森の中を走りながら、ミコトは必死に33号と、ボビィ=コーウェンの姿を探した。先程聞こえた33号の声からして、それほど遠くに行ってはいない筈だ。
「どこなの……どこにいるの……?!」
嫌な予感がする。息を切らしながらそう声に出し、視界を塞ぐ低木の枝をかき分けて、
「2人とも、どうし……!!」
とうとう33号たちを見つけたミコトの言葉は、突如として彼女の前に現れた――正確にはミコトが駆け込んで行く事で、結果的にその正面に飛び込む形になったのだが――モンスター、霧の魔獣のおぞましい咆哮によってかき消されてしまう。視界の端には、恐らくモンスターと戦ったためなのだろう、服も帽子もすり切れ肩で息をする33号。そして金色の羽を赤い血で染めた、ボビィ=コーウェンが映っていた。
金属を擦り合わせるような、あるいは、地の底から響くかのような。禍々しい、声ならぬ声で、獣が吼えた。
眼前に現れた新しい標的に目標を定めた霧の魔獣は、頭蓋を通り越し脳を直接揺さぶるような雄たけびをあげると、ミコト目指して襲いかかってくる。
あまりに突然の事だった。ミコトは自分に向かって猛進してくるモンスターを見据え、動くことが出来ない。
「ミコトちゃん! 逃げてっ!!」
張り裂けんばかりの声で33号が叫ぶ。
そう、逃げなければいけない。ミコトの理性は33号が叫ぶよりも早く、そのことを彼女に命じている。ただ動けないのだ。
体は自分の意思など聞かなくなってしまったようにすくんでいるというのに、彼女自身の早鐘のように打つ心音と、不規則なリズムの呼吸音と、そして今まさに襲いかからんとする魔獣の瞳をとらえる視覚だけが、やけに鮮やかにミコトの心を掴む。彼女を取り囲む世界が、まるで止まってしまったかと錯覚する程に、ひどくゆっくりに感じる。
唸り声とともに襲いかかってくるモンスターに、ミコトは思わず目を瞑った。
その刹那、轟音が起こり、吹きつける熱風をちりちりと肌に感じた。
ミコトは一瞬閉じていた瞼に力を入れ……そして、そろそろと目を開けた。
なんともない……?
痛みは無い。それどころか、彼女の体にはなんの異変も無いことを疑問に思い、ミコトは視線を上げた。
見るとそこには、全身から焼けこげた音を立て、苦痛に体をのけぞらせた霧の魔獣が倒れている。
「よ、よかった。ミコトちゃん……」
ミコトの斜め前方でぜえぜえと渇いた息をもらしながら、両手を空に広げた姿で33号がつぶやく。彼の放ったファイラの魔法が間一髪、魔物の攻撃を退けたのだ。ミコトが無事を確かめると、33号はほっとしたように大きく一度、息をついた。
けれどまだ、終わってはいなかった。
まさに手負いの獣となったモンスターは、今度はその怒りの矛先を33号へとスイッチさせた。先程とは比べ物にならないスピードで彼に突進していく。
「あ……!」
そう小さく声をあげたのは、33号だったのか、ミコトだったのか。とっさにもう一度、魔法の詠唱に入る33号。けれどその時すでに霧の魔獣は彼の目前にまで迫っていた。
今度こそ、間に合わない。間に合わない……!
ミコトは動けなかった。頭に響いたぞっとするような自分の声を聞きながら、今度は瞬きする事すら出来ずに、ただ眼前の光景を見守るしかなかった。そして……
「クエェェッ!!」
33号とモンスターの間で、何十、何百もの金色の羽毛が、鮮血と共に飛び散った。柔かな羽が朝日を浴びて輝きながら音も無く空を舞うその様は、なんと美しく、そして残酷だったことだろう。
33号をかばって飛び出したボビィ=コーウェンは、そのまま猛り狂ったモンスターに近くの大木の幹へと叩きつけられた。
「ボビィ=コーウェン……!」
ミコトは目を見開き、か細い声で呟く。
「このぉっ! よくも……よくもぉーーーーっっっ!!!!」
静かな森に響きわたる33号の絶叫。それと同時に放たれた炎の中には、今度こそ確かに断末魔の声をあげる霧の魔獣の姿があった。
横たわるモンスターの骸(むくろ)から立ち上る黒い煙と鼻をつく異臭が周囲を包む。
33号はボビィ=コーウェンの元へ駆け寄り、彼を抱き上げて言った。
「ボビィ=コーウェン! だいじょうぶ?!」
33号が呼びかけても、ぐったりとしたボビィ=コーウェンはうつろな目でか弱く鳴くのが精一杯らしかった。あたりには散らばる羽、そして、血。
「ミコトちゃん……ボビィ・コーウェンが……ボビィ・コーウェンがぁ……っ!!」
涙声で、すがるように33号が叫ぶ。ミコトは動けない。さっきとは違う冷たい何かが、ミコトに動くことを許さない。言葉も、でない。
「ボビィ=コーウェン、最初にあいつに出会ったときケガしたのに、それなのに、僕をかばって……。僕のせいでボビィ=コーウェンが……死んじゃうよ……!」
「ボビイ=コーウェンは助けてくれたのに……僕を助けてくれたのに!」
「僕の黒魔法じゃボビィ=コーウェンを助けられない……!」
「どうしてなんだろう? どうして僕らは……」
「……人を傷つける力しか持ってないんだろう……!!」
ミコトの心に、33号の言葉が突き刺さるような気がした。
その時、騒ぎを聞きつけて探しに来た村の黒魔道士が走ってきた。
「どうしたんだい、二人とも? ああっ、ボビィ=コーウェン!
……た、たいへんだっ、僕、みんなを呼んでくる!」
33号たちの様子から事態を飲みこんだのか、彼はそう言い残し、村のほうへと駆けだしていった。
それから村の住人たちがポーションやフェニックスの尾でボビィ=コーウェンを回復させ、包帯をまいて応急処置をするまでには、さほど時間はかからなかった。
33号もミコトも、その間ずっと言葉を発することなく、うつむいたままだった。
「うん。だいぶ出血していたから心配したけど、これでとりあえずは安心のはずだよ」
村のリーダーとも言える288号の言葉に、その場にいた全員がほっと胸をなでおろした。
「でも、安静にさせなきゃいけないし、誰かがボビィ=コーウェンを村まで運んで……」
「僕がいくよ。僕がボビィ=コーウェンを村まで運んでいく」
288号の言葉が終わらないうちに、それまで黙っていた33号が顔を上げる事無く言った。
「だいじょうぶかい? 君もあんなことがあったんだし、無理しなくても……」
「僕は……ぜんぜん平気だよ。ボビィ=コーウェンが守ってくれたから。それよりも、僕が連れて行きたいんだ。いいでしょ?」
そう言いながら、33号はボビィ=コーウェンを抱きかかえた。彼が一人で抱えるにはボビィ=コーウェンは少し大きすぎるくらいだったが、それでもおとなしく、33号の腕の中に収まった。ボビィを腕に抱いたまま、誰に言うともなく、33号はぽつりと呟いた。
「僕が散歩になんかつれていかなければ、こんなことにはならなかったんだよね。……僕がボビィ=コーウェンを育てたりしてなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。やっぱり……黒魔道士兵の僕がボビィ=コーウェンを育てたりするなんて、まちがいだったのかな? 僕がこんなふうに人間みたいに暮らすことだって、生まれてきたことだって、間違いだったのかな……?」
33号がミコトの横を通りかかると、クエェ、とボビィ=コーウェンが一声、小さく鳴いた。首をかしげて、33号が立ち止まる。
ボビィのその瞳は、微笑んでいるようだった。弱々しく首をあげ、ミコトの顔に頬擦りすると、ボビィ=コーウェンはもう一度クエェと鳴いて、再び33号の腕の中に、嬉しそうに顔を埋めた。
「ボビィ=コーウェン……?」
呟いたミコトに答えるように、288号が言う。
「……きっと、君に『心配しないで』って言いたかったんじゃないかな? 『もう泣かないでも平気だよ』って」
「……泣く……?」
彼の言葉を反復して初めて、ミコトは自分の眼が熱を帯びているように感じ、頬が何か生ぬるい水で濡れていることに気がついた。今まで感情を表したことも、自分の中に感情があることすら意識したことのなかったミコトは、右手で濡れた頬を触りながら、ぼんやりと自問する。
「……いつから……」
そんなミコトに、288号は肩をすくめた。
「さあ? でも……僕らがここに来た時から、ずっとだったよ……」
その日の夜。ボビィ=コーウェンは288号の言った通りにその後はけがの様子も安定しているようだ。それでも33号はずっと彼のそばから離れようとせず、今もボビィのとなりで眠っている。
ミコトはなかなか寝付けないでいた。村の中を流れる小川に架かる小さな橋の上で、ミコトは昼間の出来事を繰り返し考えた。頭について離れない光景。そして耳について離れない33号の言葉を。
――『ボビィ=コーウェンは助けてくれたのに…僕を助けてくれたのに!』――
――『僕の黒魔法じゃボビィ=コーウェンを助けられない…!』――
それでも、彼は私を助けてくれたわ。
いつだって、私たちジェノムにほほ笑みかけてきてくれていた彼、そしてこの村のみんな。
――『僕がこんなふうに人間みたいに暮らすことだって、生まれてきたことだって、間違いだったのかな……?』――
ミコトの足は、まだ起きているであろう、288号の元へと向かっていた。
「どうしたんだい? 今日は疲れただろう、早く休まなくて平気なのかい?」
案の定まだ起きていた288号は、ミコトに気がつくと優しく声をかけ、自室に招き入れた。
「……行こうと思うの、彼のところへ」
「え?」
突然の言葉に、288号は驚いた様にミコトを見つめる。
「私に何ができるのかはわからないわ。私は戦うことはできないし、第一、彼らがクジャに勝てるなんて思えない。だけど……行きたいの」
そこまで聞いて、ようやく288号はミコトの言いたい事を理解した。
「……ビビ君たちと一緒にかい? でも、突然どうして?」
「行って、確かめたい。……いいえ、信じたいの。私たちが生まれてきたことが、間違いなんかじゃなかったと……」
それ以上、ミコトは何も言わなかった。288号もしばらく何か考えるようにして黙っていた。
「アレクサンドリアに行くといい。僕ら黒魔道士兵はあそこから逃げてきたから、ここからの道順も案内できる。そこでキミがビビ君たちに会える保証はないけれど、あそこならきっと何か力になってくれるはずだ。君の姿をみれば、君のことも信用してくれるだろう」
288号がそう言った根拠は、ミコトの容姿からきているのだろう。ガーネットはアレクサンドリアを治める身分であり、そのガーネットの信頼するジタンとよく似た容姿をしたミコトがことの次第を話せば、きっと信頼してくれるだろうと考えたのだ。
彼は少しの沈黙の後、申し訳なさそうに付け加えた。
「ただ、僕らはやっぱり、ここを出て君といっしょに行くことはできない。黒魔道士軍団は戦争に協力して、いろんな人達を傷つけた。僕らはみんなに嫌われてる。外に出て人間に触れることは、まだ……こわいんだ」
ミコトは首を横に振りながら言った。
「一人で平気よ。私が行きたいから行くのだから。今夜、……今から、発つわ」
「ミコト君……、ありがとう」
288号の言葉に、ミコトはもう一度、首を振った。
簡単な旅支度を整え村の入り口に立つと、ミコトは村を流れる小川の静かなせせらぎに耳を傾けた。
新しい世界に触れた命は、それまで自らをせき止められていた蒼い光から開放された。ゆっくり、ゆっくりと。しかし確実に、今、彼女の時は流れ始める。
そしてミコトは黒魔道士の村に背を向け、アレクサンドリアを目指す。
『私は信じたいの……
私たちがこの世に生を受けたことは決して間違いじゃなかったと……』
■すみません、あの森にはゼムゼレットさんしかいないはずです(汗)