"farewell"-3



 ビビはエーコから手を離すと、両手で帽子を掴む。痛いくらい真剣なまなざしで、彼女を見つめる。
「ねえ、エーコ……。こんなふうに願ったりするのは、わがままかな?」
 その声が心なしか震えているようで、エーコは息をのんでビビの次の言葉を待った。
「覚えててほしいんだ、ボクのこと。ボクの名前や、ボクがエーコを、みんなを呼ぶ声を。そうしたら……」
 ビビの帽子を握る手に、ぎゅっと力が入るのがわかる。エーコはビビをまっすぐに見つめる。
「そうしたら、ボクが止まってしまっても……ボクがいなくなった後も……ボクは、いつでもみんなに会えるから」
「あ……ったりまえじゃない!!」
 エーコは精一杯大きな声でそう言うと、立ち上がった。
「ビビはエーコ達のだいじな仲間なんだから! 忘れたりなんか、ぜったい、絶対、ゼ〜〜ッタイしないわっ!! それどころか、これからエーコが会う人みんなにビビのこと話して聞かせちゃうんだから!」
「エーコ……」

『おおーい!』

 不意に上空から聞こえた声に空を見上げる。そこにはボビィ・コーウェンに乗ってたった今黒魔道士の村にたどり着いた、カイの姿があった。ボビィの足が地面につくより早く、カイはその背から飛び降りる。
「チョコって速いんだなぁ。ボビィ・コーウェンじゃぜんぜん追いつかなかったよ」
 カイは残念そうにため息をついて、驚いているビビとエーコを見比べる。そして自分が内緒で村を出たことを思い出したのか、ばつの悪そうな様子でうつむいて言った。
「ビビ、勝手に村を抜け出してごめん。このごろビビがさみしそうにしてたから、心配で……。オレ、ビビのことがほんとに大好きなんだ。だから……」

 ビビの着ていたローブに、一粒の水滴がぽたりとこぼれ落ちた。
「あれ……どうしてだろ……?」
 ふたつ、三つと瞳からこぼれるそれは、青いローブの上に落ちては、しみこんでいく。
「ボク、とってもうれしいのに、どうして涙がでるんだろう……?」
 ビビはそう言って、ごしごしと瞳をこする。えへへ、と照れくさそうに笑ってみせても、あふれる涙が止めることはできない。
 そんな彼をエーコが笑った。やっと乾きかけた頬に新しい涙の筋を作りながら。
「あたしには泣くなって言っておいて自分が泣くなんて、ほ〜んとビビってダメなんだから」
 そしてエーコはおろおろとその様子を見つめるカイに笑顔を向け、言った。
「リンドブルムまで来てくれてありがとう、カイ。それに、ボビィ・コーウェン」


 長旅の羽を休めるために村の奥へと入っていくカイとボビィ・コーウェンを見送り、帰り支度を整えると――と言っても、チョコに再びリンドブルムまでお願いするだけだったが――エーコはビビのほうを振り向いた。
 「またね」は言わない。
 「さよなら」も言わない。
 ただエーコは「明日も来るわ」とだけ言って、チョコの背中に乗った。ビビも何も言わずに、その言葉に頷く。

 高い空。吹きぬけていく風に、木々はさわさわと音を立てて揺れる。
 ビビはそのどこまでも青い空を見上げて、エーコ、と呟いた。エーコは首を傾げてビビを見る。彼は続けて空に向かって、ガーネット、スタイナー、フライヤ、クイナ、サラマンダー、そして、ジタンの名前を、確かめるように呼んだ。ビビが呼ぶたび、エーコの頭の中には……おそらく、ビビの中にも……みんなの姿が浮かんでくる。
 その時ビビとエーコは、確かにみんなと共にいたのだ。
 そうしてビビは、エーコと彼らに語りかけるように言った。

 ……ボク、みんなに会えてよかった……。


 チョコが、ふわりと宙に浮かぶ。
「……ビビ!」
 エーコはビビのほうへと身を乗り出して、笑顔で手を振りながら、彼の名前を呼んだ。ビビも彼女に向かって、何度も何度も手を振った。彼の姿を覆い隠す森の深緑色が視界から消えるまで、彼女の姿が空色に溶けて見えなくなるまで。2人はずっと、手を振りつづけていた。


 次の日黒魔道士の村を訪れたエーコがビビに会う事は、もう、無かった。


 その後、ガーネットはやはり泣いていたし、フライヤは「そうか」とぽつりと呟いてうつむいていた。クイナは「さみしいアルね」と肩を落としたし、スタイナーなどはベアトリクスがいくらなだめても手がつけられないほどに号泣していた。意外にも、ラニまでもショックを隠せない表情でやってきて「これ、マダイン・サリのモーグリ達と……焔のダンナからよ」とニ輪の花を手向けていた。
 そしてみんなよりもだいぶ後にガーネットとエーコからそのことを知らされたジタンは、黙って彼らに背を向けると、長い間空の向こうをじっと見つめていたのだった。

 ビビは、もういない。

 けれど。  大丈夫だ、とみんなは思う。
 みんなには思い出がある。
 彼といっしょにくぐりぬけたさまざまな冒険、彼が教えてくれたいろいろなこと、自分の名を呼びかける声……、思うたびに、ビビはいつでもみんなと「そこ」にいる。
 これから出会う人々に彼の事を話すたび、その人の中にもビビは生きることができるのだ。
 だから大丈夫。
 だって……

「……でもまた、黒魔道士の村のあいつのところにも会いに行こうな。オレ達もビビにオレ達が見ることや聞くこと、聞かせてやろうぜ」
 ジタンはやがてガーネットとエーコのほうを振り向くと、そう言って笑った。2人もジタンに笑顔で頷いて答える。
「ええ、そうね」
「エーコ、ビビがびっくりするくらい、い〜っぱいお話するわ」

 そうやって彼の命は、たくさんの人達とつながっていくのだから。


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