樹海でバトル!! <2/2>
「で、ここは・・・・」
とりあえず風下に向かって追いかけたのはいいが、辿り着いた場所は鬱蒼としていた。日の光は頭上に生い茂る枝葉に遮られ、ヒヤヒヤした空気が流れる。
「どこだ?」
完全に街中から外れた。つまり、どこだか分からない場所だった。ナキヒトは近くの木を見上げて呟く。
「なるほど・・・・」
潅木の太い枝からロープでぶら下がる人影を見やり、溜め息を吐いた。ミズガシではない。
ミズガシは木の枝にロープを回して首から吊り下がるマネはしないし、それで死んだりしない。よく考えると、ここには見覚えがあった。再び溜め息を吐いた。
「ちょっと、ここですよー」
頭上から声が降ってきた。少し離れた別の木を見上げると、てっぺんの枝に絡まって葉に埋もれているミズガシがいた。木に寄生したツルメモドキも絡んで大変なことになっている。
「いたのか」
「そりゃいますよ」
的を得ない答えが返ってきた。ミズガシは憮然とした顔をするが、すぐに情けなく相好を崩した。
「すいませんけど、降りるの手伝ってもらえませんか。へんな具合に抜けなくなって」
「見りゃ分かる。どうすりゃそうなる・・・・」
「思いっ切り突っ込んだんですよ」
なぜ風に吹かれてこんなところまで飛んできたのかは、後だ。まずはこの大変な状況を打破、だ。ナキヒトはものも言わず腰からカタナを抜く。ミズガシは顔色を変えた。
「ちょ、ま、待機!!」
声をよそにその木の足元まで歩み寄ると、そのまま無言で刃を構え、バッターのようなストロークで幹を打ち据えた。インパクトの瞬間、ビキ、と不可解に軋む音が鳴る。鳴ったのはナキヒトの握った柄。縦に伸びた大木は音もなく切り裂かれた。
一拍遅れ、ものすごい豪風が密林を揺るがした。狙われた木は足元をすくわれ、倒れ込みながら辺りの木々を薙ぎ倒し、ドズーン・・・・と腹に堪える響きを立てて地面に落ちた。明らかに不法伐採。
驚いた鳥が一斉に飛び立つ音が頭上で聞こえ、どこからか入り込んだノラ犬やカモシカやタヌキやキツネが見たこともないスピードで逃げていった。ここにいたら狩られる。もうもうと立ち込める霧は土なのか砂なのか、ともかく、ナキヒトから見た一直線は格段に見晴らしがよくなった。富士山が見えたとか見えないとか。
「うーん、今日も絶好調」
ひとしきり舞い上がった霧が晴れ、降り注ぐ明るい陽光を手で作ったひさしで遮る。それから五秒後、倒れた木の先からミズガシが葉っぱをかき分けながら歩いてきた。
「あのですね、手伝ってくれとは頼みましたけどいきなり伐採活動を始めろとは言いませんでしたよ。言いませんでしたよね。あと待機って言った」
ミズガシはツルやツタが絡んだまま戻ってきた。その顔には表情がない。ナキヒトは鞘に刃を収めながら相手を指差して笑う。
「お前、すげーカッコだぞ。バカみてえ」
「はっはっは。おかげさまで。ふざけんなこのやろう!!」
「このやろう!!?」
滅多に聞かない罵詈雑言と共に魔王の右フックが腹に入った。ひとかけらの躊躇も淀みもないストロークにナキヒトは成す術がなかったという。逃げ遅れていたネズミやムカデが一斉に地を這っていく。
ミズガシは握っていたこぶしを下ろし、姿勢を正して息を整える。
「っはー、はー。まあ、助けてもらった恩義には報いましょう。大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるか!?口からなんか出るかと思った・・・・」
内臓とか。
「ところで、ここは・・・・樹海ですかね?」
「樹海だな」
「ですね」
辺りを見回すミズガシ。ナキヒトが薙ぎ払った視界以外、潅木と喬木が乱立しながらも密集する景色は不気味な雰囲気を漂わす。寒くはないが、足元と言わず背筋まで這い上がってきた冷気に鳥肌が立った。
場所は遊歩道からも外れている。四方八方似たような景色で、しっかりしていなければ東も北も入り口も見失ってしまう。
しかし、山梨県まで吹っ飛ばされてきたミズガシには当然、最初から方角なんてものは分からなかった。ふとナキヒトを見るが、すぐに落胆した。望みは持たない。
「・・・・分かんないんでしょうね」
「何がだ?なんかむかつく目だな」
「出口ですよ、出口」
「出口?そんなもん歩いてたらどっかに出るだろ」
「楽観しますねえ・・・・別にいいですけど」
二人は場所に惑わされるようなクチではない。遭難することもない。ヒマラヤの山頂で戦った時も普通に帰ってきた。空からの国境警備隊が「人がいる!!」 レスキュー隊を寄越した努力もムダになった。なんでこんな零下をTシャツで!!頑張ってヘリから降下してきたのに、もうこんな報われない仕事なんか辞めてやる!諦めるなよホメイド、おれだって高所恐怖症なのにこうして・・・・震えが!!お前ホントにレスキュー隊か? ←ナキヒト
零点下の山脈で絶望に打ちひしがれる隊員をそっとしておいて、ナキヒトとミズガシは普通に徒歩で山を下った。そしていつもこうして勝負は付かない。
「ま、帰りましょう。山梨でも静岡でもどっちでもいいですけど」
「個人的には静岡側がいいな。新茶が」
「どっちでもいいですよ」
のんきに言っているナキヒトの背中を押し、すっかり生き物の気配がなくなった樹海を歩き出す。
樹海は自殺の名所だと聞くが、特に死体を見ても驚かないし、そこら辺に転がっている遺留品やガイコツも怖くない。が、人が死に場所に選ぶ魔物的な場所にいつまでも留まる気はしない。
歩き出したナキヒトは、改めて目の前を見る。テキトーに走ってきたら辿り着いた場所。なんだか森に入ったな、と思ったら樹海だった。テキトーにも程がある。
ヒマラヤのてっぺんから帰るより楽勝だが、こうも見晴らしが悪いと気が滅入る。天気はいいはずで、木漏れ日も地面に差し込んでくるのに、足元のゴツゴツした花こう岩と木の根が硬い印象を与える。
「面倒だな。めんどくせえ」
「しょーがないでしょう、来てしまったものは。私が言うのもなんですが」
風の赴くまま何十キロも流されてきた自分が言うのもなんだが。やっちゃったものはしょうがない。ナキヒトは指で円を描いた。
「確かこういう場所って、真っ直ぐ歩いてるつもりでも実は同じ場所をグルグル歩いてるだけ、とかな」
「確かに。それはあるかも。イザとなったら・・・・焼き払いますかね」
「マジか!?」
まじめな顔で提案するミズガシ。自分でやったことを棚に上げて言うナキヒト。人はそれを五十歩百歩と呼ぶ。
「・・・・・・」
それこそ五十歩も百歩も進んでいない頃、先を歩いていたナキヒトが唐突に足を止めた。同じくミズガシも足を止めると、前方に生える木が揺れる。葉の擦れる音がかすかに聞こえる。
誰かいる。ナキヒトはポケットに目の前を見たまま口を開いた。
「だ、」
「曲者!!何奴ですか!」
「ぎあ!!?」
木に向かって炎を投げるミズガシ。こそこそと木の中に隠れている人は確かに曲者である。ちなみに叫んだのはナキヒト。背後から肩越しに、顔を掠められて火を使われたら誰だって叫びたくなる。
驚いたのはナキヒトだけではなかった。それに当てられ、乏しい葉の裏に潜んでいた男がボトッと落ちてきた。
ミズガシが使った炎は本物の火気ではなく、実家から呼び出した獄炎。地獄の炎は実際には燃えないが、木の一本や十本まとめて薙ぎ払う威力をもたらす。軽めで。
それを見たナキヒトは、近くの木の幹を蹴り付けた。こっちも容赦なく蹴った。すると今度は別の男が上から落ちてきた。余波で辺りの木からもボトボト落ちてきた。入れ食い状態。あんまりにもひどい光景に、ミズガシはとりあえずナキヒトを止めた。
「ナキヒト、セミじゃないんですから」
「見ろよ、こいつら」
「え?」
言われて見れば、木から落ちてきた男達は全部で十人。十人どれも同じ格好で、同じ白衣を着ている。個性がないかと言えばそうだが、あつらえた揃いの姿が余計に不気味だ。
「よくぞ見破った・・・・」
最初に落下した男が花こう岩を踏みしめユラリと立ち上がる。目は血走っていた。二人は同じタイミングで一歩引く。こんな死にたくなる場所でこんなにイキイキした人を見るとは思わなかった。
「だが、ここで終点だ。二度も逃げられると思ったかね!?」
同じく、周りの男達がビシッと揃った格好で立ち上がる。二人はまた一歩引いた。どう見ても樹海でお目にかかる尋常な出で立ちではない。
こんな目の血走った白衣の集団に樹海で取り囲まれる日が来ようとは思わず。・・・・再び?
ミズガシは人差し指でこめかみを叩き、取り直したようにナキヒトの肩を叩いた。
「あの、ほら、あの人達ですよ」
「あの人達?知ってんのか?」
分からない顔で返される。合点の行かないナキヒトに、渋い顔で記憶を促す。
「だから、あの人達ですよ・・・・前に一回、ここで会ったじゃないですか」
「そんなこともあったな。・・・・あったか?」
「覚えてないんですか?あれはもう忘れられないって言ってたじゃないですか。大丈夫ですか?」
「・・・・ああ、そう言えば。あったな。最近物忘れが激しくてよ」
それでもどこか怪しいナキヒトの返答。物憂げな様子で頷き、一応は思い出したようだがハッキリしない。物覚えが悪い相手ではなかったハズ。妙な反応を怪訝に思うが、ミズガシはさらに補足する。
「病院の、ホラ、いつも定期健診に来いって言うお医者さん達ですよ」
「ああ、あー、お前らか!!なんだ、なんの用だ」
ようやく思い出したナキヒトが手を打つ。すぐさま体を斜めに開き、隙あらば斬る!と抜刀の構えに変わる。
彼に予備動作を起こさせるとは、並の者ではない。それくらい相手は厄介な連中である。身を以て知っている。前はその根性に負けて病院に連行された。
真っ直ぐ目の前で対峙した白衣の医者はこぶしを握る。しかし樹海のど真ん中で医者と言われてもすぐには信じられない。首にかけた聴診器さえもこの場では異形のブツにしか見えない。
「なんの用だ、とは寂しいことを言ってくれるじゃないか、ナキヒトくん。アサヌマくんから通達は受け取らなかったのかね?」
「通達?」
そう言えば出先の直前、アサヌマから何かのメモを受け取った。ポケットから出したそれはぐしゃぐしゃに潰れていたが、端を引っ張って伸ばしてみる。横からミズガシが覗き込む。
「定期健診のお知らせ・・・・日時厳守でお願いします。ナキヒト、これ三日前じゃないですか。行かなかったんですか?」
「そーだな。三日前だ。つーかこんなもん、忘れてるに決まってるだろ」
まるっきり他人事であった。素っ気ないリアクションに医者達の怒りのテンションが上がる。
「そうとも!!どうやら予感的中だ。君はおそらく来ないだろうと思っていたからこそ、こうして我々は一週間前からここで待ち伏せていたワケだ!!」
『一週間前から!!?』
明らかに両者の間に温度差が生まれた。ナキヒトとミズガシは心の底から波が引くように距離を取った。相手が満潮ならこっちは干潮だ。
「お前ら、一週間も前からいたのか!?」
『そうだ!!』
「俺が来なかったらどうしようとか、考えなかったのか!?」
『そうだ!!』
「・・・・大丈夫か?」
『大丈夫じゃない!!』
見れば、白衣の集団は割とズタボロになっていた。白衣の裾は擦り切れ、葉っぱにまみれ、体にはツタやツルやヘビが巻き付いている。一週間も木の中に潜んでいた痕跡がアリアリだ。わざわざサバイバルしていたらしい。
二人は哀れみに満ちたまなざしで目の前の男を見る。大丈夫か、と尋ねたのは健康上の理由ではなく、頭が・・・・言いかけてやめた。心の方に問題があるのは分かった。
前例、すっぽかした時のことがよっぽどトラウマになったらしい。だからこそこうして一週間も潜伏していたのか。呆れを通り越して恐れ入る。よくぞここまで見越した。経緯はともかく結果、ナキヒトは彼らと顔を合わせたではないか。これで白衣集団の苦労も報われる。
「さてナキヒトくん!!約束どおり健康診断に来てもらおうかッ!」
「冗談言うない。殺気立った連中に付き合ってられるか」
金属を擦り合せる音が鳴る。居合わせた全員がミズガシを除いて一斉に刃物を構える。白衣の集団はそれぞれハサミやメスを取り出し、ナキヒトはすでに鞘から刃を覗かせていた。一触即発の気配。
双方の刃渡りはまるで違うが、ビリビリと空気が震える。向こうの気迫も尋常ではない。
「あのー・・・・穏便に済みませんかね・・・・」
刃物に取り囲まれたミズガシが取り残されたように呟く。あくまで医者の狙いはナキヒトで、ナキヒトの狙いは医者。魔王のことなんかスッパリ忘れている。関わりたくないのは確かだが、これはこれで寂しい。隅っこによけていた方が親切なのだろうか。
白衣とナキヒトの睨み合いは無言に陥った。のも束の間、ナキヒトが鞘から刀身を完璧に引きずり出す。それだけで沈黙にヒビが入る。無言の気合いが葉を揺らし、木の幹を裂いた。
次の瞬間、緊張に耐えかねた白衣達が弾かれたように動いた。それからはもう乱闘だった。
「俺に勝てると思うかー!!」
「多少のケガなら善処してやろう!割引で!!」
「我ら外科集団!!」
「お命頂戴致す!」
「医者がそんなこと言っていいのか!!」
「あの、どっちも手加減して・・・・」
乱闘の輪から外れて体育座りで見ているミズガシが言う。でも誰も聞いていない。人間がナキヒトに傷を付けることは不可能に等しいが、ナキヒトは医者達を森ごと薙ぎ払いかねない。それはご法度だ。
樹海の一角でギャーギャー騒いでいると、急に冷たい風が吹き付けてきた。今まで緩やかに漂っていた冷気ではなく、山が急激に吹き降ろしてきた冷風。
「お待ちなさい!!その勝負、私が預かりますわ」
冷たい突風に吹っ飛ばされ、森のてっぺんがへこむ。豪風に引っくり返ったナキヒトと医者達とミズガシは呆気に取られ、地面に転がったまま頭上を見上げた。現れた声の主はふわりと風に乗った爪先で着地する。
「・・・・僻地とは言え、無用な争いを起こすとは勇者の名が廃りますわ。ナキヒトさま」
「アリカ・・・・お前もヒマだな」
ナキヒトは上半身を起こして呻いた。白いコートをまとった女が爪先を揃えて一同を見回す。極北の天使。背で風をはらんでいた羽が一度はばいたいてから消える。
「とんでもありません。しかし、こんなこともあろうかと監視していた甲斐がありましたわ。一週間前から」
「お前もか!!やっぱりヒマだろーが!!」
「私には私の仕事がありますの」
怒鳴るナキヒトからツンと顔を逸らし、アリカはまじめな口調で言い返す。樹海に潜んでいたのは白衣集団だけではなかった。
「て、天使?」
「天使だって?まさか!」
「この平成の時代にありえん!!」
突然現れたアリカに呆然としながらも、医者達はザワザワ抗議を申し立てる。勇者と魔王の存在は当たり前だが反面、そうそう滅多に姿を現さない天使を知る由はない。
「みなさん、落ち着いて。信じられないでしょうが私は天使です」
アリカはにっこり笑って振り返る。無条件で相手の信頼を勝ち取る天使の微笑みに、医者達は無条件降伏した。天使は外ヅラはいい。最大の武器である。
「この不毛な争いは私が預からせて頂きます。神も望んでおりませんわ。武器を収めて下さい」
「おおー」
「さすが天使!」
「言うことが違う!!」
「ええ。愚かな人間が引き起こした愚鈍な行為を見逃しておけませんもの。愚かな人間共!!」
『天使じゃねー!!?』
「天使ですよ?」
場の意見が一致した。愚かって言ってるし。アリカは微笑んだまま首を傾げる。完全に相手の意見を黙殺している。天使の微笑みは恐ろしい。地獄で鬼を見るよりも場違いだ。
笑顔で平然と見下すアリカにしかし、誰も手出しはできない。無条件でむしり取られた信用の裏には人が人で在る限り逆らえない本能が潜んでいる。ナキヒトは刃の峰で肩を叩いた。
「勝手に出て来た割にはマシなこと言わねえな」
「ナキヒトさま、そんなことを仰らず」
「お前の出張るヒマもねえぞ。とっとと帰れ使いっ端」
一歩出てきたナキヒトの声は剣呑だった。タダでさえどーでもいい理由で騒いでいたのに、この場に天使がしゃしゃり出てくることさえどーでもいい。アゴで北の方角を示す。
それ以外の表情を忘れたか、顔に張り付いた笑みでアリカは両手を広げて見せた。
「あら、申し上げたでしょう?この争いは私が収めさせて頂きます。お二方に意味のない争いをさせたとあっては面目が立ちませんわ!」
「私は参加してませんけど」
大仰に手を組むアリカに言うミズガシ。自分もこのへんな諍いに巻き込まれていたと思われては堪らない。しかしアリカは聞いていなかった。天使は神の言うこと以外あんまり聞かない。
「私にできることと言えば、せめてこの不毛な争いに意味を与えることくらいですわ。そうではありませんか?神もそれを望んでおられるでしょう。間違いありません」
「いや、帰れ。何しに来たんだか分からねェ」
即座にナキヒトが切った。不毛で無意味なことは自分でもよく分かっているから。そしてアリカはやっぱり人のハナシを聞いていなかった。
「私にできることと言えば、せめてこの争いの審判ですわ。手の内で踊れ人間共!!レディーファイッ!!」
言ったかと思うとコートを脱ぎ捨ててラインマンような制服に替わるアリカ。みんなはポカンとするしかなかった。準備が、よすぎる。動かない一同を見渡し、アリカはビシッ!と両手を交差させた。
「許可します、争え!!神の御許で無様な戦いは許されませんよッ!」
やたらまじめな表情でアリカがけしかける。止めに来たんじゃなかったのか。別に誰の許しもいらないが、許可が下りたのなら、いいんだろう。ナキヒトと白衣の集団は顔を見合わせた。
「はい、存分におやりなさい」
ミズガシがそこら辺にあった鉄棒かなんかでしゃれこうべを叩いた。投げやりにパカーンと景気のいい音が鳴る。それが試合再開のゴングだった。
「癪に障るがやってやらー!!手加減して八割引きだ!」
「こちとら負担六割だー!!」
「おとなしく健康診断に来たまえ!」
「そうだそうだ!君の健康が心配だ!!」
「そうだそうだ!おとなしく医療発展の土台になれー!」
「そうだそうだ!解剖させろー!」
「本音!!せめて建前と分けて言え!!」
押し隠しきれてない本音にゾッとするナキヒト。全面的にアピールされまくっている。たぶんメスもノコギリも通らないだろうが、そんなに張り切って解剖されるのはゴメンだ。
再び賑やかになった樹海のど真ん中、アリカはうっとりした様子で乱闘を眺める。審判はしてない。
「これぞ意味のある戦いですわ!勇者に挑む愚かな人間共・・・・!!歴史的瞬間ですわ、一個人として歓喜の極みですわ!」
「あなた、完全に職務放棄してますね」
「はっ。そんなことはありませんわ!そうですとも!」
ミズガシにつっこまれて我に返るアリカ。取り繕うように慌てて前言撤回に掛かる。
「そうですとも、そんなことは!私としたことが・・・・中立の立場にあらん限りは個人の幸せなど捨て去るべきです。これでは天に顔向けできませんわ」
「まあ、あなたにしたらそうなんでしょうけど・・・・」
地面にしゃがみ込むアリカを見下ろし、ミズガシは溜め息を吐いた。アリカはもっと重大なことを忘れている。
「言っときますけどこれ、思いっ切り規定違反ですよ。天使が人を勇者にけしかけるなんて、聞いたことがありません。厳重な処罰は覚悟しておいた方がよろしいかと」
言うのは簡単だが、真に迫った勧告。一個人でも個人でもなく、その存在を持たぬ一括りで縛られた天使が
しかしアリカは取り乱すどころか、またあの笑みを浮かべたままミズガシを見上げた。そうする意味が分からない。ミズガシは不穏な思いを覚えた。
「人は高みを目指す意義に己の意味を見出しました。ならば、これも一端と見なしてよいのでは?」
これが?と思うが、ミズガシは沈痛な面持ちでこめかみを叩きながら答える。
「とんだすり替えですね。詭弁もいいところです」
「果たして仰る通りでしょうか?終われない世界なら変えるしかないのではないでしょうか?あなたは果たして何を望んでおられる?地獄の魔王。あなたは何も望んではおられない」
「私にも分かりませんよ、それは。何を言っているんですか・・・・」
アリカはさらに言い募った。羽の隙間から視線を送る。天使の追求は甘言にも聞こえてくる。
「そうしていくつの変革を見捨てて見逃してここまで来たのでしょうか?世界を見捨てるおつもりですか?もちろんあなたにはそうする義務も責任もありません。しかし力があるのでしょう・・・・」
「分かりませんね。あなたも自分も立場を分かっているなら、容易く口に出すべきではありませんよ。身の程を弁えろ、末端。誰を前にしている」
「・・・・申し訳ありません。お許しを。口が過ぎました」
その声に背の羽が震える。魔王の怒りを買った者は少ない。ゆえに、その少数がどの末路を辿ったかを知る者も少ない。
羽をかき消しアリカが膝を付く。しかし笑みは消えていない。まるで張り付いたように。
「まあ、・・・・そろそろ止めた方がいいんじゃないですか?」
ミズガシが見る先で、未だに戦いは続いていた。ものすごい一方的。ナキヒトが医者をちぎっては投げ、地面に転がしたり、たまたま通りかかった自殺願望者に当たったりして大変だった。ダメージは微々たるものだが被害が広がってる。
「ええ。ナキヒトさまなら適当にあしらうでしょう。大丈夫ですわ」
「何が大丈夫じゃないかって、森が・・・・」
伐採された木々があちこちで地響きを立てている。確実に山梨か静岡から苦情が来る。アサヌマもシロツメもいないので、誰もフォローできていない。
「この場はあとで私が直しておきますわ。今止めに入っては、ナキヒトさまも人間達も収まりがつかないでしょうから。今に終わりますわ」
さきほどのしおらしさはケロッと忘れて立ち上がるアリカ。微笑ましいものでも見るような笑顔で言ってのける。
「そうなんでしょうけど。ケガ人が出なければいいんですけど。あなたも審判するって言うのなら、ちゃんとやるんですよ」
「お任せ下さい!公私混同など言語道断、公正な審判をいたしますわ。あっ、そこですわ!ナキヒトさまやっておしまいになってー!!」
「私情!!公私混同しないって言ったでしょ!?今さっき!」
ギョッとして振り返るミズガシ。裏返ったアリカの声にナキヒトも医者達も気付いていないが明らかにひいきの応援であった。ちょっと、ちょっとちょっと!とミズガシは抗議を申し立てた。
「公正な審判してないじゃないですか!今のまずくありませんか!?」
「いえ、そんなことありませんわ!今のは私個人のコメントであって、審判に関わるものではありませんもの。ご心配なく!!」
「ご心配なくってあなた、審判の意味分かってないでしょ!?」
大丈夫です!とミズガシを押さえるアリカ。何が大丈夫なものか。本音と建前の使い分けくらいしてほしかった。
その頃、当たり前だがあっという間にナキヒトに薙ぎ倒された白衣集団。八割引きの手加減どころか、ちょっと撫でただけで全滅してしまった。しかし彼らはいい戦いをした・・・・
「ぬぬ、さすが勇者・・・・」
「まるで歯が立たん・・・・!!」
「俺達の魂が折れちまったぜ・・・・!!」
「し、しぶといヤツらだった・・・・!!」
折れたメスやハサミを握り締めて地面を叩く医者達。その横ではカタナを握り締めたナキヒトがゼーゼー言っている。どっちもいい勝負で疲弊しきっていた。よもや勇者をここまで追い詰めた猛者がいるとは。
リーダー格の白衣が悔しげに顔を上げる。まだ余力が残っているらしい。折れたハサミでナキヒトを指す。
「だが、これで終わったと思うな・・・・」
「なんだと」
不敵な物言いにナキヒトも顔を上げる。相手は意味ありげに言い募る。
「安心するのはまだ早いぞ。第二の追っ手、第三の追っ手が必ずや君を捕らえるだろう!覚悟したまえ!!」
「いい加減終われ!!何人いる!」 ゴシャ!
「目がァ!!?」
そこら辺に落ちていた砂利を投げて黙らせる。クリーンヒットで頭をすっぱ抜かれ、向こうは目潰しを喰らって再び地面に落ちた。結局ナキヒトの神経を逆撫でしただけで終わった。そこへすかさずアリカが割って入る。
「勝者、ナキヒトさま!!お疲れ様でした。さすがお見事ですわ」
「うるせえバカ、黙れボケ。たきつけたテメーが言うことか。どうする気だ」
「とんでもありませんわ。彼らは全力を尽くして勇者に挑み、敗れたものの見事でしたわ。神は死力を尽くした人間を常に見ておりますもの、きっとお喜びでしょう」
ナキヒトの険悪な言葉をよそに惨状の中、場違いに微笑むアリカ。ナキヒトは疑念に満ちた目で見返すが何も言い返してこない。
この者こそ間接的ながら争いを引き起こした張本人だと言うのに、まったく悪びれた様子がない。慈悲に満ちた天使の顔で言うことではない。天使の在り方はそのまま神を代弁する言動になる。もちろん天使は感情を持たないし、意見も持った試しがない。だとすれば、神はとんでもない劣悪種を作ったことになる。
「ご心配なく。この者達は私が責任を持って送り返しますわ」
「そうしろ。もう俺達に障るな」
うるさそうに手を振って寄越すナキヒトに気を悪くした様子もなく答える。
「まあ、寂しいことを仰るのですね。案ずることはありませんわ。神はいつでもあなた方を見守っておりますわ。もちろん私も」
「ゾッとするぜ」
「今日は出過ぎたことをしてしまいましたわ。ナキヒトさまはご自分の役目をお忘れではないでしょうから・・・・」
「あ?なに言ってんだ。邪魔してんのはテメーだろうが」
「とんでもありませんわ!お気に障りましたのならご容赦を。そうですもの、ナキヒトさまのお役目は、」
「魔王をブチ殺す、だろ?」
「ブチ殺されたくありませんねえ」
後ろでボーッと立っているミズガシを指で示すナキヒト。向こうも大したリアクションはなかった。
その答えには肯定も否定も表さず、アリカはただ黙って微笑んだ。人の疑念を黙殺するはずの微笑みもナキヒトには効かない。
しかし、それ以上追求することは危ういように思われた。感情を持たない天使は営利目的で、刷り込まれた本能のまま微笑む。心の底からでない限り、腹の内を読むこともできない。もしくは何も思っていないのかもしれない。神に操られる機械と一緒だ。
「では、これにて失礼いたします」
アリカは一礼を残すと、大きく羽を広げた。次にはすでに姿はなくなっていた。地面に転がっていたはずの医者達も見えない。言った通り、悪いようにはしないだろう。そこのところは信用できる。
溜め息を吐き、ナキヒトはようやく刃を鞘に収めた。体より先に神経が疲れた。それからミズガシを振り返る。
「あれからなんか聞いたのか」
珍しく堅い声。暗にアリカを指す問いに、ミズガシは首を横に振った。
「聞いてませんよ。聞きたいのはこっちの方です」
「だろうな。一体なに言ってたんだ、あいつは」
「なんでしょうね・・・・」
ミズガシは白々しくとぼけたが、ナキヒトは気付いた様子もなく頭上を仰ぐ。
何も聞いた覚えはない。アリカは単に当たり前のことを言ったまでのこと。魔王が勇者を倒し、ナキヒトがミズガシを倒すことは決まりきっている。天使は理に適った、ごく自然な物事を示唆しただけだ。
事実に反論するつもりは毛頭ないが、なぜアリカは改めて並べ立てたのか。ヤマアラシに針を足すようなマネは何も変えない。だが、敢えてそうしていった。それが分からない。
ミズガシはこめかみを指で叩き、納得しても合致できない不可解を考えた。この身には知りうる限り万物の記憶を蓄えている。しかし駆使したところで答えは出なかった。だとすれば自分は、ものすごく重要な点を知らないのではないか。それとも忘れているのか。答えになりかねない要点にばったり出会う。
さらに考えようとしたが、一度試みたものに二度目が通用しないことは分かっていたので、ミズガシはそれきり中断した。無責任に放り投げるよりは楽観視した方が賢明だ。面倒になってきた節もある。
一生懸命に考えてミズガシをほっとき、ナキヒトは一人先に立ってスタスタ歩き出した。
「ま、帰るか。どっちだ?」
「そっちじゃないと思いますけど。あなたはこっちでしょーが」
いつ間にか捨てられていた定期健診のお知らせメモを押し付けると、マジかよーと非難の声が上がる。
「私だってガマンして行ったんです、あなただけ逃げようたってムダですよ。ずるいことしないで下さい、行きますよ!!」
「マジかよー」
とゆーことで、ナキヒトは医者ではなくミズガシに強制連行を喰らったという。樹海から病院直行。
「忘れてたけどよ、なんでお前、風なんかに吹っ飛ばされたんだよ」
「え?なんでしょうかね」
背中を押されながらも、ナキヒトは重要なことを思い出した。そのせいで散々な目に遭ったのだ。忘れてはいけない。ミズガシも思い出しように立ち止まる。
「あ、そう言えば朝ご飯食べてなかったんですよ。早朝に胃カメラだったんで。それで軽かったんじゃないですか?」
「マジか!!お前そんなんで飛ばされてたら毎日吹っ飛んでるだろーが!」
「毎日じゃないですよ。今日は風が強かったからですね、」
「うるせー!!石でも食ってろ!!」
「し、失礼ですね!石は主食じゃありません!!」
「うるせー!!うるせー!!」
病院の前に、近場のラーメン屋に直行したという。時刻はもう夕方近くになっていた。ものすごい帰路になった。
「で、最近シロツメを見ませんね・・・・」
ナキヒトの定期健診も終わってそれから三日後、ミズガシは思い出したように呟いた。
奇しくも復旧した件のミスドのカウンターは早朝、二人の他に客はまばら。隣りの席で朝刊を広げながらナキヒトが思い出したように答える。
「あ?ああ、あいつなら風に乗って有明辺りまで行ったらしいぞ」
「有明って・・・・」
「海だ」
「海、ですか」
「しょーがねー、夏休みでもくれてやるか」
「もう冬に近いんですけど」
その頃、シロツメは遅ーい夏休みを有明海で満喫していたとか、してないだろう。
自分を追っ掛けて行ったのが原因だと思うが、ミズガシは、おそらく今日中にでも帰ってくるだろうシロツメになんて言い訳をしたらいいのか悩んでいたので、隣りで「樹海の半分、静岡県側が壊滅」の記事を読んでいるナキヒトには気付く由もなかった。
どっちもこっちもひどい終わり方。記事にはきっちり「勇者と魔王が原因」とあった。
(2006/12/16)
