息苦しさに、ミコトは目を覚ました。体が熱く、喉がひりついた。
ベッドから起きあがろうと動かした頭が痛む。その拍子に掛けていた薄めの毛布が肩からずれ、冬とは違う悪寒が全身を走った。今まで経験したことの無い感覚に、ミコトは不安と、少しの恐怖さえ感じた。
……これは風邪、なのかしら。
あれはこの黒魔道士の村の子供達を連れて、風邪を引いたというエーコの見舞にリンドブルムを尋ねた時だ。
『アタマがいたいの』
『スゴク熱くて、でも寒くて』
『ヘーキよ、寝てたらすぐによくなるって、お母さんも言っていたもの』
……赤い顔をしてベッドに横になったエーコは、そう言って頼りなげに笑っていた。
ジェノムの私でも、ガイアの病にかかったりするのね。
原因がわかりかけたことにひとまず安堵の息をついて、ミコトはもう一度枕に顔を埋める。吐き出される空気まで熱を持っている事が、ミコトにはひどく不快だった。
仰向けていた体を、窓へと向ける。寝返りを打つ間も、頭痛は脈を打つのに合わせ、ずきん、ずきんと、嫌なリズムを刻んでいた。窓際の机に置かれた時計に視線を移す。時計の針が示すのは、普段ならとうに朝食の仕度をし終えている時刻だった。
……あの子達が目を覚まして、集まってくる頃なのに。
寝室の向こうにはキッチン兼ダイニングがあり、玄関とつながっている。部屋の真中に置かれた大きな木製のテーブルは長方形だった。短いほうの片辺、寝室に背を向けた位置にミコトが座り、長いほうの辺には、揃いのとんがり帽子が向かい合って三つずつ並ぶ。かつてこの村で暮らしていた小さな黒魔道士、ビビの子供達の為に食事を用意するのは、いつの間にかミコトの役目になっていた。
ミコトの料理をおいしそうにほおばりながら、子供たちは毎日、いろいろな話をした。今日はあれをして遊ぶんだ。こんな夢を見たんだよ。六つの帽子は出来立てのオープンオムレツから立ちのぼる湯気と一緒に、楽しそうに揺れる。その様子を眺めているのが、ミコトはとても好きだった。
カーテンの隙間から部屋へと差しこむ陽射しは、夏らしく、明るい。
あの子達は、今朝は何をするというだろう。どんな夢を見たんだろう。朝ご飯がなかったら、がっかりしてしまうかしら?
苦しくて息がしづらい。水が欲しい、と、ミコトはぼんやりする頭で思った。
ドアの開く音がした。
開いたのは玄関のドアだろう。子供達の声が、ダイニングのほうから聞こえてきた。
「ミコト?」
子供達の一人が呼んだ。彼らがミコトの姿を探してくるくると部屋の中をまわっているのが、軋む床の音からわかる。おそらくは、あのテーブルを中心にして。
「ここよ」
私はここよ。そう言ったつもりだったが、ミコトの声はダイニングの彼らには届かなかったらしい。暫くテーブルの周りをまわっていた足音はやがて大きくなり、寝室のドアの前に集まると、止まった。
キイと遠慮がちな音を立て、扉がわずかに開いた。
「……ミコト?」
「やっぱり寝てるのかな」
「こらっ、静かにしろよ。ミコトが起きちゃうだろ」
「じぶんの声のほうが大きいじゃないかあ……」
ドアの向こうで声をひそめて囁きあう子供達に、ミコトは苦笑する。
「……起きているわよ」
子供達が顔を見合わせる気配がした。
「風邪をひいたんだと思うの」
ベッドの前に集まって来た子供達に告げると、部屋の中はちょっとした騒ぎになった。
「カゼって、エーコもなってたやつだよね」
「ミコト、平気? どこが痛いの?」
「ええとええと、あの時エーコはどうしていたっけ」
「お薬のんで、ええとそれから」
「冷たいタオル、頭にのせてた!」
「ミコトミコト、だいじょうぶ?」
ミコトは少々圧倒されながらも、大丈夫よ、寝ていればきっと治るわ、と答えた。
「でも、今日の朝ご飯は用意できていなくて……」
ごめんなさい、と続けようとしたミコトの言葉が終わらないうちに、
「ぼくらがつくるよ!!」
六つの声が、綺麗に揃った。
「ミコト、なにか食べたいものとか欲しいもの、ない?」
子供達はミコトの顔をのぞき込むと訊ねた。何か言いかけて口を開いたミコトだったが、やがて息をつくとぼそりと呟いた。
「とりあえず、水が飲みたいわ」
机の上では、先程口をつけたコップが汗をかき始めている。ミコトはベッドの中で、ダイニングから洩れる子供達の声を聴いていた。
『それじゃ、ぼくら三人はごはんをつくる』
『オレたちはコンデヤ・パタまで行って薬をもらってくる』
『うん。気をつけてね』
『またあとで。帰ってきたら手伝うよ』……。
部屋の向こうでドアを開閉する音がした。額に置かれたタオルは、ブリザドの呪文を応用して作った氷水で冷やしたのだろうか。そのひんやりとした心地よさに、ミコトはゆっくりと瞳を閉じた。
浅い眠りだった。ミコトは夢の中で、子供達と一緒に料理をしていた。うまく割れないと言って卵と格闘する彼らの代わりに殻を割ってやり、火加減を調節してやった気がする。すごいやミコト、と子供達ははしゃいでいた気がする。もっともあまりに浅い眠りだったので、目が覚めた途端、それらはあっと言う間に掻き消えてしまったが。
「ミコト?」
瞼を開くと、子供達とジェノムの少女がミコトをのぞき込んでいた。
「ちょっとだけ起きられる?」
もみじの様な手がミコトの額のタオルを取り上げる。それを机の上に置くと、もう片方の手に持っていた麻袋から小さく折りたたんだ紙片を取り出した。ミコトは上半身だけをベッドから起こした。受け取った紙片を開くと、中には赤茶けた粉末が入っている。
「コンデヤ・パタのおじちゃんが、漢方だド、カゼにはよく効くドって言ってた」
「道中は私も一緒だった」
ジェノムの少女が言った。だから心配する必要はない、ということだろう。
「でもね、おくすり飲むんなら、なにか食べてからのほうがいいんだって。ごはん、食べられそう?」
僅かに寝乱れた髪を耳にかけながら、ミコトは頷いた。眠った為なのか、それともジェノムの治癒能力はやはり人間よりも優れているのか。ミコトの体は大分、楽になってきていた。
「よかった。ちょっと待っててね」
子供達はぱたぱたとダイニングまで駆けて行くと、やがて大き目の両手鍋を二人がかりで運んできた。器とスプーンを抱えた子供がその後に続く。具だくさんの卵スープは、鍋の中でもうもうと湯気を立てていた。良い匂いが部屋中に広がる。ミコトが手に持った薬を受け取りながら、あれを全部食べさせる気らしいぞ、とジェノムの少女は苦笑した。
あんなに辛そうだったのにどうしてエーコは笑っていたのか、わかる気がするわ。
スプーンを口に運びながら、それでもミコトはそんなことを考えた。
何しろ十四もの瞳がずっとこちらを見つめているのだ。正直、味わってなどいられるものでは無い。その時のスープの味も夜に出された雑炊の味も、ミコトには思い出せなかった。
覚えているのは、『良薬は口に苦しだド』という薬が本当に苦かったこと。今日はご飯を作れなくてごめんなさい、を結局言いそびれてしまったこと。見舞いとはどうするものなのかわからないのだ、と呟きながらミコトを訪れたジェノム達の顔。気遣うように首を傾げる度にスープの湯気の向こうで揺れた、とんがり帽子。