右と左指す野球少年。 <1/2>



「みんな頑張ってますねー」
九里子はフェンス越しにグラウンドを眺めていた。トラックのさらに外側、赤い地面では野球部が練習の真っ最中だ。威勢のいい掛け声がひっきりなしに聞こえてくる。
なんの迷いもなく練習に打ち込んでいる姿は見ていて気持ちがよい。ここには自分を呼び出そうと考えるようなずるっこはいないようだ。何を分かっているのか、九里子はうんうんと頷く。
「あ、九里子だ。何してんの」
するとそこへ、よこしまだらけの声が聞こえてきた。ギクッとして振り向くと、やはりいたのは足達と小田原だった。先に声をかけてきたのは小田原。
「よー、九里子さん。相変わらずいい足してるわね」
「出会いがしらに!!会って早々それですか!!気が削がれる!」
いきなりそんなことを言われる謂れはない。目の前のフェンスに倒れ込んだ。腰が抜ける。
「二人共、どっから出てきたんですか・・・・」
が、いきなり小田原に胸ぐらを捕まえられた。いきなりこんな仕打ち。
「テメーこの前は一人でさっさと逃げやがって!!翌日大変だったんだからなー!」
「ひい、ごめんなさい!!やっぱり指導室に監禁されたんですか!」
「朝の八時半から昼までみっちりと・・・・仕返しにこのフェンスの目に押し込んでところてんにしてやるまいか!」
「謝るからしてやらないで下さい~!!」
「ま、ま。小田原もそれくらいにしておいて。あんたも不審者からもらったもの真に受けるから」
顔面からグイグイやられる九里子、小田原も本気だ。そこへ足達が割って入る。確かに思い返してみると、基本的に悪いのは小田原である。
「この前は大変だったようね、話は聞いたわ」
「ホントにひどかったんですからね~。私だって被害者ですよ」
「そりゃね、確かに。まさかそんな面白いことに巻き込まれてるとは、くっ・・・・あっはっはっは!!」
「笑ってんですかー!!躊躇ゼロ!!」
一応フリだけの足達だった。最後には包み隠さず笑い倒した。食って掛かる九里子を押しやりながらもまだ笑っている。
「いやいや、九里子さんも小田原の言うことやること真に受けるから巻き添え食うワケよ。関わらないで初めから逃げときゃ良かったのに」
「それを私が許さなかった・・・・と!」
「何を誇らしげに言ってるんですか!?」
本気で意味が分からない。ムリヤリ関わらせた足達が誇ることではない。
「ところでここで何してたの?野球見てたの」
「あ、ハイ。野球はよいですね~。見ていて飽きません」
足達に切り返されてグラウンドに視線を戻す。フェンス越しの喧騒をよそに、少年達はワイワイと張り切っている。実に賢明なことである。
「飽きないと。どこら辺が?」
「小田原さんはナイターとか見ないんですか?こう、気を張らずにのんびり観戦できるとこ、ですかね。改めて訊かれるとよく分からないんですけどね」
「九里子、あんたは分かってないわ・・・・」
「な、何がですか」
いきなり小田原に肩を掴まれて後ずさる。小田原は暗い声で先を続ける。
「表の華々しさとは裏腹に、選手達のバックヤードは混沌としている。レギュラー争いスタメン争い、果ては仲間内での裏切りと腹の探りあい・・・・スター選手が高級店で飲み食いしてる間にベンチ組は虎視眈々とボール拾いをしているのよ!!」
「球界怖い!!そんな裏側まで探らずとも!!」
「虎視眈々とボール拾いってなんだろう」
そこまで虎視眈々とやることでもないだろう。地道に素振りや投げ込みでもした方が得策なのでは。
「かと思えばスターと呼ばれる選手達は下積みと経験に裏打ちされた技術と実力を以て明日の劇空間プロ野球をリードしている・・・・ブルペンの地均しベースの泥落としとかしてなー!」
「ひえええ、スター選手の地道な努力がー!」
「この際そういう仕事はスタッフがやってくれるんじゃないだろうか。効率的に考えて」
投手や捕手がいちいちそんなことをしていたら手間がかかるというか、手際が悪い。この際、思いっ切り投げさせて捕球させてやれよと。
「アンタがのんきにテレビで見ている反面、底にある選手達の苦悩を知れ!恥じれ!!」
「ご、ごめんなさい。もう気楽に観戦とか言いませんから。肝に銘じておきますから!」
「もはや視聴者や観戦者に求める度量じゃないな」
見ている全員がそんな懐であったら、いちいち劇空間も落ち着かない。ものすごい緊張感とプレッシャーあふれる試合になってしまうのでは。観戦側にも余裕を与えてやれよと。おちおちビール片手にテレビも見ていられない。
「まあ、能書きはここまでにしておいて」
「え、今の全部前フリなんですか」
あっさり元に戻る小田原に九里子が拍子抜けする。いい加減に冗談だと気付いた方がいい。小田原はフェンスの奥にグラウンドを眺める。
「小学生の野球部だね。これ見てたんだ」
「スポ少って言うらしいですよ。スポーツ少年団。いいですね、頑張って打ち込んでる姿は」
「純粋な心意気ね。頑張るのよ少年達ー」
足達も横に並んでフェンスに寄り掛かる。三人揃って練習風景を眺める。
「頑張れるのは今の内よ。中学に入れば途端に先輩後輩の間柄が厳しく激しくなり、高校に入れば三年が練習と称して一、二年を殴ったりカツアゲしたり、たかが数年の差で幼稚な差別化を図るのよ。少年達よ、まったく愚かね!!」
「え、今の小田原さんのセリフですか・・・・」
「いや、足達の・・・・」
二人はギクッとして隣の足達を振り返る。同じく足達は「ん?」と振り返る。今のものすごいセリフは。
「いや、一部団体の例として」
「いやいやいや、それはちょっとマズイでしょ!!今は割と世間も過敏ですから!」
慌てて九里子が遮る。ちょっとシャレにならん事例だ。真偽の程は別として、今この素朴な風景を前にしておきながらの発言はありえない。
「だから今の内に頑張っておけと。私はそういうエールを送ったまでのことよ」
「今のが!?どう聞いても将来覚悟しておけとしか!!」
「心構えと腹積もりって、大事よね」
「少年達よ今のは聞かなかったことにしておけー!!」 ←小田原
グラウンドの熱気に負けず、三人も劣らず白熱してきた。こんな不毛な議論はとっとと打ち切った方が世のため。九里子は一番抜けでフェンスから離れた。
「もう行きましょうよ、未来ある少年の前途を疑るなんてことは!」
「そーだそーだ。もう行こう。今日は私の新しい辞書を買いに行くところだった」
小田原の言葉に九里子は三度ギクッとした。先端恐怖症の彼女に取って、国語辞典のカドすら怖い。この前はイミダスで脅された覚えがあるので、このまま付き合っていてもいいことはない。
「小田原さん、まだ辞書集めるんですか・・・・」
「収集してるワケじゃなーい。前に使っていた英和辞典がなくなったから、それで」
「なくなったって、失くしたんですか?」
「いや、こいつの場合、今日の授業で「英文が理解できないのは私のせいじゃない、この英和辞典が間違っているからだ!!」と、今まで使っていた辞書を二階の窓から放り投げて、」
「そこまで聞いて納得!!それ以上の説明は要りませんから!なんでそれくらいで捨てちゃうんですか!?」
いきなりインパクト性の強い経緯にのけぞる。おれが悪いんじゃない世の中が間違ってるからだつって包丁持って走り出すヤツと変わりない。他人事ではあるが、将来性に一抹の不安を禁じえない。
「あのー、ところで窓から投げ捨てられた英和辞典はどうしたんですか」
「ああ、あれね!」
一番気になっていたことを切り出す九里子。あんな分厚いものが二階から落ちたら、とんでもない。おそるおそるの質問に、足達は思い出したように真顔で手を打つ。
「偶然にも下を通りかかったジョギング中のクラスの一人に直撃よ」
「すでに惨事が!!期待を裏切らない人だ!」
「いや、本人いわく「今日のおうし座は思いもよらず幸運が降って湧くって言ってたから結果オーライだ!保健室・・・・」って満足そうに言い残してたから、結果オーライよ」
「重症ですな!!」
いろんな意味で。予感的中でもそんなバイオハザードみたいな結果でいいのか。
しかも降ってきたのが総ページ数1800超の英和辞典でいいのか。明らかに最初の一撃で頭をやられている。完全にトチ狂ってる。九里子は名も知らぬ高校生に同情を禁じえなかった。
「もう現場は修羅場よ。辞書はズタボロだし本人もズタボロだし私は素知らぬフリをするので右往左往よ」
「知らぬ存ぜぬを!?」
「いや、特に成果はなかった気もするが」
一部始終を見ていた隣席の足達にはモロバレだった。そのあと、被害者の親友に「カタキだ!!」つって辞書を投げ返されていた。顔面直撃よ。
「こうなってしまった以上この際ね、中古でもいいのよ」
「あれ、古本屋は辞書も売ってるんですか?」
この際は安く上げようとしていた足達は頷く。こんなところでケチってないで、被害者に慰謝料でも払ったらどうだろうか。
「うん。状態がよければ本屋も買い上げるし、悪ければこっちも安く買えるし」
「へー、知りませんでした」
「九里子さんあんまり本は読まないでしょ」
「漢字とか読めないもんね」
「失礼な!読めるって言ってるじゃないですカー!!」
「じゃあ、これは?作品名を読みたまえ」
足達は学校の鞄から国語の教科書を取り出し、九里子に向けて開いて見せる。島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」。
「えーと、しょしょなるふるしろのほとり?」
「やっぱりダメか。難易度ありすぎたか」
正解は、こもろなるこじょうのほとり。足達は溜め息を吐き、隠していたふりがなから指をどける。が、小田原が遮った。
「まて足達!私が読んでやろう。バカだな九里子、しまざきふじむらって読むんだぜ!!」
「あんた、どこを読んでいる」
それは作者の名前だ。的を外しているし、読み方も間違っている。しかし九里子も負けていなかった。
「ええ!?どっちが名前なんですか!?島崎さんと、フジムラさん!?」
「負けず劣らずのレベルか」
「すると、島崎氏と藤村氏の合作じゃないの?」
「あんたら仲良くやれそーね」
足達は教科書を閉じた。九里子が学生でなかったことを幸いと思うと同時に、明日の国語の時間を疎ましく思った。本業の小田原がこれでは教師がブチギレる。
「島崎氏とフジムラ氏はともかく、ほら、そこに店があるでしょ。そこに買いに来たのよ」
なるほど、グラウンドと一本道を挟んで向かい側にCDやビデオレンタルもしているチェーン店。九里子は納得した。
「それで行き会ったんですね。本がたくさんあるんでしょうね~」
「見てみる?たくさんあるわよ。・・・・絵本も」
「そうそう。漢字控えめで読みやすいかと」
「なっ、そのかわいそうなものを見る目は・・・・!!」
そういうことで、ムキになる九里子も含め三人は連れ立ち、黄色と赤の店に向かった。どこの店かは推し量って下さい。





足達と小田原と二人で。お店はゲオです。学生時代に住んでいたところに、道を挟んでグラウンドとゲオがありました。
元は一話を分割。「右と左指す野球少年」は、正直者がウソをつく、という意味で使ってみましたが、だいぶにズレてきた気も…そんな感じで見て下さい。途中、シャレにならん冗談を。それは見逃して下さい。