空は青く澄み渡っていた。
風は気持ちよく凪ぎ、髪を撫でていく。ただ、その冷たさだけが日に日にましていく。
六角中のテニスコートでは、土曜日にもかかわらず活気に溢れていた。
コートのあちこちからはボールを打つ音と、それ以上に部員の掛け声によって盛り上がっており、これから訪れるであろう季節の寒さなど微塵にも感じさせない。
ジャージを着用しているものなど見当たらなかった。
コート脇から見える道路を行き交う人々の中にはマフラーを巻いている人すら見られるのだが。
部活という一つの熱源にこの瞬間の全てをかけている中学生にとっては、晴れた今日などは暑いぐらいなのだろう。
 
テニスコートに隣接するアスレチック場では、学校が休みの今日。近隣の小学生達の姿も見られる。
それぞれ行っている事は様々だが、特にテニスコート前のフェンスは一大スポットで、何人かの子供達が団子のようにかたまって六角中テニス部の練習風景に魅入っていた。
瞳をキラキラと輝かせているその様子は、数年後の六角中テニス部の未来を約束させるような力強いもので。
 
「あ、バネちゃんだ!」
 
ふいに振り返った顔見知りの一人が笑顔でそう言うのに、黒羽は空いていた右手でその頭を撫でてやった。
 
「よう」
 
左手に紙袋を持ちながら笑う彼に、フェンスまわりにいた小学生はもとより、フェンス向こうのテニス部の部員も数人視線を向ける。
と、そのうちの一人が盛大に声を上げた。
 
「あーーー!バネさんヤッホーーー!」
 
ラケットを持ったまま両手を上げてブンブンと振り回したのは、この六角中テニス部の栄えある部長である葵だった。
声が大きい事が特徴の一つとも言える彼の声はもちろんテニスコート全体にまで響き渡り、練習が一度中断されるまでになる。
まったくよくできた部長であった。
黒羽が苦笑して、何か言ってやろうと口を開いた時。
 
「剣太郎、練習止まってる」
 
「あ、ごめんごめん!ダビデ!」
 
それより素早く言葉を発したのは、フェンスよりも少し離れた位置で壁打ちをしていた天根だった。
関東大会後、レギュラーであった三年生が引退してから副部長の任についた天根。オジィのその決定に、当初は去っていく三年生といわずテニス部全員が一抹の不安を感じたものであったのだが。
<もちろん、葵が部長に任命された時はその比ではなかったが>
 
(…なんだ、意外としっかりやってるんだな)
 
黒羽はダブルスペアとして同じコートに立ったこともある後輩の成長に、口元が緩んだ。
そしてそのまま、小学生の頭を撫でていた手を上げて天根に声をかける。
 
「ようダビ、頑張ってんじゃねぇか」
 
「バネさんはどしたの」
 
「俺がなんでここにいるかって?ばぁか、別に理由がなきゃ来ちゃいけねえ場所でもねぇだろ」
 
「そうね」
 
「せっかくだから、バネさんも打っていかない?それとも受験勉強しすぎでなまっちゃったとか」
 
相変わらず単語の抜ける天根の言葉に、しかし黒羽は上手く会話を成立させながらフェンスに近づいていった。
天根のほうもやはり同じようにフェンスまで歩いてきていたので、二言目が終わる頃には二人の距離は間にフェンス一枚を隔てたのみとなっていて。
そして葵がやはり響くような弾んだ声で、黒羽を誘う。余計な一言がつきがちなのも葵ならではだ。
そういえば最近はなんだかんだで忙しくて、あまりラケットを持っていなかったなと黒羽は一瞬思考して。
次の瞬間には、アスレチック場とテニスコートを結ぶフェンスの一角の扉に向かっていた。
 
「そう言われたからには答えねぇわけにはいかねえなぁ。
まだまだヒヨっこどもには負けねえぜ!ぶっ倒れてぇ奴からかかってきな!」
 
「バネさん、ラケット」
 
扉をくぐりそう言葉を発した黒羽に、天根は自分の持っていたラケットを差し出す。
黒羽はちらとそれを一瞥して。
 
「馬鹿、んなもん使いきれるわけねぇだろが。俺は普通のでいいんだよ」
 
天根の握っていたのが、彼が愛用する特別長いラケットだと認識すると天根の額に軽く拳を当てた。
痛みはないがその衝撃に天根が眉を寄せる。 その間に黒羽は別の後輩からちゃっかりとラケットを借りて(自分の持っていた紙袋はコート脇のベンチに置いて)、自分の肩を叩いた。
 
「んなことより試合だ試合。ダビ、久しぶりにシングルスやろうぜ。
今まで割とダブルスばっかだったからな」
 
「うぃ」
 
「えーー!ダビデとバネさんのシングルス対決!これは面白いよ!」
 
にやりと笑った黒羽に、天根は感情の読めない表情で(何も考えていないだけかもしれないが)頷く。
それを聞いた葵は一人大騒ぎし始める。
フェンス向こうからは、小学生達の声も飛んできて。
そんな中を、天根と黒羽はコートに向かって歩いていった。
 
ネットを挟んで対峙し、サーブ権を決める。
ラフといった黒羽の言葉どおりになり、サーブ権は黒羽がもらう事になって。
 
久しぶりのボールとラケットの感触に、黒羽は不思議な昂揚感を得る。
オジィに作ってもらった自分専用のラケットには程遠い握り具合ではあったが、それでもなによりコートの上に立ち試合に臨むこの空気。
なにより、ネットの向こうにいるのは中学三年間のうち半分ほどをダブルスで過ごした相棒と言ってもいい天根だ。
相手の実力はなにより自身が良く知っている。知っているからこそ、たまらない。
 
「手加減無用だぜ、ダビデ」
 
「もち。バネさんも本気でこい」
 
「言ったな」
 
 
「ワンセットマッチ・プレイ!」
 
審判台から、嬉々とした葵のコールが聞こえてくる。
黒羽の、そして天根の表情が変貌する。
黄色いボールが数回、黒羽の足下でバウンドして。
そして高く高く空へとボールを投げ上げた。
 
 
「いいゲーム、しよう…ぜっ!」
 
声と共にしなやかに、しかし激しく打ち出されたサーブは天根のコートに突き刺さり。
 
「あたりまえだの…クラッカーッ!」
 
天根の声とそして伸ばされたラケットによって、打ち返される。
ボールは今、重力を離れ風を切った。
 
空は雲ひとつない青天。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久しぶりのラケットの感触は、思ったよりも手に馴染んだままだった。
そしてなにより心を打つ昂揚感。
テニスが好きだ。
ボールを追いかける刻が。
一つのものに向かう意識を共有する、この瞬間が…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いやーーー!いい試合でしたぁ!」
 
十数分後、審判台から降りてきた葵は太陽に負けじとも劣らない眩しい笑顔で、満足げにそう言った。
その声を聞いていたのかいないのか、いつからか居たオジィがウンウンと頷く。
ウンウン、というよりもカクカクと表現したいそれを視界に納めて。 黒羽はベンチにどっかりと腰を下ろした。そして、同じように隣に座りタオルで顔を無造作に拭う天根を見やった。
そしてそのタオルの端を奪うと、同じように自分の顔を拭く。
 
「っあっちー!やっぱお前と試合すっと疲れるぜ、ダビくんよ」
 
「…負けた」
 
「カッカッカ!まだまだお前になんか負けてやんねぇよ」
 
「…あとちょっとだったのに」
 
ぶすっとした表情(もっとも、それは黒羽ぐらいしか見分けられないと佐伯あたりはいうのだが)の天根に、黒羽は笑いながら頭を撫でてやる。
撫でるというより掻き潰すといった表現に近い、擬音にすればぐしゃりと落とされた手に、天根は益々ふてくされる一方で。
それがまた天根らしいので、黒羽の笑みは益々濃くなった。
 
「バネさん…次は負けない」
 
「何度でも来やがれってんだ。大体お前はパワーはあるくせに、それを使い切れてねんだよ。ミス多すぎ」
 
「…」
 
「つーか、騙されすぎ?」
 
最後の勝敗を分けた際に仕掛けた策略に、天根がことのほか見事にひっかかってくれたのが嬉しくてたまらないのだろう。
黒羽がニヤニヤと言い放つと。
 
「…青学んときはバネさんだって騙されてたくせに」
 
天根はボソリと、反撃に打って出た。
が。
 
「そ・れ・を・い・う・の・は・こ・の・あ・た・ま・かぁーーー?」
 
ギリギリギリ。
 
「いででででっ!!!痛いって!バネさんギブギブ!!」
 
天根の頭に置かれたままであった黒羽の手が、ぎゅうとゲンコツになり。
さらにもう一つの手も現れて、こめかみを押しつぶしたために、天根は頭蓋に響く痛みに両手をバタバタさせて白旗をあげた。
結局、かなわないのはいつものことなのだ。
 
「おーーい!そろそろお昼にしようーーー!」
 
と、そこへ葵の声がかかる。
正しくは、葵は部員全員に呼びかけておりその隣ではオジィも「お昼、食べといで」と口をパクパクさせていた。
その声を合図に、コートのあちこちで練習をしていた部員はそれぞれ一段落したところで、部室に向かっていく。
黒羽のお腹も例に漏れず、ぐぅと鳴って。
こめかみつぶしの刑(通称うめぼし)を中断して、天根に声をかける。
 
「そういえばダビ、お前昼飯はどうしたんだよ」
 
「家から弁当持ってきた」
 
「そっか。じゃあ俺もそろそろ帰るかな」
 
部室を指差しながらそう言う天根に苦笑し、黒羽は勢いをつけてベンチから立った。
その姿を一瞬見上げて、天根も同じように立ち上がる。
 
「もう帰んの」
 
「家にメシあっからな。ま、気が向いたらまた昼過ぎに見に来てやるよ」
 
「うぃ」
 
頷きながら、それでもどこかなんとなく寂しそう(に見えるのは黒羽の主観かもしれないが)な様子の天根に、黒羽は珍しく視線をせわしなく動かし。
しばらくの沈黙の後。
 
「あー…そうだ、これやるわ」
 
黒羽は手にしていた紙袋を天根に押し付けた。
反射的にそれを受け取って、そして天根は首をかしげる。
 
「これなに」
 
「…いいから、開けてみろよ」
 
「うぃ」
 
視線を合わせようとはせず、あさっての方向を向いたまま告げる黒羽の言葉に従い。
天根はがさごそと20cm弱の紙袋をさぐる。
セロテープだけで止められた、味気ない茶色のそれから出てきたのは。
 
「…チョコ!!」
 
チョコベビーやアーモンドチョコなど、様々なメーカーのチョコレート菓子数点だった。
天根の瞳がそれを認めたとたんに著しく輝くを増す。
喜びが見た目にも満ち溢れている天根を前にして、黒羽は自らの頬を指で掻きながらつぶやく。
 
「今日お前、誕生日だろ。だからよ。つーかほら、角の店で安売りしてたっつーかさ?だから…あー」
 
「ちょこちょこ…いっぱいでもちょこっとれいと」
 
「ーーーーっ人の話を聞けっ!!!それからその駄洒落もつまんねーよ!」
 
ゲシッ
黒羽の蹴りは相変わらず冴え渡っていた。
天根の後頭部をクリーンヒットした足は、そのまますべるように着地する。
なまじ鍛えたぶんだけ天根の体は頑丈で、なんとか無様に倒れるような事態だけは回避されたが、その分蓄積されたダメージにうめく羽目になり。
うつむいて痛みに耐える天根からは、だから黒羽の顔は見えなかった。
平静のふりをして、耳を赤くして照れている姿など。
 
しばらく長身の学生が二人。
テニスコート脇で、沈黙したままで。
 
「ったく、口をひらけば余計な事しか言いやしねぇ」
 
「バネさん」
 
「あんだよ、まだなにかあるのか」
 
ようやくお互い落ち着いた頃に、天根が黒羽を呼んだ。
そして眉を寄せて返事を返す黒羽をまっすぐに見て一言。
 
「ありがと」
 
「…先輩として当然だかんな」
 
「うん、すっげ嬉しい」
 
臆面もなくそう言われて、今度こそ黒羽は自分の頬が赤くなるのを自覚した。
しかも珍しい事に、あの天根が。
無表情で無愛想な天根が。
笑っているのだ。
動揺するのは何故だろう。
 
「バネさん?」
 
「…なんでもねえよ」
 
「ふーん」
 
頬を僅かに染めた黒羽にしかし、天根はとくにコメントなく。
がさごそと紙袋に手をつっこんで、その中からチョコベビーを取り出して、ピリピリと丁寧にビニールの包装を剥がした。
 
「バネさん、手」
 
「は?」
 
「手、出して」
 
出せといわれて、黒羽にはなんとなく天根のしたい事の予想がつく。
まあ誕生日だし乗ってやろうかなどと思って。
(それが、照れ隠しの為の先輩風だと当人も相手も気付きもせずに)
差し出した黒羽の手に天根はチョコベビーのケースを直角にさかさまにした。
 
ドザーー
 
またたく間に掌の上で、てんこもりになるチョコレイト。
 
「げ」
 
思わず黒羽がうめくと、天根はまだ僅かに緩んだままの表情で。
 
「バネさんにもチョコをちょこっとおすそわけ」
 
「…今殴ったら、お前チョコまみれだな」
 
「カンベンしてください」
 
「カンベンしてやろう。誕生日だからな」
 
問答は二往復で終了した。
黒羽は息を一つ吐いて、自分の手の上のチョコ山を見る。
とりあえず、黒羽は甘党ではない。嫌いというほどではないが、好き好んで食べるほどのものではなかった。
ではこのチョコレイトはどうすべきか?
考える間にも、テニスで熱の上がった体温によって常温にあったチョコレイトは緩くなり始めている。
黒羽に、選択肢はなかった。
 
「ったく!」
 
少々の呟きと共に、口を開き。
次いで、手の上にあったそれらを全て一度で口内に収める。
じゅんとチョコレイトの甘味が瞬時に広がって。
数回それを噛み砕いてから、黒羽は一気に飲み込んだ。
 
「ううえーーー…甘ッ!!」
 
「バネさん、美味しい?」
 
「…俺はお前みたいな甘党じゃねーんだよ」
 
「そう」
 
天根が気を悪くした様子はない。
そして黒羽はいまだ舌に残る甘さにしぶい表情になり。
 
「はぁー…甘いもんは当分いいぜ」
 
ぼそりと呟く。
と、その黒羽本人も意識しない一言を聞いた瞬間。
 
「バネさんッ!俺いますげぇ嬉しい!」
 
「はぁ!!?」
 
がしりと手を掴まれ、目前には天根の輝きすぎる瞳。
黒羽が動揺して目を白黒させていると、天根はさらにたたみ掛けるようにはっきりと。
 
「甘い物はとうぶん!!当分と、糖分!!」
 
「んなっ!」
 
黒羽の瞳が見開かれる。
口からついて出た抗議のための言葉も最後まで形をなさず。
 
「バネさんが、バネさんが駄洒落を理解してくれたっ!!!」
 
「阿呆かーーーーーー!!!!!!」
 
天根の大声と黒羽の絶叫。そしてなにか重い物を激しく蹴り飛ばしたような鈍い音は、テニスコートを飛び越えてアスレチック場や、はてはオジィのラケット工房まで届いたそうだ。
近場の森(?)では、鳥達が一斉に飛び立ったらしい。
そして、テニスコートのそばの六角中テニス部部室では、弁当を手にした葵が一言。
 
「うん、やっぱりこうでないと面白くないよね」
 
と、友人相手にそれはもう爽やかに笑っていたという。
 
 
 
 
これが彼らの日常。
そしてほんのわずか、特別な日の出来事。
 
 
 
 
 
 
 
 
おわり  
 

天根ヒカル、六角中二年生!お誕生日おめでとう!!
そしてバネさんはこの日、ジャンプを買い忘れました。(土曜日発売なんてこと、頭から抜けまくり。いつも月曜日に買いに行きます。祝日でも)
本当はテニスシューズでもプレゼントしてやろうとか思ったわけですが、中学生の分際で…おっと、中学生の身分で彼らがそんな金額を持ち合わせていない希望。
たとえお年玉貯金があったとしても、バネがそんな大金をダビにつぎ込むわけがない。(言い回しが不適切です) なのでダビの好物チョコレイト登場。駄洒落もモリモリ登場。
ちなみに本編では使えなかった駄洒落。「チョコレイトをチョコっと冷凍」(だからDOしたと言われると、辛い身です)(優しくしてください)(かわいそうなこ)
『soft words』とは『甘い言葉』だそうです。
 
バネとダビの掛け合いや、テニスの描写が思いのほか楽しく。
うっかり気付いたらバネさんハピバSSとどっこいな長さになっておりました。
火曜日ぐらいにきっと他の六角メンツからもおめでとうを言って貰える。剣太郎はこのあと部室で言ってくれる。
 
よかったね、ダビデ!ハッピーバースディ!!おめでとう!