妄想日記その弐〜闇の血・第二夜〜



「なに…」

突然腕を掴まれて、当然の如くシロウは抵抗する。
しかし、もがく腕を掴んでいる手は、その抵抗をものともせずに。
それ以上の力で押さえつける。
ギリギリと絞めつけられて、シロウは痛みに顔を歪めた。
そんなシロウの耳元に、ニクスはささやく。

「お前…ニンゲンじゃないだろ?」

シロウの目が見開かれた。なぜこの男は、目の前で自分を戒める男はそれに気付いたのか。
ダンピールであるシロウの外見は人と変わりがない。
一目でその正体を見抜くなど、ありえないことであった。
男は自分を見詰めてくるシロウに、口端を歪めただけの笑いを見せ。

「教会の神父が知ったら…なんて言うだろうな?」

教会の神父。それは紛れも無く、シロウが今共に暮らしているサイレンのことだろう。
自分とサイレンの事も知っているのか。
シロウの背筋に冷たい汗が一筋流れる。

「彼には…」

知られたくない。
しかし、その言葉を紡ぎ終わる前に、シロウの声は塞がれた。
冷たい何かが、触れて来る。
それが口付けであると知った時には、ただの触れ合いで済ますには激しいそれへと、変化していて。
息ができない。

貪られ、塞がれた気道が酸素を求めて喘ぐ。
それすら許されず。
いつのまにか抱きしめられる形となって、シロウはもがく事すら出来ずに。

ことりと、意識を手放した。

しかし、道を行き交う人々には、それは恋人達の甘い逢瀬にしか見えず。
ニクスがシロウを抱き連れ去っても、誰もそれを気にする人はいなかった。

サイレンは待っていた。
教会で、買い物に出たシロウの帰りを。
しかし、待ち人はサイレンの前には現れる事は無かった。



シロウを連れ去ったニクスは、街から遠く離れた森の小屋にシロウを監禁した。
目覚めたシロウを待っていたのは、昼も夜も知れず繰り返される行為。
時に残虐に、またある時は気まぐれのように優しく。
初めのうちはそれこそ、シロウは自分でも驚くほど激しく抵抗した。
今まで無気力だった自分のうちに、こんなにも頑なな部分があるなど。シロウはその時初めて知った。
しかし、そんなシロウの抵抗も空しく終わる。
そして最後にはニクスはいつもこう言った。

『ニンゲンでないお前が、ニンゲンと暮らせると……本当に思っているのか?』

何度も、何度も繰り返される行為。それと共に、毒のように染み行ってくる言葉。
それらは、サイレンと暮らしたことでシロウのなかに芽生え始めていた『感情』を凍りつかせ、シロウは再び生きた人形にと変じて行った。
季節はうつろう。
ゆっくりと、ゆっくりと。
いつしか言葉すら発しなくなったシロウ。
ある日、ニクスはぽつりともらした。

「如何して…お前はニンゲンと暮らせたんだ?」

ぽたりとシロウの頬に熱い雫が落ちた。
ニクスの…涙であった。
その涙は、凍てついたシロウの心をわずかに溶かす。

「如何して……泣いてるんだ…」

細い声だった。
本当に小さな、囁くような声だった。
自分を好き勝手にしたくせに、どうしてこの男は涙を流すのか。
シロウには分からない。分からないが…何故か知りたいと思った。

ニクスは笑った。
それは自分を貶めるような、嘲笑に近いものであった。

「俺は…ナニに見える?」

突然問われて、シロウは首をかしげる。

「ニンゲンじゃないのか?」

そうとしか見えないと、シロウは答えた。

「俺はニンゲンじゃない…お前と同じ、ダンピールだよ」


ニクスは語った。
今まで封じていたものがせきを切ってあふれ出るかのように。
もうそれはシロウに向けられた言葉ではなく、ただたまっていたものを吐き出すような独白に近いものであった。

ニクスの母は吸血鬼であった。吸血鬼と言ってもその力は長い年月によって殆ど薄まっており、人の血を吸うという事も殆ど無かった。
父親は人間だった。あろうことか襲われた母に一目ボレしてしまい、俗世を切り捨てて駆け落ちのように母と一緒になった男だった。
二人は人里はなれた森に住み、なかむつまじく暮らしていた。
ニクスが生まれて、一家は幸せであった。
母は父の血を少し貰うだけで良かった。母には父を吸血鬼にするほどの力はなかった。

しかし、その幸せはある日突然破られた。
人間と暮らすなどということは、吸血鬼にとっては恥であると。
母の血縁にあたる吸血鬼が父を殺したのである。
母は半狂乱になった。ニクスがいることすら、忘れるほどに。
父を殺した吸血鬼は置き土産を残して行った。
彼らの住む森に近い街で、数人の人間を殺したのである。血を吸って。
街は当然パニックになった。
吸血鬼が現れたと、騒ぎになった。その騒ぎのなかでハンターと呼ばれる者達が雇われた。
森に時々出入りしていた人々は叫んだ。
『森に怪しい一家が住み着いている。そいつらが吸血鬼に違いない』と。

山狩りは性急に行われた。
ニクスの家はすぐに見つかってしまった。
ニクスは母を連れて逃げようとした。しかし母はもうニクスのことも分からなかった。

結果として、母は殺された。
暴徒と化した人間の手によって。

ニクスは人間と吸血鬼、その両方に家族を奪われたのだった。

「今はハンターをやって暮らしてる……俺の力は吸血鬼退治に向いてるからな……頼まれれば暗殺だってする……生きる為には誰だって殺した」

ニクスの独白は、そう閉められた。
シロウは返す言葉も無く、ただニクスを見つめるほか無かった。

「お前が…神父なんかと仲良く暮らしてるから…俺は嫉妬したんだろう。あの時は頭に血が上っていて、お前を連れてきちまった。
でも、もういいんだぜ……ここから出ていって、神父の所に帰れよ」

シロウは混乱した。
どうしたらいい。どうしたら。
サイレンの所に帰りたい。その気持ちは今でも変わらない。
しかし、今目の前で自身の過去を語った男を、シロウは突き放すことなど出来ないと思ってしまっていた。

動けない。何処にも。
ニクスが自分を放さないというのなら、シロウは彼の側に留まることを受け入れただろう。
それが理由になるなら。
しかしニクスは自分に選べと言う。
サイレンか、ニクスか。どちらか一方を。
選ぶことなど出来ない。出来るはずがない。

重い空気が室内を占めた。
そして、その空気は思いもよらぬことにより破られることになる。

ガシャーーン…ッ

突然、窓のガラスが外側にはじけ跳んだ。
ありえることではない。
もしも何者かがガラスを割ったのなら、ガラスの破片は室内に散らばるはず。
しかし、室内にはニクスとシロウしかおらず。
ガラスは内側から誰かが叩き壊したかのように、外に散らばった。

『…見つけた』

声は、シロウの耳元で、した。
振りかえったシロウの目の前に、闇が広がる。
シロウを支えようと出されたニクスの腕が、何かにはじかれる。
ビリッと刺さるような痛みが広がり、ニクスは顔を歪める。
その間にも闇は色濃く、部屋に広がっていく。

その闇の中から、一人の男が忽然と姿をあらわした。
男はまだ年若く、青年と呼んでもさしつかえがなかった。
青年の顔には極上の笑みが浮かべられている。
シロウは、その顔に見覚えがあった。

「……エレキ?」

エレキとは、シロウの弟であった。
いや、弟という関係上にある他人と言ってもよかった。
何故なら、シロウがエレキと顔を合わせるのは片手で足りてしまうほどだったからである。
シロウは吸血鬼の、エレキにとって父親にあたる者の所有物だった。
吸血鬼はシロウが他人の目に触れることを酷く嫌悪した。
その為にシロウは城にいる間ほとんど吸血鬼以外のヒトを見たことが無く、エレキとてその例外ではなかった。

また、エレキはダンピールではなかった。
シロウの母はシロウを産んですぐに狂い死んでしまったため、エレキの母は吸血鬼が同族から選んだ後妻であった。
エレキは、生粋の吸血鬼なのだ。

数度しか会った事のない弟。
それが今、自分の前にいる。

「探したよ…兄貴」

そうささやくエレキの口からは、鋭い牙が見える。
目はギラギラと喜びに溢れていた。

「…俺がタイミング悪く『眠り』に入ってる時に、失踪してくれなくたっていいじゃん」

眠りとは、まだ生まれて間もない吸血鬼が成長する段階で必要とする期間である。
その間は何も取らず、ただ眠りつづけ体が熟成するのを待つ。
シロウが城を出た時は、ちょうどエレキは『眠り』の最中だったのだ。

「帰ろうぜ…兄貴」

帰る。それはあの城へまたシロウが戻るという事に他ならない。
忌まわしい記憶が残る場所。
ただ支配されつづけたあの空間。

「嫌だ…」

否定の言葉は思うよりすんなりと、口をついて出た。
その言葉に、エレキは目を丸くする。

「ふうん…拒否できるようになったんだ?」

でも、聞いてやらない。


ざわり。
部屋に凝っていた闇が蠢く。
そしてシロウとエレキを取り巻いた。

それに、今まで動けずにいたニクスが反応する。

「シロウ!」

伸ばされる手。
シロウに触れるその瞬間。

「…ニクス!」

シロウは闇に包まれた。
ニクスの手は、虚しく空を掴むのみ。


「残念でした」


闇の中で、エレキの笑いを含んだ声が響いて消えた。







そうして後には。
たちつくすニクスと、まだ温もりの残るベットだけが残る……







またしても続く。


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吸血鬼ネタ第二夜。展開が流れるようです。
三夜で完結なんですが。まだ書いてません<こら。
イメージは固まってるんですけどね。