新撰組局長 ・ 近藤 勇 ・・・ 現在の東京都・出身。剣術の流派は天然理心流。
愛刀は、長曾祢興里虎徹。
天然理心流の三代目である近藤周斎に剣の腕を見込まれて、
養子となった。
26歳の時に、天然理心流の四代目に襲名し、
理心流の宗家を継いだ程の人物だ。
28歳の時に、彼の道場である試衛館の者たちと浪士隊に応募、
京に上り、会津藩の元で新選組を結成した。
道場主の養子に選ばれるぐらいだから、剣の腕はかなり凄いだろう。
彼の最後は、薩長の官軍と戦って敗戦を重ね、北上していたが、
35歳の時に下総流山で官軍に投降し、板橋で斬首された。
彼の人生の最後は哀しいものとなってしまったが、新選組の長として
後世にその名を轟かせた。
新撰組副長 ・ 土方 歳三 ・・・ 現在の東京都・出身。剣術の流派は天然理心流。
愛刀は、和泉守兼定。
近藤や沖田たちと共に、江戸の試衛館で剣術を学んだ。
新撰組を結成してからは、局長の近藤を補佐し、隊士たちには
厳しく指令を出していたらしい。
銃器を相手に刀で戦って活躍したので、剣の腕は凄まじいだろう。
彼の最後は敗戦で北上し、35才の時に幕府軍の最後の砦・五稜郭が
降伏する気配が強くなったのだが、彼は降伏せずに敵地に
飛び込んで、銃弾を受けて戦死した。彼の死によって
新撰組は終焉となる。最後まで戦うとは、真の侍といっても
過言ではないだろう。
新撰組一番隊 ・ 隊長
沖田 総司 ・・・ 現在の東京都・出身。剣術の流派は天然理心流。
愛刀は、長兵衛藤原清光。小説では有名な
名刀である「菊一文字」を使っていたりする。
江戸の試衛館で剣術を学び、10代で免許皆伝の腕に
なったという、天才剣士だった。
突きが得意らしく、一瞬で同時に三カ所を突く「神速三段突き」
が必殺技のようだ。
有名な「池田屋事件」で近藤らと突撃して活躍したが、
持病の肺結核により、吐血したというウワサがある。
最後は、持病のために江戸で本隊と別れ、養生していたが
肺結核が悪化して27才で病死した。
二番隊 ・ 隊長
永倉 新八 ・・・ 愛刀は、手柄山氏繁。現在の東京都・出身。流派は神道無念流。
神道無念流・岡田の所で剣を学び、18歳で免許皆伝となったらしい。
江戸中の道場を回って手合わせを挑んでいるうちに、
近藤 勇と出会い、後に新撰組に入ることになる。
剣の腕も大したものだったらしい。
新撰組が甲州勝沼の柏尾での戦いに敗れ、江戸に帰還した時に、
「原田 左之助」、「斉藤 一」と共に新撰組から脱退する。
その後、「杉村 義衛」と名を変えて、小樽で暮らしていた。
明治の世を77歳まで生き延びた。
三番隊 ・ 隊長
斉藤 一 ・・・ 愛刀は、池田鬼神丸国重。現在の東京都・出身。流派は一刀流 。
会津藩の江戸屋敷にある道場で一刀流を学んだらしい。
江戸から京都に行き、太子流の剣客・吉田の道場に身を寄せ、
師範代をしていたが、その後に浪士隊で上洛してきた江戸での知人、
「近藤 勇」と会い、新選組に入る事になる。
剣術の腕は、沖田に勝るとも劣らない程だったという。
新撰組で最強は「沖田 総司」か「斉藤 一」らしい。
「左片手平突き」が必殺技のようだ。
「柏尾の戦い」で敗走し、江戸に帰還後に新撰組から脱退。
「藤田 五郎」と名を変えて、警視庁の警部にまでなった。
明治の世を72歳まで生き延びた。
十番隊 ・ 隊長
原田 左之助 ・・・ 現在の愛媛県・出身。流派は剣ではなく、槍を使い、
種田流槍術だ。
伊予松山藩に産まれた、新撰組一の暴れん坊。自慢の
力で、槍を縦横無尽に振り回した戦好きで、殺しも好きらしい。
性格は荒っぽくて、怒りやすい。かなり危険な男だろう。
「柏尾の戦い」で敗走し、江戸に帰還後に永倉たちと
共に新撰組と決別する。やがて永倉とも別れ、
上野で彰義隊に加わって28歳の時に戦死したようだ。
彰義隊とは、無血開城に反対する旗本を中心に結成された
一団で、上野に立て籠もって戦ったが、敗北した。
実は生きていて大陸に渡り、盗賊の首領になったという
伝説もあるが、信憑性は薄いかな。