砂煙は硝煙の匂いと入り混じり、もうもうと空へ上っていく。

しかし。
それを見るものなど、誰一人いなかった。





ここは戦場。




死と生が交錯する世界。











【同じ空の下で】










「…お前…セム?」



ガチャリと、照準の合わせられたそれから弾くような音。
次には死の腕が容易く命を飲み込んでいくだろう。
そんな、瞬間に。
目の前の敵は、そんな間抜けな言葉を発した。

そして引かれない引き金に、セムは苦味の混じる唾を吐き出しながら背後へ跳ぶ。
ザッ
と、砂を蹴る音が、混乱した戦場の音の渦の中で耳に残った。
一瞬の間に、僅かな距離があく。
まだ目はこの砂埃に慣れていない。ブーツは砂を噛んで酷く重い。
それでも。
それでも目の前の敵を殺さなければ。
倒すなどという、生易しいものではない。
殲滅しなければ、こちらがこの砂の海に消える。それが『戦場』。

もともと白兵戦用でないこの服は、礼服にも近く、こんなときは長いコート裾が恨めしかった。
黒い色は、砂漠の白に目立つ目標となってしまう。
勝負は一瞬。次は無い。
腰のホルスターから、小型の拳銃を引き抜く。対した殺傷力はもたないそれでも、この至近距離。
そして、なんの防具もない頭部なら貫ける程度には人殺しの道具だった。

「その甘さが命取りだ。死ね」

油断などない。
甘さなど遠い昔に捨てた。
引き金は指に僅かに力を込めるだけで、軽い衝撃とともに弾を打ち出した。
それは、敵の命をさらうはずだった。

が。

「アッぶね!」

驚愕。
信じられない身体能力。
わずか1メートルにもみたないこの距離で、相手は身体を横にそらし、それを防いだ。
金の髪が僅かに逃げ遅れ、ほんの一ふさ持っていかれる。
そして再び向き合った、向けられた視線、眼力。

赤い瞳は、暁の色。
遠い過去の夕焼けのようだった。
なにかがセムの脳裏をよぎり、次の発砲をコンマ数秒ほど押しとどめる。
周囲はあいかわらずの混戦なのに。
永遠とも一瞬ともつかぬ沈黙が、二人を支配した。
そしてそれはあっけなく崩される。

「中佐!お逃げください!」

叫び声。そして続く発砲音。
向けられた銃口は全て敵へとむけられて。
金髪に赤い瞳をもつ男は、それを全てかわして後方へと跳んだ。
そして駆け寄ってくる、見知った顔。味方…

「中尉!」

「我々はもう囲まれています!これ以上包囲網が狭まる前に…
まだ今なら逃げ切れます!お早く!」

彼は続けて発砲しながら、言葉を続ける。
その足にも、わき腹にも血痕があり、いましがた出来たばかりとおもわれるその傷口からは絶え間なく命が流れ出ていた。
セムは言葉を続けようとし。
そして飲み込む。

「わかった。お前も早く来い!」

視線を先刻の敵にうつすと、そこに彼はもういなかった。
まるで幻のごとく。幽鬼のごとく。
ただ、乱戦を極めた人と人との争いが、銃声が、怒号が響くだけ。
背中に敵がいないことを横目で確認し、セムは止まっていた足を走らせた。
軍へ。
軍本部へ。
この失態を、この敗戦を知らせるために。
砂は彼を逃すまいと何度も足をからめとった。が、それを逃れて、ただ走った。
銃を構え、撃ち、屍もなにもかもを乗り越えて。



背後で中尉の断末魔が聞こえた気がした。




それでも彼は、走り続けた。
振り向く事はなかった。







中尉は…二度と戻らなかった。









*******





この国は狂っていた。
この国は内部に病魔を持っていた。

なにかがあった。
それが『何か』はわからぬが、なにかのきっかけがあった。
そして、国は国軍と反乱軍にわかれ、内戦がはじまった。

反乱軍は自らを解放軍・自由軍と名乗った。
抑圧された民衆の救い手と称した。
しかし。
それにより産まれた争いの火は、こんにちまで絶えることなく。
むしろ年月を得た分だけより激しく燃え上がり。
気づけば14年の月日が流れていた。


国土は燃え、人々は疲弊し。

それでも。



争いは消えない。





*******


カツカツと静寂の中に足音が生まれる。
闇の中にそれは飲み込まれ、そしてまた生まれ。
彼は進んでいた。

広く、長く続く廊下。
足下の絨毯は、今この国が貧しさを抱えているなど思いもしないほどに絢爛豪華で。
その事実に脳が働く前に、前へ前へと進むほかはない。
やもあって、目の前に大きな扉が現れる。
その横に姿勢をただし立つ二人の護衛。彼らは近づいてきた気配に一瞬神経を立たせ。
そして、気配が『彼』と知ると、視線を落とした。
彼が扉のノブへ手を伸ばしても、何も言葉はない。許されたものに対する警戒は皆無だからだ。

ギィ…と鈍い音をたてて、扉は開いた。
そして、その内へと彼をいざない。
再びゆっくりと閉じていった。


「失礼します」

声が室内に響く。
深くこうべをたれ、そしてわずかばかりの間の後ゆっくりと顔を上げる。
そこには一人の男がいた。
胸元にいくつも飾り立てられた勲章。そして身から生まれ伝わる気配は獣のそれと変わらぬほど。
無意識に、息を呑む。

「ああ、セム中佐…報告なら届いているよ」

「ハッ…今回は完全に私の失態です。
反乱軍が待ち伏せているとわからずに、あのルートを通り…
軍に大きな損失をもたらしたのは、全てこの私が……」

慌てて膝をつき、視線を合わせられぬまま。
セムはただ状況を報告する。そして自身の失態も。
全て、あの時の判断を委ねられていた自分のおこしたこと。

カツカツと足音が寄り。彼が近づいてきたのを感じる。
顔に影がかかり、伏せた視線に黒いブーツの先をみつけて。
セムはただ、待った。


衝撃はふいに訪れる。


「ぐっぁ!」

彼のブーツが突然蹴り上げられ。
それはセムの腹部を直撃した。
鈍痛。そして圧迫感。
なにより衝撃そのものに身体を弾き飛ばされて、セムは床を転がる。
手をつき、なんとか上体を上げようとして。

ガッ

「アッ…ヒッ」

床に落としたままの頭部を踏みつけられた。
そのまま床に縫い付けられる。

「お前の配下にどうやら内通者がいたらしいじゃないか。
ん?部下の管理は最低限の仕事だと、私は教えたね?」

「は…ぃ…申し訳、ありませ…」

ギリギリと、足は力を増してセムの頭部へ痛みを与え続ける。
それでも抵抗などできない。する意味はない。
目の前の彼は絶対君主。
逆らう事など許されるはずはない。

「セム…私はお前を買っているんだよ。
わかるだろう?お前は優秀だ…けして私を裏切る事などないだろう?」

「はい……私はけして貴方を裏切ったり…しません」

ブーツの底に踏むにじられたこめかみから、血が一筋流れ落ちる。
それでも。
なにもしてはいけない。

彼はセムの答えに満足そうに笑うと、ようやく足をどけた。
そして腰につけていた短鞭を手にとると、その先端をセムの顎へとかける。
ぐい、と顔を上げさせられ、痛みに僅かな息が洩れた。

「総統には私から伝えておこう…お前が赦される様にね…」

「申し訳…ありませ…」

「あとで、私の寝室に一人でおいで…
久しぶりに、可愛がってあげよう」

「………はい」

「では私はこれからまだ仕事があるのでね…もう下がってよい」

「…はい」


短鞭がどけられて。
ようやく立つ事を赦される。
見苦しくないよう、目障りにならぬよう。
全身の痛みを押し殺し、セムは素早く立ち上がる。
そしてそのまま、一礼すると部屋を出るために扉に手をかけた。
ノブが回るか、回らぬか。その時に。


「そうそう、お前の妹君からお前宛に手紙が届いていたよ」

そのたった一言が、凍りついたセムの意識に深く突き刺さった。


「ッ!」

「『まだ』元気にやっているようだ…お前の働きのおかげだろうね?」

「…ありがとうございます」

ノブを持つ手が震えそうになる。
それをもう一方の手で、必死に抑える。指が白くなるほど、力を込めて。

「優秀な兄君を持った妹君は、さぞ幸せだろうね」

「あ…りがとうございます……では失礼します…」


扉が開き、その間に逃げるように、身を隠すように滑り出る。
背後から酷く楽しそうな笑い声が響いてきた。
耳を抑えそうになるのを、我慢しなければならなかった。
音をたてぬよう、扉を細心の注意を払い閉めなければならなかった。

護衛兵はまったく関心を持たず、人形のように立っているだけ。
そして彼らと自分は何一つ変わらない。

人形。人形。
あの男の…人形なのだから。


痛みにふらつく足を叱咤しながら、廊下をたださまよい歩く。
少しでもここから離れられるように。
現実から逃れられるように。
そんなことは出来るはずはないとわかっていても、足はどこへ向かう事もなくただ動いた。


ふいに戦場でのあの出会いを思い出す。
脳裏に金の髪がきらめいて…赤い瞳に断罪される気がした。




「リリスのためだ…全て…俺の全ては………リリスの…リリスのためだけに…」


祈りにも似た呻き声は。

静寂のなかへ、誰に届くことなく飲み込まれて消えた。








*******


「かっはは!今回はあいつらにとって結構な痛手やったろ!」

豪快な笑い声が、船内に響く。
そこは軍船に似た内部構造をしていた。
ただ違う事が二つ。
この船に乗っているのは国軍ではないこと。
そして、この船が走っているのは海ではなく砂の上であること。

キャプテンが座るべき座に、一人の赤毛の青年が座して笑っていた。
そしてその隣に彼を守るように緑がかった灰色の髪を持つ青年が立っている。
彼は赤毛の青年が発した言葉に、僅かに苦笑してみせた。

「…でもうちも相等痛かったですけどね」

「しゃーないやろ!出来るかわからん傷を怖がっとったら前には進めん」

「そうですけど」


青年の呟きに赤毛はもう一度笑うと、ふい…と顔を引き締めた。

「わいかて…好き好んで人死に見取るわけやないで…識」

「わかってますよ…YUZ」

呟く声に、識と呼ばれた青年は軽く頷いた。
それが気に入らなかったのか、YUZは苦虫を潰したような顔になる。

「なんや、お前に名前で呼ばれるとこそばゆーてかなわんわ」

「『師匠』って呼ぶのは平和になってから、て決めたのはYUZじゃないですか」

「せやけどなぁ…」

「おーい、そこでラブコメやってねーでちっとは状況把握しとけよ、隊長!」

そこで第3の声がかかる。
『ラブコメ』という部分にいやな引っ掛かりを感じて、YUZはギッと声のした方向を向いた。
いや、正確には睨んだ。

「なんやて、ニクス!
んなこというて、お前かてあん時敵一人、しかも幹部クラス逃したそうやないか!
女の尻ばっか追いまわしとるから、腕がなまったんとちゃうか!?」

YUZが叫んだ先。
床に座り込んで、愛機の手入れをしている一人の青年。
ニクスと呼ばれた彼は、金の髪を掻きながら赤い瞳を向けた。

「俺はいーんだよ。第一あんときは本気で動揺してたんだから、生きて帰れただけでもよしとしてやってくれよな」

「お前ほどのやつが『動揺』やて?
んなら相手のやつはさぞかし美人さんやったんやろうな〜?」

「YUZ…」

横で識がたしなめるのもかまわず、YUZはそれこそ機関銃のように捲したてる。
しかし、普段の彼らの言い合いならここでニクスの反撃がくるのだが。
今日に限りそれがなく、ニクスは沈黙してしまった。

「…おい、なんやらしないな…大丈夫か?」

普段の彼らしくない様子に、言い放ったYUZ自身が不思議そうに聞いてくる。
それにニクスは笑い、呟いた。





「ああ、美人だったぜ……14年前と変わらず…な」



















軍船の僅かな窓から見上げる空は、透けるほど青く。

薄暗い本部の廊下につけられた明り取りの窓から見えた空も、同じように青かった。

本当に雲ひとつない青空だった。



しかし、それを見るものなど誰一人としていなかった。







ここは戦場。




死と生が交錯する世界。











end