星型のハートを探せ。



「九里子うぉらあー!!」
「うぎゃー!!?」
突然襲い掛かってきたのは小田原だった。背後から奇襲されて九里子は太刀打ちできない。
「なっ、な、なんすかー!!小田原さんじゃないですカー!!」
「久しぶり。久しぶりなもんだから、出会いがしらに手持ちの国語辞典で殴りかかってしまったようね」
「あなた、久しぶりの知り合い全員にそういうことするんですか!?しかも他人事のように!」
「ま、ま。落ち着いて、クールダウンして。最近ヒマだったから、こりゃー面白いものを見付けただなんて三ミリも思ってないから」
「早速口外しておられる!」
これっぽっちも!と指で三ミリ作ってみせる小田原に、九里子はヘナヘナと地面に倒れ込む。いやな展開だわー。
「ところで手持ちの国語辞典って・・・・なんでそのようなものを持ち歩いてるんですか?」
「あ、そういえばアンタ、先端恐怖症だったわね。うりゃ」
「ひい!カドを向けないで下さいっ」
九里子も弱い。道端で国語辞典のカドを向けられて頭を抱えるキツネ。見るからに非日常だ。
「ここ学校じゃないですよ?そんなかさばるもの・・・・」
「これがダメならイミダスもあるわよ」
「imidas!!今年は全国市町村合併日本地図も付録で!」
そんなお得な物を見せ付けられては堪らない。しかし道端で見るとは思わなかった。百科事典を。別の意味でへたばる九里子を前に小田原は誇らしげに語る。
「これくらい持ってたって不思議じゃない。何せ私は辞書部ですから」
「それ事典・・・・学校にそんな部活動があるんですか?」
「あったらいいなって思って、今のところ私ともう一人の二人だけの同好会」
「なんすかそれー」
名前の割に中身がなさそうな同好会だ。今さら辞書の何を語ると?足達が言っていた「別の部活」とゆーのはこのことか。違う気もするが。
「今から帰るとこですか?私も今ちょうど終わったところなんですよ」
「終わったって仕事が?」
「ええ、まあ。お気付きの通り失敗しちゃったってゆーか役に立たなかったとゆーか、ええまあ、そんなところですよっ」
「そこまで卑屈にならんでも・・・・なんにも言ってないでしょが、元気出せ」
そのまま地面に泣き伏す九里子。小田原もそうじゃないかと心で思っていたが、とりあえず慰めた。
「泣くなって。確かにこれから帰るとこだけど、ちょっと寄る所があってさ」
「はあ。寄り道ですか」
制服のポケットから何か出してくる小田原、九里子は手元を覗き込む。
「これなんですか?お手紙ですか」
「封筒に入ってる・・・・まだ見てないのよ、中を」
小田原はセロハンテープの封を切って中身を取り出す。不自然な物言いに九里子が眉をひそめる。
「見てないって、小田原さんのじゃないんですか?ダメですよ誰かの勝手に持ってきたら」
「ええーいうるさい。盗んできたんじゃないわい。さっき校門のところでもらった。見知らぬ男に押し付けられたんだわ」
「ええ!それはもしや、ラブレターとかゆーヤツでわ!」
「いや、これがそう見えるか・・・・?」
「いや、見えませんね・・・・」
封筒は真っ黒だった。しかも中から出てきた便箋も真っ黒で、誰かに何かを伝えようとするには悪意しか見えてこないシロモノ。差出人もこんなもので何か伝わると思うな。
「何が書いてあるんでしょうか・・・・」
「差出人の名前も書いてないな」
まずは封筒を引っ繰り返して見るが、外側は真っ白だ。いや、真っ黒だ。
「ブラックメールですよ、怖くて見れませんね」
「意味は間違ってないと思うが・・・・いいや、こんなものが怖くて女子高生やってられるか!オープン!!」 バリーン!!
「潔い!!」
小田原は四つ折りの便箋を勢い良く開くが、上記の擬音に見合ってない。破れる破れる。女子高生も関係ない。極めて普通に開いた。
「うわあ、これ黒い便箋にチョークで書いてあるぞ」
「白墨ですね。しかも大雑把に書いてあるから読みづらい・・・・」
いきなりドン引く二人。こんな手紙、もらったこともないし見たこともない。
「しかも一枚だけだと思ったらなんと五枚も入ってる!!」
「思いの丈をぶつけてきたって感じですね。熱意だけは伝わってきますね」
「えーと、なんとやら。前略、突然のお手紙驚いたことでしょう。驚いたっていうか引いたわ。なになに、星型のハートを探して下さい・・・・だと」
「星型の?どーゆー意味ですかね」
考える九里子。ハートはハート型の記号であって、星型じゃない。いきなり矛盾だらけの記述。
「どーゆーことだと思う?」
「あっ、分かりました!ハートはハートでも、きっと心臓の意味ですよ」
「いやあ、そりゃちょっとムリがあるわ。星型のハートも見たことないけど星型の心臓はましてや。こいつもどいつもあんたも頭悪い!」
「いきなりの罵り!!だって、そうでも考えないと辻褄が合わないじゃないですか~」
「うーん、悩むわ」

小田原と九里子が道端で突っ立ったまま悩んでいる、その頃。

(フフフ、目を付けた女子高生に謎の文書で難題を押し付けるのがシュミな三十五歳の会社員。悩んでいるようだな名も知らぬ女子高生!と、通りすがりのもう一人よ。悩め、悩むがいい!その苦悩する姿を見せてくれ!!)
その頃、少し離れた電柱の物陰で二人の悩む姿を見ている三十五歳会社員がいた。人はそれを変態と呼ぶしか他ない。怪しすぎる。
そんなことも露知らず、小田原と九里子は問答を繰り広げている。
「それ、どんな人にもらったのか覚えてないんですか~?」
「うーむ。どんな人と言われても・・・・急に出てきてパッと消えたから、じっくり見ているヒマはなかったのよね」
「パッと見、特徴なんかは?」
怪文書よりもまず先にそっちが気になる。怪しい男の思惑通り、小田原は悩んだ。
「うーん、難しいなあ」
校門を出たところでパッと出てきた、見た目普通の男の特徴を思い出してみる。あまりにも素早い出没だったので呆気に取られていたのだ。
「そうね・・・・黒いサングラスをかけていて、レイバンね、古いわね。シャツはマスカットで三枚5,900円、ネクタイはいかにも独身者といったデザイン。靴は合皮製の安物、ありゃしばらく磨いてないようだったけど、あの赤泥を見る限りは三丁目の集合住宅街から出てきたようね。三十五歳前後のパッと見普通の会社員!!あらかた犯人は特定できる・・・・」
「すごーい!そこまで分かっちゃうんですか?」
「私の観察眼を見くびるニャー!!これくらいしか分からなかったんだけど」
(当たっている・・・・!!)
謎の男、三十五歳パッと見普通の会社員は心の中で言葉に詰まった。なぜ一瞬でそこまで見分けられるのか。
「そうなるとスーツの男ですか。うーむ、たくさんいますよ」
「スーツというか、ズボンははいていなかったような・・・・」
「えー!!?それって普通に変態じゃないですか!?気持ち悪い!」
「急に春めいてきて、おかしいヤツらが出てきたってことよ。アンタも気を付けなさいよ」
(いや!!はいてるからズボンも!!)
いきなり言い掛かりを付けられて焦る会社員。慌てて自分を見るが、やっぱりちゃんとスラックスははいている。マスカットで揃えてる。
真面目な顔で言ってのける足達の冗談を真に受け、九里子も慌て始める。
「そんなへんな人だったらすぐ見付かりますよ!成敗しましょう」
そう言って後ろ手から相棒のベレッタを取り出す。いきなり大変な展開になった。不法所持。もっと慌てるヤツが背後にいる。
(そこまでされるのか!?いや、モデルガンモデルガン、あれはニセモノ)
九里子の出してきた銃にびびるが、落ち着いて自分に言い聞かせる。そんなモノホンが出てくるワケがない。
「やめやめー。こんな目に付くところで物騒な」
しかし足達がすぐにそれを取り上げてしまった。こっちは割と冷静だ。
「あー返して下さい~」
「M92Fの9ミリ弾。弱いわよ、四十口径で一発仕留めなさいよ」
「支給がこれなんですよ~。あの、怖いからいじらないで下さいね・・・・」
(そこか!!なぜ女子高生が!?)
会社員はおののいた。弱かろうがなんだろうが、撃たれたら怖い。こんな犯行に見合わない報復をされては堪らない。死んでしまう。電柱の影でひっそり青ざめる。
「ちゃんと返すから。いやー、この前ドキュメンタリーで見た知識がこんなとこで役立つとわ」
「どんなテレビ見たんですか」
「しかし、こんなの持ってたってうちの教師にもやられるよーなヤツがいっちょまえに武装してんじゃねー!!」
「ギャー!!イミダスのカドがー!」
イミダスの方が強かった。九里子は耳を伏せて地面に倒れ込む。
「と、ともかく星型のハートが謎じゃないですか。その三十五歳独身会社員はなんの意図があって小田原さんに?」
小田原がイミダスをしまったのを見計らって復活する。この際ムシしてもいいけれど、あんまりにも気味が悪い。
「謎が謎しか呼ばない展開。こうなったら私の腕前でなんとかするしかないわね」
「腕前ですか。何を?」
「思い立ったら即実効。よっしゃ、ついてこい九里子!!」
「ええ、どこに行くんですかァ~」
来た道を逆戻りに走る小田原。つまり学校に向かっているとゆーこと。会社員は慌てた。
(待ちたまえ女子高生!!その二枚目から五枚目までちゃんと読め!今日びの若者はなんて早とちりなんだ!)
若者とゆーか、小田原が早トチっているだけである。いきなり走り出した小田原を追い、九里子も急いで走り出す。なんだか妙なことに巻き込まれた。


「結局学校に来ちゃいましたケド・・・・ここどこなんですか?」
半ば強引に校内へと連れ込まれた九里子は辺りを見回す。普通の教室と違ってなんだか異様な感じがする。大きな机の横にはシンクと水道、壁付けで棚がいくつも並んでいるし、薬の匂いが鼻をつく。
「化学室兼、生物学室よ」
「へー、教科ごとに教室があるんですね」
「フフフ、ここでいろんな実験をするのさ・・・・解剖や人体実験とかなー!!」
「末恐ろしい!!そ、そんなところに連れ込んで何をする気ですかー!?私は何かされますか!?」
「そう言えばキツネの解剖はやったことがない。腹開かせろー!!」
「厳密に言うとキツネじゃありませんよ~!!」
どこからかスポイトを取り出してくる小田原。スポイトで何をする気だ。九里子もまたぞろ冗談を真に受けて壁際まで後ずさる。
(マニアックだな、女子高生よ!!)
謎の会社員も続いて校内に入り込んでいた。普通に不法侵入。二人は未だ気付いていない。
「冗談はここまでにしておいて、」
「冗談に見えませんでしたけど・・・・」
「ここにはいいものがあるのよ」
小田原は隣の準備室に入っていくと、何やら運び出してきた。勝手に持ち出していいのか?九里子は呟いた。
「骨格標本・・・・」
「いや、こういうのは肉体標本・・・・と呼ぶのか知らないけれど、肉付きがあるから厳密に言うと骨格標本とは言わないのかもしれない」
どうでもいい会話。小田原が持ってきたのは授業で使う人形だった。材質のよく分からない表面には髪の毛が塗られ、ガラスの眼球がはまっていて、唇はやけに赤い。美形とは言えないがそれなりに見られる普通の顔立ち。
サイズは人より少し小さいが、人間としての要点はしっかり押さえている。・・・・のが余計に怖い。なぜか表情は微笑んでいる・・・・むしろニヤッと笑っている。準備室の暗闇で見たら確実に逃げたい。いくら人形と分かっていても追っ掛けられそうな気がしてくる。そういう怪談で。
「じゃじゃーん。実はこの人、お腹が開くのよ」
「ヒイ!!五臓六腑!!怖いから開けないで下さいー!」
脇腹の留め金を外してカパッと開いて見せる。開腹。骨がなくてそのまま心臓やら胃やら大腸小腸が丸見えだ。大胆にも程がある。
机の陰に隠れる九里子に溜め息を吐き、小田原はやれやれと首を振った。
「開けなくてどーするのよ。これからこの人の心臓を借りるんだから」
「な、そんな。死人にムチ打つよーなマネを」
「よく分かったわね。実はこの標本、死体を基にして作られたものなのよ・・・・」
「学校の怪談!!かわいそうですよその人!今からでもお墓に埋めてあげた方が人道的ですよ!人間怖い!!」
「うそうそ。作り物だから。アンタもいちいち怖がるな!」
怖がらせている張本人が言うことではない。九里子は恐る恐る這い出し、肉体標本に近付く。
「うう、やっぱり怖いです。なんかこっち見てる気がする・・・・」
「一流の画家はモデルの視線を多角方向に描くと言う・・・・そう見られているのは気のせいじゃない。魂がこもっている!!」
「ゴーストが宿っていますか!?」
いちいち怖がらせる小田原に乗せられる九里子。いい加減先に進んだ方がいい。
「で、その人の心臓をどうする気ですか?」
「この心臓を使って・・・・」
「使って・・・・」
「星型の心臓を作る」
「制作するんですか!?なんか罰当たりな!」
確かに標本は生き物じゃないけれど、なんだか生理的に受け付けないものがある。学校の備品はともかく、小田原の意図にはものすごい致命的な欠陥がありそうだ。そんな作品、誰も見たくない。
「これでめでたく星型のハートの出来上がりって寸法よ・・・・」
「むむ、まったく意趣の見えてこないものが出来上がりそう・・・・!!」
(そういう意味じゃない!!なんて短絡的な女子校生だ!)
「この紙粘土と石膏を使って肉付けして、赤く塗りゃそれらしく星型に見えるんじゃない?」
「その道具はどこから・・・・それにしてはトゲトゲして痛そうですね」
「これを使って心臓がハート型などと思っている純真な小学生を改心させてやるぜ!!」
「ひどい!夢をブチ壊すんですか!?そっ、それだけはァ!!」
「うるせー、早速制作してやる」
「刺さりそう!!」
止めようとする九里子を押しのけ早速取り掛かる小田原。そういうことは、美術室でやった方が。中身と製作意図が少々厄介だが。
(なんという豪快な女子高生!!あんな手口、初めて見る!)
会社員も戸の陰でびっくりする。あんな手口、他の人間も使っていたら怖い。
(単に悩んで悶える姿を眺めて楽しもうとゆー目的なのに、あんなに必死になって・・・・)
別に必死になってない。単に面白がっているだけだ。期待はずれもいいとこ。
小田原は紙粘土をちぎり、模型の心臓を作り変えていく。その上から練った石膏をヘラで固める。明らかに先端が尖っている。星型はそんなにトゲトゲしくない。もっとファンシーだろう。
「私は見てるだけですか~。ヒマだから手紙の続きを読んでます」
「おう、ギャラリーは引っ込んでろ。で、続きはなんて書いてある?」
「うーん、字が大きい上に大雑把ですから・・・・なかなか読めませんね」
小田原は紙粘土のこびりついた手で九里子の肩を叩いた。
「九里子、字の読み書き教えようか・・・・?」
「なっ、哀れみの目で!?読めますよ!読み書きくらいできますよ!!そろばんはちょっとあやしいですけど・・・・」
「ソロバンと来たか!!あっはっはっは、こりゃいーや」
「笑わなくてもいいじゃないですかー!」
しかし算盤とは。時代錯誤もいいとこだ。電卓もある頃に、それでも自分の頭で計算くらいできないのもおかしい。小田原はどこに笑いを絞っていいのか分からなかった。
「読めますからちゃんと。えーと、なになに」
黒い便箋に書かれたチョークの文字を読む九里子。九里子でなくてもこれは読みづらい。
「・・・・中略、人の心とはまったくもって不可解であります。不可解で矛盾だらけの時もあるでしょう。私があなたに渡したこの不思議な手紙もまた、その心の表れと取ってください。それを一言でたとえるならば、まさしく星型のハートと呼ぶところなのでしょう・・・・寒い!!なんですかこの、言い回しの割に中身のない寒い怪文書は!」
「ぶっは!!腹がよじ切れる!!確かに意味が分からな過ぎて、逆に笑える!三十五歳独身会社員、やるな!!褒めてやろう!」
鳥肌もので手紙を放り出す九里子に、もう手放しで爆笑する小田原。三十五歳独身会社員は戸の縁に爪が食い込むほど掴んだ。なんだろうこの敗北感と屈辱は。負けた。
(そ、それが悩んだ末のオチで、そこでなーんだそっかーとようやく不審感から解放されてホッとさせるつもりが!!何故そこまで笑い倒される!?)
ホッとするどころか、九里子は完全に引いていたし、小田原は奇妙な笑い声でカーテンに取りすがって腹を押さえている。両者を足して二で割ったらちょうどいいんじゃないだろうか。その悲惨な現状を目の当たりにして、会社員は戸の陰で崩れ落ちた。
しかし、そのリアクションが命取りだった。その人が倒れ込む音を九里子の大きな耳は聞き逃さない。
「・・・・む、不審な物音!犯人はそこだー!!」 バキューン。
「おわー!!?」
わずかに戸の後ろからはみ出ていた顔を掠められる。実弾。会社員は後ろに転げた。もはや包み隠せない音に、今度は小田原が反応した。
「やはり追って来ていたか!!喰らえ豪速球!」
腕を振り切る小田原、一拍遅れて側のカーテンがものすごい勢いで翻る。音速の衝撃波!そのモーションに会社員は慌てて首をすくめるが、次の瞬間、妙な風切り音が頭を掠めた。
「ひい!?」 ゴヒュア!!
小田原に投げ付けられた星型のハートが、背後の壁に直撃して木っ端微塵に砕け散った。あまつさえ壁材まで粉々に。なんとゆう強肩。生身で喰らっていいものではない。あと0,1秒でも遅れていたら・・・・とは、恐ろしくて考えられない。
思いもよらぬ反撃に、会社員は完全に硬直した。今や立場が逆転した。観察者と対象者から、狩る者と狩られる者に一転。ちなみに狩る方は小田原と九里子の方。
「逃れたか・・・・運のいいヤツ」
ダラ、と下ろしていた腕を振り上げる小田原。その目はハンターそのもの。並の相手では務まらない。
「きっとあいつですよ、小田原さんに怪しい怪文書を押し付けたのは!とっちめてやりましょう!!」
「怪しい怪文書って、重複してる」
銃で教室の入り口を指す九里子に、小田原は肩を叩く。
「も~、そんな悠長にしてる場合じゃないですよ。早くしないと逃げちゃいます!」
「もっとシンプルに。シンプルにやるのよ・・・・簡潔に殴り殺す!!」
「ムダを省く現代っ子!逃げて犯人!!」
「殴り殺されるー!!」
うわー!と廊下を走り出す三十五歳独身会社員。運動不足がたたる三十五歳の体には厳しい全力疾走。しかし明日の筋肉痛を恐れている場合ではないし、しかも独身のまま死にたくない。
「あっ、てめ、九里子、犯人に肩入れする気か!!」
「みすみす見過ごせないですよ、この犯行を!三十五歳独身会社員の犯行ではなく、小田原さんの凶行を!」
「いーから追う!!逃げろ犯人、この凶行にかかる前になー!!」
「うわーん怖いですよー!!それ置いてって下さーい!」
会社員は走った。なぜこんな軽いイタズラの制裁に、教材の肉体標本を鈍器に見立てた女子高生に後ろから追いかけられなくてはならないのだろうか。あれで殴り殺される!?
九里子も走った。なぜこんな軽いハナシの展開のはずが、教材の肉体標本を鈍器に持った小田原に後ろから追い縋らなければならないのだろうか。あれで殴ったところで死なないだろうけれど、寝覚めが悪すぎる。
「廊下走ってるのは誰だ!!指導室に連行するぞ!!」
そこへ怒声が飛んできた。背後からの声に小田原は竦み上がり、九里子は耳を逆立て、会社員は挙げ句の果てに階段から転げ落ちた。
「やべー!!数学教師にして鬼の生活指導員の本田のお出まし!!捕まったら一室に監禁される!」
「彼のお出ましですか!?」
「あと廊下で発砲したのは誰だ!!」
「ひえー黒板用コンパスでメッタ打ちにされる!!」
以前、本田にメッタ打ちにされた記憶も新しい九里子は見たこともない速さで逃げた。前を走っていた小田原も会社員さえも追い越して逃げていく。トラウマがひどい。
前にいた会社員が九里子に突き飛ばされてさらに階段から落ちて、突き当りの窓に当たって、ちょっと大変なことになった。窓が割れた。その逃走劇を目の当たりにして、呆気に取られる小田原。しかしすぐに我に返る。
「あ、この!一人だけ逃げやがって!!私は無実なのに!」 ガシャーン。
ガラスの破片ごと被害者を踏み倒して逃げる小田原、これでも無実でも言い切れるのか。
「ひ、ひどすぎる・・・・」
「邪魔だ!!」 ガチャン!!
「ぎゃふ!!?」
職員室から追っ掛けてきた本田先生にも踏まれて、再起不能の三十五歳独身会社員は同日御用になったという。


ちなみに教材の標本一部を壊して化学室前の廊下の壁を砕いた張本人はアッサリ見付かり、次の日の内に指導室に呼び出しを喰らったという。





最初はまじめに星型のハートを探す小話でしたが、そんなまどろっこしいマネはなく、小田原が作りました。(2006/5/20)

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