[3]

「なあ、ダビデ」
「何?」
黒羽の言葉に、天根は背を向けたまま言葉だけできき返す。
手元には今日も十分な働きを見せてくれた黒い塊。
ほんの僅か付着した汚れを丁寧にふき取る作業は、天根にとって日々欠かせない習慣だった。
いつでも常に最大限の力を発揮できるように、手入れは怠るな。そう天根に教えたのは誰だったろう。
もう顔も思い出せない遠い過去の人物像を天根が思い描こうとした時、背中越しに言葉が返ってきた。
「もし」
「え?」
「もしも、俺たちが生まれたのがこんな世界じゃなくて」
「?」
「もしも、ごく普通の田舎で生まれてたとしたら」
「バネさん?」
「そんな場所で、気の会うヤツラと暮らしていけたら…」
「何言ってんの?よくわかんねーよ?」
天根の声音は、黒羽の言っている事が心底わからないと。
そうはっきりと伝えていた。
あっさりとした拒否に、黒羽は言いかけた続きを飲み込んだ。
「んなことよりさ、あれ誰だったっけ」
天根の問い返しに黒羽の答えは無い。
それでも天根は気にすることなく、もちろん目は手元にむけたままで言葉を続ける。
「俺にこいつの扱い方仕込んだやつ」
「…」
「誰だったかな、思い出せねーんだ」
「…記憶力わりーんだよ、てめーは」
ぼそっと返された言葉。
その語尾は妙に弱かったが、そんな些細な発音の変化などもちろん天根は感じ取ることは出来ない。
大概が大雑把に出来ているのだ。
「どうせ俺は覚えがわりいよ」
思い切り拗ねて、天根は口を尖らせたまま背中に体重をかけた。
それこそ足を踏ん張って、倒すぐらいの勢いで。
そんな天根の子供じみた行動に黒羽は表情を変えないまま。自分も足だけを突っ張って、抵抗する。
「ガキ」
「んだと!!」
ボソっと言われて、天根がなおの事足に力をこめた瞬間。
ふいに背中の後ろだてがなくなって、天根は自分の力によって激しく後頭部と背中をコンクリートの床に打ち付けた。
ガツン、と景気のいい音が響く。
「いっで!!バネさん、ひっきょう!」
天根は痛みに涙を滲ませながら上半身を跳ね上げ拳を握って、頭上で平然と立ち上がっている黒羽に叫ぶ。
と、黒羽はその拳を逆に握り返して力任せに引っ張った。
倒れた時と同様、唐突に引き上げられて天根は憮然とする。
その沈黙したままの顔に黒羽の影がかかり。
切れかけの蛍光灯の下で、唇を押し付けた。

「そうだよ、俺は、卑怯なんだ」

黒羽の一言を引き金に、天根の目が全てを感受するように(諦めるように?)ゆっくりと閉じられた。