コチコチと動く秒針。

静かな店内と、外のざわめきと。


響かないで。
あと少しだけ。


わたしのお腹の虫。







ある晴れた水曜日の午後 2





「よし、昼休憩にしようか」

その声は、店内に飾られた時計がきっかり1時を指し示した瞬間に響いた。
『カッチン』という、針の合う音が聞こえたような気さえする。それほどに静かな店内で、彼の声は何よりも素早く少女の耳に届いた。

「ふわぁ〜…よかったぁ……もうお腹ペコペコっ」

途端、そう呟いて表情を崩す少女。
肩から力が抜けたさいに、独特の春を思わせる黄緑色の髪が揺れた。
髪の色に合わせた黄緑のアイシャドウが飾る目元は、嬉しそうに滲んでいる。
それを見て、彼女の前に居た彼は苦笑した。

「随分我慢してたみたいだな。そんなに辛かったのか?」

聞きながら、今まで座っていた椅子から立ち上がる。
色を入れぬ純粋な黒髪を片手で掻き分け、光の加減によって赤くも見える褐色の瞳を弛ませた。



ここはROOTS26。
原宿の一角にある、ファッションショップである。
独特の光沢を放つ布地をふんだんに使い作られた衣装や、装飾というよりも武装というのではとさえ言われるアクセサリーなど。
一般受けはしないが、それ筋を好む若者には穴場として知られている店だった。

平日の昼過ぎ。
店内に客の姿はない。
居るのは今しがた声を上げた二人だけ。
一人は『動くマネキン』こと、しがないアルバイターの少女エリカ。
そして、エリカと対話していたのはこの店のオーナー兼デザイナーであるセムだった。



「辛かったですよー、もう今日寝坊しちゃって…朝ごはん抜きだったし!」

まぁ、自分のせいなんだけどさぁ。
そんな風に話しながら、エリカは店の唯一の出入り口である扉へ向かう。
上半分がガラスになっており、店の外が見えるそこにかけられたプレート。
『OPEN』となっていたそれを、『CLOSE』にひっくり返す。
カラン、と扉についた鐘がその弾みで鳴った。

「まぁ、寝坊とは災難だったな」

エリカの背中を見送りながら、セムは特に災難とも思わぬような口調でそういった。
もちろん、それはエリカにも伝わったらしい。エリカはすぐに振り返ると、びしっと人差し指を突き出した。

「あ!その声は災難とか全然思っていないでしょう!
でも寝坊はしても、ちゃんとお弁当は作ってきたんだから!」

「それで、朝食は抜いたんだろう?」

自信満々に言ったのだが、さらりとセムに返されてしまいぐぅのねもでないエリカ。
むっと彼女の頬が膨れてきたのを見て、これ以上拗ねさせるとまずいなとさすがに思ったのか、セムは奥を手で指しながら笑う。

「まぁまぁ、それじゃあ昼休憩にしよう」

そして背中を向けて、さっさと奥に入ってしまった。
すぐに見えなくなる背中を前に、どうにもお腹の虫が我慢ならなくなったエリカは拗ねた表情もとりやめて、ひとまずお腹を満たすためにセムの後に続いた。





コポコポと魔法瓶から急須にお湯が注がれる。
出したばかりの茶葉が見る見るうちに深緑に変化した。ふわりといい香りが鼻をくすぐった。
二つの湯飲みにむけて順々に急須を傾けると、淡い緑色になった茶がまっすぐに落ちていく。

「セムてんちょ〜?お茶入りましたよ〜」

暖かな湯気を立てる湯のみを差し向かいのテーブルに置いて、エリカは口元に手を添えて二階へ上がっていったセムに声をかける。
少し細身の水色の湯のみのそばには既に可愛いお弁当箱が置かれて、開かれるときをいまかいまかと待っているようだった。
喉の渇きを覚えてエリカが湯飲みを手にし、唇を当ててはみたものの『あつ…』と呟いて諦めた頃合。
トントンと階段を踏みしめる音がして、セムが降りてきた。

「すまないな。なにしろこのウルトラ級スペシャルな弁当を傾けるなどして中身を粗末に扱いたくなかったゆえ!」

輝かしい笑顔。
そして、普段にもましてよくわからない口舌。
もっとも、それはエリカにとってすでに日常の1カットに過ぎず、何を気にした風でもなく椅子に座る。
セムも特にコメントがほしかったわけではないらしく、すぐに腰をおろした。

『いただきます』

向かい合わせで手を合わせて、一言の挨拶。
そして二人同時に弁当の蓋を手にして。

「おおおおおおおおお!!!!!
眩しい!眩しすぎるぞ!ああ、なんて色彩に富んだ完璧な弁当なんだ!
もう兄さんは涙で前が良く見えないよっ!」

開いた途端の絶叫。
にも慣れたエリカは、やはり気にせず今日のメインであるザーサイグリンピース混ぜご飯に箸をつけた。
塩気が思ったよりもちょうど良く、思わず改心の笑みがもれる。

そんな小さな幸せに浸るエリカの前で、セムはまだ涙をこぼしている。

「ああ、本気で美味しい!兄さんは感動だ!
毎日このように学生という忙しい身の上でこんな弁当を作ってくれるなんて!!」

叫びながら口に運んでいるのだが。
涙もおそらく混じっているんではないだろうか…塩気多すぎるかも、そんな感想をちょっとだけ抱いてしまうエリカ。
しかし、視線の隅に入ったセムの弁当は確かに見事だった。
パッと見はシンプルな鶏の煮たものといんげんときゅうりだったが、おそらく浅漬けだろうきゅうりは色艶もよく、いんげんにはよく見るとおかかがまぶしてある。
和風に統一された見本のようなお弁当。

「本当、リリスちゃんって料理上手ですね」

ほんの感想だったのだが、セムの瞳はきらりと輝いた。
それを見た瞬間、まずいと内心思ったエリカではあったがもう後の祭りである。

「そうだろうそうだろう!?両親が他界してから男手一つで育てられたとは思えない器量のよさ!
多少物静かである事はいなめないが、それも謙虚さのあらわれ!
この世にこんな愛らしい妹がほかに存在するだろうか!これはもう奇蹟としかいいようがない!」

水を得た魚とはこのことを言うんだろうか。
セムは延々とリリス自慢を始めてしまった。この話題になると後が長い。とりあえずエリカは適当に頷きながら空腹を癒すために箸を動かした。



妹自慢が軽く5分ほどたったろうか。
エリカの弁当の3分の一がなくなり、お茶をもう一口…と彼女が思ったところでふいにセムの口調が変わった。

「しかし、リリスには負けるがエリカちゃんも随分料理上手のようじゃないか。
その手の込んだ弁当…さては誰かに上げるもののついでだったりしてな?」

「ぶっふ!」

いきなり自分に話題をふられ、思わず食道に行くはずだった水分が気管に逆流する。
思い切り吹いてしまって、反射的にむせ返る。
突然咳き込んだエリカに、セムも驚いたようで目を丸くする。

「大丈夫か…?」

「げほっ…いっ…いきなりっ…ごほっごほっ……何言いだっすんですか!」

口元を抑えて咳き込みながら、顔を真っ赤にする。
もちろん、頬が熱いのはそれだけのためではなかった。
セムは首をかしげながらも、立ち上がると少し離れたところに置いてある小型の冷蔵庫に向かい、そこからミネラルウォーターを取り出し戻ってくる。
テーブルの上に伏せてあったカップを一つ手にし、そこに水を注ぐとエリカに差し出した。

「まぁ落ち着くといい」

「あっ…りがとうございます…」

なんとかそれを受け取るが、飲むことは出来ず一際大きく咳をした。
ゲホン!というそれで、どうにかおさまりかけ、受け取った水を一口含む。
冷たさが喉を洗っていくような感覚で、ようやく気持ちも落ち着いた。と、同時に咳き込む原因となった言葉を思い出して、再び頬が照るのがわかった。

「な、なんで…そんなこと思ったんですか」

「ん?」

「そのっ…お弁当…私、わかりやすいですか!?」

セムは一瞬、なんのことを聞かれたのかわからず問い返して。
ついでかぶせられた言葉に、破顔した。

「ああ、別にただの世間話のようなもののつもりだったんだが…
核心をついてしまったかな?」

いわゆる『かまかけ』というやつだったんだが。
そう付け加えられて、エリカは今度こそ茹でだこ!というほどに真っ赤になった。

「そそそ、そんなっ!
や、やですね、違いますよー!これは約束してるから、えっと、それだけで、その!」

普通に切り返しておけば良いのに、いらぬ動揺から言葉も上手く選べすろれつもあやしくなってしまう。
視線が落ち着きなく、箸にのせたご飯もぽろぽろと零れていった。
かわいそうにすら見えてしまうそのうろたえぶりに、セムがなにか言葉をかけようとした時。
ふいに、奥の裏口が開いた。

「おーーーーっす!」

バターン!と軽快な音を立てて、それと共に飛び込んで来る(つもりは本人にはなかったのだろうが、そう見えた)人影。
短い髪が赤くなびいて、満面の笑顔を浮かべた青年がテーブルのあるほうへ向かってくる。

「よっ!セム!エリカちゃん!」

「……ジャック…またか」

「孔雀!」

二人それぞれの反応も気にせず、孔雀は手にしていたケーキの箱をテーブルに載せると、自分も空いた椅子にドカッと座った。
そして笑顔のまま、ケーキの箱に手をかける。

「見てくれよー!今日は自信作なんだぜ?」

そう言って開かれた箱の中には、9号サイズほどのケーキが1ホール丸々と入っていた。
白いクリームがこってりと乗り、その上にさらにベリー系のフルーツが所狭しと飾られている。
ひとことでいえば『甘そうな』ケーキだった。

「…しつこそうな見た目だ。減点1」

「えっ!」

「あ、ここ飾り崩れてる。減点1」

「ええっ!エリカちゃんまで!?」

セムとエリカの二人はさらりと点数をつけはじめる。
孔雀はそれを聞くたびに、頭を抱え、大げさにショックをうけてみせた。
芝居がかっているというのは、職業柄しかたのないことなのだろうか。
孔雀の乱入(?)をきっかけに動揺していたエリカも落ち着きを取り戻し、再び弁当に箸をつけはじめる。
セムは湯飲みで茶をすすりはじめた。
孔雀は『ひでぇなぁ』などとぼやきつつ、勝手にお茶を入れはじめた。手元にはいつのまにか置きっぱなしになってしまった孔雀専用の湯のみ。
何故か熱燗用の酒缶デザインなのだが。
コポポ…と湯が音を立てて、そのそばにセムの湯のみが無言で差し出される。淹れろということなのだろう、孔雀はとくに返す言葉もなくセムの湯飲みにも注いだ。

「…で、どうするんだ、そのケーキは」

ふぅっとため息を一つついて、セムはケーキを顎で指しながら孔雀に聞いた。
その言葉に孔雀は待ってましたとばかりに立ち上がると、ミニボードの引き出しを開けて包丁を取り出してくる。
動きに迷いはなく、何処に何があるのか把握しているようだった。

「もちろん、試食タイムといこうぜ!本気で今回は自信あんだよ〜」

「すんごく甘そうだけど」

「この前のように歯が抜けるような甘さの塊だったら、次からここに来る事はゆるさんぞ」

手馴れた手付きで切り分けていく孔雀の横で、二人が口をはさむ。
セムの言葉にはさすがに孔雀も苦笑いをしていた。
やがて断面も綺麗な、クリームたっぷりのケーキがセムとエリカの前に並べられた。もちろん、皿代わりになっているのは弁当の蓋である。

「ささ!食べてみてくれよ!」

にこにこと勧める孔雀を前に、ここで食べないわけにはいかない。
前回の壮絶な甘さを思い出しセムは苦い顔をした。エリカも少しだけ不安だったが、思い切って箸で一欠け取り口に運んでみる。
白い塊が口の中に入った瞬間、ふんわりと柔らかな感触と甘味が口内に広がった。

「…美味しい!」

「まぁ、食べられる味ではあるな」

「やったー!」

弁当箱の蓋に、箸でのケーキというのはなかなか微妙な光景ではあったが、孔雀が持ってきたケーキは二人の眼鏡にかなたらしい。
エリカはにこにこしながら平らげていく。
もともと甘いものが得意でないセムは、そんなに進みは速くなかったがそれでも残す事はなかった。
そんな二人の様子に孔雀もにこにこしたまま、残ったケーキを次々に口に運び始めた。

1ホールのケーキがすっかり3人の胃におさまってしまうと、孔雀はパッと立ち上がり椅子をテーブルに入れた。

「もう行くのか?」

もう三杯目になる茶をすすりながらセムが聞くと、孔雀は一つ頷く。

「あと30分くらいで午後の撮影始まるから。
今日はケーキ成功したし、もう気分はさいっこーだからいいもんがとれるぜー!」

「頑張ってねー!」

ヒラヒラとエリカは手を振った。
それに、孔雀は『おうよ』とガッツポーズを返す。

「でもまぁ、ケーキは10点満点中で7点だがな」

「えー!10点満点じゃねぇの?」

「わたしは9点かな」

あきらかに衝撃を受けたような孔雀の背中に、セムはもう一声。

「甘いものが得意でない俺にも食べられるようなものにしろ」

その言葉に孔雀はぐりっと顔だけ振り返ると。

「よし!あんまり甘くないやつな!覚えとくから!」

言うが早いか、次の瞬間には裏口を抜けて出て行ってしまった。
バタバタという足音で、遠ざかっていくのがわかる。おそらく本当は相当ギリギリの時間だったのではないだろうか。

「役者も大変だー」

ぼんやりとその感想をエリカがもらすと、耳に届めたセムはエリカのほうを見やり少し笑った。

「まぁあいつの事はいいが…もうこちらも仕事に戻ろうと思うんだが、大丈夫か?」

「えっ…!え!もうそんな時間ですか!
大丈夫です!出ます出ますー!」

仕事の二文字にエリカは慌てて弁当を片付け始めた。
湯飲みはさっと洗い、またテーブルに伏せておく。出しっぱなしだったミネラルウォーターを冷蔵庫にしまって、弁当箱の入ったトートバックを片隅に置いて。
セムはもう店に戻ろうとしている。
その背中をまたも慌てて追いかけたエリカだった。






実は結構食べ過ぎていて。
その日の午後は、ずっと気合を入れてお腹を引っ込ませておかなければならなかったのだけれど。

それは乙女の秘密にしていただきたく…











終り



Q.これはシリーズですか。
A.違います。
そんなわけで、同タイトルで失礼します。一応前回と時間軸は同じということで。
一度は描いてみたかった、ROOTS26でのエリカとセム+その他(酷い)。
エリカの口調に最後まで悩んだのですが、セムは一応上司(?)雇用先ということなので、エリカは敬語にしてみました。
店長とため口ってなんかおかしいかなと思ったんですが、どうでしょう…。
エリカのお弁当の先は…まぁ某所ということで。

まだまだ他キャラもリンクできそうな空間なので、続きが書けたらいいのになとは思ってるんですが。

セムの口調もおかしいと思う…セムは一人称を時と場合と相手で変えていると思います。
夢みてるだろ…見てるよ!
とにかく、書いていて楽しかったのでした。