今日がとても幸せだと。

その先の未来がひどく不安になったりしないかな。


こんな幸せな日は…二度と訪れないんじゃないかって…





形のない不安




その日は朝からすっきりと晴れることなく、暗澹たる雲が空を埋め尽くしていた。
時折気まぐれのように、日の光が地上に降り注いだが。
それもほんの一瞬のことであり、夜闇に冷えた空気を暖める事は無かった。
そんな街中を歩くというには少し早めの歩調ですり抜けていく青年が一人。赤い頭髪が灰色のビルに鮮やかな、孔雀だった。
はく息こそ白くは無かったが、孔雀は首に巻いたマフラーを緩めることなく、いつもの道筋をたどる。
夏の頃短く切った髪は僅かな季節の代わりの間に随分と伸びて、冷たい北風に揺れた。

「日本の冬も寒いなぁ…」

もちろん、それは孔雀の故郷には遠くおよばなかったりするのだが。
それでも身を切るような寒さは彼に暖かい場所への切望を感じさせずにはいられなかった。
あと少し。
あとほんの少し。そう、そこの角を曲がればもう見える。
孔雀の目指す場所が。
彼の愛しい人のいる『家』が。

相変わらず風は冷たく、すれ違う人々は足早だった。
孔雀がはやる気持ちを抑え角を曲がる。
その視界にはあの店の裏口が見えるはずだった。いつもはカギのかかっているそこ。
でも、孔雀には『恋人』からもらった合鍵があった。
それはいつも裏口から顔を覗かせる孔雀があまりにも五月蝿かったから…とは鍵をもらったときの『恋人』のいい訳である。
その鍵を片手でクルクルと回し、そしてふと視線を上げたその先に。
愛しい人と…見知らぬ『誰か』を見た。

どうして。

笑いあっている目の前の二人。はたからみても…親密そうで。
孔雀は幸せだった気分が、突如ガラガラと崩れる音を聞いた気がした。
やがて、見知らぬ相手は何事かを告げて去っていく。
それを見送る…あの人。

「セム…!」

声を上げてしまったのは失態だったろうか。今、見ていたことを気づかれたら…まずいのだろうか。
一瞬、そんな考えが孔雀の思考の端を掠めたのだが、そんな彼の不安をよそに。
孔雀の恋人は…セムは、僅かに手を振って苦笑を返した。

「ジャック…お前、いつからいたんだ?」
「…たった今だよ」

そう言いながら駆け出していた。ほんの少しの二人を隔てた距離が、どうにもたまらなくて。
焦るほどに、縮めたいと思って。
かけたのは僅かに数秒。あっという間に肩を並べるほどの距離になる。
そうして少しばかり吐いた呼吸の塊は、白い息になって消えた。
いつのまにか、随分と冷え込んでいたらしい。先刻までは息は白くなどならなかったのに…
孔雀の白い息を見て何を思ったのか、セムは孔雀の手を取った。
室内にいたのだろう、セムの手は熱をもって。
とても。
熱くて。

「お前、冷えてるぞ…手」
「え?」

伝わる温もりというには熱すぎる他人の体温に、神経の深いところが焼かれる気がしてぼんやりとしていた孔雀に、セムはため息をついた。
そして掴んだ手はそのままに、室内に戻ろうと背を向ける。

セムが『熱い』のではなく、自分が『冷たい』のだと、遅まきながらに気づかされ。
どうしてか、何も言えず。ただ単純に触れられる事を喜べるわけもなく。
孔雀は手を引かれて、セムの『家』に入った。



裏口から入ると、そこはすぐに休憩室になっていた。
孔雀の腰の高さぐらいの小奇麗な作りのテーブルと、大きめの椅子。
それらは全てセムがどこからか集めてきたと言う。
時にはオーダーメイドする上での談話室ともなるここに、孔雀が足を踏み入れるのはもう何度目か。
テーブルの上にはティーカップが二つ。
今さっきまでそこに座り、談笑していたのだと想像するのは容易かった。

「ね、今の人誰?」

店内に入り、自然と離れていくセムの手を惜しみながら。
孔雀は単刀直入に聞いてしまった。気になった事は隠せない。

「ん?ああ、お前は会ったことなかったか。
あの人は俺がまだ弟子要入りしていた頃お世話になった先輩みたいな人だよ。
今は畑違いの仕事についているみたいだが。今日は偶然近くを通ったから顔を出してくれたらしい」
「ふうん…」
「それよりなんだ急に。まあお前が突然来るのは今に始まったことじゃないが…」

常になく饒舌な様子のセム。先程の来客が嬉しかったのだろうことが、容易く想像できてしまうほどに。
孔雀が黙ったのを見て、納得したと思ったのだろう。
セムは孔雀に背を向けて、テーブルの上にある空っぽになった紅茶のカップとソーサーを片付けようとかがんだ。
普段も目にしている背中のはずだった。
ただそれが、一瞬ひどく遠くに見えて…


思考が形となる前に。
孔雀はその背を抱き締めていた。

「うわっ!」

突然の衝撃に、セムの手にあったカップがカチャンと鳴る。
それはそのまま彼の心の揺れのようでもあった。

「なんだ突然!おい、離せっ」

当然と言えば当然だが、腕の中のセムはもがき、逃れようと身をよじる。
もともと、それほど触れられる事を素直に受け入れる性質ではないのだ。
普段ならそれをわかりきっている孔雀はすぐに手を離していた。
しかし今、孔雀の腕は緩むことなく、背中に顔さえ押し付けて。

その体制は一瞬だったのか、それとも僅かな時間を要したのか。

「おい!いい加減に…ジャック?」

セムがしびれを切らし、その腕を強引にふりほどこうとした時。
背中に微かな嗚咽を聞いた。
ただ室内に残るそれをいぶかしみ、セムは手元にあったカップをひとたびテーブルに戻して。
そうして空いた手を、回された孔雀の腕の上に置いた。

(冷たい…)

先ほど手を引いたときにも思ったのだが。
その手は外気に冷え。そして僅かに、触れなければわからないほど微かに、震えていた。
なにが孔雀をそうさせたのかわからずに、セムはもう一度、反応のない彼へと呼び掛ける。
しばし沈黙の幕が降り、やがて小さな声が…

「嫌なんだ…」
「何が」
「嫌なんだ。セムが俺の知らない人間と親しくしてるのが…」
「それは」

理不尽なことだった。
自分達の関係をあらわす形式がどうあれ、全てをさらし全てを共有できるほどに、彼らは子供ではなかった。
言葉で伝えるには多すぎる、しがらみもあった。

「わかってる!セムにはセムの世界があって、その中には俺の知らない世界があるのも当たり前で…
俺と会ってからの時間なんてまだ短いことも、セムが隠してるわけじゃないことも全部、頭の中じゃわかってるんだ!」
「なら…」
「でも嫌なんだ!苦しいんだ!なんでだよ…どうしてこんなに遠く感じるのか、俺にもわからないんだッ!」

言葉の最後は、悲鳴にも近かった。
また、それだけに彼の言葉の本質でもあった。
震え、それでも力の緩まない孔雀の両手は、セムが抱き締められているはずなのに、すがり付かれているような錯覚を与えた。

ふりほどくことも出来ず。
抱き締め返せるわけもなく。
セムはただ、回された腕を撫でてやることしか出来なかった。
それしか、なかった。






体は繋げた  とうの昔に

でも


どんなに奥深くまで繋がっても
何度も重ねても



心には触れられない気がした






そして近ければ近いだけ 見えなくなって



二人分の影の上に

今も立ち尽くしている












幸せを不安に陥れるのが好きでしょう、貴方…
そんな痛い突っ込みがどこからか聞こえてきそうです。最初に謝ります。すみません。
どうにも精神的に脆いものを書くのが好きと言いますか、書きやすいといいますか…
それだけに、展開パターンも自然と似たようなものになりがちで…
ああ、またか…そんな印象です。なんか自分が不安定になると、文章も不安定になるようです。

最初の3文は、何かで読んだんですけど覚えてません。
幸せだと意味もなく死にたくなるとか…そんなこと。
おかしいなぁとおもいつつ、でも何だか理解も出来るんですね。その意味。

もっと孔雀は大人で突っ走ってる気がするんですが、ちょっと弱気な攻が好きなので(どうしようもない)
うちのセムはとことん可愛くないと、この頃思うようになりました。

かといってカッコよかったり、イケメンであったり(同じ意味だよ)するわけでもなく。
変に老成している気がしてちょっと頭を抱えたくなることも。
絶対公式はおばかな人だと思ってるんですが。棘好きだし。