折れて千切れてボロボロになった。
ギニャー!!ギャー!!キャー!シャハアー!!うげっ。
悲鳴の順番に、白猫、剣、足達、白猫。最後に小田原。剣の腕から飛んだ白猫が小田原の顔面を踏み付け、空中へダイブ。塀の上へ舞い戻る。
「この猫め!!人の顔にツメ立てやがった!煮て焼いて食う!」
「小田原!顔面から血が!」
「顔面から血がなんだ!あの白猫を真っ赤に染めてやろうか!?己の血によってなー!グハハハ!」
静まりたまえ、小田原。足達は剣を見た。全体的にボロボロになっている。
「剣さん!!なんか、全体が酷いことに!」
「俺の両腕は胴体に付いているか・・・・?」
「剣、聞かない方がいいかもしれないが、敢えて明かそう。折れて千切れてボロボロになっている」
小田原の名誉のために挙げておくが、彼女は決して不細工ではない。美形に入る部類である。今は鬼の形相だが。その顔面から血を垂らしながら、同情すべき剣に厳しい現実を突きつける。
「マジか。俺はそんなにも、折れて千切れてボロボロなのか」
「マジだ。あの猫はお前の魔の手から逃れるために手段を選ばなかった。その結果が、ご覧の有様さ!足達、アンタからも言ってやれ!」
「警察も救急車も呼ぶ程度じゃないけどね。それよかアンタ、早く消毒した方がいいわよ。傷は浅い内に・・・・」
「嫌だーー!!こんな顔じゃ、明日の辞書部の忘年会に出られない!」
「ま、マジか!!まだ八月!」
「猫に踏まれて顔面から流血した年なんか早く忘れたい!!」
「辞書部ってそんな集団なのか!?」
「足達、俺の千切れた部分は・・・・」
「千切れてない!!大丈夫だ!気をしっかり持ちなさい!!」
興奮と怒りが収まらない小田原、心が早くも折れている剣。どう慰めたらいいのかまったく分からない。ので、とりあえず119番に連絡しようかと思い詰めた。
逃げた白猫は塀の上でジャーと唸っている。その時、塀の向こう側から声が聞こえた。
「ボブくーん、ご飯ですよー」
「ニャーン」
呼びかけられた白猫がヒラリと跳び、塀の内側にある民家へ一目散に駆け込んで行く。その様、まさに飼い猫。
白猫ボブ君が猫なで声。明らかに、飼い猫。三人は呆然と見送る。
「明らかに・・・・オス猫・・・・」
「さらに、飼い猫。剣、残念だったな。あたし達は今、節穴を見るような目でお前を見ている」
「いろいろ間違ってるわよ」
「お前を節穴そのものだと思っている」
「節穴そのものって。まだ間違っている」
ドーナツの穴よりは不確かな要素は薄いが、節穴そのものに存在意義を懸けられることも珍しい。
だが剣の人違いっぷりは頑として覆せない。足達は慰めの言葉も出ない。だってオスだったもの。あんな自信過剰に言い切ってしまった上での間違いをどうして慰められようか。
最初はもうちょい自信なさげに言うのがベター。結果が確定してから後出しジャンケン的に胸を張るのがベスト。周囲の賞賛は低いがプライドだけは守れたであろう。
剣はガックリと項垂れた。犬耳も項垂れる。とりあえず声をかける。
「剣さん、ドンマイ。誰にでも間違いはあるものよ」
「そうそう。足達を見てみろよ」
「なんで私を引き合いに出した!?」
「いや、比較対象がいれば元気が出るかなと思って」
「我が身を差し出せ!!」
励ますべき対象を放り出して二人がワイワイやっていると、どこからか電話の音が聞こえてきた。二人は自分の携帯を探してバタバタする。
「ん?何?足達の?」
「私じゃないわよ。剣さんの携帯?」
「俺でもない。俺は不携帯だ」
「どんな意味で?」
「剣さーん、外にいる剣さんへお電話ですよー」
白猫ボブ君の家から、飼い主らしき奥さんが登場。手には電話の子機を持っている。
「家の外に男の人がいるから、繋いでくれって頼まれたんですよ。相手の人、なんて言ったかしら。コ・・・・高句麗さん?高句麗さんの誰だったかしら?」
おそらく、コックリさん。世界史の序盤で躓く段階でよく耳にする単語ですね。揃いも揃ってバカの枕詞を冠する二人だが、即座に変換できた。奇跡の空耳レベル。
奥さんはハイッと剣へ子機を手渡す。剣はなんの躊躇いもなく、どうもと言って受け取る。そういう連絡手段でよろしいのか。怖い。一切の疑いを持たない奥さんの神経が怖い。
「もしもし・・・・はい、剣です。はい。そうです」
剣は頷きながら相手の言葉に応対している。受話器を当てる部位、犬耳じゃないんだ。純粋な驚きが二人の常識を揺るがす。犬耳はなんなの?
推察できることは少ないが、どうやら向こうは剣より格上。そして、電話中に頷く仕草が人間っぽい。日本人っぽい。足達と小田原は無言で見交わす。電話をかけて来た相手は上司なのだろう。九里子の上司が思い起こされる。奇抜なメイクの閣下。
「えっ?押入れで寝ていた?押入れ?」
押入れって、二回も聞き直している。経緯の本筋は見えた。剣は何度目かのガックリの後、子機をボブ君の家の奥さんに返す。
「奥さん、どうもありがとうございました。・・・・解決した」
心なしか憔悴した様子の剣に向け、二人は深く頷いてみせる。大丈夫、すぐ近くで聞いてた!押入れの一言ですべてを把握した。
「話は聞かせてもらったわ。どうやら解決したみたいね」
「話は聞かせてもらった。探してた白猫、押入れの中で寝てたんだろ?」
「話が早い。俺はガセネタを掴まされたらしい。不確定な情報を流して寄越したヤツは、折れて千切れてボロボロになるまで叩く」
誰だかまったく知らないが、その人物にはお悔やみ申し上げたい。剣の雰囲気はビリビリしていた。素手ではない鈍器を用いることもやぶさかではないだろう。すぐ逃げてほしい。
このビリビリ発泡した空気を和らげるため、足達は敢えて話題を持ち越す。
「でも、ほら、猫とかネズミって狭い場所に行きたがるじゃない?必然だと思うわよ。見間違いだって悪意があったわけじゃないと思うわよ」
「そうだろうか。俺は無駄足を踏まされた怒りでいっぱいだ」
「怒りは納めて、ネッ!剣さんのおかげで、これからは情報伝達が慎重になるかもしれないと思えば、オールライトオッケーでしょ?」
「まあ、そういう意味では・・・・」
「剣。むしろ、大事な姫君が無事であったことに安堵を示すのが先じゃない?庇護だかヒモの格下の猫の一挙一動に対し、自分一人の怒りに捕われて不平不満を顕わにしているのは大人げない」
小田原の的確な指摘が空気にヒビを入れた。剣は何度目かのガックリで地面に突っ伏す。
「剣!どうした!?しっかりしろ!おのれの不甲斐なさを恥じているの!?」
「もうやめろ!なんかもう可哀想だから!!」
「もが!」
追い討ちで剣の肩を叩く小田原、小田原の口を押さえる足達。これを、三すくみの構造、とは呼びません。
このままでは剣の精神が危ない。足達は小田原を後ろから羽交い絞めにする。前者の方が背が高いので、小田原の両足が地面からちょっと浮いた。
「剣さん!今の内に逃げろ!」
「いや、剣!あたしごと足達をやれ!」
「一体どんな構図なんだ」
剣の冷静な判断。誰が誰の敵なのか。三人は少し落ち着いた。
「俺は大丈夫だ。何事もなかった以上、心配はない」
「まあ、剣さんがそう言うなら・・・・」
「そうそう。何事もなかったんだから、剣はお帰りなさいよ。あたしも早く帰りたいんだ。相棒の再放送を見たいんだから」
「今の相棒って誰?再放送で。神戸?」
「いや、カイトくん」
「ああ、あの。髪型がワカメみたいな?」
「ハッハ!!いや、アッハハ!髪の毛増量しちゃいました、みたいな?」
「いや、まさか。いい意味でワカメだって」
「いい意味で、って。ハハハ!!確かにいい意味で!産地直送生乾き!」
「俺はもう帰ってもいいか」
「ワッハハ!ちょい待ち!剣、ウェイト!悪かったって!」
笑いながらも、小田原は急いで剣を引き止める。足達も笑い収まらぬ態度で剣に謝る。
「ごめんごめん。剣さんの落ち込みを和らげようと思って、つい。つい関係ない話題に発展してしまったわ」
「そうそう。そんな機嫌悪い顔して帰ったら、周囲に要らぬプレッシャーを与えてしまうじゃないの。何もなくてよかったですぅ~って顔で帰りなさいよ」
「悪いがこれがいつもの顔だ」
「ヒュー!ナイス・クール!」
小田原の意味のない掛け声。声がやたらと大きいため、閑静な住宅地からなんだなんだと人々が顔を出す。花火でもやってるの?
立ち話も足が疲れてきた。そうでなくても、白猫の跋扈にやられてヘトヘトだった。近くの商店の店先にあるベンチに移動する。
ベンチに座るなり、剣は口を開く。
「俺を元気付けようとした努力に報いて、お前達の未来を見てやろう。二人まとめて来週の小テスト化学は24点だ」
「まとめて!?」
「足達とまとめて24点?じゃあ、あたしが20点で足達が4点?」
「因数分解か!!どんな式か言ってみろ!」
「化学だって言ってんだろ!」
お礼の言葉が爆弾だった。足達と小田原の低レベルな争いを招いただけに終わる。争いの火種である剣は素知らぬ顔で空を見ている。足達は無性に腹が立って済まない。
「剣さん、いいこと教えてあげようか・・・・この前ね、九里子さん、結婚したんだよ」
「えっ!?」
その発言に、剣はものすごい勢いで足達を振り返る。盛大な反応を目の当たりにし、心の中でニヤッとする。
言葉で九里子の無能ぶりを貶めてはいるが、好きなことはバレている。発言の多弁さが裏返って、むしろ自らばらしているようなものだ。
その場任せの発言が多い小田原に比べて、足達は嘘をつかない。そんな思い込みが剣の中にある。二人を切り離して考えたら、ちょっとは疑う余裕も生まれる。しかし剣は完全に信じ込んでいる。
「あたし達も披露宴に巻き込まれてさ~。すごかったよ!」
そこへ小田原が油を注ぐ。メッチャ真剣な顔で言う。さっきまでの軽薄な気色はどこにもない。
披露宴と言うか、それ未満。九里子は相手の顔も知らずに連れて行かれそうになっていたが、足達と小田原の茶番劇によって阻止され、破談に終わった。
ただし、花嫁道中を最後まで見ずに頓挫したので、九里子の連れとなる雄キツネの顔は見ないままだった。
そんな大事な折、剣はオランダへ出張中であり、今日まで話を聞かされていなかったようだ。親族内で高い位にある義兄の桐人にさえ事後連絡であると、見切り発進と聞いた。
剣の顔は凍り付いて真っ白。この様子を見ると、真相を明かした反動が怖い。殴られかねない。こりゃやばいぞと、隣りの小田原に目配せする。そろそろ本当のことを言おう。小田原は頷く。
「三日三晩、寝ないで大宴会。九里子も最初は嫌がってたけど、あいつ流されやすいし、もう二人くらい子供産んでるんじゃね?」
「コラァ!!」 ドス!!
全力のバーティカル・リミット手刀。小田原の喉元にヒット。
「口を閉ざせ!嘘を吐くな!剣さん、息をしろ!!」
「こ、こんなことなら、オランダに行くんじゃなかった・・・・滅びろオランダ!!」
「オランダのせいじゃないから!今の話は半分ウソだから、ね!」
「ということは、半分はマジであるということよ。ま、未遂だってことで、ここは手打ちを」
「お前が言うことか!剣さん死にそうじゃねーか!心が、折れて千切れてボロボロだ!」
「あっ、そう言えばあの時の救出劇の写真あるし。剣、見たまえ!これが半分ウソで半分マジの証拠だあ!!」
怒涛の流れで、小田原は自分の携帯を取り出し、剣の目の前に画像を突き出す。勢いがよすぎて剣の顔面に携帯がぶつかるほどに。
間近の画像をやぶにらみで見つめる。なぜか泥が付着した白無垢、疲れた顔で座り込む九里子。その隣りには、金髪の男、もちろんキツネ耳。同様に疲れ切った顔でいる。
剣は携帯を奪い取り、わななく声で絶叫した。
「だっ誰だこの男はァアーー!!」
「それは足達・・・・」
「よく見たら、ツネ三郎じゃないか!」
コックリさん社会でもっぱら話題の、足達にそっくりだと噂のツネ三郎。恒三郎がまた出て来た。はっきりツネ三郎だといわれ、足達は弁解を差し挟む余地もなく、小田原は笑いを魂の底で堪えながら真顔で言う。
「そう、これはツネ三郎。九里子が望まぬ嫁入りのピンチだと聞き仰せ、ヒキコモリの自宅から馳せ参じたつわものだ。彼がすべてをご破算に導いた真の立役者であらせられるぞ。感謝しとけ」
「あのツネ三郎か・・・・本名は恒義三郎」
ツネ三郎の本名が公開された。つねぎ・さぶろう。不意に突きつけられた真相に、足達と小田原はドキッとした。
自分達のクラスにいる二人の同名メグミちゃん、名字が高橋と渡辺なので、区別がタカメグとワメ。タカメグはテニス部で、ワメはバレー部。今この瞬間、ツネ三郎とまったく関係ないが。
「恒義の家は、キツネ族では御三家の高名な家柄だ。恒三郎は優秀な上の兄二人を凌ぐ資質を生まれながらに備え、将来を期待される逸材と呼ばれた。容姿端麗にして秀才、天は二物を与えずとの言葉を撤回するほど、百年の一人の天才とまで言わしめられた恒義の秘蔵っ子だ」
「なんか、あんたにそっくりなキツネがすごい逸ノ城らしいけど、めっちゃハードル上がってきたな」
「ただ顔が似てるだけでしょ・・・・」
ひそひそと感想と反論を言い合う。しかも逸ノ城は相撲取りである。足達は思わず小田原の首を絞めるところだった。逸ノ城じゃなくて逸材だって言ってんだろ。
兄の名前もなんとなく想像できる。一郎、次郎。間違いない。
「しかし過去に、些細な事件により、未来への道を閉ざされてしまったのだ」
「じ、事件?事件って、何?ひきこもりになってしまった事件なの?」
剣は重く頷く。ちなみに、タカメグの方はクラスのムードメーカー、ワメは癒し系のほんわか女子。そう、ツネ三郎の話ね。彼に何があったというの?二人は息を飲む。
「三郎は学校で発言の際、手を挙げたところで、先生をお母さんと呼んでしまった」
「ツネ三郎、弱!!そんなことで!?三郎さんはそんなことで!?」
「天才の挫折、早ェーよ。それって小学生とか幼稚園の話?」
「そんなものだ。嘘みたいな話だが、本当の話だ。ちなみに俺と同級生」
足達と小田原は同時にブハッと噴いた。笑いとも付かぬ衝動。
「それが一番ビックリしたわ!!三郎さん、剣さんの同級生なの!?」
「あの時は俺もビックリした。恒三郎がいきなりお母さんとか言い出して、一番笑ってしまったのが俺だからな。隣りの席で聞いた」
「今からでもいい、三郎さんの家に行って謝ってきなさいよ・・・・」
無表情の剣が爆笑する姿が想像つかない。笑われたツネ三郎の気持ちはよく分かる。隣りの席の小田原に笑われても今さらなんとも思わないが、ほにゃらか癒し系のワメに爆笑されたら、そりゃ傷付くわ。
九里子の親戚が言っていたが、今まさに剣も言ったが、瑣末なつまづきで将来を道を閉ざされたツネ三郎。閉ざした張本人が今まさに目の前にいる。
いや、でも、そろそろツネ三郎も立ち直った方がいい。てゆか、元々の素質がゼロだったんじゃない?
「俺も反省し、何度か恒三郎の家に行き、本人に謝罪を繰り返した」
「あ、そうなんだ。どうだった?」
「しかし、いざ本人を目の前にすると、その時の光景が思い起こされ、謝罪の最中に思い出し笑いを繰り返すことになった」
「反省してねえ!思い出し爆笑したんでしょ!?」
「よく分かったな」
「分かるわよ!」
「もういい、剣。この際、足達をツネ三郎だと思って謝罪しろ」
「あの時は本当にすまなかった」
「いや、私に謝られても・・・・」
小田原に促され、剣は足達に向かって頭を下げる。自分を代理にしてもツネ三郎に謝罪は伝わらないだろう。おかしいだろう。
何が一番おかしいかって、剣が俯いたまま肩を震わせている。お前、絶対今笑ってるだろ。
「足達を犠牲にし、丸く収まったな・・・・」
なぜか小田原が額の汗を拭う。ひと仕事終えた顔だ。
「なんで満足気なんだ。犠牲になってないわよ」
「まあ、ウソついたことは認めるし、九里子は結婚してないし、出産もない」
「お前の言うことはあてにならん。足達、本当はどうなんだ」
小田原の言葉をまったく信じていない剣。顔を上げた瞬間には、すでに真顔に戻っている。怖いほどの真顔で詰め寄られる。
「まあ、私達が一芝居打って、九里子さんの嫁入りをブチ壊したことが真相なのよ。このツネ三郎は私なのよ。よく見たら分かるでしょ」
画像と足達を何度も見比べ、剣はようやく気が付いた。
「確かに、足達だ。三郎じゃない。だがよく似ているな」
「結果的にはツネ三郎さんの身柄を偽って・・・・あれ?これって、さらに話がややこしくなるんじゃ・・・・ないの!?」
あの場合、横恋慕したツネ三郎が九里子を奪いに現れたと思われても仕方がない。
今頃、本物のツネ三郎が糾弾を受けているかもしれない。親戚連中は許した風に見えたが、事件はなかったことにはならない。
責任を取って、本当に九里子と結婚させられる展開になったら・・・・と心配するが、剣は心配する素振りも見せない。ひきこもり三郎はきっと持ち堪えるだろう。(家の中で)
剣は別の方へ気を向けている。
「九里子の親戚達がお前を見て三郎だと見間違えたのなら、いずれ誤解を解かなければまずい」
「ひきこもりツネ三郎がいきなりダイナミックに行動するってことは不審に思われるだろうし、いずれはバレるわ」
「小田原の言う通りだ。何しろ家から出て来ないはずのあいつのこと、花嫁道中を妨害するなんてマネは誰も想像できないからな。だが、お前が足達だと名乗らなかったことは正解だ」
「・・・・報復される?」
「想像の通り。俺はその方が心配だ」
足達はゾゾッと怖さを感じた。紋付の黒服の懐から取り出された黒いブツが脳裏によみがえる。蜂の巣にされますか?
「心配するな。元はこちらの事情、俺が話を付けておく」
「お願いよ!絶対だからね!?」
「しかしこれを機に、ツネ三郎は社会復帰の道を見出すのであった。めでたし、かな?足達を犠牲にしてツネ三郎が天才に復帰できたらいいじゃん?」
「勝手にオチ付けんな!」
「ギニャー」
「ほら、ボブもそう言ってるし」
「ボブ、戻ってきたのか!!」
ご飯を食べ終えた白猫ボブ君が塀の上に戻ってきた。小田原が猫語を理解できるわけはないが、今のギニャーは「人間とは愚かだ」くらい言ってるに違いない。
ちょっと似てるくらいのツネ三郎の犠牲になるつもりはない。ご自分で努力なさって社会復帰して下さい。足達は重ねて剣に言い募る。
「剣さん、ホントに頼むわよ」
「本当に分かっている。顔が怖い」
「ほっとけ!!」
「三郎の社会復帰の第一歩と併せ、お前には借りができた。礼はさせてもらう」
「あたしには?九里子の嫁入りを阻止したプロデューサー小田原に対しては?総監督・小田原には?」
剣は軽やかに無視した。九里子・電撃入籍の虚偽報告で騙されたので、相殺。
剣はジーンズのポケットから折り畳んだ紙を取り出す。昔の薬包みたいな折り紙だ。ごく小さなそれを二つ、一つずつ差し出す。小田原はきょとんとした顔で受け取る。
「えっ?あたしにも?それなんてツンデレ?」
「ついでだ。足達、受け取れ。俺からの手打ちだ」
「薬?何か入ってるの・・・・」
折り目に指をかけると、剣に手首を掴まれる。予想以上の強い制止にぎょっとする。
「開けるな。中には何も入っていない」
謎めいたことを言われる。
小さな折り紙をいろんな角度から見つめるが、特別に変わったところはない。
敢えて言えば、とても複雑に折り差し込まれた紙の塊。爪さえ差し込めない固体。開いていいと許可されたとしても、簡単には解けない。
二人が受け取ったことを確かめ、剣は次の口を開く。
「中には、俺が見たことがない未来が入っている。もちろん見えないものだ」
「剣さんでも見えない未来なんか、どうやって?」
茫洋とした説明は掴めず、どんな言葉を用いて問いかければいいのか分からない。
「足達と小田原、生涯の内でもっとも危険な目に遭った時、一度だけ身代わりになって死ぬ。俺はお前達の死ぬ時を知らないが、一歩手前を回避できる。その術を身代わり厄に込めてある」
簡単に死ぬと言う。足達はゾクッとした。想像できない未知の危機が傍らに寄り添う。
身代わり厄。命に障る厄を逸らし、寿命で死ぬ。死ねる?
「簡単に言うな、剣。一番危険な時を回避できるってことは、寿命で往生するまで、平和で生きられるってことか」
小田原は薬包をこねくり回しながら尋ねる。胡散臭い気持ちがにじみ出ている。口に出さないが足達も同じ気持ちだった。剣は頷く。
「だが、使うも使わないも自分次第だ。その時、身に着けていなければ効果はない。術は発動しない」
「まるで脅しみたいなお守りだな」
簡単に言う小田原。足達はまたもやゾクッとする。己を守るものが己を縛る制限と化す。
「まあいいや。ありがたいもんだから、もらっておくわ。いつかトラックに轢かれてアッサリ死ぬかもしれない未来を回避できるかもしれないし。サンクス、サークルK!!」
「そうね。大事にするわ。剣さん、ありがとう。私はローソン派」
「礼には及ばん。俺はセブン派」
「お前ら、何か買え。小売店の敵め」
話し込んでいたベンチ、その軒店から怒られる。町内に根付いて四十余年、僕らの町の駄菓子屋さん。高校の近くにあるのでコンビニよりも重宝されている。昼時に小田原がよくカップラーメンを買う。
おやっさんの叱責を受け、三人はアルフォートとコンニャクゼリーを買うことで許してもらった。
コンニャクゼリー(水色)を吸いながら小田原が呟く。
「あー怖かった。あのおやっさんが、あんなに怒るなんて。あたしが店内でカップラーメンぶち撒けた時は許してくれたのにさ」
「あんた、そんなことを・・・・いっそ通報されろ」
「頼む署長には報せないでくれ」
心込めて育てた花壇破壊事件と併せて、しょっぴかれる。やりたい放題の女子高生として。しかし小田原はまったく堪えないだろう。冒険心がありすぎるから。
ところで三人は駅に向けて歩いていた。電車に乗るのは足達だけだが、小田原と剣は付き合いでなんとなく。
剣は帰ってもいい頃だろう。流れで付いてくる義理はないはずだが、足達は気になった。
「剣さん」
「なんだ」
「違ってたら悪いんだけど、私達に用事があるの?見送ってくれるとかだとしたら、別だけど・・・・」
「いや。用事はある」
足達と小田原は足を止める。夕暮れを背に立つ剣を見た途端、剣が住む世界の方へ少し引っ張られた気がした。足の裏で踏むアスファルトがベニヤ板のように波打つ。
足達はめまいを感じた。見慣れた駅への道筋が薄れ、奥行きを失くし、平べったい画面に見えた。遠くにあるはずの空が間近の建物と変わらぬ距離感を以て差し迫る様は、迫力のない一枚の絵と化す。
見送るつもりではなく、言い出す瞬間を計っていたのか。剣は二人に視線を送る。
「もっと後に伝える予定だったが、今日がその日だ」
「なんかあんのか?明日で世界が終わるとか?」
「それはもう少し後だ」
小田原の冗談に対し素っ気なく答える。そんな破滅は夢見る未来よりも遠い過去に思える。
「お前達を見込んで、スカウトしたいという人がいる」
「スカウト・・・・剣さんの知り合いで?」
「桐人さんだ」
剣は頷く。足達も釣られて頷いてしまう。特に意味はない。
自分達がコックリさんの世界に行く?想像を上回るアレだ。嬉しくも悲しくもないが心臓が早まる。驚きの反動なのか、平べったい画面が一気に現実へと戻る。
青い顔になる足達を見やり、剣はわずかに顔を歪める。
「答えは急かさない。俺だってこんなに早く言い出す気はなかった。もちろん断られるだろうと俺は反対したがな。小田原はどうだ」
「イッヒヒ。御免だね。あたしは断るわよ」
「そうだろうな。お互い、平和に暮らせる」
即答の小田原。剣は落胆したと言うよりも安堵の溜め息を吐く。意向としては、自分の側の住処でまで小田原と付き合いたくない、という気持ちに違いない。剣にとっての足達は平和な暮らしの終わり、環境破壊の一種。
おのずと剣の注視は足達に向く。しかし期待のまなざしではない。
「あまり気にするな。あの人の思い付きに付き合う義理はない。桐人さんには俺が言っておく。耳にタコができるほどに」
「物理的な耳タコ、見たい気もするけどな。あたしなんか、ホラミロ。こぶしにタコが」
「小田原は一体何を日常的に殴っているんだ」
「署長とこぶしで語り合っている。関節ガチで」
「やっぱり通報されろ!!」
殴るポーズを構えた小田原のこぶしに足達のこぶしがガチヒット。双方痛み分けで、自分のこぶしを抱え込んでうずくまる。
「うぬぐぁいってええ!」
「署長のこぶしより硬ェエ!何食ったらそうなる!?」
「石だ!!」
「マジかよ!!」
呻きを上げて丸くなる二人の背中を見下ろし、剣はそっと駅前から離れた。逃げたとも言う。そして無言の声を投げかける。
足達、石を食うなよ。
(2018.2.25)
