「…おい、これどうすんだよ」
 
 
「…俺のせいじゃないし」
 
 
 
 
呆然と立ち尽くす二人の前で。
雨は激しい音をたてて、無慈悲に降り続く。
 
 
それはある祝日の昼過ぎのこと。
 
 
  
 
 
 
 
 
【別に待ち合わせたわけじゃない】
 
 
 
 
 
 
 
 
国民的祝日である『海の日』。
六角中もそれにもれず、7月21日月曜日はお休みだった。
さらに珍しい事だが、テニス部自体も休みである。それは監督であるオジィの「折角の連休なのにもったいないでしょ」という鶴の一声だった。
そんなわけで、テニス部レギュラーである黒羽春風もまたこの週末を兄弟たちと過ごしていたのである。
 
さて、そんな日。
黒羽は、そういえば今日はジャンプの発売日じゃないかということを(正確には祝日だったので一昨日の土曜日だったが黒羽は知らない)思い出した。
普段なら学校に持ってきたやつから見せてもらうのだが、今日はどうにも気になって仕方ない。
どうせひまだし…と財布だけを掴み、母親が買ってきたビーチサンダルをつっかけて家を出た。
玄関から一歩足を踏み出すと、少し重そうな雲がそらにところどころ浮かんでいる。
今朝早くに雨が降ったと、母親がいっていたことを思い出す。アスファルトはところどころ色が濃くなり、玄関先の朝顔の葉には小さな雫が残っていた。
一雨くるだろうか?
そんなことをふと思ったのだが、思った頃にはもう黒羽の足は家をとうに離れている。
今更取りに戻るのも面倒で、ここ最近の不安定だが雨にはならなかった天候を信じて、そのまま駅前まで向かった。
 
駅前に出ると、さすが休日。
人通りがある。にしても、都会にくらべれば雀の涙ほどの人通りではあったが。
ぺたぺたと、サンダルが路面について鳴って。
風のない道は少しだけ汗ばませた。
 
「…さて、どうするかな」
 
本屋は実は3軒ほどある。
少しの逡巡の後、黒羽は結局いつも新刊を買う漫画のそろえのいい大きめの本屋へ向かう事にした。
 
 
 
 
 
自動ドアの軋む音。
すぅっと通るクーラーの人口的な涼しさ。
目的の本屋へつくと、黒羽は迷うことなく新刊雑誌の棚へと向かう。
それは総合レジの前にあり、探していたジャンプはすぐに見つかった。
 
「やり、あったあった」
 
無造作に掴み、そのままレジへ通ろうとして…
ふいに肩がぶつかった。
レジ前は少し混んでいて、その人ごみを抜けようとしていた青年と運悪くぶつかってしまったのだ。
 
「いってぇな!」
 
「…うぃ」
 
思わず声を少しだけ上げてしまった黒羽。
の、しかしその耳に届いた聞きなれた言葉に、黒羽は目を見開いた。
ふわりと赤い髪が視界に入る。
 
「ダビデ!」
 
「バネさん?」
 
驚いた黒羽の前に居たのは、同じテニス部の後輩である天根だった。
むこうも流石にこの祝日、会うとは思っていなかったらしい。
どこか眠たそうな目を少しだけ上げて、ぽかんと口を開けたまま黒羽を凝視している。
一瞬どうしたものかと二人とも止まってしまって。
 
そこに、別の声がかかる。
 
「ちょっと!並ばないならどいてよ、邪魔」
 
ふくよか。といえば聞こえはいいが、大分ぼってりと大きめのオバサンが声を高くして二人をにらみつけた。
なるほど言う事は腹立たしいが最もである。
身長は軽く170センチは超えている二人である。ただでさえ混み始めているレジの前、立ち止まってしまえば通行の邪魔以外のなにものでもない。
天根はおたおたと体を引き、店の外に向かって歩き始めた。
その袖を、黒羽は掴む。
 
「ちょっと待ってろよ、俺ジャンプ買ってくっから!」
 
「え?」
 
天根は言われた真意がいまいち読みきれなかったらしい。
もともと他人とのコミュニケーション能力が劣っていると思われる天根。その反応は普段どおりで。
黒羽は嫌な気せずに付け加える。
 
「せっかく会ったんだし、吉牛でもいこうぜ。別に全然金ねぇわけじゃねーんだろ?ハラ、減ってないか?」
 
「…いいけど」
 
少しの間(おそらくは財布と自分の腹具合を考えていたのだろう)の後、天根はこくりとうなづいた。
それを見届けて、黒羽は掴んでいた袖を離す。
そのまま、息を荒くしているオバサンをすり抜けてレジの一番後ろへ。
チラチラと二,三度手を振ってから。
 
天根はぼんやりとそれを見たあと、ようやく邪魔だといわれた事を思い出して自動ドアをくぐった。
 
 
 
 
どうやら本屋のレジ、偶々入ったばかりのバイトの子が1人でやっていたらしい。
あの後もなかなか列は進まず。
そろそろ切れるぞ?と黒羽が苛立ち始めた頃。
ようやく奥からベテラン店員が姿を見せ、列は進み出したのだった。
 
「やーマジまいったぜ。手際悪すぎるっつの」
 
「お帰り、バネさん」
 
「おう」
 
黒羽がブツブツと愚痴をこぼしながら本屋のドアをくぐると、天根は寄りかかっていたシャッターの柱から離れて歩いてきた。
ふと見れば、そこらに居た女子学生とおもわしき数人の子がチラチラと伺っている。
おそらくは天根が1人立ち尽くしているのを見て、様子をうかがっていたのだろう。
無理もない。
 
「お前ってほんと、罪作りな」
 
「何?」
 
「や、普通にしてればマシなのによって話」
 
「わかんね」
 
眉をひそめる天根の顔立ちは彫りが深く。
結構な美形ではないかと、男の黒羽でも認識は出来た。
ただし、口を閉じていればの話である。
 
少女達は天根の連れが彼女でなく、男友達(黒羽のことだ)だと知ってまたヒソヒソと話し始める。
ヒソヒソというには甲高い声に、しかしその内容までは聞き取る事が出来ず。
 
(今日はあんま遊ぶ気分じゃねーんだよな)
 
と黒羽は心の中で1人ごちると、まだ眉を寄せたままの天根の頭を軽く叩く。
 
「いてっ」
 
「さっさといこーぜ、吉牛」
 
「バネさんが待ってろって言ったくせに」
 
ぷぅっと頬を膨らませての抗議ももう慣れた事。
顔とその仕草のギャップに苦笑しながら、黒羽は騒ぎ続けている少女達の傍を足早に通り過ぎた。
もちろん、天根もすぐに追いかけていった。
 
 
 
吉野家、という一種女子には入りにくい店内に滑り込んでしまえば。
自動ドア越しに見てとれる。少女達は諦めたようにきびすを返し始めていた。
ぷぅんと牛丼のいい香りが鼻をくすぐる。
隣では天根はもう椅子に腰掛けて、壁にあるメニューに魅入っていた。
まぁメニューといっても殆んどは牛丼なのでそんなに悩む事は無い。
 
結局、黒羽は特盛りと味噌汁。
天根は特盛りと半熟卵を注文した。
 
 
 
 
 
「あー喰った喰った!」
 
二人が吉野家を後にしたのは、入店したそのわずか15分後。
時計を見れば、針は2時を回っていた。
満足そうに笑う黒羽の横で、天根は後頭部をさすっている。
もちろん、店内で食事中に言った駄洒落への黒羽の容赦ない突っ込みの賜物だった。
 
「バネさん、雨」
 
ポツリともらした天根の呟き。
それに応じて空を見上げると、店に入るときよりどんよりとした空から。
ひとつ、ふたつと雨粒が落ちてきている。
しかし周囲を急ぎ歩く人々の殆んどは傘をさしていない。それぐらい、気にならない程度の雨であった。
 
黒羽もそれを感じたのだろう。
もっとも、出かけに傘を持ってはこなかったので当然だったが。
 
「別に大して濡れそうじゃねぇな。それにここんとこ通り雨多いし。
雨宿りしてりゃ晴れるんじゃないか?」
 
「そう?」
 
「それよりあそこいこーぜ、多田屋!さっき見たんだけどよ、ウルトラジャンプ出てるし!
あそこなら小さいし人もあんまりこないから、立ち読みし放題だぜ」
 
黒羽が言い出したのは、先刻二人が居た本屋より大通りから外れた場所にある小さな本屋の名だった。
雑誌を紐やゴムで閉じて立ち読みを防止する本屋が増えた中、そこは殆んどの雑誌が読めるという学生にはありがたい隠れスポットで。
もちろん天根も何度も足を運んでいる。
天根が了承の意味で頷くと、黒羽はさくさくと歩みを進め始めたのだった。
 
 
 
 
「そういえば、バネさんジャンプはいいの?」
 
「ん?これは家に帰ってからのお楽しみだ。弟や妹も読むって言ってるしな」
 
「アニメ好きの兄…プッ」
 
「アニメじゃねぇよ!見ねえし!な!」
 
「イデッ!」
 
「つまんねーぞ、本当によ」
 
 
 
道々の会話なんて、こんなものである。
 
 
 
 
本屋につくころには、雨は小休止したようだった。
黒羽はほらなといわんばかりの笑顔。
天根はといえば、もう雑誌棚に向かっていた。
朝からまちまちに降る雨のせいだろう、晴れている日は外に置いてある棚も今日は店の中にしまわれたままで。
けれど店員の少し年をいった女性はまったく立ち読みを気にしないらしい。
黒羽も天根もそれからしばらくの間、言葉を交わすことも無く漫画を読むことに専念した。
 
 
 
 
 
二人の意識がそろって漫画から抜け出たのは、ザ−−−という聞きなれた音が耳に届いた時。
ぱたん、と雑誌を閉じて黒羽は恐る恐る店の外を見る。
そこには、少し前とは別の世界が展開していた。
「げぇっ!なんだよ、この雨!!」
 
「どしゃ降り」
 
「んなこたぁわかってるんだよ」
 
いつの間に降り出したのか。
先ほどとは比べものにならない雨の量。
大粒の雫がバンバンと店の天井を叩き、アスファルトに大きな水溜りを作って排水溝を洪水にしている。
 
二人が店の外に出て様子を見てみても。
なんら変わることは望めない。
 
「…おい、これどうすんだよ」
 
「…俺のせいじゃないし」
 
「お前、傘持ってないのか?」
 
「バネさんこそ」
 
 
そこで、二人の会話は途絶えてしまう。
あとは止むのを望んで空を見上げるばかり。
 
 
 
 
目の前を赤い折りたたみ傘の女性が通り過ぎる。
雨宿りしている二人をちらと見て、何を思ったのだろう。
 
信号が青になると、バイクの青年が潔く傘もささずずぶ濡れで走っていった。
 
きゃあきゃあと声をあげながら、カバンで頭を隠し走り去っていく女の子の二人連れ。
 
店員が店から出てきて、軒下にあった本棚にビニールのカバーをかけた。
 
車は、水を弾いて走り去る。
 
 
 
 
空は変わらずどんよりと曇り。
雨粒はその質量の割に、終わり無く。絶えず振り続けている。
 
 
 
 
「あめあめふれふれ母さんが〜ジャノメのミシンで嬉しいな〜」
 
と突然、沈黙を破って天根が歌い始めた。
それは雨の歌で。
しかも思い切り替え歌で。
 
「ったく!つまんねーんだよ!ダビデのそれはよ!」
 
「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランラ〜…いごっ!!」
 
ドゴッといい音をして、天根の後頭部が叩かれる。
 
「…バネさん、痛い」
 
「当たり前だろ」
 
ふん、と黒羽は息を吐いて答えた。
それを天根は少し恨めしく見ていたのだが。
 
雨は一向に止まない。
 
 
 
 
「…よし!走ってかえんぞ!ダビデ!」
 
少しの間の後。
意を決して黒羽は隣でまだ頭をさすっている天根へ向き直った。
その様子に、天根も別段異論をとなえるわけでなく頷く。
黒羽はジャンプを袋ごとTシャツの腹の部分へと入れて、上から手で抑える。
天根のほうはフードを頭から被りなおし、降りてくる前髪を後ろへ避けた。
 
そうして。
 
 
「行くぞ、ダビデ−!!」
 
「うぃ!」
 
 
 
 
ばしゃ ばしゃ ばしゃ !
 
 
 
跳ねるアスファルトの水溜りの上。
雨に煙る景色の中。
 
二人は雨に打たれながら、帰路へとつくのだった。
 
 
 
 
 
 
 
別に待ち合わせたわけじゃない
 
 
 
 
のに
 
 
 
今 二人そろってびしょ濡れになっている
 
 
 
 
 
 
そんな祝日の月曜日。
 
 
 
 
 
 
 

 
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 

この後、なぜか天根は黒羽の家に一緒に行ってしまい(行くぞといわれたから)。
結局お風呂を借りて、黒羽家のちびっことたわむれたあと夕飯までご馳走になって帰路につくのです。
そこまで入りませんでした。
言い訳。
 
 
地元(というか近場?)の木更津というところを元にしています。