02/06/08
竜牙兵:さて、皆さんこんばんは。明日のヲタクを考察するカタリスト、竜牙兵です。

みねこ:あ、この人ついに言い切った。こんばんは、アシスタント兼ツッコミ担当のみねこです。

竜牙兵:そんな余分なものを兼任せんでいいって。

みねこ:そうですか? じゃあ改めて。ツッコミ担当のみねこです。

竜牙兵:……おい。

みねこ:まぁ、今までの私の活躍をみていただいているなら、今更説明は不要かとは思いますが。

竜牙兵:……まぁ良い。今回君は出番無しだから。

みねこ:へ?

竜牙兵:今回は萌え語りはあえて除外だ。割と本気で作品批評するつもりだから、邪魔。

みねこ:じゃ、邪魔、邪魔ですか…。それに作品批評って……そう言えば、まだ今回のお題を聞いてませんけど?

竜牙兵:今回の作品は去年発売されたPC18禁のゲーム、「君が望む永遠」だ。この間DCに移植されると言う報道もされたし、まぁタイムリーな話題ではあるだろう。

みねこ:つまり、何ですか? 18禁のゲームを語るために混ぜっ返して欲しくないと。18禁のゲームを語るためには、私は邪魔ですか?(笑顔)

竜牙兵:あ、いや、えと

みねこそうなんですか?(笑顔)

竜牙兵:あの、その

みねこそうなんですね?(笑顔)

竜牙兵:いや、だから…

みねこそして出番を潰されると?(笑顔)

竜牙兵:いや、だからね…

みねこウリィィィィィィィィッ!

竜牙兵うわぁッ! キリモミで飛んでクンなああぁぁぁ……。

ばたん。



カタリストの部屋
「君が望む永遠:共犯性とWA問題」


>作品紹介

あぅぅ〜〜。ごほん。さて、気を取り直していきましょう。まずは今回のテーマとなった作品の紹介から。


「君が望む永遠」は昨年(’01年)の8月に発売されたWIN用の18禁ゲーム、いわゆる美少女ゲームである。ジャンルは下部ウィンドウタイプのヴィジュアルノベル。いわゆるギャルゲーのフォーマットそのままのスタイルを踏襲している。


開発・販売元のageは(私もプレイ後に情報を集めるまで知らなかったのだが)美少女ゲームユーザーの中では「玄人受けするゲーム」を開発するソフトハウスとして固定ファンがついていたらしい。「君が望む永遠」はそんなageの出世作として一躍認知される事となる。


さて、その「君が望む永遠」だが、作品の紹介部分に「多重恋愛シミュレーション」とある通り、二人(以上)の女性の間で揺れ動く主人公とその周囲を描いた物語である。その設定から発売当初「浮気ゲーム」の名で呼ばれたleafの「ホワイトアルバム(以下WA)」への類似性が指摘され、実際にはその「WA」において未消化であった部分を払拭した後継的作品と言える。このことについては後述する。


原画・グラフィック・音楽は平均以上の出来でSE・エフェクトといった演出はヴィジュアルノベルとしてはかなりの凝り様である。また昨今ではボイスつきの美少女ゲームも少なくない(というか、「大作」と目される作品では標準)中で、「声付きである事」の利点を最大限に生かした演出も特記すべきである。


だが、何よりも注目すべきはそのテキスト・シナリオだ。あるときには笑い、あるときには唸り、あるときには悲しみと苦悩を味合わせる。この巧みな演出とテキストによって感情を左右させる力は驚嘆すべきものがある。


では、何故ユーザー達はこの物語にこれほどまでに感情を揺さぶられるのだろうか? そのことをひとまず、考えてみよう。



>「WA問題」

「WA問題」とは何か? 詳しくはヲタク系テキストサイト「TINAMIX」を参照してもらうとして、簡単に説明しておこう。


「WA」が提出した、優れた問題意識。それは当時「純愛ゲーム」が主流となりつつあった(そして何よりそのムーブメントを作ったのはleafの「To Heart」なのだが)美少女ゲーム市場において、主人公の立ち位置を「恋人がいる青年」に置き、恋人の選択を突きつける「恋愛の辛さ」を前面に押し出した点である。


だが、これには大きな問題点があった。ビジュアルノベルであり、なおかつEDを迎えるにあたって「一人の女性を選択する」というこのジャンルのフォーマットに則ったがゆえに、「恋人」もその他大勢の女性たちと同列の「ヒロイン」として扱われかねないのである。何よりこの恋人は多忙で主人公とまま会えない為、余計に他の女性たちとの同列化が進む。また、ヒロインが選択式であり、かつ彼女達が「属性少女」として設計されているため、ユーザー個々の萌え属性と合致しているヒロインを「メインヒロイン」として捉える傾向が強い。結果、恋人はそれら他のヒロインの引き立て役と化す事が少なくないのである。


すなわち、「WA」は恋人が「恋人」として機能しておらず、また「恋人」は(萌え)要素としても機能しない(あるいはし辛い)事が判明した。


これらの点を、いわば同じ素材を料理する事となったageスタッフはあることに力点を置く事によって、物語内に「恋人」のリアリティを確保する事に成功した。それは「時間」と「経験」の共有である。


「恋人」は萌え属性足り得ない。何故なら、「恋人」を「恋人」足らしめている要素を共有化するだけの基盤(DBといっても良い)がユーザー側にないからである。そしていみじくも作品内で語られているように、絆とは思い出の共有によって形成されるもの。すなわち、「恋人」という存在を内面化させる手段は、「時間」の共有とその「経験」による以外にない。


「君が望む永遠」はこのことを念頭に置き、思い切った手段をとった。作品を二部構成とし、一部を丸ごと恋人と出会い、結ばれ、行為を行うまでの過程(経験)を丹念に、また大量のテキスト量を背景とした時間を使って描いたのである。これにより、作品内及びユーザーに確固たる「恋人」のリアリティを与える事に成功している。


「恋人」を、あるいは同時に想っている人を振ることにより感じる精神的苦痛「恋の辛さ」、それを感じさせるにはユーザーに「恋人」のリアリティを与えるより他ない。では、どうやってそのリアリティを作り出すのか? 「WA」が立ち向かい、そして挫折したこの問題に対し、「君が望む永遠」は明快な回答を返したのである。



* 警告
以下のテキストは普段以上にネタバレが激しいため、そのことに留意する事。


>「ダブルバインド」そして「共犯化」

以上のように、「君が望む永遠」ではユーザーに「経験」を積ませる事により、メインヒロインの一人、「涼宮遙」を恋人化する事にある程度成功している。個々で物語は第二部に移行、やむをえない事情から彼女との断絶から三年、主人公がもう一人のメインヒロイン「速瀬水月」と恋人同士として生活をしているところから始まる。


彼女らヒロイン個々のシナリオ批評は下記するとして、ここで重要なのは変則的ではあるが、主人公が二人の恋人を同時に持ったという点である。上記の通り既に「涼宮遙」はユーザー内で恋人化しており、「速瀬水月」に関しては二部の前半から中盤を通して経験と時間の共有を持って恋人化を進行する。水月に関してはやや時間共有が短かったのではないかという意見も少なからず耳にするが、二人の「恋人」を同時に持つというシナリオ上の重点を崩すほどではないと考える。


この「恋人が二人いる」という設定に強い興味をそそられる。基本的には純愛路線の、いや非鬼畜路線を通すために主人公の設定を「ギャルゲー主人公」で設計されている。そのため、この設定を通すために、シナリオ上でかなり無理をしているのは一目瞭然である。それを補って余りあるのが、この「恋人が二人いる」事によるメリットである。


まず、これにより、恋人(シナリオ上のヒロイン)が選択式になる。基本的には両者とも「属性少女」として設計されているので、ユーザーが持つ萌え要素と合致する方を選ぶことが可能となる。すなわち、「恋人」とユーザーの「メインヒロイン」の合致の幅が広がる事となる。


なおかつ、両者ともユーザーとの時間共有をした「恋人」であるので、作品のテーマそのものでもある「恋の辛さ」を演出するのは可能である。これがWA問題に対するもう一つの解答と言える。


だが、ここで一つの疑問を持つ。確かに時間共有によって「恋人のリアリティ」を与える事は可能だろう。だが、それによって「恋の辛さ」を作品から経験する事は可能なのだろうか、と。


私はこのゲームのプレイからそれは可能だと考える。そしてこれを証明するためのキーワードとして「共犯化」という概念を提唱したい。


ゲームとは本質的にインタラクティブ性(双方向性)を有した娯楽である。SLG・ADV・RPGなど、世界を体験する方のゲームにおいて使用されるカーソル(主人公、ユニットなど)をPCと仮に呼ぶが、これらはゲーム内においてユーザーの分身として機能する。これら本来的にユーザー=PCという等式を求め、結果PC個体の「個性」は必要とされない。


他方、現在、ギャルゲー・美少女ゲーでもっとも頻繁に使用されるジャンル形態であるヴィジュアルノベル(VN)はどうか。基本的にVNはADVの子孫にあたるのだが、その特徴はいうまでもなく、選択肢の大幅な制限と多量のテキストによるシナリオ進行にある。VNはもちろん小説ではないのだが、その技法の一部である「主人公性」を持った作品が黎明期から少なくなく、作品の語り手たるPCに強い個性が与えられている事が少なくない。結果、世界を体験する方のゲームに重要な「相等性(ユーザー=PCという等式)」が低くなりがちである。


これを補うのが主人公とユーザーの意思や完成、感情などが重なる事によって成立する「共感性」である。ゲームは基本的にユーザーの幻想願望を肯定する形で成立しているので、主人公がユーザーの求める行為を行う事によって(あるいはユーザーの求める行為を促す事で)「共感性」の高いPCを作り出すことが可能である。Leaf初期作品群の柏木耕一(痕)や藤田浩之(To Heart)などはその好例である。


逆にPCがユーザーの意思に沿わない行動をとる作品では「共感性」が著しく低くなる。「君が望む永遠」の批判点に「主人公(の意思・行動など)がヘタレだ」というものがあるが、これはこの「共感性」の低さに由来すると考えられる。


だが、この「主人公のヘタレさ」を主人公のキャラクター設定だけに還元できない理由が「ヴジュアルノベル」というジャンルには存在する。それはある選択肢(それが「ヘタレ」だと評価されるようなものならなお)が「EDへと至る為に必要な場合」である。このときユーザーの多くは否応なく「望まぬ選択」を選ばざるをえない(無論、選択肢を放棄する=ゲームをやらないという選択肢は常に提示されているのだが)。


この「望まぬ選択」がどういった経緯で選ばれたにせよ、それは最終的にはユーザーの選択責任として降りかかってくる。故に、このときユーザーとPCとの間には意思の方向の違いはどうあれ、行動そのものは一致する。この状態による相当関係を「共犯性」と呼ぶ事とする。


共犯性を持った選択はユーザー側に一定でのエクスキューズを与えるものの、最終的な責任はユーザーが持たざるをえない。そしてそのことがユーザーに対する精神的な枷となり、共感性を経由せずに作品の感情操作に直接リンクする事となる。共犯性はある意味において、ユーザー自身を直接作品に参加させる事を求めるのである。


以上のように、「共犯性」に裏打ちされた演出はときにPCを介さずにユーザーとゲームをつなげる。この結果、ゲームはそのままユーザーの「経験」として蓄積される。ある意味シミュレーターとしての機能を「君が望む永遠」は与えるのではないかと仮定できるだろう。



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