ビビは両手で帽子のつばを押さえると、先を行くエーコを追って走り出した。
「あ、おい。ビビ、エーコ!」
 ジタンは慌てて呼び止めたが、ビビ達が立ち止まることはなく、彼らの後姿はやがて霧の中に消えていった。
「……やれやれ」
 前方へ差し出した右手をゆっくりと頭の後ろへやりながら呟くと、ジタンの隣でやはり呆気にとられたように前方を見つめていたガーネットと目が合った。
「あいつら、大丈夫かな?」
「大丈夫よ、きっと。わたし、エーコはビビと一緒なら安心だと感じているのだと思うの。二人でいるとずいぶん楽しそうに見えるわ、エーコは気づいていないかもしれないけれど」
 ガーネットはまるで妹をいとおしむような微笑みを浮かべて言った。
「どうしたの、ジタン?」
「あ、いや」
 ジタンがその横顔に見とれていたことなど、きっと彼女は気づきもしないだろう。ジタンの顔を覗きこむように小首を傾げてみせたガーネットだったが、やがてぽんと手を打って言った。
「そうね、わたし達も急ぎましょうか。そうは言っても、エーコ達をあまり待たせるわけにはいかないわ」
「ああ。それに森の中は見通しが悪いからな。どこかにモンスターが潜んでて、あいつらが襲われないとも限らない」
「二人が怪我なんかしたら、大変だものね。――決戦が近いのだし」
「ダガー?」
 ジタンは腰を落とし、ガーネットの顔をのぞきこんだ。それに気づいたガーネットは、はっとしたよう表情を見せ、すぐにうつむいてしまった。
「ごめんなさい。決戦の前だから怪我をさせたくない、という意味じゃないの」
「もちろん、君がそんなことを心配してるんじゃないってのはわかってるさ」
「ありがとう」
 ガーネットは小さく笑った。それはつい先ほど彼女が見せたものとは違う、頼りなげで儚げな笑みだった。ジタンが何か言うより先に、ガーネットは前に向き直り、早足で歩き出した。
「ダガー……」
 ジタンがガーネットを呼び止めようとした時、遠くで木枝が揺れる音が聞こえた。
 ――モンスターか?
 ジタンは反射的に、音のした方向へ顔を向けた。生い茂る木々と闇に遮られながらも、目を凝らし、耳を澄ます。かすかに聞こえてきた鳥の羽音と鳴声に、ジタンは胸をなでおろした。
 梟だな。魔物の気配もないし、ビビ達の悲鳴も聞こえないし(聞こえたら大変だけど)、ひとまず、心配はなさそうだ。
「ジタン」
「大丈夫、ただの鳥だよ」
「ええ……」
 ガーネットの声は、こころなしか震えているようだった。
「怖いのかい?」
 ジタンの問いに、ガーネットは首を振る。けれども、表情の晴れることはない。
「怖いとしたって、そんなのはちっとも不思議なことじゃない。『これが最後!』って戦いが目前に迫ってるんだぜ? 平気でいられるわけないさ。気にすることなんかない」
「ええ。そう――そうね」
「そうさ。だから、行こうぜ? エーコ達も待ってる」
 頷いてくれたことに安堵して、ジタンは足を前に進めた。
 さく、さく、と、自分の二本の足が土を踏む音が聞こえる。
 けれども、その後に続くはずのガーネットの足音はなかった。
「ダガー……」
「……いよいよなのね」
 立ち止まったまま、ガーネットは独白のように呟いた。恐怖とは違う、どこか凛とした響きさえも備えた声だった。
 ガーネットはちょうど大ぶりの枝の真下にいるらしく、月明かりが彼女を照らすことはない。ジタンは目を細めて、ガーネットの表情を探ろうとした。そんなジタンのしぐさを知ってか知らずか、ガーネットは遠い思い出を懐かしむような口調で話し始めた。
「わたしは16歳になるまで、霧の中を歩いたことはなかったわ。夜道を歩くことも」
 闇の中で、ガーネットがふっと微笑んだ気がした。
「この旅で、いろんなことを知ったわ。胸が痛くなるまで全力で駆けること、野宿でも体が痛くならない上手な寝かた、野草を使ったお料理、お茶、お薬。いろんな人たちとの出会いと――」
 沈黙が、暗闇と溶け合う。
「――もうすぐ、冒険も終わりね」
 ジタンは黙って、ガーネットの言葉の続きを待った。
「ねえ、ジタン。こんなふうに思うのって、間違いだと思うのよ。だけど、この旅の終わりはみんなとの旅の終わり。そう思うと、少し、いいえ、とてもさみしいと感じてしまう自分がいるの」
「旅の終わりが、オレ達の関係の終わりじゃないさ。いつだってお互いのもとを訪れあって、あの時はああだったよなって語り合う。ガーネット女王も、かつての仲間達と触れ合う時だけは、ダガーっていう冒険者の女の子になる。そういうのも、なかなか素敵じゃないか?」
「別れじゃないのね?」
「当たり前さ」
 かさかさと、葉ずれの音が聞こえる。
「安心した?」
「ええ」
 凛とした声で、ガーネットがこたえた。ジタンもほっとして、両腕を広げながらおどけて言った。
「なあ、ダガー。今、オレ達ってけっこういいムードだと思うんだけどな。二人きりの静かな夜。舞台効果も満点だと思わないか?」
「二人きりって、ジタン。ビビとエーコがいるでしょう?」
「あれ、そうだっけ?」
 くすくすと笑うガーネットのもとまで歩み寄り、ジタンは自分の右手を差し出した。
「ほら、こんな暗い道だろ。大丈夫かダガー、手を引こうか?」
「いいえ、平気よ」
「つまずいて転んだりしたら大変だぜ?」
「わたし、冒険者なのよ。少しくらい道が悪くてもつまずいたりしないし、もしもつまずいたりしても、自分で立ち上がることくらいはできるのよ」
「素直に手を握りたいって言っても、やっぱりダメかい?」
 ガーネットは、ゆっくりジタンの所まで歩み出て、一言。
「ええ、ごめんなさい」
 ちっとも申し訳なさそうでない様子に、わざとがっかりしたふりをしてみせた。
「よしっ! 仕方ないかな、また次のチャンスを狙うとするよ!」
 ガーネットが見上げてくるタイミングを見計らって、ジタンは笑って言った。
「だって、これが最後じゃないだろう?」
 ガーネットの笑顔を、月明かりが優しく照らしていた。




"手の中の小鳥" Zidane & Garnet / 緋未 / 2005.Apr.


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