皆を起こさないよう注意を払いながら、そっとベッドを抜け出した。

 グレイもジャミルも、驚くほど眠りが浅い。わずかな物音でも、二人はすぐに目を覚ましてしまう。いつかジャミルは、オレの場合、育ってきた環境が環境だからな、と笑っていた。眠ってる時に、自分が盗ってきたものを同業者に奪われるかもしれないし、金持ち連中に雇われた警備兵が夜襲かけてくるってことも考えられるもんな、と。グレイも似たようなもんだろうというジャミルに、グレイは肩を少しすくめて答えた。寡黙な彼の肯定のしるしに、ジャミルは、ほらな、と満足げだった。

 私は――イスマス城を離れたあの日から、よく眠れなくなった。
 寝つきも悪く、夜中に何度も目が覚める。悪夢のせいなのだろう、覚醒後は決まって全身がじっとりと汗ばみ、そのくせひどく冷え切っていた。

 夢はいつも同じだった。イスマスを離れ、姉上とも離ればなれになった、あの夜のことだ。

 そんな時は、私の気配を察してだろう、ジャミルも起きだしてきて、私をなだめてくれる。もっとも、私の悪夢について訊ねたりはせず、彼は貴族の家から盗み出したという戦利品の話(そして決まって、「悪い、お前も貴族だよな?」と屈託無く笑う)、盗賊ギルドの友人のこと、私が合流する前の、彼ら一行の武勇伝を話して聞かせるのだ。私が落ち着きを取り戻すと、それを見透かすように、グレイがジャミルにぼそりと言う。「お前達、いつまでそうしているんだ、騒がしくて寝られん、明日にしろ」と。そのさり気ない連携がとても見事で、だから私は彼らを尊敬してやまないのだ。今は無理でも、いつか彼らに負けないほどの強い力と心の持ち主になりたいと、そう思っている。

 念のためにと細剣を腰紐に結わえ、極力音を立てないように扉を開ける。
「――ニーサ神殿に行ってきます。すぐに戻りますから、どうか心配なさらないでください」
 眠っているのか、起きているのかはわからない。けれども、ベッドで横になる彼らにそう囁いて、私は部屋を出た。


 クリスタルシティの夜は静かだった。すでに夜半も過ぎ、街には人ひとり見当たらない。頭上には砕いた水晶を散りばめたような星空が広がっていた。街の中心を流れる小川の川面が、アムトの赤い月の光で時折きらきらと光を放っている。クリスタルパレスへ続く階段を上りかけて、ふと、自分の行く先に見慣れた後ろ姿があるのに 気がついた。

 他ではあまり見ない結い方の髪を肩下のあたりでゆらゆらと揺らしている、あれは

「アイシャ、アイシャではありませんか」

 月明かりが、彼女の体の線をを淡く浮き上がらせている。
 不意に後方から声をかけられ、彼女はずいぶん驚いたようで、肩をびくりと震わせた。
 振り返っても、まだいささか距離がありすぎるせいで、彼女の表情までは見てとることができなかった。
「なあんだ、アルベルトかぁ」

 けれども、緊張のほどけた声から、彼女が安堵したのだとじゅうぶんに察することができた。



「こんな夜更けに、どこへ行くおつもりだったのですか、アイシャ?」
 私が訊くと、彼女は微笑んだ。彼女の笑顔は、まわりにある全てのものをもほころばせてしまうようだ。それを見ると、自分が陽だまりのなかにいるような錯覚さえも覚えてしまう。
「えっとね、ニーサ神殿に行こうと思っていたの」
「こんな夜更けに、一人で? クローディアはどうされたのですか?」
「もちろん寝ているわ。だってこんな夜中だもん」

 もっともな回答に、私は苦笑するしかなかった。私達は、カクラム砂漠の地下にあるニーサ神殿から戻ってきたばかりだ。クローディアが疲れきっているのは当然だろう。まして、明日はいよいよ最終試練の地へ向かおうと、皆で話し合って決めているのだから。

「アルベルトこそ、どうしたの? 眠れないの?」
「ええ。散歩ついでに、ニーサ神殿へ行こうと思いまして」
「お父さんと、お母さんに会いにいくのね」
「はい」
「じゃ、目的地はおんなじだわ。わたしも、ニーサ様のところへ行こうと思っていたの」
 彼女は自分の首元で光るディスティニィストーン、土のトパーズのはめられている首飾りに指を触れさせて言った。
「これがあれば、ニーサ様とお話ができるかなあって思ったから」
 笑顔の彼女に、私の心がうずいた。

 いつもなら、眠れないのは、イスマス城が魔物達に襲われた夜のことが頭に蘇ってきたからだった。とうとうお助けすることのかなわなかった、父上と母上、いまだ無事を確認できない姉上の姿。私だけを逃すため、私の背中を押した姉上の掌の感触。今もまざまざと思い出すことができる、恐怖と怒りと絶望と――ふがいない己への失望。それらの負の感情が、私を眠りから遠ざけているのだった。

 けれど、今夜は違う。
 瞼を閉じて浮かんでくるのは、伝説の湖の町でのうつむいた彼女の顔と、彼女のご祖父上様の懇願するような目だった。

「やはり、ご家族やタラール族の皆さんのもとへ帰りたいですか?」
 訊ねると、彼女はふっと目だけで笑って見せた。

 タイニィフェザーから得た情報により、私達はカクラム砂漠の流砂の先にある大迷宮へと足を踏み入れた。砂ばかりの荒地の下にそのような建立物があることにも驚かされたが、その奥に、清らかな水を湛えた湖の町が存在することにも圧倒されることとなった。
 そしてそこで、彼女は探し続けた同族の人々とようやく再会することができたのである。

「ね、アルベルト。アルベルトは、おじいちゃんからタラール族の話を聞いたとき、どう思った? びっくりした?」
「はい……少し」
 正直に頷いた。少数民族のタラール族が、サルーインと神々の戦い以前に地上に住まっていた部族の生き残りだなど、今まで想像もしたことがなかった。
 私の答えに、彼女は再びにっこりと微笑んだ。
「わたしはね、すごーくびっくりしたよ。それに……」
 続く言葉を飲みこんで、自分の手首で光るトパーズにそっと触れる。

 私は、黙って彼女の次の句を待った。しかし、それっきり彼女は口をつぐんでしまった。

「アイシャ。もしもあなたが湖の町へ戻られるというなら、私がお送りいたしましょう。ご祖父上様も、危険に臨むことをお望みでないご様子でした。あなたが大切で、お可愛いのでしょう。私も……、お気持ち、わかります」

 彼女の意思で、ニーサ神殿に行った後は、タラール族の誰にも会うことなしに地上に戻ってきてしまった私達だった。けれど、本当にそれで良かったのか、私にはわからなかった。私は彼女と一緒に旅をしたいと願っている。けれど、サルーインと対峙することになれば、命の保証は誰にも出来ないのだ。ご祖父上様が「どこへも行くな」とおっしゃった時、彼女は迷っているようだった。少なくとも、私にはそう見えたのだ。ここで戦いが終わるのをお待ちなさい、と、口添えするべきだったのではと今になって思う。彼女と長く旅をしたいなどというエゴなど捨てて。

 彼女は伏し目がちに、ずっとトパーズに指を触れさせている。まるで叱られた子供がすねた時にする仕草のようで、胸が痛んだ。

「わたし、みんなに会ってから、ずうっと考えてたの。わたしには、アルベルトやみんなみたいな力もないのに、サルーインなんかに勝てるのかなって。ごめんね、最終試練に向かう前の夜に言うことじゃないよね」
 力なく彼女は笑った。返す言葉が見つからず、今度は私がうつむく番だった。

 そんなことはありません、と、本当はすぐにでも言ってしまいたかった。いつも明るく、それこそ太陽のように朗らかな彼女の沈んでいるところを見ているなんて、これほど辛いことはない。けれども、私達と一緒に旅を続けることは、彼女を危険にさらすということなのだ。待つ人がいる彼女を、このまま行かせて良いものなのか――。

「先ほどアイシャに、私は父上と母上のもとへ行くのだと言いましたね」
「う、うん」
 唐突な私の問いに、彼女は少し面食らったように目を丸くさせながらも頷いた。
「それは、半分正しくて、半分間違いです。もちろん両親に会いに行くことも目的の一つでしたが、実はあなたと同じように、ニーサ様とお話しすることはできまいかと思ってのことなのです」
「アルベルトもニーサ様とお話するの? どんなことを話そうと思ったの?」
「お話、というのとは、もしかしたら違うのかもしれません。私がしたいのは、懺悔でしたから」

 自分が饒舌なたちではないことは、じゅうぶん承知している。私にできることは、私の思いのたけをすなおに彼女にぶつけることだけだった。

「……湖の町で、あなたのご祖父上様は、あなたにあそこに留まってほしいと、そうおっしゃいました。私も、この先の旅がどんなに危険なものか、察しはつきます。それでも、私は何も言えなかった。いいえ、言わなかった。あなたの命より、私はあなたと共にいられることを望んだのです。……申し訳ありません」
 私のことを、彼女はどう思っただろう。彼女の顔を見る勇気がなかった。
「ですが、もしもあなたが湖の町へ戻られると言うのなら、その時は、私がお供いたします。必ず無事に、ご家族のもとまでお送りいたします。命に代えても」

 まるで風がそよぐように、ひそやかに、彼女が笑う気配がした。

「アルベルト、ありがとう」

 私は顔をあげた。目が合うと、彼女はもう一度微笑んだ。

「トパーズをくれる時、ニーサ様は言っていたの。『このディスティニィストーンでサルーインを倒しなさい。あなたに出来なければ、出来る人を探してディスティニィストーンを渡しなさい』って。それがわたしの使命だって。でも、わたしがディスティニィストーンを持ち続けることと、誰かに渡すこと、どちらがわたしの運命なのかまでは、ニーサ様は教えてくれなかった。だからわたし、迷っていたわ。わたしは、みんなと一緒にいるべきじゃないのかもしれないって。だけどね、わたしもみんなといたかった。ずっとずっと、最後まで一緒に戦いたかったの。だから……わたしも、アルベルトとおんなじね。ニーサ様に、ごめんなさいって言おうとしていたの。このディスティニィストーンは、本当はわたし以外の誰かが持つべきものかもしれない。でも、わたしはトパーズと、サルーインを倒しに行きますって。みんなが許してくれるのなら、わたしはみんなと一緒にいたいんですって」

 アルベルト、許してくれる? まっすぐ私の目を見据えて、彼女は言った。
 彼女はそれから、両手を首の後ろへ持っていった。かちり、と金属の留具が小さな音を立てる。彼女はトパーズの首飾りを外すと、掌の上に乗せて、私の前に差し出した。

「わたし、みんなと一緒にいたい。ディスティニィストーンを、このまま持っていてもいい?」
「グレイやジャミルに比べれば、私は非力です。けれど、もしあなたが来て下さるのなら、私があなたをお守りします。サルーインを倒し、きっと、あなたをご家族のもとへお帰しします」
「わたし、人間じゃないのよ。それでも平気?」
「アイシャは、私が人間でなかったとしたら、今までのように仲間として見てはくださらないんですか?」
 今夜はじめて、彼女は声をだして笑った。澄みきった、綺麗な声だった。

「それでは、宿に戻りましょう。明日は神々の待つ試練です。寝不足では失礼にあたりますからね」
「うん。ねえ、アルベルト、それでもやっぱり、わたしニーサ様にあってお話してくるわ。おじいちゃんに伝言を頼んでおくの。湖の町では、黙って出てきちゃったでしょう。ごめんねおじいちゃん、やっぱりだめよ、だってみんないるんだもん、って。ね?」
「では、私も参ります。ああ、アイシャ」

 私はトパーズの首飾りを受け取り、彼女の後ろにまわった。留め金を操ることに全く苦労しなかったのは、夜目にすっかり慣れたせいか、それともトパーズ自身が、彼女を求めていたからか。

 白く細いうなじが、改めて彼女が華奢なひとだと気づかせる。

「さ、行きましょう」

 ニーサ様が、私達をここにお導きくださったのかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎった。

「うん。ありがとう、アルベルト」

 きっと守ってみせる。微笑む彼女を見つめながら、私は心の中で誓った。





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