエースの背を、
サンジは横たわったままで見ている。

よく見ていると、散らかってはいるものの物が、少ないように感じる。
必要最低限プラスアルファ。
ここにはあまり長く居ないのだろうか。


サンジは体を起こして、サイドボードに置かれていたカップを手に取る。
表面に張った薄い膜を避けて一口二口飲んだ。



「起きて大丈夫か?」



部屋の、ベッドの向かい側に置かれている棚を開けて
何かを探しているらしいエースが、サンジの体を起こした気配に気付いて
身を屈めたままで顔をサンジのほうへ向けた。



「・・ん。まだ少し痛えけど」



エースはサンジの言葉に少し笑い、棚を戻してベッドへと歩きながら
口元へ一度手を持っていき、俯いているサンジの頬へ手を添え上げさせた。

重なる唇の間から差し込まれた舌で渡される小さな粒。
離れる瞬間にエースは唇でサンジの下唇を少し挟んだ。



「・・?」
「アスピリン。薬嫌いでも痛いのは辛えだろ」



病は気からって、と言うエースの顔はまだ間近にあり。
サンジは手に持っていたミルクで薬を喉の奥へ流し込んだ。

顔を上げると、エースはサンジが薬を飲んだのを満足そうに見ていた。
引かれるように再びに重なる唇。今度はより深く、意志を持って。
エースの右手がサンジの後頭へ差し込まれ、指が愛しそうに髪を絡ませる。
サンジはエースの首に両腕を巻きつけた。
押し倒すように、引き込むようにベッドへ倒れ込む。



「・・いいの?俺、ただやりたいだけかもしんないよ?」



啄むようなキスを繰り返しながら、合間合間にエースが聞く。



「俺だって、ただ人肌恋しくて。相手が誰でもいいのかもしんないよ」



既に心地良さ気に目を閉じているサンジは、そう答えた。
サンジの着ているシャツのボタンに手を掛けながら、



「それでもいいよ」



と、エースは言った。



深く沈んでいくような感覚は遠く聞こえていたはずの雨音をかき消している。
繰り返される数え切れない程のキスは、それでも足りないと回数を重ねる。
辿る指は薄い皮膚の上を通り、微かにでも反応を示すと同じところを何度も触れた。



「頭、痛くない?」



胸の中心に唇を触れさせたままで、エースは静かに問う。
じれったい感覚に体を震わせながらサンジが、



「・・薬が効いた」



と答えると、エースは、そっか、と言って少し笑った。
そういや牛乳で薬って飲んでいいのか?と、独り言のように呟いて、
頬に触れるサンジの手に口付ける。
上がる息は留まるところを知らず、ほんの小さな刺激にさえ声が漏れてしまう。


エースはサンジの首を軽く噛む。
そのまま肩へ口付け、先程から指で慣らしていたところへ宛がった。



「つらかったら言って」



と、サンジの耳元で囁いたエースが体を進める。



「・・っあ・・はぁ・・・」



微かな痛みはそれよりも遥かに大きい感覚で消され、吐き出す息と共に背は撓る。
投げ出されたサンジの腕はシーツの上をさまよい、
腕の内側を撫でるように辿ってきたエースの手を、サンジは強く強く握り締めた。

漏れる声は静かな部屋に響く。雨音は聞こえない。
エースの肩を押し退けるように突っ張っていたサンジの手はいつのまにか背中へ廻り、
密着する体からは早鐘のように打つ鼓動が伝わる。
激しくなるばかりの動きとは裏腹な、酷く柔らかく降らされるキスは、
そして触れる手は。



「サンジぃ・・お前、すげえ色っぽいな・・・」



浅い呼吸を繰り返す繰り返す。耳に差し込まれる舌の固さと湿った音に。



「っんあ・・−スっ・・・」



サンジはただ声を漏らして答えるのみだった。




サンジが目を覚ますと、間近にエースの顔があった。
邪気の無いその寝顔は小さく口を開いて呼吸をしている。
口と鼻を同時に抑えてやると、んーんー唸って面白い。
3回繰り返したところで腰に回されていた腕にぎゅうと力が込められて、
エースが目を開けた。
焦点の合わないぼんやりとした目でサンジを認める。



「んん・・おはよ〜・・・」



と言いながら更にサンジを引き寄せる。
引き寄せられるままにエースの胸に顔を埋めたサンジはもう少しこのままでいたかったが、
そろそろ戻らないと開店時間に間に合わなくなる。
無断外泊は問題無いが、店に間に合わないというようなことは、
料理長なによりも自分が許さなかった。



「エース。俺、そろそろ行かねえと・・」



言いながらサンジは腕を立てて体を起こした。
腰に回されていたエースの腕が頬へと上り、サンジは一度起こした体を屈めてキス。
離れる瞬間に最後に一度だけ啄み、ベッドを降りた。



「本当はメシとか作ってやりたかったけど」



落ちているシャツを拾い、身に付けながらサンジは言った。



「メシ?作れんの?」
「あ?ああ、俺はコックなんだ」
「へ〜・・」



ハンガーに掛かっていたズボンに足を通し、上着とネクタイ、
それにスパイスの入った袋を手に持った。
煙草を銜え、火を点けながら、サンジはエースを振り返る。



「なあ、・・また来てもいいか?」



エースはベッドの上に寝転がったままで手を差し出した。
その手を、サンジはゆったりと掴む。



「・・俺は、あと1ヵ月ぐらい経ったらこの町から出ようと思ってんだ」



サンジの指を遊びながら、エースははっきりと言った。



「・・・」
「その間でよかったら、いつでも」



空は快晴。朝焼けが目に痛い。
今から船に乗れば、ぎりぎり開店時間には間に合うだろう。

人のほとんどいない道を走りながら、サンジは手に持った上着と
スパイスの入った袋を揺らす。


雨の降る日に出会った太陽のような男。
次に会った時は美味いもん一杯食わしてやるから待ってろよ。


雨は変わらずに好きになれないが、雨が降った後の空は、好きになれるかもしれない。


★alice1127様、ありがとうございました! くり坊