「これは、何?」


見慣れない手編みのセーター。
落ち着きすぎたグリーンの色合いは彼女が着るとは考え難い。
手に取ると男物だということもわかった。


「セーター」


彼女は顔色も変えずに答えた。


「ああ、さすがにセーターだということは見ればわかるよ」


一瞬、が眉根を寄せたのは何だったのだろうか。


「ただ、これはの物じゃないだろう?」


見た瞬間に嫌な予感がしたんだが……
俺は直感にあまり自信はない。
だから杞憂ならいい。


「ええ。貞治のだもの。編んだんだけど、着る?」


ほら、嫌な予感は外れた。
クリスマスプレゼントで編んだものの、
間に合わなかった確率67%・・・といったところか。



それにしても67%…なんて微妙な確率なんだ。
我が事ながら辟易する。
が絡むといつもそうだ。
正確な数値が算出できない。



「そのセーター、持って帰らないでね?」
「え? 俺のなんだろう?」
「うん、貞治のが私の家にあるっていうのがいいの」
「俺も随分愛されてるね」
「そうそう、来週末は友達の結婚式なの、愛知で挙式だって…
 派手なのをやるのかしら?」
「泊まり?」
「うん、寂しかったら付いて来てもいいよ」
「付いて行きたい気持ちは山々だけど…
 偶然、蓮二にテニスの試合観戦を誘われていてね」
「そう、残念」



俺が付いて行くと言わないことは予測済みだったのだろう。
少しも残念そうな気配を見せずに言うが愛しくて、同時に憎らしい。



そのとき、俺はその計画を実行することを決意した。





::: 電気ストーブ :::





「最悪だな」


呆れたような声を否定する気はない。
自分でも最悪だと思う。


蓮二は俺に「後悔する確率は100%だ」と言う。


「貞治、後悔する確率は100%だ」



ほら、予想通り。
計画を打ち明けると蓮二は俺に見下す視線を向けた。




まだ、大丈夫。
俺のデータが完全に狂ってしまったという訳ではない。
狂っているのは……に対してだけだ。






あれからもう6年11ヶ月と12日も経っているというのに……






『油断せずに行こう』



の家まであと5分というとき、不意に脳裏を過ぎった言葉に苦笑する。
一瞬、その言葉を振り払おうとも思ったが考え直した。



確かに念には念を入れる必要があるな。



「ただいま、留守にしております。『ピー』という発信音の後で、お名前と……」



電話を掛け、の部屋の留守番電話に接続されたのを確認する。


「もしもし、俺だけど」


意味もなくメッセージを入れてみたり。






こっそり作っておいた合鍵で部屋に入る。
閉め切られた無人の部屋はひどく冷え込んでいて、
いつも感じる仄かなの香りはなかった。
とりあえずトイレ。
外は寒すぎる。
しかし、トイレから出て部屋に戻り、壁に掛かった温度計を見ると6度。
これでは外気温とほとんどかわらない。


「ストーブを点けさせて貰うよ」とがいるときと同じように言ってみる。


もちろん返事はない。
でもそれはがいても同じだ。
俺の発言は質問じゃない。
確認だ。


震える指で電気ストーブのスイッチを押した。


電気ストーブはすぐに暖かくなる。
ただし火力は当然強くはない。
しかも古いせいで、加湿機能付きなのだが85%の確率で
最初はスチームはつかない。
約7分後に突然モワッと蒸気が立ち上る。
然程、広い部屋という訳でもないから十分だとは言っていたが、
本当はもっと暖かくなる石油ストーブを欲しがっていることを俺は知っている。
実際には部屋全体を暖めるには力不足なのだ。





場所をとるから


灯油が切れたときに入れるのが面倒だから


既にある電気ストーブに愛着があるから



彼女は石油ストーブを買わないけれど……






電気ストーブの電源を入れてから7分25秒。


手足のかじかみはだいぶ楽になったが、やはり寒い。
ストーブのお陰なのか、風を凌げる屋内だからか。
原因はおそらく50%ずつといったところだろう。



厚手のコートを着てきてしまったため、中は薄着だ。
もちろん、日頃からそれなりには鍛えているから
基礎代謝能力は高いはずだが……
コートを脱げばやはり寒い。
しかし厚手のコートを着たままでは動き難いことこの上ない。



「……まいったな」




そこで俺は先週貰ったセーターを着ようと思った。
俺の物のはずだし。






と最初に出会ったのは中等部のときだった。
手塚の彼女としてなぜか不二から紹介された。
ノリで交換させられたメールアドレス。
使用する機会に恵まれる事はないと思っていたが、
まもなくからのメール攻撃が始まった。
所謂『恋愛相談』だ。
自分で言うのもなんだが俺のデータは客観性を保つためには非常に有効だ。
もそこに目をつけたのだろう。
中学生にしては強かだったのかもしれない。




、大きさを間違えたのか?




セーターに腕を通せば右肩のあたりに引っ張られるような感覚がある。
右袖口のあたりも短い。
一瞬疑問に思ったが、これは市販の洋服を買うとよくあることだ。
俺はテニスのおかげで右腕が左腕に比べて長い。
しかし、やはり違和感がある。


右袖…短すぎないか?
左腕は丁度いいのに。


せっかく編んでくれたセーターが伸びてしまうのも
なんだか勿体ない気がして、結局脱いだ。


そうすると寒い。
当然だ。




やはり、家捜しをしようという了見が間違っていたんだろう。




俺の戦意は始めてから10分経たずにほぼ喪失。
とりあえず暖をとるためにストーブの前へ移動した。
すると、ジュワッという音とともに蒸気が俺の顔目掛けて吹き出し眼鏡が曇った。
瞬く間に見えなくなった周囲に昔の記憶が蘇る。


6年11ヶ月12日前。
高等部卒業間際の寒い日。
から呼び出された教室は廊下に比べて温かくて眼鏡が曇った。
真っ白な視界との存在感を覚えている。
眼鏡を拭えば、視界は今までよりも80%以上クリアになった。


レンズに付着していたゴミが水分と一緒に拭き取られたからか。
それともそこにがいたからか。


そのとき俺は後者だと思った。
意外かもしれないがロマンチストだから。





眼鏡を拭えばやはり視界はクリアになった。
マメに拭いているつもりではあったが、見えない汚れが付着していたのだろう。



眼鏡が綺麗になるとさっきまで見えなかった物が見えるような気がしてきた。
もう一度、部屋を見回してみる。
部屋の様子はいつもと変わらない。
がいない以外は。


しかし、やはり感じる違和感は何だろう?





……セーター、…か。



右袖だけ妙に短いセーターを手に取って、ストーブの前に寝転がる。
セーターを二つに折って比べてみると一目瞭然だ。
編み目の数すら違う。
は、特別器用とは言わないが……これに気付かない程マヌケじゃない。
そういえば、さっきは袖にばかり気を取られていたが、裾も少し短いようだ。
袖に比べれば大した事はないが。




………もしや、右袖が短いんじゃなくて、左袖が長いセーターなのか?





『後悔する確率は100%』


幼なじみの言葉が頭の中で響く。


「決定的に後悔する前に帰るとしようかな」



コートを着てセーターは元通りに置き直した。
電気ストーブは電源を切った。
トイレの便座はおろした。


これで全て元通りだろう。



いや……電話が残っていた。




俺からのメッセージを消しておこう。
がここにいないということは予めわかっていたのだから、
俺がココに電話をしているのは不自然だ。


玄関まで行ったものの電話機まで引き返すと
メッセージ有りの表示がチカチカと点灯していた。


「えっと、確認して消すには……」


俺は機械に疎い方ではないが、
人の家の電話機にまで精通している訳でもない。
どのボタンを押そうか考えていると突然、電話のテープがまわり始めた。



「ただいま、留守にしております。『ピー』という発信音の後で、お名前と……」


面倒なことになった。
俺のメッセージの後にメッセージが録音されてしまう。
まぁ、消せなくても「間違えてかけた」と言えばが信じてくれる確率65%。
不本意だけど……たとえ信じなくとも深くは追求しないでくれる確率100%だ。


「もしもし……俺だ」


俺がここで聞いているなんて当然知らずに、電話の相手は話しだした。




続きは聞かない。
決定的に後悔なんてしたくない。




「油断……しすぎたようだね」


誰に言ったのか。
誰の事を言ったのか。


わからないまま俺の呟きは寒空に溶けた。


梶岡様、ありがとうございました! くり坊