渡すか、逃げるか。オレは同じ問いを、頭の中で繰り返していた。
「くれないかニャ! ダイヤモンド、くれないかニャー!」
 いただきキャットもまた同じ台詞を繰り返し、じりじりとオレとの間合いを詰めてきている。
「しかし何でまた、今日に限ってこんなんばっかなんだよ。どうやってダゲレオに戻ろうかだの、ダイヤモンドを渡すかこのまま逃げちまうかだの」
 もっとも恨み言を言ってみたところで、聞いてくれる相手はここにはいねえ。
 ちらりと上空を盗み見ても、目に入るのは空の青と雲の白。
 どこまで跳んでんだよ。一体どうなってんだ、竜騎士のジャンプ力ってのは。
 毒吐いてもフライヤが現れるわけでもなく、オレの考えは堂々巡りに陥る。オレは苛立ちを覚えつつ、ダイヤモンドを握り締めた。

 もしも、ダイヤモンドを手渡せば。

 ダイヤを渡せば、いただきキャットは去る。フライヤもオレも無駄に怪我することはなくなるわけだ。

 しかし、もしもオレひとり逃げ出せば。

 逃げれば、ダイヤはオレのものになる。後に残されるフライヤはともかく、オレに危険が降りかかることもねえ。しかもダイヤモンドはレアアイテムだ。ダゲレオに持って帰ってオヤジに見せても、胸を張っていられるほどの。

「なるほどな、だから『夢を捨てて逃げるか?』ってわけか」
「なにニヤニヤしてるのニャー。とっととダイヤモンド渡すのニャー」
 誰が渡すかよと返すと、いただきキャットは驚いたように目をしばたかせた。
 渡すのか、逃げるのか。
 どちらか一つを選ぶのならば、逃げるほうが得ってものだった。本当に道が二つしかねえのなら、だ。
 だけどそうやって手に入れたダイヤモンドと、拾いもんのランクSの証と、何が違うって言うんだよ。
「オレの名前」
「ニャ?」
「強くなったら教えてやるって言ったんだよな、そういや」
 ビビとかいう、あんな頼りなさそうなガキでも逃げなかったと、フライヤは言った。なのにオレが簡単にとんずらしてたら、そりゃ沽券に係わるってもんだ。
「確かに、一人じゃ勝つことは無理かも知れねえ」
 オレは腰紐にくくりつけていた麻袋にダイヤモンドをしまい込むと、代わりにアイアンソードを鞘から引き抜いた。
「けどな、オレにだって踏みとどまることはできるんだぜ!」


「ニャニャー!!」
「って、何だ?」
 いただきキャットが目をむいて叫んだのは、オレの抜刀のせいだと思った。しかしやつの視線は、明らかにオレの向こうの何かに向けられている。オレはいただきキャットを警戒しながら、そろそろと後ろを振り返った。

 もっと冷静に周りに注意を払っておくべきだった。そうすりゃ近づいてくる地響きに、早いうちから気づいたはずだ。『ここいらで出会いたくないモンスター・ナンバーワン』グランドドラゴンは確かに凶悪だが、そのでかさの分だけ、出会う前に回避するのはさほど難しくねえのだから。

「ドラゴンニャー、くるニャー、ニャーニャー!」
 パニックに陥ったのか猛り声を上げていたいただきキャットが、グランドドラゴンのひと睨みでぴたりと黙る。振り返るといただきキャットは全身の毛を逆立て、体を強張らせて固まっていた。尻尾の先の鼠だけが、振り子のように揺れる。
 グランドドラゴンは満足げに唸ると、今度はオレへと目を向けた。さしずめ今日の晩飯は、オレといただきキャットで決まったってところか。
「冗談じゃねえ。モンスターの餌になってたまるかってんだ」
 オレは腹を決めるとグランドドラゴンのほうに向き直り、剣の柄を握りこんだ。
「オレが決めたことだ、やってやるぜ。なあ、フライヤ!」
「――その通りじゃ!」
 フライヤの声に、おぞましい魔物の咆哮が重なる。跳躍による重力加速を受けた槍を背中に突き立てられ、グランドドラゴンは地響きを立てて崩れ落ちた。


 グランドドラゴンの体から槍を引き抜くと、フライヤはオレの隣に着地した。
「怪我はないか、ジャック」
「ああ」
「そうか」
 声音は幾分和らいだものの、フライヤは緊張した面持ちを崩すことなく続ける。
「上昇した時あやつの姿が見えて咄嗟に標的を変えたのじゃが、致命傷までは負わせられなんだようじゃな」
「あいつ、あんなの喰らってまだ生きてんのか?」
「うむ……」
 フライヤの言葉に反応するように、グランドドラゴンは痙攣しながらも長い首を持ち上げた。フライヤは再び槍を構える。体を起こし、オレ達を睨みつける魔物の頭上に光が集まり始め、オレは思わず息を呑んだ。
「来るぞ、ジャック」
「サンダガか。あれが来る前に止めは刺せねえのかよ、フライヤ」
「やってみるが、私の技より、奴の呪文の発動のほうが早そうじゃ。一瞬で良い、あやつに隙ができさえすれば、その間に竜技を打ち込むことができるのじゃが」
「よし、一瞬でいいんだな」
「何?」
 顔を上げたフライヤに、オレはグランドドラゴンを顎で示して言った。
「オレが囮になるよ。要するに、あれの注意を反らせばいいんだろ。オレが前に出てあいつの気を引く。あんたはその間に技を完成させな」
「しかし」
「心配すんなよ。その後、あんたがあいつを仕留めてくれればいいだけだ。ただし本当に、せいぜい一瞬だからな」
 フライヤはオレの目を見つめ、やがて頷くと、グランドドラゴンに向き直る。
「わかった。頼んだぞ、ジャック」
「ああ、任せとけよ」
 答えるより先に、オレは飛び出していた。


 とは言え、こんなにでかいモンスターに近づくのは、生まれて初めてだった。オレは緊張と恐怖と興奮を必死に押さえつけ、グランドドラゴンに向かっていく。
 走れ、走れ、走れ、怯むな。
 呪文のように唱えながら、がむしゃらに地面を蹴る。
 頭上で、一際大きな稲妻が閃(はし)った。
 サンダガが完成したんだろうか、フライヤのほうはどうなんだ、いや構うな、ビビるな、考えるな、行け。
 駆けていたほんの短い時間が、とてつもなく長いものに感じられた。
 そしてついにドラゴンの前に躍り出たオレは、声を張り上げて叫ぶ。
「おいこら、こっちだ!」
 手にした剣を振りかざし、かっこつけた笑みをひとつ。
「お前の相手はオレ様だぜ!」
 オレの手がグランドドラゴンの硬い鱗を掠る。グランドドラゴンは驚いたようにぎろりと目を見開いた。
 ノーダメージ。だがこれだけで充分だ。オレの役目は終わった。後は素早く後退するのみ。

「――『竜の紋章』――!」

 フライヤの技の、巻き添えを喰わねえように。

 白い闘気が大地から吹き上がり、竜の形を成してグランドドラゴンの体を包む。闘気に呑み込まれ逃げ場を失ったグランドドラゴンは体を仰け反らせると、断末魔の声を残し、やがて果てた。
「すげえな」
 振り返ったオレと目が合うと、フライヤは構えを解いて微笑んでみせた。


 戦いが後もしばらく手足が震え、剣を鞘に収めるのにえらく苦労した。グランドドラゴンに睨まれた瞬間を思い返し、当分夢に見そうだな、なんて思った。その場にへたり込まなかったのがせめてもの救いだ。それでもフライヤのところへ戻るまでには、だいぶ落ち着きは取り戻せていたが。
「助かったぜ、フライヤ」
 力の入らねえ声で言ったオレを、フライヤは手で制した。
「勝つことができたのは、おぬしの力もあってこそじゃ」
「そう言ってもらえると嬉しいもんだな。じゃ、今度こそダゲレオへ帰ろうぜ」
「そうじゃな……」
「ダイヤモンドー!!」
 唐突な金切り声に、オレは頭が真っ白になった。それはフライヤも同じだったろう。すっかり忘れていたが、もともと相手はこいつだったのだ。
「ダイヤモンド、ダイヤモンド、くれないかニャー!」
 声の主いただきキャットは、食いしばった白い歯を剥き出して、小刻みに震えている。グランドドラゴンが現れてからずっと、同じ格好のまま硬直していたらしい。その目はオレ達というより、虚空の一点に向けられていた。
「まずいの。恐怖と驚きで錯乱しておるのやもしれぬ」
「よくわかんねえけど結構やばいんじゃねえのか、これ? またあんたの槍で何とかできねえのかよ」
「もう遅いようじゃ。モンスターはすでに魔法の発動体制に入っておる。ジャック、この場を離れるのじゃ、一刻も早く」
「けど、ダゲレオはあっちなんだぜ」
 オレはいただきキャットのほうを指差して言った。かと言って反対側、つまりオレ達の背後には、グランドドラゴンの巨体が横たわっている。それを迂回するのは、時間がかかりすぎるだろう。八方塞だ。
「ダイヤモンド、くれないニャんて……」
 いただきキャットの動きが止まった。フライヤはオレに向かって早口に言う。
「仕方ない。攻撃が来る前に、いただきキャットの隣をすり抜けるのじゃ」
 またかよ、なんて文句言ってる暇はねえ。オレ達は頷きあい、同時に駆け出した。
「あったまきたニャー!!!」
 オレ達がいただきキャットの両脇を走りぬけた時、きんという音を頭上で聞いた。それと共に、後方では何かが地面に衝突する凄まじい衝撃。爆風に煽られてつんのめりそうになりながら、オレ達は草原を夢中で駆け抜けた。金切り声と轟音が遠くなっても、ダゲレオにたどり着くまで速度を緩めず、後ろを振り向くこともなかった。



 ダゲレオ入り口では、なぜかオヤジが仁王立ちになって立っていた。
「四本腕、おめえ遅いじゃねえか、何してたんだよ」
「オヤジこそ何してんだよ、こんなとこで」
 全力疾走のおかげで切れた息を整えながら反問すると、オヤジはぐっと言葉を詰まらせた。
「俺はあれだ、外の空気を吸いに来たんだよ、たまたまな」
「店はどうしたんだよ。まだ閉める時間じゃねえだろ」
「は、早じまいだ、たまにはいいだろがっ。言っとくが、別におめえを待ってたわけじゃねえからな」
 腕を組んで視線を反らすオヤジに、オレは思わず苦笑した。オヤジはばつが悪そうにそっぽを向いたまま大袈裟に咳払いをして、とにかく、と続ける。
「とにかく、そしたらおめえが走って来るのが見えたんだよ」
「走ってきたっていうより、逃げてきたんだけどな」
「……逃げなかったじゃろう、おぬしは」
 そう言ったのはフライヤだった。
「グランドドラゴンと対峙したときのそなたの言葉、聞こえておったぞ」
 フライヤとオヤジに見つめられ、オレは頭を掻いた。
「本当は、ダイヤ持って逃げたほうが得かとも考えたんだけどよ。それじゃ金色のシッポに会う前と何にも変わんねえだろって思ったんだ」
 オヤジの信頼だって裏切れねえし、とか本人の前で言えるかよなどと思っていると、フライヤが目を見開いてオレを見ているのに気がついた。
「金色のシッポ、じゃと?」
「ああ。ずいぶん前に、ここで会った奴だよ。やっぱりオレそいつみたいに、トレジャーハンターランクSの証を自分の力で手に入れてみたくってさ。それにビビってガキだって逃げなかったって、オレをけしかけたはあんただろ。……フライヤ?」
 口元に手を当てて俯くフライヤは、笑っているように見えた。
「オレ、何か変なこと言ったか?」
「そうではない。ただ、なるほどな、と思うたまでじゃ」
 尋ねても、フライヤは首を横に振るばかりだ。煙に巻かれたような気分のオレはオヤジと顔を見合わせ、肩をすくめた。

「そうだ、忘れるとこだったぜ。これ返しとくよ」
 オレはダイヤモンドを麻袋から取り出し、フライヤに手渡した。
「あんたには感謝してるぜ、フライヤ。あんたのおかげで決心ついたし、戦利品まで手に入ったしな」
「戦利品?」
「これだよ、これ」
 オレは自分の懐の中から、ライジングサンとエーテルを取り出した。
「これがグランドドラゴン、こっちがいただきキャットからのだ。両方売れば結構な軍資金になるだろ。オレ、明日の定期便で霧の大陸に戻るよ。今度こそ世界を冒険して回って、夢はトレジャーハンターランクS、だ」
 お宝をひとしきり眺めた後、フライヤが呆れたように息を付く。
「しかしあの状況で、よくも盗んでこられたものじゃ」
「自慢じゃねえが、スリにかけては年季が入ってる」
 答えるとフライヤは破顔し、オヤジは「違いねえ」と言いながらオレの背中を、怒鳴りつけるまで何度も撲(は)り続けていた。






 ダゲレオを発って順調に航行を続けてきた飛空艇は、いよいよ明朝、リンドブルムに到着するという。
 なかなか寝付けずにいたオレは、甲板で夜空を眺めていた。
 辺りに人気はなく、艇のエンジンと風を切る音だけが低く響いている。もうそろそろ日付が変わる時刻だ。わずかばかりの乗客のほとんどは、それぞれの部屋のベッドで眠りについているのだろう。
 甲板の上は風が強く日没を過ぎれば寒いくらいだが、代わりにここから見える星も二つのお月さんも、格別に綺麗だった。空に近いせいか、手を伸ばせば届きそうにも思われる。そんなはずねえのは、わかっているが。

 ランクSの冒険家を目指すスリあがりも祖国の復興と恋人との再会を願う竜騎士も、明日の今頃は、霧の大陸。
 とりあえず、そこからだ。

「よし、寝るか!」
 高らかに宣言するオレにも星ぼしは知らぬ顔で、ちらちらと瞬くばかりだった。





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