久しぶりね焔のダンナ、とラニは言った。
 何の用だ、という男の返事は、あいにくラニを満足させるものではなかった。
 あのねえダンナ。ラニは眉を寄せ、男を睨みつけると続けた。
 あたしは『久しぶりね』って言ったのよ。



 コンデヤ・パタとマダイン・サリとをつなぐ山道はほぼ一本道だが、中途でイーファの樹のもとへと分岐する。マダイン・サリからコンデヤ・パタ経由で黒魔道士の村へ向かおうとしていたラニは逆方面から歩いてきた男と、その分岐点でばったり出くわしたのだった。

「……ああ、そうだな」
 ようやく男がそう返してきたのは、ラニが靴先でイライラと地面を何度叩いた時だろうか。立派な挨拶とはお世辞にも言えないものだとしても、この男にしては、上出来なのかもしれない。ラニは妥協のしるしに組んでいた腕をほどき、大げさな溜息をついて見せた。
 それにしても、だ。
 裏稼業で名を馳せた男が出会い頭まで他人の気配に気づかなかったなど、あるはずがない。まして相手が、因縁のあるラニならば。そのくせこの男はすれ違う直前まで、自分をまるきり無視しようとしていたのだ。いや、ラニが声をかけなかったら、そのまま通りすぎるつもりであったかもしれない。
 あたしがどんな気持ちでマダイン・サリから山道を下ってきたか。どんな気持ちでダンナを呼び止めたのかも知りもしないで、だんまりであたしの前を通り過ぎようだなんて。
「それで、何の用だ」
 ラニにとって、この物騒で無愛想な男に声をかけるのはかなりの緊張を強いられることだった。なんと言っても後ろから斬りつけられても文句は言えないほどの、でかい借りがある。それに反してサラマンダーを呼び止めたのには、それだけの理由があった。しかしサラマンダーのその態度と物言いは、ラニを苛立たせるのに充分だった。
「こんな役割、あたし本当はごめんなんだからね。だけど、ダンナに知らせておこうと思ったのよ。エーコもダンナの居所がわかんないって言ってたから、どうせ聞いてないだろうし、誰かが言わなきゃいけないだろうし」
 これ、とラニは手に持った一輪の白い花を、サラマンダーの胸元につきつけるようにして言った。
「黒魔道士のあのコ……ビビのこと」



「この花、マダイン・サリのモーグリ達からなのよ。あいつらは黒魔道士の村まで行きたくても、エーコの代わりに召喚壁を守る役目があるじゃない。だからあたしがかわりにね」
 何事かを考えるような一、二呼吸ぶんの沈黙の後、サラマンダーが口を開いた。
「モーグリどもの使いか。義理堅いことだな」
「まあね」
  落ち込んでいる姿など想像つかないし、見たくもない。それにしてもサラマンダーの反応は少々拍子抜けするものだったが、ラニは素直に頷いてみせた。その口ぶりからは、言葉ほどの毒は感じられなかったためだ。
「あたしだって、あの子のこと知らないわけじゃないもの。あの子たちのおかげであそこのモーグリ達にも会えたわけだし」
 アレクサンドリア国の先代女王ブラネの命で、かつてラニはマダイン・サリに伝わる宝珠を狙い、村を襲った。しかし宝珠奪取の失敗とその後のブラネの戦死、霧の復活で、外側の大陸を出る術すら失うと、見知らぬ土地を当て所(ど)なくさ迷う羽目になった。結果、行き倒れ寸前になったところを、マダイン・サリのモーグリ達に拾われたいきさつがある。
 そこは村とは名ばかりの、日々の糧さえ満足に得られぬ廃墟だった。しかし過去に行った暴挙の数々などまるで無かったことのように自分を受け入れ、つましく暮らす彼らと過ごすうち、ラニは銭勘定以外に、人生には意義というやつがあるのを知った。
 以来、ラニは武器を捨てた。あえて口に出したりしないが、この先斧を振るうのは、マダイン・サリのモーグリ達を守る時だと決めている。
「あたし、そういうの感謝してるのよね、これでも。わかるでしょ?」
 しかし、サラマンダーからの返事はなかった。
「ちょっとダンナ、聞いてるの?」
 文句のひとつも言おうかと思ったラニは、そのまま山道の脇に眼を落とすサラマンダーの視線の先を追って、口をつぐんだ。春の陽光を浴びる若草の緑があまりにも生き生きと眩しく、ラニの目に染みたからだ。
 それはサラマンダーの目にも染みるのだろう、とラニは思った。
 いや、ダンナには多分あたしよりも、もっと。
「あのさ」
 ラニはそろそろと声をかけた。
「あたし感謝してるのよ、あの子達に」
 サラマンダーは答えない。
「だから、あたしだって悲しいのよ」
 サラマンダーはちらりとラニを見たあと再び足元に眼を落とし、「そうかよ」と言った。
 不意にサラマンダーはラニに背を向け、体を屈めた。そして山道の脇に咲く花の中から一輪を選び、摘みとった。
「ダンナ、これ」
「あいつに届けてやってくれ」
 ラニに差し出された花の色は、鮮やかな黄だった。ふっくらと丸みを帯びた花弁がとんがり帽子のかの少年のあどけない瞳を想起させ、ラニは知らず、花に見入ってしまう。
「どうした?」
 顔を上げると、サラマンダーが訝しげな表情でラニを見ていた。
「別に、なんでもないわよ」
 その声さえも心なしか上ずり、ラニは咳払いをして花に手を伸ばした。指と指とが触れそうになった時思わず息を止めたのは、決してサラマンダーを恐れていた為ではなく。
 自分でも掴みかねる動揺を隠すため、ラニは極力おどけた口調で言った。
「でも、気が利かないわね。こういう時って、普通は二輪摘んだりするもんでしょ。で、『ひとつはお前に』なんてあたしに渡したり」
「くだらねえな」
 ごもっとも。
 ラニは肩をすくめた。目の前の仏頂面が意外すぎる一言を口にしたのはその後だ。
「それで、そうしてほしいのか? てめえは」
 堪えきれず、ラニは吹き出した。憮然としてラニを見下ろすサラマンダーの真意は測り兼ねるが、なるほどやはり、この男は変わったらしい。ラニは喉の奥で必死に笑いをかみ殺すと、やっとの思いで言ったのだった。
「バッカじゃないの。いらないわよ、そんなの」



「花だけじゃなくてさ。ダンナも黒魔道士の村に、行ってあげたらどう? ビビだって喜ぶわよ、きっと」
「あいつには、俺よりも先に会うべき奴がいるだろう」
 ラニはサラマンダーの視線を追って振り返り、その先に聳え立つ大樹を認めて呟いた。
「……ああ、イーファで行方知れずになったんだっけ」
 ジタンていう、シッポのあの子。
 なるほど、それでダンナはこんなところを歩いてたってわけね。
「でも、リンドブルムからもアレクサンドリアからも捜索隊が出たけど、見つからなかったんでしょ?」
「かと言って、ただで死ぬようなタマでもねえ」
「そりゃそうだけどさ。勘違いしないでよ、あたしはあの子のこと、諦めろとか言ってるわけじゃないんだからね。それだけの人数で無理だったのに、ダンナ一人で見つけられるのかって訊いてるだけよ。第一あそこの中って今、すごく荒れちゃってるんでしょ。危なくないわけ?」
 暴走の為、根という根がうねり、絡まり合ったイーファ。それはコンデヤ・パタの民が神樹と崇めていた頃とは、遠目にも明らかに異形の姿となった。
世界を救った後、ひとりそのイーファに残ることを選び、いまだ戻らない奴がいることは知っている。仲間の誰もが、彼の帰りを待ち望んでいることも。とうとう会うことの叶わなかった黒魔道士の少年が、そのうちの一人だったことも。
「あいつがあそこに閉じ込められてるとしてだ。奴一人で脱出できねえような場所に、並の連中が到達できるかよ。大体、どっちの国も主戦力級の兵士はてめえらの街の復興作業で手一杯ときてるしな」
「だからかわりに自分が、ってわけ? ずいぶん優しいじゃないの、『焔色のサラマンダー』」
 皮肉でも何でもなく、率直な気持ちだった。ちらりとラニを見たサラマンダーはしかしすぐにイーファへ目を移し、言った。
「奴には借りがあるんでな」
「借り、ねえ」
 まあ、そういうことにしといてあげる。
「義理堅いことね」
 ラニの言葉に、サラマンダーはイーファの樹を見つめたまま、鼻を鳴らしたのだった。


「じゃあ、あたし行くわよ。これ」
 ラニは手にした二輪の花を胸の高さまで掲げて見せた。
「たしかに預かったからね」
「ああ。頼んだぜ」
 驚いて顔をあげた時、サラマンダーはすでに山道をイーファの方角へと歩み始めていた。
「頼んだぜ、だってさ」
 ラニはサラマンダーの言葉を鸚鵡返しに繰り返した。
 信じられない。頼まれちゃったわよ、あの、焔色のサラマンダーから。
「……ねえ」
 ラニはサラマンダーの背に向かい、呼びかけた。
 サラマンダーは振り向かなかった。
「会えるといいわね、ジタンに」

 ダンナも、ビビも。

 サラマンダーが立ち止まることはなく、声がサラマンダーに届いたのかどうかも分からなかった。しかし聞こえていなくとも構わない。ラニはサラマンダーの後姿を見つめながら、もう一度言った。
「ううん、会えるわよ。きっとね」



 ビビに会いに来たんだけど。
 黒魔道士の村に到着したラニが告げると、ビビの『子供達』は、ラニを村のはずれまで案内した。
「ほら、あそこだよ」
 子供達が指差した小高い丘の頂には、ビビの被っていたとんがり帽子が揺れていた。ラニは一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりとその丘を上って行く。
「これ、マダイン・サリのモーグリ達と……焔のダンナからよ」
 とんがり帽子の前に立ったラニは、そう言って二輪の花を手向けた。そしてその場にしゃがみこむと、大きく息をひとつついた。
 穏やかな春の風が、ラニの頬を撫で吹き、とんがり帽子を揺らす。
「あんたって、たいした子だわ、ビビ」
 案外と大きな帽子のつばを下から仰ぎ見ているうち、そんな言葉がラニの口をついて出た。 「たいした子、ってどういうの?」
 子供達が、ラニの顔をのぞき込んだ。そうねえ、とラニは少し考えて、言った。
「ビビはすごい子だってことよ。何て言ってもあたしの恩人の一人だしね」
「おんじん、って?」
 天真爛漫な声に、ラニは苦笑して答える。
「あたしはビビに会えてよかったって思ってるってこと」
「じゃあ、ぼく達とおんなじだね。ぼく達もビビに会えてよかったって思ってるよ」
「ボクらビビのこと、大好きなんだよね!」
 子供達に頷きかけながら、ラニは思った。
 あたしやこの子達だけじゃなくて、もう一人そう思ってる奴がいるはずよ、ビビ。
 あのダンナがあんなに変わるんだもの。あんたたちって本当に大したものだわ、と。



「ラニ、今日はお泊まり?」
 丘の傾斜に沿って影が長く伸びた頃、子供達の一人が尋ねた。彼らとビビにマダイン・サリのモーグリの近況やら、ここに来るまでの道程やらを話して聞かせているうち、気がつくと太陽はすでに大きく傾き、村を囲む森の中へと沈みかけている。今からではマダイン・サリどころか、森を抜ける間にも日は落ち切ってしまうだろう。
「そうね、一晩泊めてもらえるかしら? 宿屋あったわよね、ここ。あ、もちろんお金は払うわよ」
「わーい、お客さん!」
「お客さんだ!」
「エーコじゃないお客さんなんて、ひさしぶりだね!」
「宿屋のベッドのじゅんび、しなくっちゃ!」
 ラニが言い終わらないうちに、子供達から上がった歓声が辺りに響いた。ジェノムのみんなにもしらせてくるよと、子供達は先を争って村へと駆けて行く。その後ろ姿を見送るとラニは立ちあがり、伸びをした。
「ねえ、ラニ。いいこと教えてあげようか?」
 そう言ったのは、宿屋までの案内役として残った、二人の子供達のうちの一人だった。
「ビビが言ってたんだ。ビビはもちろんここにもいるんだけど」
 そこで一度ビビのとんがり帽子を振りかえり、ラニのほうに向き直って続けた。
「ラニがマダイン・サリでビビに会いたくなったときも、ちゃーんと会える方法があるんだ」
 そこまで聞くともう一人も合点がいったようで、あ、あれだね、などと二人して頷きあう。
「オレたちがビビのことを忘れたりしないなら、ビビはずっとオレたちといっしょにいられるんだって」
「ぼくらがビビのことを思いだせば、ビビはいつもそこにいるんだよって。ビビが言ってたんだよ。ね、ラニ。すごいでしょ?」
 得意満面で胸を張る子供達に、ラニはそうねと相槌を打った。
「モーグリ達にも教えとく。ここに来られないって悲しがってたから、きっと喜ぶんじゃないかしら」
 あとは、焔のダンナにもね。イーファあたりをうろうろしてるんなら、きっとそのうちまた会うだろうし。
「でもあたし、村にもまた会いに来るわ。もちろんジタンもダンナも、すぐにね」


「宿屋は、こっちからいくと近道なんだ。つれてってあげるよ」
 そう言ってラニの手をとる子供達を見て、ラニはふとマダイン・サリのことを考えた。遅くなったらどこかで宿でもとってくるからと言い置いてきた以上、今夜中に戻らなかったとしても、心配されることはないだろう。それでも朝になったら、なるべく早くここを発とう。途中コンデヤ・パタで、土産でも買って帰ろうか。
 気がつくと自分はマダイン・サリのモーグリのことを考えていて、両隣では黒魔道士のチビ達が、どうしたの、早くいこうよと急き立てる。
「あたしこれでも、裏社会じゃちょっとしたもんだったのよ。美の狩人とか呼ばれちゃってさ。それなのに」
「それなのに?」
 二人の子供が同時に首を傾げる。
たまらないわよね。ラニは思わず呟いていた。
「まったく、くしゃみのひとつも出そうな気分だわ」
「どうしたの、ラニ。寒いの? カゼ?」
「じゃあ宿屋のおふとん、いちまい多くしなきゃね」
 晩ごはんも、あったかいやつ、つくるからね。料理は、オレ達のファイアを使ってつくるんだ。ぼくら、ファイアとなえるの、とくいなんだよ、ラニにもあとで見せてあげるね。じゃあラニ行こう、宿屋はね、ここをおりて行くと近いんだ。こっち、こっちだよ、せえ、の!

 はしゃぐ子供達に両手を引かれ、ラニは勢いよく丘を駆け下りた。






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