- 591 名前:1/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:36 ID:s5wf6hxG
>>533 ほれ。こんなのではどうだ?
「あ、おはよう。ちょっと待っててな。もうすぐご飯にするから」
僕は起きてきた妹に精一杯の笑顔で朝の挨拶をする。
「……いらない。食べたくない」
だけど妹は、ちゃぶ台の上に並べられた料理を一瞥しただけで、部屋を出て行こうとする。
「でもさ。朝はちゃんと食べないと、一日もたないぞ。ちょっとで良いから食べろよ」
そう言うと、妹はようやく僕に目を向けてくれた。
にらんでいるわけじゃない。いや、にらんでくれた方がどれだけいいか。
妹の目は、どこか生気のない濁った目だ。昨日、近所のスーパーで見た魚の目に似ていることに
僕はゾッとする。
でも、それでも僕は微笑み続ける。だって、それが僕の誓いなんだから。
「ほら。ちょっとだけでいいからさ」
妹はため息をつくと、ちゃぶ台へ足を向けてくれた。
それだけで、僕はうれしくなる。
だって、妹が僕の朝食を食べてくれるのは、ずいぶんと久しぶりのことなんだから。最後に食べてく
れたのが、いつだったか覚えてない。1年より前なのは確実だ。それ以来、僕はいつも一人で朝食を
摂っている。妹が食べてくれない分をひとりで食べる。たとえ、食べてくれないとわかっていても、妹の
分も必ず作ることにしているので、毎日ふたり分の朝食を食べることになる。もともと同年代の男と比
べると小食な僕にとっては、それはかなりつらいことだ。
だが、それも妹が食べてくれないことに比べたら、ささいなこと。
だから、こうして妹が朝食を食べてくれようとしてくれることが、とてもうれしくてたまらない。
僕はうれしくてうれしくて、今日は目玉焼きをいつもよりひとつ多く焼くことにした。
「すぐ焼けるか……」
振り返った僕の前で、妹は立ったままちゃぶ台の上にあるご飯茶碗に盛られたご飯をひとつまみ取
ると、口に放り込む。
「これで満足でしょ? あたし、もう学校行くから」
- 592 名前:2/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:36 ID:s5wf6hxG
呆然とする僕の前を妹が通り過ぎる。
ようやく僕が我に帰ったのは、妹が玄関のドアを開けたときだった。
「あっ。い、いってらっしゃい!」
僕は明るい声で妹を送り出す。妹が返事をくれなくても、振り返ってくれなくても、僕は毎朝妹を送り
出す。たとえ妹にとっては、意味のない街の喧騒と同じなのかもしれないが、それでも明るく元気な声
で妹を送り出すのが兄の務めだ。
でも、やっぱり寂しくないと言えば嘘になる。
「はぁ。うまくいかないなぁ……」
ため息をもらす僕の鼻を異臭がつく。
「え? あ、うわ!! あちゃ、やっちゃった……」
フライパンの中で、真っ黒焦げになった三つの目玉が、恨めしそうに僕をにらみつけていた。
僕の妹は、笑わない。
僕ばかりではなく、友達と会話しているときも、テレビで必死にお客さんを笑わそうとするコメディアン
を見ているときも、妹は笑わない。ちょっとでも口許を緩ませることすらしない。
僕の妹は、泣かない。
どんな怪我をしても、知り合いに訃報があっても、妹は泣かない。眉をしかめることすらしない。
いつから、妹が笑うことも泣くこともしなくなったんだろう?
僕の古い記憶の中では、妹はとても笑い、とても泣く女の子だった。楽しいことがあれば、見ている
だけでこっちが楽しくなる笑顔を見せてくれた。悲しいことがあれば、何をしてでもその涙を止めたくな
るぐらい悲しい泣き顔になった。
でも、今はもう妹はそんな感情を出すことはない。
それは、父さんと母さんが一緒に事故で亡くなったときからだろうか? それとも、僕たちが親戚中を
たらい回しにされたとき? それとも、両親の事故に思わぬ多額の賠償金が出ることが決まったとたん、
目の色を変えた親戚たちが押しかけたとき? それとも、僕たちを助けてくれたボランティアのお姉さん
が死んだとき?
- 593 名前:3/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:37 ID:s5wf6hxG
その、どれでもなく、どれでもあるんだろう。
そのひとつひとつが妹から少しずつ少しずつ何かを削り取ったんだと思う。
だから僕は削り取られた何かを取り戻そうと必死にやってきた。でも、それが成功したことは一度も
ない。かえって削り取られた傷痕を見せ付けられる結果になるだけ。
それでも僕はあきらめない。
だって、たったふたりっきりの兄妹なんだから。
僕はいつも教室で、ひとり弁当を食べる。
机を並べて弁当を食べるほど親しい友人はいない。なぜなら、僕は毎日学校が終わるとすぐにアル
バイトをやっているからだ。それもひとつやふたつではない。日によって違うが、最低3つは掛け持ちし
ている。もちろん、小遣い稼ぎとかじゃない。すべて生活をするためのものだ。
こんな遊ぶ時間も金もない奴じゃ、友達になろうというのが無理というものだ。
だから僕には友達がいない。仲良く話す相手はいても、友達といえるほど親密ではないだろう。
でも、僕に元気がないのは、それが理由じゃない。
僕に元気がないのは、妹のためだ。
今日もいつものようにお弁当を作って、妹の教室に届けに行った。朝食は食べてくれない妹も、お
弁当だけはいつも面倒くさそうにだが受け取ってくれる。さすがに妹もまったく食べなくては生きては
いけないし、お昼を買うだけのお金の余裕もないから受け取っているだけなんだろうけど、僕にとって
は数少ない妹との触れ合いだ。
でも、今日いつものようにお弁当を届けに行ったら、どういうわけか妹の姿はなかった。
しかたなくお弁当を近くにいたクラスメイトの女の子に預けてきたが、ちゃんと受け取って食べたの
か、とても心配だ。
そんなこともあって、午後の授業にはまったく身が入らなかった。
先生に問題を当てられても、何を質問されたかわからず、大恥を書いてしまった。先生も、僕の特
殊な家庭の事情を知っているせいで強くは注意されなかったけど、かえってそれが辛い。なんだか、
僕だけ特別扱いされているようでクラスメイトたちにも申し訳なかった。
- 595 名前:4/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:40 ID:s5wf6hxG
僕は帰りのHRが終わると急いで妹の教室に向かった。たとえ、邪険に扱われようがかまわない。
一刻でも早く、妹の姿が見たかった。
でも、僕が妹の教室に着いたときには、すでに帰りのHRは終わっていた。それでも妹の姿を探して
教室内を覗いていると、見知らぬ女の子に声をかけられた。
「あの……妹さんを探しているんですか?」
「あ、うん。ちょっと用があって……」
えっと。どこかで会った気がする女の子だ。
「教室にはいませんよ。あの、午後は授業にもこなくって……」
女の子は、全然悪くもないのに、なんだかとてもすまなさそうに言う。
「そうなんだ。わざわざありがとう」
僕は女の子に笑顔でお礼を言うけど、内心では言い知れようのない想いが渦巻いていた。
確かに妹は協調性のない奴だけど、これまで授業をさぼるようなことはなかったはずだ。それに、僕
も妹も特別奨学生として学校に来ているので、無断欠席は他の人より大きなペナルティとなる。下手
をすれば奨学金を打ち切られ、退学しなければならなくなる。
男の僕が退学になる分はいい。その気になれば道路工事の土砂運びでも何でも仕事は見つかる。
でも、女の子の場合は学歴がないまともな仕事を探すだけでも大変だ。そりゃ、女の子には最後の
手段はある。だけど、そんな仕事にだけは就かせたくない。両親から妹を任された兄としては、とても
じゃないがそれは許されないことだ。
「そ、それと、これ。ごめんなさい、渡せなくて……」
そう言って女の子が差し出したのは、僕が妹につくったお弁当。
ああ、これを預けた女の子だったんだ。だから何となく見覚えがあったんだな、と納得する。
「こっちこそ、ごめん。あと、ありがとう」
僕はお弁当を受け取り、妹を探しに行くためきびすを返そうとしたとき、女の子が声をかけた。
「あの、お兄さん。へ、変なことを言うようなんですけど……」
- 596 名前:5/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:41 ID:s5wf6hxG
女の子はずいぶんと迷ってから、おずおずと口を開いた。
「あの、最近なんですけど、その……菊池さんと付き合っているみたいなんです」
女の子は、誰がとは言わなかったけど、今の会話の流れでは、それが妹でないわけはない。
その内容に、僕はとてつもない衝撃を受けた。
菊池は学校ではある意味有名な生徒だ。いわゆる不良と呼ばれる奴だけど、あいつの場合は父親
が都議会議員の偉い人で、菊池が問題を起こしてもすぐに問題をもみ消されてしまうという噂があっ
た。
あいつに妊娠させられた女の子が堕胎させられ転校したとか、下級生が自殺未遂まで追い込まれ
たのに、学校では菊池に話を聞こうとすらしなかったとか、僕の耳にもいくつもの話が飛び込んでくる。
そんな奴と妹が付き合っているという話は、まさに青天の霹靂という奴だった。
僕はその女の子にお礼を言うのもそこそこに駆け出していた。
とにかく、妹に会いたい。会って何でもいいから話をしたい。その想いが僕の脚を急き立てていた。
アルバイトの時間ギリギリまで校内を探したけど妹の姿は見つけることはできなかった。
それで、しかたなくアルバイトに行ったのだが、そこでも失敗の連続。僕のことを買ってくれている店
長もしだいに渋い顔になってくるのを隠せないようだった。
皿洗いで連続3枚割ったときには、さすがに我慢の限界だったんだろう。「今夜はもうあがれ」と半ば
追い出されるようにして仕事を終わらされたのだ。
店長には申し訳なかったけど、今日ばかりは早く上がれることに感謝した。
とにかく、家に帰れば妹の顔が見れる。それだけが唯一僕の心の安定をつなぎとめていたのだから。
でも、僕が家に帰りついたときには、その一筋の希望も打ち砕かれた。
狭いアパートの部屋の中には、妹の姿はなかった。
ガチャとドアのノブが回ったのは、すでに時計の短針が3時を回ったときだった。
僕は居間のちゃぶ台にうつぶせになって、うたた寝をしていたが、すぐに目を覚まして玄関に行く。
- 597 名前:6/6[sage] 投稿日:04/03/29 01:42 ID:s5wf6hxG
どうしてこんな夜遅くになったのかとか、菊池と本当に付き合っているのかとか、いろいろ訊こうと思っ
てたんだけど、妹が帰ってくれたとたん、そんなことどうでも良くなっていた。
妹が無事だった。それだけで僕は満足なんだから。
だから、できるだけ明るく、でも深夜なので小さい声で妹を出迎える。
「お帰り。遅かっ……!」
帰ってきた妹の姿に、僕は絶句する。
兄の僕が見てもドキッとするぐらいきれいな顔は殴られたような痣ができ、母さんゆずりの塗れたよ
うな黒髪は乱れてゴミが巻きついている。服は胸元から引き裂かれ、それを何とか手で押さえてつな
ぎとめているような状態だった。
「な、なにがあったんだ!? いったい、どうして!?」
おそらく、僕の顔は真っ青になっていたと思う。もう、頭がめちゃくちゃになって、何をどうして良いか
わからない。とにかく、目の前の妹の姿が信じられなかった。
「まだ起きてたんだ。寝てればよかったのに……」
妹の声は、いつもと変わらぬ平坦な口調だった。それが僕にはたまらなく辛い。
「そんなことより、一体何があったんだ? お兄ちゃんに言ってくれ!」
「……肩、痛いんだけど」
僕は無意識に掴んでいた妹の肩から、手をあわててはずす。
「邪魔だからどいてくれない? あなたには関係ないことだから」
まるで道端の石ころでも見るような視線に押され、僕は妹に道をあける。
妹は何事もなかったかのように僕の目の前を横切ると、そのまま浴室へと入っていった。それから
間もなくシャワーの立てる音を聞きながら、僕はいまだに玄関の前から動けずにいた。
なぜなら僕は天地がひっくり返ったような衝撃に我を忘れていたのだ。
それは妹が僕の前を横切ったときに、かすかに嗅いだ臭いのせい。
僕が妹がいないときを見計らってする、いけない行為の後に良く嗅ぐ臭い。
それは出されたばかりの精液の臭いだった。