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日本TRPG界を死へと追いやり、 |
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序文 |
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「日本のTRPG(*1)の代表作と言えばSW(*2)である」このフレーズに異論を唱えようという人は、あまりいないだろう(*3)。その「日本TRPG界の代表」とも言える作品が発行されてから、もうじき十年の月日が流れようとしている。SW以前の十年間が、ある意味穏やかな、それほど大規模な変化のない十年であったのに対し、この十年は「激動の十年」と言っても過言ではないだろう。様々な出版社やゲーム会社が精力的に、ヴァラエティーに富んだ作品を次々と発表した、活気に満ちた十年であった。そして、それはまた「TRPG凋落の十年」でもあった。今のTRPG界を見てみるがいい。日本のTRPGは死んでしまった。そこまでいかないとしても、棺桶の中に片足のみならず、両足を突っ込み、あとはその身を横たえるだけ、と云った状況だろう。「日本TRPGの代表」たるSWは、業界全体に強い影響力を持っている。今日のTRPGの衰退。その原因の一端がSWにもあるのではないだろうか。 もちろん私にも分かっている。SWは決して「悪いTRPGシステム」ではない(*4)。グループSNE、富士見書房、角川書店の三位一体マーケティング攻勢がSWメジャー化の最も大きな原動力となったことは事実だ。しかしながらSWが「空前絶後の大駄作」であったならば、いかにマーケティングが優れていてもSWがここまでメジャーになることはなかっただろう。SWは融通の利かないクラスシステムと煩雑なスキルシステムの折衷案とも言える「経験点によるクラススキル購入システム」を導入したり、2D6+基準値で求められた達成値を比べあうという簡潔な行為判定方法(*5)を採用するなど、見るべき所もある。 だが、しかし、But、However、今回は「批評は進歩の母である」という思想の元、SWが日本TRPG界に与えた悪しき影響、SWの暗部に光を当ててみたいと思う。「SWは日本、いや世界最高のTRPGであり、それを批判することなどもってのほか!」と思われる方には、このコラムを読んで頂かなくて結構である。私には「SW我が命!」「SW最高!」と考えているあなたの気分を害するつもりは毛頭無いし、抗議の手紙を書くためにあなたが費やす時間とエネルギーの事を思うと心が痛む。ここまで読んだだけなら、時間・エネルギー共にそれほど浪費していないだろう。もう一度繰り返す、「SWを悪く言われるのはたまらない」という人は、このコラムを読むのを今すぐ止めるべきだ。 |
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SW・その闇 |
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前の段落でこのコラムを読むことを止めず、この段落へと読み進めたあなた。あなたは幸いだ。前段落で、本当にこのコラムを読むことを止めてしまった人は「SW絶対主義」とも言うべきSWの悪しき影響の下にいるからだ。確かにSWの普及率はすさまじく、日本で少なくとも数年はTRPGをプレイしている人の中で、SWを知らない、あるいはプレイしたことがないという人を捜すのは大変なことだろう。この段落まで読み進んだ賢明な諸氏にはお解りだろうが、普及していることは、それが優れている事の証ではない。そして、どんなシステムも完全には成り得ない。SWとて完璧では有り得ず、その欠点を正しく批評されてこそ健全なるSWの進化というものがあったと思うが、SW愛護者はそれらには耳を貸さずSWの絶対性を唱えるのみであった。彼らは洗脳でもされているだろうかと疑いたくなってくることがある。故意にしろ過失にしろ、その絶大なるネームバリューで人々に「SW=絶対なるもの」という印象を植え付けてしまったことは、TRPG界全体にとっては害であった。SWS(*6)となった人々は、SW以前のTRPGをSWと比較、SWと異なる点を指摘し、それらを排除した(*7)。また、SWのあとに続いた多くのTRPGもSWと比べられ、SWをどれだけ超える点が有るか無いかと云うその一点で優劣を判断された。さらに一部の熱心なSW支持者達の間には、そのTRPGがSWで無いという理由だけでそれを排斥するような風潮すらあった。このような風潮が今日のTRPG界凋落の原因ではないと言い切ることは出来ないだろう。「SW絶対主義」に囚われていない読者諸氏が、このような悪しき風潮に流されないように祈る。 また、SWは「戦闘重視のゲームシステム」である。以前このような発言をした際「そんなことはない、SWはシティーアドベンチャーに向いたシステムであり、戦闘で死人が出ることもなく戦闘重視とはほど遠い平和的なシステムである」と反論されたことがある。これは大きな間違いだと言わざるを得ないだろう。シティーアドベンチャーに向いたシステム云々はさておき、死人が出づらいと云うことは、簡単には死なない/死ねないシステムであり、そのために軽い気持ちで戦闘という解決手段に頼ることが出来る、と云う意味でもある。もしSWが「戦術も考えずに戦闘行った場合、PCの半数もしくは全滅も有り得るシステムであり、そのため二つ以上のパーティー間に何らかの対立があった場合、プレイヤーは戦闘以外の交渉・説得と云った解決法に頼らざるを得ない」というようなシステムであれば、私は某氏の言ったことに反対するつもりはないが、現実はそうではない。 通常、SWで行為判定を行うには、六面ダイスを二個振り、出た目の合計を基準値と足し、求められた達成値を目標値と比べるという手順を踏む。簡潔ではあるが、それほどエキサイティングなものではない。ところが戦闘中は「攻撃者が相手にダメージを与えることが出来たか?」を判定するために最低二回(*8)、多ければ四回以上(*9)サイコロが振られることになる。しかも最低二者がサイコロを振りあうわけだから(*10)、ささやかなギャンブル性も生じ、場は大いに盛り上がる。SWの戦闘システムは面白く、それだけ力を入れてデザインされているのだ。 また、戦闘に使われる能力値にも特別の配慮が成されている。通常の行為判定に直接能力値が使われることはなく、そのかわり能力値ボーナスという値が使われる。つまり、器用度が12と器用度が17の二人のシーフがいた場合、両者の技能レベルが同じなら、この二人がある特定の鍵を開けることの出来る確率は全く同じになる。だが能力を筋力に、技能をファイター技能にして考えてみると話が変わってくる。筋力12と17の同レベルファイターが戦った場合(*11)、筋力17のファイターが勝つ確率の方が高くなる。戦闘に使われる武器や防具は、レーティング表と呼ばれるただでさえ手間のかかる戦闘をさらに煩雑にするチャートにより、筋力1点ごとに微妙にその打撃力と防御力を変化させるのである。魔法に使う精神点を別にして(*12)、筋力や生命力と云った戦闘に使われる能力値は1点が差を生むのである。 戦闘ばかり続けているのは悪い事だ、と言うつもりはない。しかしながら、戦闘はいずれ飽きるものだ。SWはそのネームバリューを以て「TRPGで面白いのは戦闘だ」という印象を人々に植え付けてしまった。そんな印象を受けた人が戦闘に飽きたとき、SWのみならずTRPG自体をやめてしまう。その様なことが現在のTRPG人口減少の一端を担っているとは言えないだろうか(*13)。 TRPGシステムを、それを製作したメーカーが様々な側面でサポートする。そんなメーカーは理想的であり、良心的だと思われるだろう。しかし、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」の格言通り、グループSNEはSW関連のサプリメントを発行しすぎた(*14)。確かに、リプレイで遊び方を、シナリオ集で新規ゲームマスターにマスタリング方法を、ワールドガイドや小説で世界観をより深く説明できると思う。だが、それらに様々なデータが散りばめられ、その全てを把握することはよほどの「SWマニア」でもない限り不可能だろう。軽い気持ちでSWをプレイ/SWのマスターをしたら、SWマニアなプレイヤーに突っ込まれ「あなたは無知だ」とばかりの態度で嘲られたことはないだろうか。もしその様な態度をとる輩に遭遇したとしても、決してストレスをためることなく、哀れみの心を以て彼らに接するべきだ。彼らはSWの闇に取り込まれてしまった哀れなる犠牲者達であり、ため込んだSWに関するマニアックな知識を披露することでしか自尊心を満足させることが出来ない哀れな人々なのである。出来るならば、彼らに対し、本来TRPGとはヴァラエティーに富んだものであり、SW以外に目を向ければ世界には様々なTRPGが存在することを優しく教えてあげるべきだろう。悪しき風潮に染まってしまった人を更正させることは、その悪しき風潮に染まっていない人にしかできないのだから。 |
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最後に |
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以上のように、SWの存在は日本TRPG界に大きな、そして悪しき影響を与えてきた。その結果が、現在の日本TRPG界の低迷である。そして、SWもまた老いさらばえた恐竜のように死の床に着いている(*15)。SWの死と共に日本TRPG界そのものの命の灯火が消えるか否かは、SWの闇の影響を逃れた聡明なる読者諸氏の心に宿る、「TRPGを愛する光」にかかっているのである。 文責:JUNO |
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脚注 |
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文末の「▲」をクリックすると、もとの位置に戻ることが出来ます。 ・(*1)テーブルトークロールプレイングゲームの意。▲ ・(*2)ソード・ワールドRPGの意。▲ ・(*3)異論のある人も「日本のTRPGの代表作はSWである」と云うことにして、読み進んで欲しい。▲ ・(*4)何が「良く」何が「悪いか」といった哲学的問題はこの際気にしなくてよろしい。▲ ・(*5)SW発表以降、「乱数+基準値で求めた達成値を目標値と比較し行為の正否を判定する」と云う判定法はブームとなった感がある。▲ ・(*6)ソード・ワールド・サーバント。ソード・ワールドRPGの下僕の意。▲ ・(*7)その多くは決してSWより劣っていたわけではなく、ただ単に異なっていただけであったにも拘わらずだ。▲ ・(*8)もちろん攻撃者が1ゾロを振れば一回だ。▲ ・(*9)攻撃、回避、打撃、防御の各ロール。クリティカルヒットによって回数が増える可能性もある。▲ ・(*10)もちろんゲームマスターがモンスターの固定値を使用するならこの限りではない。▲ ・(*11)生命力などの条件は同じであるとする。ただし武器防具に関しては自分にあったものを使っている。▲ ・(*12)ただし、魔法は往々にして戦闘中に多く使われるものだ。▲ ・(*13)戦闘重視の危険性に関しては馬場秀和ライブラリのRPGコラム「パワープレイ−あるいはシークレットドアを探して−」にためになる記述がされているので、興味のある方は参照されたい。▲ ・(*14)ハイペースで数多く出版されたシナリオ集がTRPG界にもたらした悪しき風潮は、私が最も憂慮するものの一つである。本来TRPGのシナリオというのはゲームマスターが製作するものであったが、自分で考えること、創造することを放棄し「シナリオ集があるならマスターするよ」などと発言するマスターが存在することを知ったとき、私は深い悲しみに襲われた。▲ ・(*15)リプレイ・小説以外のサプリメントは97年2月SW完全版シナリオ集2を最後に出版されていない。それに魔精霊「アトン」の情報をリリースした後、どのような情報が公表される必要があるだろう。▲ |
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