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秋は空気中の塵が少なくなって、空が高くなったように見えるらしい。 だからどうしたというわけでもないけれど。 夜 で よ か っ た 。 平日の夕暮れ。 いや、夕暮れというにはあたりはすでに夜の帳が落ち始めており、もともと光源の少ない校内の敷地はシンと静まり返っていた。 ぽつぽつと外灯が点灯し、事務室とあとはいくつかの教室の明かり。 そして非常灯の緑だけがぼんやりと古びた校舎を照らしている。 もちろんそれは校舎横にある駐輪場も同じことで、けして広いとはいえないそこに明るいうちならひしめいているはずの自転車の陰も今はない。 端の方におまけのように立っている外灯に照らされたそこは閑散としており、その灯りですら蛍光灯が切れ掛かっているのかジジジ…と小さく唸って明滅を繰り返す。 酷く色味の無い世界だった。 冷えたコンクリートの大地にスニーカーで踏み込むと、靴底が砂を噛んで音をたてる。 足音は駐輪場の奥、一台だけ残されたなんの変哲も無い一台の自転車に向かいその前で止まった。 ドサリとカゴに荷物の積み込まれる音と、それにゆれて小さく悲鳴をあげる車体。 鍵など元から付いていないのだろう、ハンドルを握りスタンドを蹴り飛ばすとあっけなく自転車はその車輪を自由にした。 「よぉダビデ!」 と、そこへふいに声が落ちてくる。 外灯の下で手を上げた長身の姿。外灯を背に立っていた為にうまく表情は見えなかった。 「…バネさん」 自転車を支えていた天根は、そこでようやく自転車を見ていた視線を上げた。 そのまま自転車を引いて声の主である黒羽の元まで向かう。 キィキィと車軸が鳴るのがトタンの屋根に妙に響いた。 天根が近くまで来ると、黒羽の表情がはじめてわかる。その顔はいつも通りの笑顔で、そしてその手にあった鞄を断りなく自転車のカゴに放りこんだ。 既に天根のリュックが入っていたそこに、黒羽の鞄は大きすぎたらしい。今にも落ちそうな具合で微妙なバランスを取り乗っかっているような状態で。 「乗せてけよ、ケツ」 「…いいけど、鞄落ちるよ」 「んなもん気合でなんとかしろって!」 「気合じゃできあ(な)い」 無茶をサラリと言い放った黒羽に、天根の言葉遊び。 それに対して繰り出されたのは、流石に自転車を支えている為の配慮からか。 「いでっ!」 「これで許してやるんだ、ありがたく思え」 ゲンコツ一発だった。 もちろん生易しくなどはけしてないが。 証拠に天根の目じりにはじんわり涙が浮かんでいる。 黒羽はそれを横目にさっさと自転車の荷台に上がってしまう。 「そら、行け行け!」 「鞄落ちる」 「…しゃーねーな、お前のリュック貸せよ。しょってってやっから」 ひつこく食い下がる天根と、実際黒羽が荷台に乗っただけで揺らいだ鞄を見て。 流石にまずいなと思ったのかどうなのか、黒羽は譲歩案を出してやった。 それに天根もひとまず納得したのだろう。 ゴソゴソとカゴから自分のリュックを出して、後ろの黒羽に手渡した。 「うぃ」 「おう…ってお前軽いなこれ!何入れてんだ? ラケット以外入ってねーんじゃねーか」 「筆箱くらいある。あとは全部ロッカー」 「っかー!まあいい、そら行けよ」 そう言われ、背を叩かれて。 天根は自転車に乗り、ペダルに足をかけて漕ぎ出した。 ほんの僅か車体は二人分の重さにぐらついたが、次いでチェーンに送られた力にすぐさま馴染み急速に速さを増して安定する。 黒羽が巻いていたマフラーが、空気抵抗にゆれた。 駐輪場を抜け、校舎の前まで来た時には掛け時計が5時55分を示す。 「まだ6時前かよ、にしちゃー暗いな」 「…」 「つーかよ、こんな時間まで部活か? なんでお前だけなんだ」 やや立ち漕ぎになっている天根の肩を掴み、こちらも車体に足をかけ立ち乗りをしている黒羽の声は留め止めない。 ガタンッと一瞬車輪が跳ねて、すぐに着地した。 校門の溝を乗り越えたからだろう。その後はすぐに緩やかな下り坂になる。 足に来る負担が軽くなったからか、天根はようやく言葉を吐いた。 「今日、剣太郎休み。風邪だって。俺副部長だし、最後までいたから」 「剣太郎が休みぃ?珍しい事もあったもんだな!」 黒羽の脳裏に、いつも五月蝿いぐらいに元気な一年で部長の姿が浮かぶ。 あれが風邪をひくとは。 「バネさんこそ、こんな時間まで…居残り?」 バチン! 天根の言葉に呼応したのは、天根の頭部が鳴る音だった。 その勢いに自転車もぐらつく。 「うわっ!ダビ、ちゃんと運転しろよ!」 「…叩いたの、バネさんだし」 「うっせえな、お前が失礼なこと言うからだろ。 居残りじゃなくて、受験勉強の為の補習だ!なんでも近年の学力低下に対する作戦だとかいってな」 迷惑な事この上ないぜ。 ブツブツと背中で愚痴をこぼす黒羽に、天根はふぅんと相槌を返すにとどまった。 緩やかな坂を途中で曲がり、再び下る。 周囲の明かりは民家と外灯のそれのみで、月のない今日は、空も黒々としていた。 天根の背後の愚痴はいつのまにか鼻歌に変わったようだった。 「なあダビ、今日は裏道通ってこうぜ」 「あそこ灯りないよ」 「いいだろ、今日は気分なんだよ」 「うぃ」 黒羽の言葉に沿い、目の前のT字路で天根は普段と反対の方向へとハンドルを切った。 冷え冷えとした空気が二人の顔をさすっていく。 それはなんの悪戯か、天根の鼻筋をも通って敏感な部分に触れたようだ。 「…っくしゅっ!」 くしゃみが一つ。 「はっくしゅ!くしゃっ!」 いや、あわせて三つ。 天根の口から飛び出した。 彼が一つくしゃみをするたびに、自転車は左右に揺れてみせる。 「ダビ、んな薄着してっから冷やすんだぞ」 「部活終わった時は暑かったから」 黒羽に指摘された天根の服装は、長袖のシャツに制服という秋の始めならまだ許されるような、とりあえず今の時間(さらに自転車の上)ではあきらかに冷える姿で。 それに対する天根の返答に黒羽は溜息をついた。 「馬鹿か。それでお前まで風邪引いたら、部活の後輩どもはどうするんだよ」 「すんません」 と、ぽそりと謝る天根の口元に、ふわりとやわらかな感触が訪れた。 「仕方ねーから今日はそれ貸してやろう」 黒羽の言葉に合わせて触れたそれは、彼が先刻まで巻いていたマフラーだった。 直前まで使われていたマフラーはじんわりと、天根の首元を暖めていく。 「でも、バネさん寒い」 「俺はお前が風除けになってるからいーんだよ」 「…アリガトウゴザイマス」 「素直で宜しい」 カッカッカッと軽快な笑い声が暗い空に響き渡った。 通りは『裏道』と名指しただけあって、人通りもなくなり灯りもほとんどなくなっている。 冬に近づいた最近では、秋の中ごろまで五月蝿いほど鳴いていた虫の声も聞かなくなり、そのためにあたりは自転車の吐き出す音と二人の声だけだった。 そこに、新たな音が飛び込んできたのは突然。 カ ン カ ン カ ン 聞きなれた単調なそれ。 そして、ガタンガタンという独特の繰り返される音楽。 「お、めずらしーな。今日は電車見えんぞ」 「ほんとだ」 黒羽がまずそれに気付き。 そして気付いた黒羽の言葉で、天根もそれを視界に捉える。 二人の乗った自転車が走っている通りからみえる線路と遮断機。 このあたりは単線なので、一時間に上り下り各一本程度が普通で滅多に走っている姿を目にすることは無い。 しかし今そこに、珍しく電車が走っていた。 外灯のほとんどない闇。 黒々としたあたりは、空よりも暗く。むしろ空の方が星明りの分だけ明るく蒼く見えて。 建物の影が形作るそこに、長い電車の影が独特の音を引いている。 四角い窓からは車内の明かりが漏れ、帰宅する人々の姿をもうつした。 五両ばかりの電車は闇に小さな光をほんのわずか与えて。 山の影に消えていく。 それはほんのわずかな時間での情景。 「…綺麗だな」 「うぃ」 ぽつりと、黒羽が呟く。 それに天根も小さく頷いた。 「けどよ」 「?」 さらに続ける黒羽の声に、天根の背中が疑問を伝える。 黒羽はその背に軽く拳を当てて。 「なんかせつねぇな」 「バネさんの言う事は難しい」 「そうか」 「そう」 きっぱりとした口調で返されて、黒羽は苦笑する。 次いで、自分の言葉を反芻してなんとなく気恥ずかしくもなった。 「おら、さっさと帰ろうぜ。 スピードあげろよ!」 「でも」 「ああ?」 「難しいけど、スキ」 「ばっ!!」 ふいに耳に届いた言葉はあまりにも唐突すぎて。 黒羽は一瞬我が耳を疑い。 言葉を飲んで。 「スキ」 「っかやろう!!!!」 怒鳴った。 「?」 天根は何故突然怒鳴られたかなど、理解していないのだろう。 ただ首を傾げ、ペダルを漕いでいる。 黒羽は何を言うべきだろうと次の言葉を探して。 「あのなぁ…」 「俺、バネさんの言葉、スキ」 呟いた矢先に返って来た天根の言葉に、脱力した。 「…そういうことかい」 「なにが?」 「なんでもねぇ!」 天根は益々わからないという風に、首を傾げている。 黒羽はその肩に掴まったまま嘆息した。 (こいつの天然は今に始まった事じゃねーけどよ…) 頬を切る風は冬を帯びて凍てつくほどだというのに。 吐く息は時折白が混じるようにすらなったのに。 夜でよかった。 自転車に乗っていて、よかった。 「あー!あっちぃ!」 「俺寒い」 空には晧晧(こうこう)とした星が、満遍なく散らされて。 自転車に乗って過ぎる影をひとつ。 ほの白く照らしていた。 終 書きたいことを詰め込んだりとかしたら、あれ。 どこがメインですか?という話に。 一応私の書く六角では夏以降三年が引退してからは、ダビが副部長です。 二人の家は別に近くありません。そんなに。 書きながら、「あれ?これってバネダビ?ダビバネ?」と悩みました。 あれ? 書きたかったのは電車のシーンなんだけど、うまく生かしきれなかったと反省。 |