「ああ、そうだ。俺今度、家に帰らなきゃいけねーんだ」


ぼんやりとそう呟いた。
その言葉は、明かりの消えた室内に寒々と響いた。
夜の闇に包まれ、頼るのはカーテンの隙間から零れ落ちる僅かな星明りだけ。
時間設定してあったヒーターは既に眠っており、窓ガラス越しに冷えた空気が室内を満たしていた。


そんな夜。




「帰る…オスローか?」

やもあって、ぼそぼそとした返答。
特に返事が欲しいと思ってはいなかっただけに、言葉を返されたことに驚く。
小さなため息と、それに伴うかすかな衣ずれの音。
そのたびに手元にある毛布がほんの僅か擦れて、剥き出しの肌に少しくすぐったいと思った。
視線を落とせば上半身を起こして座る自分の隣に、肩まで毛布をかけて横になっている白い体があった。

「セム、起きてたんだ」

「ああ…まだ頭がクラクラするがな」

そう言って起き上がろうとする気配。
それを片手でやんわりと制して、再びベットに沈み込ませた。

「いいよ寝てて。明日も仕事だろ?」

「それは別に大丈夫だが…ん…少し喉がいがらっぽいな……」

「じゃあ何か飲み物取ってこようか」

おそらく階下のキッチンにいけば、何かしら冷蔵庫にはあるはず。
そう思って腰を浮かすが、今度は伸びてきた手に手首をつかまれてそれを止められた。

「…そこのテーブルの上にペットボトルがあったろう…それでいい」

そうして指差された先には、よく目をこらさないと見えないが確かに飲みかけのミネラルウォーターがあった。

「わかった。…いよっと」

まだ手首は掴まれたままだったので、空いているほうの手でテーブルへと手を伸ばす。
指先がキャップ部分を掠めて。
何度かそれを引っ掻くようにしているうちに、ボトルはバランスを崩してクルクルと回り。
手の中へおちてきた。

「はい」

動きの制限される手でキャップを外し彼の手元へと運べば、ようやく手首を離した手がそれを受け取った。
そのまま口元に運ぼうとする一連の動作をなんと無しに見守る。
まず唇にボトルのトップを当てて、そのまま少しずつ角度をつけて。

けれど寝たままの体勢であったため、ペットボトルの中身は重力に惹かれすぎて口端から零れてしまった。

「寝たまま飲むのは難しいな…」

それが子供の嚥下する様子と想像の中でダブったのだろう、わずかに渋面するので。
苦笑しながらペットボトルをそっと取り、口をつけた。
赤い瞳はこちらを見ているはずなのに、どこか空々しくて。
ぬるい水を口内に含んだまま、上体を倒していき。
そっと唇を合わせた。


コクンと鳴ったのはどちらの喉だったのか。




「…ぬるいな」

「ま、さっきまではヒーターついてたし」

「まぁいいさ」

「そ」

そうして、もぞもぞと再び毛布の海へもぐりこむ隣の体。
しばらく居心地のいい場所を探していたのか身じろぎしていたが、少しすればそれも落ち着いて。
ふっと一息ついたところで、突然先刻の口付けのことを思い出してしまい、今更だが頬が熱くなる想いをした。
考えれば考えるほど思考は袋小路にはまっていく。
どうしていいかわからず、頬をピタピタと手で叩いていると。

「で、家に帰ってどうするんだ」

静寂に包まれたはずの隣から、再び声がした。
背中を向けられているので表情はわからない。ただ、声だけがした。
それは、明日の天気はなんだと聞いているような、単純な問いかけの声音で。

「え?うん、そろそろ顔見せに帰って来いとか親が言うからさ。
あんまり音沙汰無いのも親不孝だと思って…まぁメールは時々送ってるんだけど」

だから一度帰る、と。
付け加えて言葉を切る。

「………親か……そうだな」

少しだけ間があって、返されたのはそんな一言。

出発するのはいつなんだ、とか。
帰ってくるのはいつごろだ、とか。

そんなことは一切無く。
ただ『親』の一言に納得したような空気。
そして、逡巡する気配と、冷めゆく室温。


二の句を告げる事もためらわれて、指を組んで視線を泳がせていると。
ふいに空気が動いて。
すぅっと伸びてきた白い手が、肩に毛布をかけた。
見れば背を向けていたはずの顔がみつめていて。

「馬鹿、冷えてるぞ…肩」

「ん、サンキュ」

「感謝されるようなことじゃないだろ。
お前も明日撮影が入ってるんだから、さっさと寝たらどうだ」

ぐいと肩をつかまれ、そのままベットに引くように。
それを受け入れ、ボフッと枕に顔をうずめる。
肩口に触れた白い指の熱に驚き、それは自身のほうこそが冷え切っていたのだと知らされた。
指は熱を伝えるかのように数度さすって、触れてきたときと同じように唐突に離れていく。
そして再び背を向ける。
そんなことをする彼のことがわからなくて。


「なぁ、ジャック…」

どうかしたのかと、問い掛ける前に声を再びかけられた。

「なに?」

「……お前は…『後悔』していないのか?」

「…後悔?」

何に?
誰に?
誰が?


疑問符はいくつも現れて脳裏をめぐる。
それでも。
僅かに語尾の上がった口調で問いても。
それ以上は彼の口から出ることはなかった。


「……セム?」





返事はなく。
ただこのベッドの暖かさを共有していることだけが。
ただこの部屋の寒さを共感していることだけが。
同じ空気を吸っている事だけが。


その夜。
わかり得た現実の全てだった。








君の隣で

これから抱えうる事を 数えた





数えずに いられずに

合わない数を何度も

何度でも



天秤がつりあうようにと  数えた













クジャセムシリアス話。
親がいるとかいないとか。
将来だとか人間関係だとか。
共に居る事でのハンデを考えてしまうセムです。
そんな弱いセムのお話です。
というか、孔雀←セムに近いのか。
初めてじゃないか…
うちのセムがこんなに孔雀に優しいのって…(そうなのか)(そうです)
ぶっちゃけありえないセムで。

二人は(というか特にセムは)しっかりとお互いの未来を見据えていると、勝手に妄想作っている腐女子がここにいます。
刹那を生きるんじゃなくて、生涯を共にしたいぐらい。
そう思ってるのかもしれません。と思いたい。
実は孔雀が色々と不安に思っているそれ以上に、セムは未来を楽観視出来ない人。
神様なんていないと思ってる人だから。
実はどっちかといえば根本がポジティブなのは孔雀なのだと思っています。
世間的に表ざたになったときに、ハンデが大きいのは孔雀のほうだとセムは思っているから。仕事とか、人間関係とかね。

なんだ…孔雀のこと、好きなんじゃん…(ええ!?)


あとがきで内容説明してるあたり、まだまだ文章書きとして未熟な自分をひしひしと感じてしまう。
一月某日でした。