真冬のオープンカーを見送るナキヒト。その足元から逃げようとする人物をドスンと踏み付けた。モニャッ!と悲鳴。
「待ちな。魔女の箒は片付いたが、お前の首に用がある」
暴れる男の体を押さえながら、腹に刺さっているカタナを引き抜く。傷穴から血ではない飛沫が飛ぶ。
セドリックに似た男は憤怒に満ちた表情でナキヒトを見上げる。荒い息を吐きながらの風体、もちろん生きているが、それが問題なのだ。
腹に重傷を負い、空から地面に叩き落され、挙げ句に車にぶっ飛ばされても致命傷に至らない。みるみる内に傷口が塞がっていく。勇者の強打と権威に怯まぬ高度な存在、しかし粗暴な行いと矛盾する。
「何者だ?俺個人に恨みを持ってるとは思わないが、セドリックの邪魔をしたいのか。どうなんだ、答えろ」
「お前の方こそ何様だ。俺の邪魔をしていいと思っているのか」
慇懃な口調、質問に対して挑戦で以て返される。相手の正体も職業も分からない以上、ナキヒトは答える術もない。
この時期を狙って家宅に侵入する。セドリック本人でなければ悪意あるコピーキャット。神が許しても刑法と警備会社が許さない。明らかにセドリックを陥れようとする行為だ。
サンタクロースを騙る模倣犯、否、詐欺行為。詐欺の名称すら生ぬるい。
たとえ不届き者な男が純粋な神だとしても、他の誰もが冠するにあたわぬ称号を悪用した越権行為。
カタナを一旦肩に担ぎ上げ、改めて男を観察する。どう見ても純粋な神ではないだろう。
神は積極的に人間に干渉しない、好き好んで人間を救わない、しかしいたずら半分に人の世を乱すマネはしない。好きの反対は無関心、でもない。気が向いた時に振り向くだけの厄介なマネをする。
ナキヒトは改めて考えた。どう考えても、身内間の矮小なイザコザである。だからって勇者と魔王を巻き込んでいい理由はない。
「で、お前。セドリックの兄か弟か?やるんなら別の場所でやってくれ。俺の町内でやるんじゃねえ。マジで迷惑だ」
軽いノリの発言に男はいたく憤慨したようだった。ナキヒトは構うところがない。辺りに冷気が充満し始め、真冬の零度を容易く凌駕し、駆逐する。
「勇者が俺に口を利くな。身の程を弁えろ」
「オレオレ言ってんじゃねえよ。現実、逃げ出すような後ろ暗いことしといて、何を一人で威張ってるんだ。そろそろ清算した方が身のためだ」
「お前には関係のないことだ」
「ああ、そうかい。聞き飽きたぜ。俺がいた場所にテメエの事情で突っ込んできたヤツは災難だ。こうなる」
カタナを持っていない方の手を上空に向ける。素っ気ない所作、男は警戒心の欠片もない無防備さで頭上を見上げてしまう。咄嗟の確認にも関わらず、再びシロツメが飛んでくる気配はない。
晴れの夜空に光る星、星々の間隙を縫い、一層きらめく白刃が走る。ナキヒトの人差し指を避雷針に、真っ直ぐに落ちてくる。無音の閃光。
白刃は落雷、実際には無色透明。視野外から襲い掛かる力は稲妻を模す。
圧殺しに掛かる雷撃は男の目から入り、骨が纏う筋・神経・循環器・内臓・魂、文字通り全身全霊を穿ち、硬直させた。
たった一人を感電死させるために払う暴力には見合わぬ規模。弩と呼ぶに相応しき火力が消費された。しかし直に魂を焼かれては神もどきと言えども死に至る。
空を割って大気と擦り合った一撃は神出鬼没であり、男との接触からわずか半秒ほど輝いたのち、バチンと音を立てて消え去る。雷鳴。男の爪先から抜けた白刃はアスファルトに小さな穴を空けるに留まる。
冬の冷気を駆逐した膨大な熱量。ナキヒトの居場所を捉えた直後、極小の針に尖り、目標一点に収束する。力は無駄を省き効率的に働いた。
宵の空を覆う雷雲が鈍重な足取りで遠ざかっていく。ヒット&アウェイ。やり逃げではなく、次弾を要さない強烈な一撃を完遂する。
雷撃の正体は、蛇神ロディヴォルサムとゼネアフィアーの手足から生まれたとされる鳥のミール・ミー。百の翼に百の鈴を吊った姿で知られる。勇者の職務遂行を妨害する輩に制裁のいかづちを落とす役目を持つ。空全土を伝い這う網の目、
人でない者が勇者に仇為す脅威と見なされた場合、オートで発動する。ミールはとっくの昔に引き金を引いていた。弾丸は長い間空を彷徨い、哨戒を続けていた。時と条件を得た瞬間、着弾まで空白の期間を持たない。殺意の欠片もないカウンター、回避の余地を与えぬ感知外から突如現れるため、ナキヒト以外には察知できない。
「こうなるってことを言っておかなかった俺が悪い」
大して心のこもっていない口調で言うナキヒト、足元では男がのた打ち回る。
捕虫網に掠められたチョウチョと同じく、狂ったように手足をバタつかせている。個人が味わう痛みなので理解もできないし同情もしない。
「雷を落とされたのはお前が久しぶりだ。ってことは、俺も心置きなく切断できるぜ」
ナキヒトはようやく武器を持ち直す。ゆっくりと掲げる切っ先が夜闇を削り線を引いた。
頭上の刃物に気付き、男は地面を這ってでも後ずさる。苦痛から来たす混乱で正気を失いかけているが、その目には魔力がある。睨む視線に毒が含まれる。
魔力を防ぐ直接の盾はない。盾はなくとも、ナキヒトは手段を備えている。
遥かな昔から現代まで、不可思議な術を息をするように扱う数多の者と戦った経験がある。正攻法は勇者に通用しない。
視線から毒を放つ相手は最も容易い。ナキヒトは大幅に視線を逸らし、わずかに切っ先の目標を逸らした。
勇者の剣(武器名)に叩かれたアスファルトは霧散霧消、ドオッと音を荒げながら砕け散る。突発的に激しい力を受け、原料の泥状態にまで戻される。
軟泥の瀑布と化した目くらましをまともに受け、男は咄嗟に目を庇ってしまう。視線の魔力は無効化される。ナキヒトは怒鳴った。
「名乗れ、神もどき!!」
返答は反撃によって行われた。弾けた泥はナキヒトの目の前で凝固を始める。一瞬宙に留まった石炭の群れは狙いを定め、立ちはだかるナキヒトに向かって飛び来る。
ナキヒトは身を開き、両脚で地面を穿つ。魔王が一撃で放つ万発の獄炎のつぶてを一つ残らず叩き落した時と同じく、カタナの一振りがすべての石炭を地面に帰す。波打つ地面。泥から石炭へと姿を変えたタールは融解し、元のアスファルトへと均される。
魂を焼かれ続ける男はなおも気迫を奮い立たせ、土が煙る視界からナキヒトを突き刺す。視線の毒、勇者の剣が盾となり直撃を免れたが、余波を受けてその場に磔となる。
インパクトを避けても無事では済まない。ナキヒトは確信した。
「野郎。
男の正体は勇者を凌駕する力を持つ存在である。混じり気などあるはずもない。
ミールの制裁は同位の神とて例外なく撃つ。勇者はハイブリッドとミュータントにも負けない。しつこく生を手放さないところを見れば一目瞭然、この男は神の等級に相応しく、その
まさかミールの一撃を食らってからなおも動けるとは思わなかった。得体の知れない原動力が男を突き動かす。
視線の毒は長く持たず抜ける。ナキヒトは自制を取り戻し、男に向けて足を踏み出す。
しかしカタナを薙ぎ払ったところを石炭の粒が邪魔をする。男は不器用に後ずさりながらも確実に即死の撃破を避けている。勇者の豪速球をめちゃくちゃな力で打ち消している。神もどきではできない業。
「名乗れ!!俺の知らない神であるなら、世間に広く認知してやらァ」
重過ぎる手応えを感じ、再び大音声で命じる。
勇者と神の間には条約が締結されている。
世界の四方神の他であるなら、勇者と魔王から問われた場合に己の名を答える義務が生じる。名を暴かれた神はさらなる上位級の神に因って力を減退されるのだ。神より直に命令を下された両者の職務を妨害したとなれば厳罰は必至。
しかし男は口を噤んで答えない。答えない場合、当事者の魂には苦痛が与えられる。
苦痛では死ねない。男の正体を暴くよりも前に、決定打のカタナが当たらなければ話にならない。
邪魔な砂嵐の切れ目を見据え、天地無用の状態から男の頭頂部を見下ろす。ひとっ跳びで車線を横切る。男は一瞬ナキヒトの行方を見失う。なんてことのない所作は緩やかに男の目を欺いた。
静かな着地の直後、繰り出される轟音。カタナを中央分離帯に突き立て、豆腐殴っちゃいましたあ、みたいなノリで破砕する。草の裏で寝ていたコオロギもブッ飛んだ。虫達の安眠を妨害する勇者。
ぶっ壊した中央分離帯の破片(サイズ各種)を男に浴びせかける。握りこぶしサイズの石が相手の顔面にうまいことヒットした。バチーン!とか、ドーン!とか、痛そうな音が聞こえた。
「ぎゃあああ!!目に当たった!目に砂が入ったァアア!!」
男は顔を押さえて地面にうずくまる。見てて可哀想なくらい痛々しい。
砂が一番ダメージ大きい、て。腹を刃物でブチ抜かれた時よりもいい反応を見せる。予想外のリアクションに対し、ナキヒトは笑いを堪えきれない。みぞおちが痛い。
「おお、お前ェエー!!よくもやってくれたな!」
目をティッシュで押さえながら激怒する男、声も出ないくらい爆笑しているナキヒト。
「人の苦痛を笑いものにするなああ!!それでも勇者か!!」
「で、では、勇者から、一言・・・・目と歯は大事にな!」
「ふざけんな!」
どこからか取り出した件の石炭袋、袋の口を開ける。空気を焦がす臭いと共に熱の光が灯る。その赤みは離れたナキヒトの顔を炙るほどに強い。
危険を感じ取ったナキヒトは笑いを引っ込める。口を開けていたら肺まで焼かれる。
袋の口から見える中身は相当危ない。あろうことか、袋の内部は灼熱である。ドロドロの赤いマグマが沸き立ち、熱風が噴き出して来る。携帯用、極小の熔鉱炉。
「そんなもん持ち歩いてんのか。不審者どころじゃ済まねえぞ」
「焼かれろ!」
男の掛け声一つ、袋の中から真っ赤な粘着物が溢れる。マグマ自らが火傷でもしたように勢いよく弾ける。
ナキヒトは破片やら何やら転がる道へ飛び出し、何も知らずに走ってきた車の二、三台を次々とぶっ飛ばす。素手で。人為的な交通事故。
マグマ、銑鉄(せんてつ)の直撃を避けた車だが、勇者に薙ぎ払われて路肩へ転がった。無傷の運転手は天地無用の格好で固まっている。何が起きたの?
特大の油鍋に大量の水をブチ撒いたような爆音が上がる。路面を舐めたマグマはのたくり、炯々としたぬめりを帯び、覆ったアスファルトを易々と溶かし尽くす。こんなものを枕元に落とされたら堪らない。
袋口をナキヒトに向け、男はなおも灼熱を噴き出す。魂への直撃だけは避ける。
頭を庇うカタナの表面をとろかす高温は、獄炎のエネルギーを凌駕する。熱いなんてものではない、痛い。髪の毛から皮膚が焦げる臭い。ナキヒトはあっという間に皮一枚を剥がされる。
煙を吐きながら地面を滑る。自分の体から立ち上る水蒸気の量が危険を報せる。
掠められただけで打ち負ける。再生が追い付かず、勇者の肉が音を立てて裂け、堰き止めたところから溢れる血が焼かれて生臭を発する。強張る手の平に柄を握り直す。両手でカタナを支えながら、耐え切れずに膝を着く。冬の乾いた空気を吸い込むと肺が機能の低下を訴えた。
止まっていたら狙い撃ちされる。息を吸い込み、両膝から深く跳んで逃げる。一寸遅れたマグマが地面に穴を空ける。
操られたマグマは鞭のようにしなる。意図を込められた灼熱の矢印は幾度も角度を変え、しつこくナキヒトを追いかけてくる。高熱からパキパキと硬質な音を立てるマグマ、氷山が砕ける時と同じく膨大な熱量を発し、夜空に歪なオーロラを描いた。
空中で身を翻し、眼下の光景を一望する。男からはずいぶんと離れてしまった。足元には炎の舌。
ダメ元で炎を睨んだ。勇者の害成す視線を食らったマグマはわずかに動きを止めるが、一瞬だけだった。気炎と共にナキヒトの片足を絡め取る。
「ギャッ!!いってええ!」
「そんなんで避けたつもりか!焼き尽くしてやる!」
久方ぶりのダメージ、余程のことでなければ痛みを感じないナキヒトは激昂した。力任せにカタナでマグマの鞭を叩き切る。
伸ばした舌を斬られたは本幹は宙でめちゃくちゃに暴れ、断ち切られた部分はすぐさま霧散する。トカゲの尻尾切りだ。大元を叩かなければ、いつまでも逃げ回るしかない。
炙られた足をぶら下げ、頭から地面に向かう。星のように明々と燃える地面が見えた。
天地の差は有れども、上は星空下は大火事。赤光は町の明かりを白けさせ、暗闇から突如湧き立つ林野火災の恐怖を放ち、焦土に向けて驀進する炎が煽られた髪の毛のようにざわつく。
人の魂を持つナキヒトにとって、直火とは恐れの他何物でもない。火種がどうであれ、異常にそびえ立つ炎は簡単に辺りを舐め回し、原始から変わらぬ化学反応で以てすべてを焼き尽くすまで止まらない。制御下を離れた時の裏切りは嫌と言うほど身に染みて分かる。人の手に余る火に手を出す道理はない。
ナキヒトに断たれたマグマの本幹が袋に向かって後退していく。そこから垂れた雫や地面に蟠る水溜り、冬の冷気を弾いてなお、己の熱を食らいながら精錬を進行する。
ドロドロに溶けたものが再び凝固する変化は凄まじい熱を発する。飛び散った汁が空中で燃え上がり、氷の粒のように凍って地面に落ちる。さながら灼熱の豪雨。
豪雨を掻き分け、ナキヒトも着地する。焼かれた足はほぼ完治した。袋の口をさらに広げる男を見やる。
「熔鉱炉か」
「分かっているなら、さっさと溶けろ!!」
「溶けるのはチーズとフローズンなんとかだけでいいんだよ。そうか、熔鉱炉か」
男の言質を取ったことで、対応は決まった。ナキヒトはカタナを鞘に収め、鳥よりも速く跳んだ。踏み切った地面に足型の穴が空く。凄まじい跋扈。
あれっ?と思った時にはもう遅い。自分の後ろに到達したナキヒトを振り返るが、やっぱり間に合わない。勇者の運動神経を侮ったら危ない。ナキヒトは袋の口を素早く閉じてしまった。
しかも、どこからか持ってきた針金でがんじがらめに縛る。嫌がらせの域である。熔鉱炉は完全に閉じられた。
「なっ、何やってんだ!!私物に対して!」
「私物の扱いは慎重にな」
焦る男に対し、ナキヒトは舌を出してさっさと逃げる。今の接近距離なら切るなり焼くなりできたはずだが、あっさりと離れていく。
「早く開いた方がいいんじゃねーか?」
「お前がやったんだろうが!これで勝ったと思うなよ!」
「まだ続ける気か?」
焦って針金を解こうとするが簡単には外れない。ナキヒトはと言うと、すでに終わった様子で舌を鳴らして寄越す。
「熔鉱炉にあるのは鉄鉱石、酸化鉄だろ。
矢継ぎ早に言われ、男はポカンとした。分かっちゃいるが、言葉での説明に実感が付いて来ない。
限界を超えて煮えたぎった鍋が噴きこぼれるように、行き過ぎた酸素燃焼を起こした高炉が辿る道はただ一つ。蓋を押し開けるのは熱湯ではなく、大量のマグマ。不思議袋が手の中でブルブル震え出した。
危険な兆候を示す私物に慌て、男は袋を押さえ付けるが、正常に戻すにはもう遅い。
「やっべーな」
自分がやったことだが、ナキヒトも文句を垂れる。まさか持ち主が制御できないとは。
灼熱に向け大股で歩み寄り、ステップを刻んだ後、思いっきりカタナを振り払う。衝突音が響く直前、ナキヒトは遅すぎる警告を発した。
「袋を離すな。死ぬ気で気張れよ!!」
本当に遅い注意。カタナが接触し、轟音と共に男は打ち上げられる。もにゃる!!という、へんな悲鳴が聞こえた。骨をへし折られたタコみたいな手応え。
路肩に転がった車から這い出した運転手達は空を見上げた。黒い夜空にドーンと広がる火花が鮮やかだ。冬の花火もオツなもんですなあ。まったくもって。混じってナキヒトも観覧する。遥かな上空で袋が爆発したようだ。
乾いた空気の中、てんぷら鍋のような音が弾ける。気張った男はどうやら袋を手放さずに済んだ。地上に被害は及ばない。
「勇者さん、あれは一体」
「気にすんな。十二月のイベントだ」
「なるほど。粋なモンですなあ」
地上のあちこちから惜しみない拍手が聞こえてくる。午前零時を過ぎ、十二月二十四日、クリスマス・イヴの夜更かし連中が歓声を上げる。キレイですね。
空の絢爛とは逆に、黒焦げになった男が落ちてきた。ナキヒトがぶっ壊した中央分離帯の瓦礫に勢いよく埋まる。助けなくても無事だとは思うが、とりあえず落下地点に向かう。
もうもうと立ちこめる砂埃、土煙、男の呻き。怨嗟の低音である。
「よ、よくも、この俺を・・・・!!」
「応。生きてたか」
男が瓦礫から這い出すより早く、ナキヒトは相手の襟首を掴んで引きずり出す。
「テメエに聞きたいことは二つ三つあるが、まずは俺にやってもらった蛮行を詫びてもらいてェな。謝れ!!」
十字路で石炭に埋められた屈辱は忘れていない。勇者をコケにして、なおかつ人間ではなく、魔女の箒を奪った犯罪者となれば、追求することもやぶさかではない。
捕まえた男の顔を見れば、黒焦げで怒りに歪んでいるものの、ますますセドリックに似ている。
左手に男を捕まえ、右手に勇者の剣を油断なく構える。隙あらば切断の所存。
「もう一回言うが、謝れ!!」
「謝らん!!」
「なんでだ!理由は!?」
「それは、俺が悪いことをしたと思っていないからだ!お前は食べる前に食用肉や魚の切り身に謝るのか?この世は食物連鎖、弱肉強食」
「テメエ。頬の肉ねじ切るぞ」
「もにゃにゃ!?」
話の要点をすり変えて反論されるほどこの世で腹立つことはない。怖いほどの無表情で男の顔を破壊しにかかる。詭弁に抗するためには暴力が一番役に立つ。
「テメエはセドリックのなんだ、血縁か?吐くまでねじりまくるぞ」
勇者に問われた男は答えない。名を暴かれたら最後だと知る態度。そしてナキヒトに頬をつままれっ放しの状態である。
「上位神でも俺は容赦せん。神だという証拠はある」
「どほにファ!!」
「どこにだと?俺の力でも簡単にねじ切れないツラの皮がその証拠だ。面の皮が厚すぎる!!これで証拠は揃ったな!?」
「ふぁーふぁ!!」
ファーファ。柔軟剤の商品名。もしくは、バーカ!と言っている。
「もっとうまいこと言いやがれ、名も知らぬ神よ」
目を閉じ、ナキヒトは頭の中に探りを入れた。現代には失せた言語を相手の耳元で低く呟く。
「ラディエド・グニェド。バグエド、ヤールザネ、シーシン。(汚れた神。悪い子だ、さっさと消え失せろ)」
過去に存在した南の国で使われた言語である。錆付いた発音だが、相手には伝わったらしく、その当時よりも古い言語を用いて罵りを寄越す。ナキヒトには理解しかねた。
このやり取りができたなら、相当古い神だ。かつては崇拝を集めたのかもしれない。
神と言えば、一旦人間の前に現れたからには、恥も外聞もなく己の誇示に腐心するはずだ。なのに頑なに正体を隠す。やっていることに少しは恥じ入っているのかもしれない。開き直りも入っている。この手合いは面倒だ。
「上位神サー・セドリック・クラリィクの仕事を妨害し、自分の犯行を隠しもせず露見させるに至り、濡れ衣を同人物に被せ、テメエはまんまと逃げおおせている。うまいことやりやがったが、年貢の納め時だ」
「終わるのは貴様だ、勇者。ミールの加護を得た程度でいい気になるな」
男の目がナキヒトを射抜く。劣勢にも関わらずやる気だ。目の毒に中てられては堪らない。ナキヒトは目を逸らしながら言う。
「正直セドリックが被った疑いに関しては、本当にどうでもいい」
いきなりバッサリ切り捨てる発言。
「ああいうチャラチャラしたヤツはどこかでガツンとやっとくに限る。俺も年に一回はボッコボコにしたいと思っている」
「随分と薄情な言い方だが、勇者のくせに形容に擬音を多用しまくりだな」
「テメーの幼稚レベルに合わせて説明してやってんだよ!!」
男の頭にガツンと一発、素手攻撃。ナキヒトは相手の体を路肩へと放り出す。
「やらかした所業は派手極まるが、引き起こした結果はお粗末、動機も正体も不明。人社会のみならず魔女の方にまで手を出した。後先も考えずに、そこが幼稚だって言ってんだよ。最後は俺相手に駄々こねくり回してるだけだろ」
背中から落ちた男は苦しそうに身を起こす。カタナに貫かれた腹の傷、魂にまで届いた傷に苛まれる。
原付も魔女の箒も石炭袋も失い、勇者に対抗する手立ては皆無。残された気力は未だに弱ること知らない目の魔力に込められる。
「言ったはずだ。勇者の出る幕はない。俺はセドリックに用がある。セドリックを破滅させる」
「とうとう言ったな」
ナキヒトは引き攣れた笑い声で応える。騒がしく吹いていた冷風が一気に静まる。
「市内で暴れて、いろいろやってくれた。テメエみたいな神は残しておくと後々障る。気概は買うがここで一旦死んでおけ」
零度よりも低い声音で言い放つナキヒト、神ならいつの日かよみがえるだろうが、今ここで勇者に斬られるくらい我慢するべきだ。
遅かれ早かれ、執行者が誰であろうと、世を乱した報いは受けなければならない。空気を両断する豪速の一閃、ナキヒトは気安くカタナを振り下ろした。身に迫る危険に身が竦み、やたらゆっくりに見える太刀筋、男は思わず目を閉じた。
「ナキヒトー!!やめなさーい!」
追いかけてきたミズガシの声が聞こえた。そう言われても止まる猶予はない。
制止の声が聞こえたと同時に、疾駆するバイクにぶっ飛ばされた。男の頭に刃が当たる一ミリ手前で、轢かれたナキヒトは二十メートルくらい転がって地面を滑る。普通に交通事故。
他に車両のない道路でギュッとブレーキ。セドリックはゴーグルを額に上げる。
「間に合ったか!緊急事態に、俺参上!」
惨事を目の当たりにし、バイクの後ろに乗っていたミズガシは開いた口が塞がらない。
「何やってんだコラァアア!!争いを止めろとは言ったが、ナキヒト轢いてどうするんですか、もっと手前で止まらんかい!!」 ドスン!!
「超いってえ!!俺は急に止まれない!」
「役立たず!」
「いや、他の部分は立つから大丈夫だ!」
もう一回ミズガシにへこまされ、セドリックはバイクから転げ落ちた。詳細を言うと、背中を殴られた。
「ナキヒト様、お気を確かに!ちょっとした交通事故だと思って!」
「しっかりして下さい!今のは犬に噛まれたと思って!」
空から降りたシロツメ、アサヌマ。
命じられ飛んでいったシロツメはちょいと上空の気流を乱し、風の精霊を男に向けて唆した。それから急いでアサヌマを拾って飛んできた。
「三田さんは悪気があってやったわけじゃないんですから・・・・怒りは毒ですよ!ねっ!」
「そうそう、シロツメの言う通りですよ。ここは一つ、大らかな気持ちで許すカンジで・・・・」
上司の身を案じる気持ちも当然あるが、地面に突っ伏した体から滲み出る出血、ではなく、凄まじい怒りの気魄。
これはダメだ、と早々に判断したアサヌマ。倒れた自動二輪車のキズを見てへこんでいるセドリックに告げる。限りなく警告の域。
「セドリックさん、時速二百キロで逃げた方がいいですよ」
「フッ。まあ焦んなって。この俺が勇者相手に負けるとでもお思いかね?さあ、どっからでも掛かって来やがれ!!」
「このチャラ南蛮チキンが!!毛唐!即刻滅びろ!」
「イヤ!!顔はやめて!!メッチャ痛え!!」
すぐさま起き上がるナキヒト、カタナの切れる側でバシバシ叩き、叩かれまくるセドリックは頭を抱えて地面に蹲った。この光景は今夜だけで三回くらい見た。セドリックも大きな口を利いた割にはメッチャ弱い。
怒り心頭でセドリックをしばくナキヒトは元気そうなので、さておく。いつでも元気いっぱい、それが勇者。ミズガシは放っておく。
路肩に座り込んだ男を改めて見る。どんな激闘があったのかはイザ知らず、あちこちボロちゃんになっている。なぜか焦げた跡もある。
「ところで、あなたは大丈夫ですか?一応確認しておきますが」
「魔王か・・・・そこの騒音を止めろ」
命令のような言葉を発する男と目が合った途端、体の自由が奪われる。抗えない魔力に射竦められる。名も知れぬ神であろうと、ナキヒトが手こずった理由も分かる。
しかしグッと堪え、目の魔力に睨み返す。魔王の心は簡単に操れない。地獄の王の魂を掌握できると思うなら、読み間違えている。メンタル攻防で勝てるとお思いでないよ。
数秒の拮抗を経て、男が先に目を逸らした。勝ったわけではないが、負けなかっただけだ。話し合いに持ち込む。
「名は知れぬが、相当に力ある神とお見受けする。勇者と魔王は貴殿にとって無益なる争いを致そうとは、これ以上望むらくもありません。
ミズガシによる最終通達である。すでにナキヒトは名乗りを求めただろうが、魔王の要請までも併せて断ることはできまい。目の奥に獄炎をちらつかせながら強いる。
話し合いとは机上の論理。名の知れぬ神と魔王、互いの気合いがぶつかり削り合う。これは紛れもない殺し合いである。痛覚さえ伴うのだ。
さすがに魔王の強請は堪えたか、男は憤怒の形相から悔しげに口を開きかける。ガチガチと歯噛みの音が鳴る。驚異の粘り。
「待て」
水を差した声はセドリック。ようやくナキヒトの仕打ちから逃れ、あちこち殴られた風体で割って入る。
「大丈夫なんですか?一応聞いておきますけど」
「致命傷は免れた、気にすんな!」
見てない間にそこまで追い詰められたのか。上位神とは思われぬやられ様。
「お前らにしたら世間を騒がせた罪人かもしれない。しかし俺の領分だ。身内に過分な恥をかかせるわけにはいかねえ」
セドリックに言われ、ミズガシは一歩退き、アサヌマとシロツメはナキヒトに寄り添う。ナキヒトはと言うと、不服な表情でカタナを収める。鞘には戻さないが。
「やめろ」
止めたのは、もちろん不詳の男。真っ向から見返したセドリックは首を横に振る。もはやこれまで、と言った答え。
「兄貴、もう終わりだ」
(2013.9.6)

