<世界観>という特質
先月は「動物化するポストモダン」の雑感想を書きながら、90年代におけるヲタクの趣味の変化とそれと連動するポストモダン化(=動物化)についてつらつらと考えた。
モダンからポストモダンへと移行する過程というのは、その中を生きる社会的人の「世界」に対する認識の変化として現れてくる。具体的には国家・民族・社会といった「大きな物語」幻想が解体され個々の「小さな物語(例えば、オウムのような閉鎖社会やヲタクの想像世界)」へと移行する。それがさらにはそういった「物語」の存在すら解体され、DB=「大きな非物語」が形成されるようになる。これが東浩紀のポストモダン化の批評である。
ヲタクは大きな物語の解体によって生み出されたトライブなのだが、「小さな物語」は「世界観」と、「大きな非物語」は「萌え要素」として世代論的に語る事ができる。前者は80年代型のヲタクに、後者は90年代型のヲタクに大きく受け入れられてきた「ヲタク的要素」である。
さて、ところで私は友人から年齢詐称を訴えられるほどにヲタク的要素が旧来のタイプであるらしい。もともとがTRPGのユーザーであったということもあろうが(TRPGにおいて本来重要であったのは「世界観」そのものであった)、80年代の特質としての「世界観」を強く意識しているのは間違いない。逆にいえば「萌え要素」の重要度は「私をヲタクたらしめている」ほどではなく、だからこそ、これに対するこだわりが高かったと思われる。
言うまでも無く、現在は「萌え要素」全盛の時代である。いや、むしろ飽満の時代といったほうが良いかもしれない。12人の妹に代表されるように、萌え要素は既に単一のものでは消費され無いようになってしまっている。そろそろ「世界観」の復活……いや、「世界観」という本来的にデータ処理できるもののDB還元が本格化するときが来ているように思う。
兆候はある。一昨年の冬コミで頒布され、去年の美少女ゲーム市場及び同人業界の話題をさらった「月姫」である。この作品はヴィジュアルノベルの体裁をとる18禁ゲームだが、背後に巨大な「世界観」のDBを保有し、さらに同作家(シナリオ担当の奈須きのこ)製作の他作品にもリンクしている。こういった系統の作品制作はCLAMPなどにも通底する物があるが、「世界観のDB還元」という観点から見たとき、「萌え要素」によって飽和状態にあるヲタク市場に新たな風を巻き起こせるのではないかという期待が持てる。
もっとも「萌え要素」の拡大が、一種ヲタクの劣化によって生じた現象であるということを考えると、これはやや期待が過ぎるのかもしれないが……。同様に萌え要素と世界観をDB化している「ゼノサーガ」がいかなる受容をされるのか、注目したいところである。
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