夜も更けた黒魔道士の村の小さな家の小さな寝室には、小さなベッドが六つ並んでいる。そこに潜り込んだビビの六人の子供達を寝かしつけてやることは、ミコトの日課の一つとなっていた。
夕食時から始まった子供達のおしゃべりは、ミコトが彼らのベッドをまわり、一人ひとりに毛布をかけてやる段になっても終わらない。
「ねえ、ミコト。『ヴィーディー』ってしってる? 明日は『ヴィーディー』って日なんだって」
昼間リンドブルムまで遠出した時に見聞きしたあれこれをミコトに聞かせていた彼らが、ふと思い出したようにミコトに尋ねた。
さあ、知らないわ。
ミコトが答えると、ベッドで横になっていた子供達は左右を見回したり頭だけを持ち上げたりして、嬉しそうに互いに顔を見合わせた。
「今日リンドブルムに遊びに行ったとき、エーコが言ってたんだ」
「もともとはちゃんとした名前があったらしいんだけど、あんまり昔の事で、みんなほんとの名前を忘れちゃったんだって。だから『V.D』って呼ばれてるんだって」
「あのね、それってね、スキな人や大切な人におくりものをして、気持ちを伝える日なんだって。おくりものってね、モノだったり、コトバだったり、たくさんのエガオだったり、大好きとかありがとうとか、そういう気持ちを伝えるものならなんでもいいんだって」
「それってリンドブルムの記念日らしいんだ。ほら、エーコって、一年前の今ごろはマダイン・サリにいただろ? 『そんな日のことしらなかったわ! 今年はおいわいしなくちゃ! だからエーコ、準備でいそがしいの!』 とか言って、せっかく行ったのに、あんまり遊んでくれなくてさあ」
「でね、ジタンとダガーはお祝いするのかなあってみんなで話したり……」
瞳を輝かせて話す子供達を見て、ミコトは小さく溜息をついた。ミコトにしても、彼らの喜ぶ顔を曇らせたくはないのである。
「その『V.D.』のことはよくわかったけど……みんな、今日はもう寝る時間よ」
しかし夜は眠るものであり、年長者の自分は子供達を床に就かせるように努めるものである。話の続きは明日にしましょうと何とか彼らを宥めすかし、ミコトは部屋の灯りを落とす。やんちゃ盛りであっても聞き分けの良い子供達は、部屋を出て行く彼女に声を揃えて挨拶をする。
「おやすみなさい、ミコト」
「おやすみなさい」
ミコトはそっと部屋のドアを閉める。聞きわけだけでなく寝付きも良い子供たちであるから、程なく冒険の場を夢の中へと移すのだろう。
それにしても、ガイアには不思議な習慣があるものね。
自分の部屋へと戻りベッドに入ったミコトは、そんなことを考えていた。時の流れの止まったテラには、記念日などという概念は存在しなかった。気持ち、笑顔、プレゼント。ミコトにとって全てがガイアに来て初めて触れるものばかりである。
この星の生活に順応しつつあるつもりであったが、笑顔までもが贈り物として見なされてしまうなんて、ガイアの感覚はわからないわと改めてミコトは思う。毎日びっくりすることがあるなんて中々スリリングで楽しいじゃないか。彼女の兄ならそう言って笑うのだが。ガイア育ちの彼は、あらゆる面でミコトと違っているのである。
例えば、ミコトは笑うことが苦手だった。
この村の住人や村を訪れるジタン達、ミコトの周りの人達は本当によく笑った。彼らとの生活の中でジェノム達も少しずつ自分の気持ちを表し、笑うことを覚えていった。ミコト自身もジタンや黒魔道士達と一緒にいると、心が軽く、温かくなった。自然に眼と口元が綻ぶ瞬間に気づくこともあった。
ああ、きっとこれが、わらうってことなのね。
しかしミコトは、そこでブレーキをかけてしまう。照れくさいのと素直になれないのと。
本当は、笑いたい。ジタンのように、この村の皆のように。そう思う気持ちは、確かに彼女にもあるというのに。
明日は大切な人に贈り物をして、気持ちを伝える日だという。
自分のことを見守ってくれるジタン達やこの村の住人は、ミコトにとって大切な人々である。
じゃあ明日、私がみんなに笑顔を贈ったとしたら。私のみんなへの気持ちが、少しは伝わる? でも、私は素直に笑えるかしら?
様々な考えが浮かんでは消える。目を閉じても眠れそうになかった。
――『おくりものってコトバだったり、たくさんのエガオだったり』――
――『……と言っておいてくれ』――
何度目かの寝返りを打った時、不意に頭の中に響いた声にあっと小さく呟いて、ミコトはベッドから上半身を起こした。
そうだ。コトバで思い出した。伝えなければいけないことが、彼女にはあったことを。
それはまだミコト達がテラにいた頃のことである。
ブラン・バルの入り口に佇んでいたミコトは、背後から足音を忍ばせて歩いてくる気配に気がついて振り返った。
「クジャなの?」
「見つかってしまったみたいだね。もっとも、ここを通るからには気づかれないほうがおかしいけれど」
ミコトと目が合ったクジャは立ち止まり、開き直ったように髪をかき上げて言った。
「これからブラン・バルの外へ出かけようっていう僕に、行ってらっしゃいくらい言えないのかい?」
クジャは軽く肩をすくめて皮肉っぽく笑う。
普段の彼はミコトを含めたブラン・バルのジェノムに対して、全くの無関心を貫いていた。自分は他の者たちとは違うのだからというのがクジャの口癖であった。僕は特別な使命を与えられた存在なんだ、君達の相手なんかしていられないよと。ミコトが創造されてからというもの、たとえ皮肉にしろ、クジャが彼女と言葉を交わすのは初めてのことだった。
「ガイアへ行くの?」
ブラン・バルの先にあるのはガイアへと続く魂の道である。
「ガーランドの命令ではないでしょう?」
ミコトが問うと、クジャは驚いたように目を見開いた。ミコトには咎めるつもりはない。それをするのはガーランドの役目である。クジャは何度か瞬きしながらミコトを見つめていたがやがて目を伏せ、再びミコトに視線を戻した。
「……だからどうだっていうんだい?」
クジャは大袈裟な仕草で首を振り髪をかき上げて言った。
「僕は選ばれたジェノムだ。僕には僕の意思があるし、力も持ってる。そう、野心の一つや二つ、抱いたっておかしくないくらいのね。そう思わないかい、ミコト?」
「その力だって心だって、ガーランドの意思次第だわ。私たちの魂は彼の目的を達成するためのものでしょう」
「そう。そしてそのガーランド様でさえ、テラ復活という崇高な目的に縛られた、ただの人形ときてる!」
吐き捨てるように叫ぶと、クジャはそのまま俯いて口をつぐんだ。それが私達の使命でしょう、何を迷ったりする必要があるのと、なぜ彼に言わないのだろう。伏せらせたクジャの長い銀色の睫毛を見ているうちに、ミコトにはわからなくなった。
「そうだ、ミコト。ミコトは、いつもここに居るだろう?」
ゆるゆると顔を上げたクジャは、言いながらブラン・バルを包む青い光に向けて右腕を広げて見せた。ミコトも彼にならって視線をあげる。
「ここがお気に入りみたいだね。僕がいつ君を見かけても、たいてい村の入り口にいる。まるで誰かを待ってるみたいだと思っていたんだけれど」
「私は誰も待ってなんかいないわ。ただここにいるだけ。時が満ちるまで、私の役目を果たす時がくるまで……そう、その時を待つだけ」
「僕の役目が終わって、ガーランドがその時を知らせるまでってわけか。ミコトは素直だね。ガーランドを脅かすこともない。そしてガーランドが『あいつ』にご執心な限り、僕にとっても脅威じゃない。だけど僕はもう、自分がただの人形だと思い知らされながら生きるのはご免なんだ」
言いながら、クジャは弱々しく微笑んだ。
「ねえ、ミコト。確かに僕は、自分に代わる存在であるあいつを恐れていたよ。だから僕はあいつをガイアに捨てた。でも逆にそうする事であいつは解放され、僕は囚われる事になったのかもしれないね、もしかしたら逃れることができた運命から」
皮肉なものだね。だけど僕自身の存在理由のために、もう僕は進むしかないんだよ。
クジャは半ば囁くような声で言ってゆっくりと顔を上げると、続けた。
「そうだ、ミコト。もし誰かを待つというのなら、あいつを待っているといい。
あいつなら救ってくれるかもしれない。君のことも他のジェノムのことも、ガーランドのことさえも、もう止まれなくなってしまった僕の代わりに」
ミコトが何か言うよりも早く、クジャは続ける。
「もちろん僕はそれを全力で阻止するけれど、あいつがテラにたどり着くことができたなら、君も彼に会うことになるだろう。その時は彼に……ジタンに『よろしく』といっておいてくれ」
それが、クジャとミコトの間に交わされた最後の言葉だった。自らの手で創造主を葬る時まで、その後クジャがテラに戻ることはない。
「僕のこと、ガーランドに報告しても構わないよ」
クジャは彼の後方、パンデモニアムのある方角を振り返りながら言った。
「私には余分な情報を記憶しておく必要も、それを報告する義務もないわ」
ミコトのほうに向き直ったクジャは口元に手をやり、小さく苦笑する。
「君は優秀なジェノムだね。さすがは僕らの妹だ」
そして、
「……元気で」
すれ違いざまの一瞬だけミコトの頭を撫でたクジャの見せた笑顔は、驚くほどとても、とても優しかった。
黒魔道士の村を取り囲むマグダレンの森のどこかで啼(な)く梟の声が、ミコトの耳に届く。ベッドの上で膝を抱えて座っていたミコトは、ゆっくりと瞳を閉じる。
私があの時のことをガーランドに報告する必要がないって考えたことも確かだわ、とミコトは思う。
自分のすべきことはガーランドから下された命令をこなすことだけだと信じていた、というのもある。
でも、あんなふうに心を震わせていたあなたのことを誰にも言いたくない、そう思ったのも本当なの。
――『「よろしく」と言っておいてくれ』――
明日は「V.D.」。大切な人に贈り物をして、気持ちを伝える日だという。
遅くなってしまったけれど、あなたから彼への言葉、明日、彼に伝えよう。
あの時あなたが見せてくれたみたいな笑顔と一緒に。
そうしてこの村の皆にも、笑って話をしてみよう。
私が皆に感謝してるってこと、大好きだってことが伝わるように。
クジャからの伝言が、ミコトの背中を控えめに押してくれる。
ミコトは目を開ける。ベッドから抜け出し、カーテンを開ける。
窓から差し込む月明かりは、思ったよりもずっと明るい。
部屋の隅に立てかけてある全身鏡の前に立ったミコトは、そこに映る自分に向かって、ためらいがちに笑いかけてみる。
ぎこちない自分の笑顔がおかしくて、ミコトは思わずくすくすと笑い声をたてていた。その声をしんとした部屋に響かせるうち、冷たいはずの冬の空気に触れる体が温かくなってくる。
今はちょっとぎこちないけど、明日にはもっとちゃんと笑える。
目が合ったら、照れくさくて赤くなってしまうかもしれないけれど。
「大丈夫、出来ないことなんてないわよね。だって私は、兄さんたちの妹だもの」
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