−−−いつまでも同じでありたいと願う。
 
 
 
 
 
月曜日の昼休みは、どうしてこうもだるいのだろう。
 
忍足は屋上の給水塔の傍に腰を下ろしたまま、ぼんやりと空を見上げた。
すぐ傍には食べかけのサンドイッチ。
購買で買ったそれはしかし半分を残して置かれたままで、透明のフィルムが時折吹き付ける風にパラパラと鳴っている。
その音に惹かれるように再び手を伸ばしかけたが、指先が白いパン生地に触れる前にやはりそれは引き戻されて。
 
「ふわぁあ」
 
そのまま口元へ持っていかれて欠伸が一つ。
何度か目を瞬かせるとふいに影が落ちた。
不思議に思い頭上を見上げると、そこに太陽を背負った顔が笑っていた。
 
「ねぇねぇオシタリ!」
 
「…なんや、ジロか」
 
忍足の目の前に立ち影を作っていたのは、慈郎だった。
慈郎はいつものぼんやりした顔ではなく珍しい事に覚醒している状態であったため、忍足の驚きはちょっとしたものだった。
 
「珍しいなぁ、ジロがおきとるなんて」
 
そう言って指を伸ばすと、慈郎は忍足のしたいことがわかったのだろうかちょこんとかがんでみせた。
目線が同じになった慈郎の頭をゆっくりと撫でてやると、嬉しそうに笑う。
 
「さっきまで教室でずっと寝てたから!」
 
「ジロの席は気持ちええからねぇ」
 
「うん!」
 
指先にからまる金色の髪がふんわりと温むのを感じて、忍足は慈郎の席が窓側の一番後ろだったことをなんとなく思い出した。 今日は朝から晴天。さぞかし寝心地はよかっただろう。
ふわふわと柔らかい感触が名残惜しくてしばらくそのまま撫でていると、慈郎もしゃがみこんだまま忍足の顔へと手を伸ばしてきた。
慈郎の指の意図する所がわからなくて、けれどそれを避ける事もせずただ忍足は首をかしげる。
そっと伸びてきた日に焼けた手は、目の横を過ぎ耳の傍に寄せられた。
そうして、忍足が何をするのかと思う間もなく。
 
「とーった!」
 
眼鏡を引かれ、瞬く間に奪われてしまった。
 
「ちょっ…ジロ!なにすんねん!」
 
唐突にぼやけた視界に動揺し、忍足は半ば反射的に撫でていた髪をギュッと掴んで引き寄せる。
 
「いたっ!痛いって!」
 
相当に痛かったのだろう。慈郎は顔をしかめたようだが、忍足にはその表情も今はぼんやりとしたフィルターにかかったようで、はっきりとはわからない。
わからないのでもう一度強く引くと、慈郎の空いている方の手がのびてきて忍足の腕を掴んだ。
手首を抑えられて引き剥がされ、あまり気分はよくなくて忍足は顔をしかめた。
 
「もー、俺ハゲになっちゃうよ?」
 
「ジロが急に眼鏡取るからや。ったく、もうはよ返し」
 
少し笑いを含んだ慈郎の声。
けれど表情はやはりよくわからなくて、ぼんやりと主線のない色の塊が慈郎の顔だとわかった程度。
いい加減、コンクリートの上に下ろした腰が痛くなってきて忍足は溜息をつく。掴まれていた手首は既に取り返し済みで、そのままコンクリートの上に投げ出していた。
ハァっともらせば少しだけ体が楽になったような気がして、もう一度慈郎に視線を合わせようと見上げると、少しの違和感。
 
「うわーー!何これ!ぜっんぜん見えねぇ!
ぐにゃぐにゃだよ!?」
 
鼓膜を叩く慈郎の楽しそうな声に、違和感の正体を察した。
なんとか見ようと瞼を細めて睨むように挑んだ先。やはり予想通り。
 
「コラ!やめぇ!!目がおかしなるで!!」
 
まだ主線はハッキリとしないが、慈郎が自分の眼鏡をかけているのを忍足は見つけた。
そうしてハッとする。
自分の視力は裸眼で0.1にも満たない。その視力を平均まで上げているのはいつも身に付けている眼鏡で、対して今それをつけている慈郎は確か…。
 
「お前、視力両目とも2.5やろ!!」
 
「オシタリ、俺の視力覚えててくれたんだ」
 
ああ、返して欲しかったのはそんな答えではない。
思わず肩を落としかけて、それでも眼鏡を奪い返そうと手を伸ばした。
けれどそれはぼやけた世界の中かなわず、スルリスルリと逃げられてしまう。
 
「こら、ジロ!」
 
「うーん、やっぱりクラクラする。オシタリの顔もよくわかんないし」
 
そのままへラリと笑う表情は、眼鏡に隠れて。
忍足は慈郎から無理に眼鏡を取り返すのがなんだか馬鹿らしくなって、腕を下ろした。
変わりに口元が困ったようにつりあがる。
 
「ほんま、見えへんやろに。おかしなっても責任とらんで」
 
「へへ。でもこうしてると俺と忍足、おそろいだね」
 
「おそろい?」
 
忍足がいぶかしげに呟くと。
『おそろい』と嬉しそうに言いながら、慈郎は自分の顔を指差し、次に忍足の顔・目の近くを指した。
 
「目さ。今、よく見えてないよね?俺も見えてない」
 
「だから『おそろい』なんか?」
 
忍足の返した問いかけに、『そうだよ』と声。
実際には自分たちの裸眼での視力差は天と地だけれど。
ぼやけた世界の中で慈郎はとても嬉しそうに笑ったので、それもいいかと忍足は思う。
顔を見合わせれば、いつもと違う見え方のする世界に二人。
お互いの顔が曖昧に見える、共通の世界観。
 
空はとても晴れ渡っていて。
忍足が見上げてみてもレンズがないぶん、日差しにわずらわしさはなかった。
背中を預けていた壁から離れてふと慈郎を見やると、また眠くなってきたのかレンズの上から目をこすっている。
流石に慌てて受け取ると、慈郎はぷわぁと欠伸をしてそのまま向かい合っていた忍足の身体に全身を預けてきた。
 
ぎゅうっとお腹から腰のあたりに抱きつかれてしかし。
それは小さな子供が眠る時に、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめるような行動に似かよっていて、忍足は慈郎を押しのけることはなく。
ただ、少しだけ困ったようにまた笑う。
空いた両手で眼鏡をかけなおすと、ふいにクリアになった視界に幸せそうな慈郎の顔を見た。
 
「おかしなジロ」
 
返答はなく、微かな寝息だけが耳に届いた。
 
「寝るのはやすぎやて」
 
呟きはそっと雫のように落ちる。
さわさわと風が金色の髪を撫でて、傍らでパラパラというフィルムの音にサンドイッチの存在を忘れていたことを思い出し、口元へと運んだ。
慈郎の頭へ落とさないように用心して租借する。
開けたばかりの時はひんやりと冷えていた卵が、今は口内で少し暖かい。
コンクリートと日差しで温まってしまったのだろうそれを、数度に分けて胃に納める頃合。予鈴の音が風に乗った。
 
「…サボリ決定やなぁ」
 
そんなことを言う忍足の声はどこか楽しそう。
お腹に落ちたぬくもりがとても愛しいと、感じた心は空に溶けた。
 
 
 
 
そしてぬくもりは想う。
頬に伝わるシャツの感触にまどろみながら。
 
 
二つが同じであることを祈る。
 
 
決して同じではありえない、そのことを知っているから。
決して同じではありえない、そのことを認めたくなくて。