すっと、まわりの気温が下がった。
青空をゆっくりと進む飛空艇は、草っぱらに仰向けに寝そべるオレの上に、巨大な楕円の影を落とす。定期便か、そういやそんな時期だよなとぼんやり考えながら、オレは寝返りを打つ。視界の先には、停泊所のリンドブルム旗が風にはためくさまが見てとれた。
ダゲレオと交易を結ぶリンドブルムは、月に一度、両国間を往復する飛空艇を定期便として運行していた。外見こそ旧式の貨物運搬用だが、艇(ふね)は霧機関に代わる最新のエンジンを搭載し、内装をいじって客室もこしらえてある。快適な空の旅が楽しめるわけではなかったが、そのぶん料金は格安で、自家用艇を持つようなパトロンのいねえ貧乏学者や、旅の人間にはありがたい。
飛空艇の停泊所が図書館から離れた場所につくられたのは、発着時の騒音が読書の邪魔になるから、らしい。おかげで飛空艇のクルーと乗客は集団で移動することが常となっていた。停泊所とダゲレオの間はさほど離れていねえとはいえ、その道程で魔物に襲われる可能性があるせいだ(大勢で動いたほうが魔物もビビリやすいから、遭遇率はまだ低かった)。着陸と離陸、月に二日の読書の中断より、モンスターに出くわす危険を選ぶ。学者連中の考えることってのは、オレにはやはりよくわからねえ。
程なくして、飛空艇は停泊所に着陸した。貨物を降ろしでもしてるんだろう、乗組員達の掛け合う威勢のいい声が、風下のオレのところまで途切れがちに届く。
オレがダゲレオを出てから、すでに数刻が経過していたが、いまだ宝は見つからねえし、見つけられる当てもなかった。当たり前だ。考えてみれば遺跡どころか図書館以外には街もねえこの島で、いったい何をどうやって手に入れろって言うんだよ。あのオヤジは。
とは言え、いつまでも寝転がってても腹が減るばかりだ。このまま野宿を避けるためにも、オレは策を練らなけりゃならなかった。つまり大見得きって出てきたオレがダゲレオに戻るには、オヤジを納得させる理由を用意する必要があったのだ。
策の一つめ、モンスターが持ってるお宝を持ち帰る。
しかし、ここいらをうろつくモンスターは強い。向かっていっても、返り討ちにあうのは目に見えている。無理だ。不可能だ。却下だ。
二つめ、いっそ定期便に乗って逃げちまう。
霧の大陸への折り返し便がここを出発するのは明日だが、頼めば今夜一晩くらい、艇内においてくれそうなもんだ。リンドブルムの奴らは皆、人がいい。金は無くても、掃除でも何でもやるって言えば、断られたりはしねえ気がする。
だけど、逃げるって一体、どこへだよ。
オレが思わず苦笑した時、背後で衣擦れの音が聞こえた。
「オヤジか?」
肘をついて振り返ると、知らねえ女と目が合った。
女は赤で統一した装束を身に纏っていた。すらりとして均整の取れた体に、長く垂れた尻尾。細面に切れ長の青い瞳と、肩下まである銀髪。多種族の人間は顔の区別すらつき難いもんだが、ネズミ族のこの女がかなりの美形だということは、オレにだってひと目でわかる。長槍を手にしているところを見ると、女竜騎士ってところか。単一民族国家のブルメシアが誇る竜騎士は皆、腕の立つ槍の使い手なのだと、どこかで聞いた覚えがある。
「気がついておったのか」
オレが突然起き上がったせいで女は驚いたようだった、やがて気を取り直したように言った。
「おぬし、どこか痛むのか? 見たところ、怪我はなさそうじゃが」
「いや」
オレは短く首を振り、体を起こした。胡坐をかいて座りなおすと、左右あわせて四本の腕を使って、両膝を叩いて見せる。ぱん、という軽い音が四つ、鳴った。
「体ならこの通り、ぴんぴんしてるよ」
「ならば良いのじゃが。停泊所からダゲレオに向かう途中、倒れているおぬしを見つけたのでな。てっきり魔物に襲われたのかと思うたのじゃ」
「今のところは無事だったよ。悪運が強いのかもしれねえな。あんたこそ、定期便で来たんだろ。クルーや他の客と離れて大丈夫か?」
「私が彼らに先に行くようにと言ったのじゃ。私は武器も使えるし、おぬしが怪我をしておっても、ポーションとフェニックスの尾で治療はできたはずじゃからな」
女の手にした槍の穂が、太陽を反射して閃く。その眩しさに目を眇めながら、オレは腕組みして考えた。あまり気が進まねえ上にチャンスもねえと思っていたのに、どうやらこれが一番手っ取り早そうだ、と。
ダゲレオに戻る策の三つめ――。
「どうした? やはりどこか痛むのか?」
俯いていたオレの顔を覗きこみ、女が尋ねた。
「いや、別に」
笑ったつもりだったが、うまくいかなかったらしい。女は訝しげに眉をひそめてオレを見ている。
まあ、考えてても仕方ねえよな。
オレは呟いて立ち上がると、女に向き合った。
「とにかくあんた、オレを助けようとしてくれたんだろ。ありがとよ、ええと」
「フライヤじゃ」
「ありがとよ、フライヤ。オレのことは好きに呼んでくれて構わねえ。オレはさ、行く先々で仮の名前を使うことにしてたんだよ。このあたりじゃ単に『四本腕』、別のところじゃ『裏通りのジャック』って呼ばれたりな。だからフライヤも、ま、適当に」
「ぞんざいなものじゃな。自分の名であろう」
「こだわらねえ性分なんだよ」
長年呼ばれた仮の名が、オレの耳に馴染んでしまったせいもある。しかしさんざん勿体つけていた手前、今更って気がして、自分から本名を名乗るのはためらわれていた。
「ふむ。裏通りのジャック、か」
「フライヤ?」
フライヤは何か考えるように手を口元にやっている。裏通りのジャックは、アレクサンドリアで使っていた通り名だ。オレのことを知っているんだろうか。それとも、オレの噂でも耳にしたことがあったんだろうか。他人の顔を覚えるのは得意だが、アレクサンドリアでもどの街でも、この女を見かけた記憶はなかった。
しかし、なんと言ってもオレ様は有名人だ。どこでどんなふうに、こいつに知られていたかわからねえ。
「どうしたんだ、フライヤ」
内心びくつきながら尋ねると、フライヤは二、三度首を横に振った。
「すまぬ、考えごとをしておった。そうじゃな、それではジャックと呼ばせてもらおうか」
「ああ。よろしくな」
どうやら、オレのことを知ってるわけでもなさそうだ。ひとまず安心したオレはダゲレオの方角を指し示すと、フライヤを促して歩き始めた。
「定期船で来た他の奴らは、もう先に行っちまったんだろ。オレが図書館まで案内するよ」
「ああ、そいつならわかるぜ。図書館に長く滞在してる奴らはたいてい顔見知りになるからな、狭い建物だし」
オヤジの店のあるホールの書庫では、よくフライヤと同じネズミ族の男が調べ物をしている。ダゲレオを訪れたのは、クレイラとブルメシアからの連絡役としてキルデアというその神官に会うことが目的なのだとフライヤは言った。
「リンドブルムには、キルデア殿の帰りを待つ人々がおる。私は彼らの助けになりたいのじゃ。加えてキルデア殿がこの地で研究を重ねておるのは、祖国を復興させるため。研究の経過を知るにも、モグネット経由の手紙だけでは充分でないからの」
「祖国の復興か。一年ちょっと前は大変だったからな、霧の大陸は」
「ブルメシアにもクレイラにも、街にはいまだ生々しすぎる傷跡が残っておる。たとえ容易なことでなくとも、いつの日か美しかった故郷を取り戻すのが、両国の民の夢なのじゃ」
「そうだな、簡単じゃねえから、夢っていうんだしな。ま、がんばれよ」
半歩ほどオレの後ろを歩いていたフライヤが草を踏み分ける音が止んだ。うまいこと軽く流したつもりでいたのに、鋭い女だ。
「いや、悪い。皮肉とか、そんなんじゃねえ。他意はねえよ、本当だ」
この手の話は苦手だ。オレはばつの悪さに頭を掻いた。
「ほら、思い通りにならねえことをやり続けるのって、きついだろ。皆がみんな、あんたみたいに強くなれるわけじゃねえよなって……そう、感心したんだよ。きっと、あんたが強いからだな」
「強い人間に見えるか、私は」
「だってあんた、竜騎士だろ」
「それはそうじゃが」
肩をすくめるオレに、フライヤは笑って言った。が、フライヤはふとその笑顔を曇らせる。
「私は、諦めてしまいたくないのじゃ。どれほど望みが薄くとも、それが叶うまでにどれほどの時が必要であろうとも」
「大丈夫だろ。あんたといいあの神官といい、生き残った奴らがいて、がんばってんだからさ」
「生きておれば、か」
「そうそう」
わずかに眉を寄せるフライヤの表情には、気づかない振りをした。訊かれたくなさそうなことを、あえて訊くほど野暮でもねえし。
「それじゃ行こうぜ。こんな所でもたもたしてたら、日が暮れちまう。難しいことはダゲレオの学者にでも考えさせときゃいいんだからよ」
頷いたフライヤの顔からは、すでに憂いの色は消えていた。
「裏通りのジャック、か。そうじゃ、おぬし、ビビを知らぬか? 黒魔道士の子供で、大きなとんがり帽子を被っておった」
「ビビねえ」
不意に尋ねられたオレは、腕組みして記憶を手繰る。心当たりが無く首を捻っているオレに、フライヤは続けた。
「どこかで聞いた名だと思うておった。おぬし、アレクサンドリアでビビにカードのルールを教えたであろう。ダガ……ガーネット女王の16歳の誕生日のことらしいのじゃが、覚えてはおらぬか?」
「女王さんの16歳の誕生日っていうと、『君の小鳥になりたい』の公演途中で誘拐騒ぎが起きた時だよな」
ああ、とオレは手を打った。
<あの……、もしかして、裏通りのジャックさん?>
<えっと、ボクにカードをおしえてくださいな>
どこでオレのことを聞いたのか、あの日オレに声をかけてきたガキがいた。案内してやった明けの明星亭でしきりに帽子を気にしながらも、コンボだのコレクターズレベルだのの説明に熱心に耳を傾けていた、ビビとはおそらくあのガキだろう。
「そういやそんなことがあったな。どうだ、あいつ、少しは上達したか? なんなら今度、オレ様が勝負してやってもいいぜ」
「ビビは、おらぬ」
「連絡とれねえのか?」
「そうではない」
フライヤは呟くように言うと、オレの視線を避けるように顔を上げた。つられてオレも上を見る。
「ただ、もう、おらぬのじゃ」
空には白いちぎれ雲が、いくつも浮かんでいた。
ビビは、もう、おらぬ。
やっと意味を理解したオレは、ああ、と思わず声を漏らした。それきりうまい言葉が見つからず、あとはただ、黙って空を見るしかなかった。
「ジャック。おぬし先程、皆が私ほど強くはない、と言うたな」
「あ、ああ」
「ならば、ビビはどうじゃ」
「どういう意味だ?」
「ビビは年端も行かぬ子供であった。しかし己の運命を受け入れ、決して逃げることはなかった」
フライヤはもの言いたげな視線をオレへと向けている。怒りとは違う、責めているのとも違う。しかし、オレにわかるのはそれだけだ。
「何が言いたいんだよ、フライヤ」
苛立ちを抑えられず、オレはフライヤを睨みつける。フライヤは表情を崩さずに小さく息をつき、つまり、と静かな声で言った。
「私から何か盗もうとしても無駄ということじゃ。おぬしから不覚をとるほどの間抜けではない」
ばれてたのか、という顔をしていたはずだ。
ダゲレオに戻るための『三つめ』――昔のように、誰かからスッたものを戦利品とする。
ばれてたのかよ。
「道中ずっと、隙を窺うような気を感じておった。しかし、同時におぬしから迷いも感じたからこそ、忠告するのじゃ。私も裏通りのジャックに、失望を抱きたくはないしの。ビビはその男にカードを教わったこと、嬉しそうに話しておったのじゃからな」
「まあな。カードのこと聞かれると、オレも親切心だしちまうんだよ。カード好きに悪い奴はいねえってのが、オレの持論なんだ。……ああ、もっともオレは悪い奴だが」
オレは自嘲気味に低く笑うと、オヤジとの付き合いもカードで始まったんだよなと、なぜだかふと思い出された。兄ちゃんカードはやるかい、そんなら相手になってくれよ。ここの連中は学問学問でカードのルールもろくすっぽ知らなくてさ、退屈してたとこなんだよ、と。たまたま武器屋の前を通りがかったオレに、オヤジが例のだみ声で、そう言ってきたのがきっかけだった。
霧の大陸から戻った後ダゲレオで盗みを働かなかったのは、オヤジがそこにいたからだ。
旅に出る前、オヤジは笑ってオレの背中を平手で打った。ひりひりといつまでも残った、あの痛みは忘れられねえ。豪快で、気のいいオヤジだ。いつかまたオレがトレジャーハントに出かけるのだと信じていた。オレはオヤジに幻滅されることより、落胆させることが嫌だったんだ。スリに戻れば、オヤジにも完全にオレが旅を諦めたんだとわかる。だからこそこそと、石碑の裏の原石なんぞ集めていたのだ。結局は、ばれちまったわけだが。
「失望を抱きたくない、か。オレだってできれば、もうスリは廃業にしたかったんだ。トレジャーハンターは昔からの憧れだったしな。けど仕方ねえさ、無理だったんだから。強くなるんだ? 世界中のお宝だ? ランクSの冒険家だ? ダゲレオから霧の大陸に渡ったものの、オレの剣の腕はかろうじてパイソンに勝てるかどうかってもんなんだぜ。モンスターに会ってもとんずらするしか手がねえんだから、持ってたギルもすぐに底をついたよ。食い物も満足に調達できねえくせに、昔の知り合いに会えば、誉めそやされて、崇められる。あんたはランクSのトレジャーハンターだもんなってさ。そんなやり取りの度に惨めな気分になって、結局ダゲレオに戻ってきたんだ。ここは人間の出入りも少ねえし、自分の研究にしか興味がねえ連中ばっかりだからな。要するに、オレにできるのはスリや賽銭ドロくらいなもんだってことだ。そんなこと思い知らされるくらいなら、いっそ初めから、夢なんぞ持たねえほうが幸せだったよ」
オレは息をつき、ちきしょう、と吐き捨てた。
「ジャックよ。それでは本当に逃げるか?」
「なんだって?」
「おぬしは夢を捨て逃げるのか、と訊いたのじゃ」
フライヤに目で促されるまま振り返ったオレは、こちらにまっすぐ近づいてくる魔物に釘付けになった。
「いただきキャットじゃ」
コウモリに似た翼から背鰭のような突起まで全身漆黒の体毛に覆われた猫のようなモンスターは、金色の目を不気味に光らせている。
「……ちきしょう、ダゲレオはすぐそこだってのに」
いただきキャットは尻尾を振り、その先にくくりつけた鼠の玩具を挑発するように揺らしてみせた。にっと白い歯を剥き出しにすると背中の翼で浮き上がり、耳障りな金切り声でオレ達に向かって叫ぶ。
「ダイヤモンドくれないかニャ!」
「おぬしにはこれを預けておく」
フライヤは前に進み出ると、利き腕とは逆の手を後ろに回し、オレに何かを差し出した。
「あっ、ダイヤモンドニャー! ダイヤモンドほしいニャー、くれないかニャー!」
フライヤの手の中で輝く宝石を目ざとく見つけたいただきキャットが、再び叫んだ。その声に怯むオレに、フライヤは後ろ手でダイヤモンドを突きつける。
「これを渡しさえすれば、あやつは去るのじゃろう。奴が恐ろしいなら、くれてやるが良い。私としては、モンスターごときにやってしまうのは本意でないがの。おぬしがそれを持って逃げるというなら、それも良い。私は後を追ったりはせぬ。どうするのかは、おぬしに任せる」
「任せるって、オレが逃げたらどうするつもりだよ?」
ダイヤモンドを握りしめる掌が、汗で湿る。フライヤはいただきキャットからオレを庇うようにしながら、槍を体の前で構えた。
「私の心は、もとより決まっておる。ジャック、私は戦うことを選ぶ。しかし、おぬしの道はおぬしが決めよ。何を選ぶかはおぬしの自由じゃ」
そう言って腰を落とすと、フライヤは空高く跳躍した。
■8/28/02リライトし、杜の神官キルデアさんを女性(巫女)と表記していた部分を男性と改めましたm(__)m。
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