薄い白雲が空を横切り
その僅かな影が落ちる屋上で二人


「 お前の事が 好きなんだよ   俺は 」


言葉は凛と広がり
向かい合った顔が一瞬静止した

目をしばたたかせ 一つ呼吸して








もう一度、その姿を。








スキだってこと

アイするってこと

それってどういうことなの?


わからないので教えてください

バネさん





ダビデの切り返しの言葉が酷く響いた。
じっと見つめられて、珍しく言葉に詰まった。
いつもなら打って返すように発せられる言葉が、のどの奥で固まりへばりついてしまったようだと思った。
俺が言葉なく黙っていると、目の前にいるダビデは目を伏せた。
普段なら気にしないこいつの睫毛の長さとか、多さとか。
(睫毛の影が落ちてる)
そんなことを考えている場合じゃないというのは百も承知だが、思考は現実逃避するようにこの場に関係ないことばかりを並べ立てる。
ああ、頭の中が文字でいっぱいだ。
俺の声が脳内に響いて五月蝿い。わずらわしい。
なんて思っていたら。

「ごめん」

小さな謝罪。
それが何に対してのものなのか、聞けるような空気ではなかったと思う。
ただ、自分より少しだけ下にある肩が小さくなり。
小さくなり。
(それは俺の主観からくるイメージだけの産物だということはわかる)
いなくなるのではないか、そんな不安感だけが大きく広がっていく。
どうにかしたいと気づけば手を伸ばしていたが、普段いともたやすく触れることの出来た体が今日は遠い。
見えない壁のような何かに阻まれた。
そんな風に見える動きだ。俺の手は。
ダビデの肩の傍でたった数センチ。その距離を。
指の腹に、立ち上る幻のような熱を感じる事も出来るほど。
(だからそれは幻かもしれない)
触れることも出来ず、かといって引く事も出来ずに、さまよっている。その奇妙な動き。
その手に迷いあぐねているとダビデは急に顔を上げた。

「バネさんの【スキ】がわかったら、良かったのに」

「ダビ…」

「もう言わない。ごめんね」

くるりと向けられる背中。
薄い解禁シャツは、その質感でもって俺の目にダビデの体のラインを思わせる。
肩甲骨が浮き上がるぞ。(そんなことを考えている場合ではないのに)
赤い髪はワックスで固められて、ふわりともしない。
何か言わなくてはならないのに。どうしてどうして。どこを見ている、俺の目は。


「でもさ、俺もバネさんのこと【すき】だよ。ほんと」

「だけどわからない。むずかしい」

「バネさんの【スキ】はどんなやつかな」

「困らせて…ごめん」


ダビデは背を向けたままぽつぽつと呟く。
その言葉を逃すまいと、必死に耳を傾けた。
そして何か言わなくてはいけないと言葉を捜すのに、脳内は消しゴムをきれいにかけたように真っ白。
手はさまよったまま。

「きっと、バネさんには俺じゃない方がいい」

「な」 (にをいっていやがる)

「俺にもっと、【スキ】がわかる頭があればよかった」

「そ」 (んなもの、俺だって正確にはわからない)

「ひとを【スキ】になるって、どういうこと、かな」

「ダビ…」

「アイって何を誓うの?何を誓うの?どうしたら、アイせるの」

言葉は震えていなかった。
ただ、淡々と耳に伝わった。それは、俺にダビデの【家】を思い出させた。
小さい箱のような子供部屋。
いつもすれ違う母親。
顔を見た事の無い父親。
そこに愛が無かったとは言わないと思う。だってダビの体にそんな跡はなかった。
時折顔をあわせる家族との会話にも冷たさはなかった。
お互いが【自由】なのだと、それも愛の形なのだと、呟いたのはダビデの年の離れた姉だった。
でも。
見えるだけが全てではないと、どうしてわかってやれなかったのだろう。
こんな風に、あいつが心を吐露するまで。
俺は俺だけの気持ちに浮かれていたのかもしれない。


−−−あいつは俺を必要としていると、離れていくことなどないと、うぬぼれていたのかもしれない。


「バネさんと一緒は嬉しい。
ずっと一緒はきっともっと嬉しい。
でも、ずっとなんて…無理」

「それでも俺は、お前の事を」

「バネさんは、俺のもんじゃない」

「…なんでそう決め付けんだよ」

「俺もきっとバネさんのもんじゃない」

「…そう思うのか?」

唇を噛み締めてしまう。
舌が鉄錆びた味を脳まで伝える。
それが引き金で。
俺はさまよったままの手を、無理矢理支配下に置いてダビの肩をつかんだ。
鍛えられた筋肉は強い存在を示し、それを振り向かせようと引く力をこめる。
咄嗟の事だから反応できずにいたとおもう。ダビデの顔を見つめた。
見つめて、息をするのを忘れた。

ダビデは、薄く笑っていた。
厚めの唇を、少し上げて。


「バネさんの【家】、俺好きだよ」

「おい」

「あんな【家】、いつか作ってね」

「おい!」

「そしたら、俺も時々は遊びに行ってもいい?」

「ダビデ!」

「天根だよ…」

「それは、どういう意味だよ」



「だってもう俺は…

 バ ネ さ ん の 前 に い な い か ら 」















































−−−−−目が覚めた。






荒く聞こえる音に驚き、それが自分の吐くものだとわかった頃にはまわりが見えた。
手にしていたのは皺のよった毛布。
青色のカーテンが安い色を床に落としている。
時計に目をやれば、まだ4時前だった。

「夢…かよ」

声は思ったよりも響いた。無音の室内で、体が震える。

懐かしい夢を見た。
あれは自分がまだ中学三年だった頃だ。
天根を、ダビデと呼んで…きっと昔から好きだったのだと思う。
何がきっかけかはわすれたが、その気持ちを伝えたときのこと。
でも。
あの時天根は、勢いだけの俺の言葉に笑って頷いてくれたはず。
その後、俺が高校を卒業するまでは付き合いらしい形もとっていた。
今の自分の傍らに、その姿はなかったとしても。

「くそっ…目が冴えちまった…」

寝直す気分にもなれず、体を起こしてカーテンを引き開けた。
濃い闇がまだ外を支配していて、冷たい黒々としたものだけの世界だった。



(天根の様子がおかしいと気づいたころには、遅かった)

(ある日突然にあいつはいなくなった)

(野良猫が急に住処を変えたように、いなくなった)

(誰も天根の居場所を知らない)



夢の中の天根は中学時代の姿のままだった。
語られる言葉だけが、時を少しずつ刻んでいた。

あいつは笑顔の奥で、何を泣いていた。
(それですら俺の主観かもしれない)
どうして俺はわからなかった。

問いかけは次々にわいてくる。
そして答えはないまま、泡のようにはじけて消えた。






「本当は何が言いたかったんだよ、天根」



(それは俺が天根の心をいいように作りたいと願った

おろかな夢への届かない呟き)




「別れの言葉くらい、よこせよ」

(そして現実の天根に、こんな言葉は届かない)





「いま、どこにいるんだ」


俺の知らないところだと、天根が笑った気がした。

そんな笑顔は見た事が無いのに。
酷く綺麗でツクリモノのような、明け方に見る白昼夢。










そして現実は。