01/11/21 up



ゲームの語る戦争





某チャットで聞いた話をなかなか忘れる事が出来ない。


「幻想水滸伝(以下、幻水)」というゲームタイトルがある。コナミが所有する、いわゆる大作RPGのシリーズで、現在までのところPSで1・2が発売され、近くPS2で次作が発売される事が報道されている。


幻水は「水滸伝」という名からもわかるように、モチーフを中国古典の水滸伝に求めている。仲間のキャラクター108人を集めるというコレクションゲームという側面を持ちつつ、国家内・間の争乱と「紋章」を巡る争いを横軸に、それに巻き込まれた人間達のドラマを縦軸としてストーリーを進めていく。


特に特徴とされているのは名前付のキャラだけで130人以上居るにもかかわらずそれを書き分けている事、また2においては女性スタッフを大幅に動員し大量の女性ファンを獲得したという事実である。プレイしての私の印象は「キャラクターの背景とシチュエーションを与えるためのサーキット」であった。


その幻水2の評価の中に「戦争をちゃんと描いている」というものがあるという話を聞いた。


そんな馬鹿な、と一瞬呆けた記憶がある。


確かに幻水2は国家間の争乱を描いた物語である。事実集団戦の戦闘も(システムが稚拙ながら)存在する。だが、それは「戦争を描いている」といえるほどのものではない。


幻水2の本質はむしろ争乱と紋章に挟まれた主要キャラクターの悲劇物語にあり、焦点がキャラクター間の物語に絞られている以上それはヒロイックな物語と評価すべきだろう。そしてヒロイックな物語の対極に位置するのが「戦争(近代以後)」であると私は考える。


では近代以後の戦争の特徴とは何であろうか? ここでは範囲をやや狭め、20c以降の「近代戦」に焦点を当ててみていくこととする。





「近代戦」における特徴を主要な事件に当てはめて考えるならばそれは三つ、「WW1・2」「キューバ危機」「ベトナム・アフガン戦争」であると考える。


WW(世界大戦)の特徴事項は「大量虐殺」が可能となり、「総力戦」が行われた点にある。結果として「兵士」は武器を携帯し使用する「単位」となり、その死は「死」という聖性を剥奪された数字に過ぎなくなる。この「死のナンバリング」こそが近代戦の最大の特徴だと私は考える。


一方WW以後のキューバ危機では攻撃兵器が先鋭化した結果である「戦闘が伴わない戦争」である冷戦を目の前に見せ付けられる事となる。それは外交の手段に過ぎない「戦争」が完全に「政治化」した瞬間でもあった。ここでは「敵が見えない」という近代戦の特徴が象徴的に現れている。


そしてベトナム戦争はナンバリングされるべき死そのものが数えられないような「混沌」をあらわしている。確かなものなど何も見えず、周囲全てが敵であるかのような状況。ここでは自己と世界が極限的に突きつけられている。


以上のように、近代の、そして我々が見ている「戦争」とは自己と「人間」の絶対性が剥奪され、記号に還元される行為と状況を示すと考えられる。故にヒロイズムと「戦争を描く」という行為は対極に位置していると考えれるだろう。何故なら「ヒロイズム」とはある特定のキャラクターの絶対性を前提としている作劇法だからだ。


故に、私は幻想水滸伝2を「戦争を描いた」作品であるという評価に激しく抵抗する。幻水2はあくまで主人公とジョウイという二人の英雄の関係性を主題として描いた作品であるからだ。


では、具体的に「ゲーム」というジャンルにおいて戦争を描いた作品があるだろうか? 数は少ない物の、幾つかあげる事ができる。


一つは「大戦略」に代表されるウォーシミュレーションである。戦争をシミュレートするのだから当然だ、と思われる向きがあるかもしれないが、「被害を数字化する」という点においてこれ以上のフィクションは存在しないと思われる。「大戦略」をやっているユーザーが果たして自分が今潰したトムキャットの乗員について思いをはせる事があるだろうか? 死を無視する……聖性を剥奪するという点においてこれ以上のものはさほど、ない。


幻水のようなストーリーを持つ作品の中では「タクティクスオウガ(以下、TO)」を挙げておこう。TOは主題として民族紛争を取り上げており、そのストーリーテリングの巧みさは今更言うべきことではない。また主人公デニムを中軸とした物語は幻水ほどではないにしてもヒロイズムを持ち合わせている事は否めない。


だが私がここで言いたいのはいわゆる顔無しユニットについてである。


TOは10人対10人の、いわゆる「戦術級」の戦闘スタイルをとっているが、その戦闘ユニットたちは当初キャラクター性を与えられていない「その他大勢」で構成されている。顔グラフィックが同一の物を使用されている彼らはまさに「ナンバリングされた兵士」そのものである。


このゲームでは1戦闘シーンを越して死んだキャラクターはいかなる手段をとっても再生しない。彼らの多くは指揮官たるデニム(=ユーザー)に恨み言を残して死んでいく。そして彼らの死はゲーム内の記録となり、数字として換算されつづけていく。


存在しながら顔がなく、死んで数字しか残さない。それは端的に現代における戦死者を示しているといえる。この確実な重みがTOを傑作たらしめている所以であり、戦争を描いているといえる点であろう。


ゲームというジャンルが無視しつづけてきた「剥奪された聖性」としての死。我々はそろそろそれに気付いても良い頃に来ていると思われる。


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