そうだ 夢など


曖昧な希望など






捨ててしまえ











【接触】









「よくやったね、セム」

声をかけられてハッとする。
瞬時に緊張の走る体。その前まで自分が何をしていたのか、どこへ立っていたのか。
わからなくて、拳をきつく握り締めた。
焦点があった世界に、彼の姿があった。
そしてその背後に見慣れた部屋を認識して、現実へと引き戻された。

「…は」

一つ息を吸い、そしてなんとか吐き出す事に成功する。
そんなセムの様子に、彼は青い瞳を笑わせて囁いた。

「あの者は反乱軍でも幹部クラスの者だろう」

あの者…とは…
そう、ほんの数時間前ここに侵入した反乱軍の一味。
あの男。

「あの男の自白は私にやらせてください」

淡々と語る言葉。
深く暗い決意。
そして、それを笑んで見守る…全てを握る彼。

「いいだろう…」

スッと彼の手がセムの頬へと伸びる。
そして、顎まで滑り降りて、くいと上を向かせた。
その力に逆らわず、赤い視線をそのままうつろに向ける。彼の望むままに。

「ふふ…お前は本当に良い目をしている…」



闇は赤い彩を纏い、静かに降りてくる。








******





ピチョン  ピ チョン

どこからか響く。
水滴の落ちる音。
いつ頃からか気になり出した、その小さな音。
それさえ、常人なら神経をおかしくするのには十分。それだけの暗闇がここにある。

「あー…ここまでつけること、ないんじゃねぇ?」

言葉は空気を僅かに震えさせるのみで、自らの耳以外には届かない。
ガシャッと鈍い金属音。
腕に食い込む鎖の重さ。


地下牢。


じめじめとした空気は、ここが水に餓えた国であるなど嘘のように濃密な空気を閉じ込め。
しかし、それは腐臭と混じった混濁したものだった。
灯りはところどころにある小さな電気の火のみ。自然と闇が生まれている。

そこへ拘束された彼は、あきれたようなため息を一つだけ吐いた。
と。
そこへ。



カツン カツン カツン

近づいてくる気配。
それは彼がとてもよく知っているものだった。



「へっ、やっとおでましか。待ちくたびれたぜ」





ガシャン。
鍵の落とされる音。
そしてギィと金属がこすれあう嫌な響きと共に、彼の前に立つ青年。
黒い軍服はまるで喪に服すように、髪すらそれらに同化して闇の色。
そのなかで赤い瞳だけが、彼を捉えた。
いや、睨んでいたのだろう。おそらくは。


「…気分はどうだ、ニクス」

「よう、最高のもてなしありがとよ。おかげさまでこれ以上ないくらい不快だぜ?セム」

鎖につながれ、両腕を拘束されたままのニクスに相対したのは、セムだった。
ニクスが余裕たっぷりに笑って見せると、彼の顔は嫌悪を深くする。
ギリ、とセムの手に握られた鞭が音をたてた。

「何が目的だ」

それでもセムは尋問のための言葉を発する。

「感動的な再会ってやつを、演出してやったんだけどよ?」

ニクスがにやりと笑って答えた瞬間。
鞭がしなった。

「ツッ…てぇ…」

頬に赤が一筋出来る。
黒い鞭は蛇のように再びセムの手へと戻っていく。

「今度は殺ぎ落とす。余計な事を喋る必要はない」

その声は、酷く冷たく。
そして機械的だった。

「もう一度聞く。貴様は何故ここに現れた。目的はなんだ」

「お前に会いに来たんだよ」

あくまでもそう言い張るニクス。

「フン…低俗な言い逃れだな」

頭からそれを馬鹿にし、否定するセム。
しかし、ニクスはそれに僅かに笑っただけで余裕は崩れない。

「本気なんだけどな。
で、お前はこんなことに満足してるのか?」

「何…?」

「この現状に満足してるのかって聞いてるんだよ」

「聞いているのは私だ!」

再び鞭がしなったが、しかし今度はニクスは首をひねってそれをかわす。
右頬の横をすさまじい勢いで流れ、石壁を弾いて音をたてた。
セムの目が見開く。口はわなわなと震えていた。

「お前の質問にはさっき答えてやったからな、今度は俺が聞く番なんだよ。
セム、お前本当にこれでいいのか?この腐りきった政府の、この軍の中で生きていくことがお前にとって…」


−オマエノ望ンダ世界ナノカ?−


「ッ!」

それは一番開かれたくなかった。
開いてはいけなかった、心の奥底に封じ込めた扉。
深く、さび付いたそれがニクスの言葉に軋みを上げる。


「五月蝿い!五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!貴様になど何がわかる!この俺のなにがっ!!!
14年…14年間、俺がどんな思いでッ…どんな気持ちで!」

「わからねぇよ!わからねぇから、今聞いてるんじゃねぇか!」

セムの声は、手負いの獣のように悲痛に響く。
痛みをもったその言葉に、ニクスはそれを切り崩すように怒鳴り返した。
地下牢にワァンと音が伸びていく。

「貴様になぞ…貴様になぞッ!」

吐く息が荒い。
口端は力を入れすぎたために切れ、血が滲み。
憎しみと、出口のない狂った感情が溢れそうになる。

鞭を持つ手がニクスを捉えようと動き。






「それくらいでお止め、セム」



やんわりと手を重ねられ、背後から止められた。
柔らかく。しかし冷たく残酷な音色の言葉に、セムの表情が凍った。

「…ぁ…」

恐る恐る振り返った先に、冷たく微笑む絶対君主。
セムの全てを支配する彼が立っていた。
いつの間に来たのか、牢の中まで入り込み。そして今はセムを背後から支えるようにたっている。

「今のお前は冷静さを欠いているようだ。そんな状態で尋問しても、相手には効かないよ。
ただ、殺してしまうだけだ」

「…申し訳ありません…」

彼の手が、そっとセムの手から鞭を取り上げる。

「この者にはまだ使い道がある。尋問には別の者を呼ぶことにしよう」

「おい!俺とセムの話に口出しするんじゃねぇよ!」

それまで成り行きを見ていたニクスが吠える。
しかし彼はニクスに視線を合わせようともせず、セムに言葉を続ける。

「セム…お前は今疲れているんだよ。先に私の部屋に戻っていなさい」

「ですが!」

セムが顔をあげ、言葉を返そうとした瞬間。
彼の手に移っていた鞭がしなり。

「ぁッ…!」

その一撃にセムの身体は打ち倒され、壁まで弾かれる。
壁にしたたかに背を打ちつけ、鈍痛に息が飛ぶ。

「セムッ!」

ニクスの叫びはしかし、誰にも届かない。

「いつ、私に意見でいるようになったんだい?」

「…申し訳…ありません…」

鞭がセムの白い首に巻きつき、そのまま喉へと食い込んでいく。
ギリギリと絞められ、空気が閉ざされ。

「セム…お前はなんだ?」

「…私は……貴方…の……ぅっ…忠実な…」

細くなる息の下で、か細く吐き出される言葉。

「止めろてめぇ!…セムッ!!」

目の前の光景に何一つ出来ず、両腕の鎖は無情に重い。
手を伸ばせば触れられるはずの距離で、セムが苦しんでいるのに、ニクスには何も出来ない。

「忠実な部下…です…」

「私を裏切るのかい?」

「けして…けして裏切ったり、はっ…いたしません……お赦しくださっ…い…」

そこまでセムが言い切ると、ようやく力を抜かれ。
鞭が解かれて。
セムは地べたへ、ずるずると崩れ落ちた。

彼はその傍らに膝をつき、今度はその耳元へと優しく囁く。

「セム…かわいいかわいいセム…お前は悩む必要などないのだよ。全ては私が考えてあげよう。
お前は、私についてくるだけでいいのだ」

甘い禁断の囁きは、セムの心を蝕み。
毒蛇のように入り込んでくる。
それに抵抗するだけの心は、セムにはなかった。

「…はい」

ただ、従順に頭をたれる。

「では、先に戻っておいで」

「…はい」

ややあって、フラフラと立ち上がり。
足下が定まらないまま、セムは背をむける。

「セム、待てよ!俺はまだ話がおわってねぇぞ!」

焦点が合わず、何も写さなくなった赤い瞳はニクスを見ようともしない。
遠ざかっていく足音が耳に届くだけ。

「セムッ!」

「フゥ…つくづく反乱軍は余計な事をしてくれる」

ニクスの絶叫に返ってきたのは、その場をさらなかった彼の声だった。

「んだと?!」

「あの子は私の最高傑作だ。
へたな横入れで、せっかく従順に育て上げた血統証を泥まみれにしたくないのだよ」

何を言っている。この男は。
ニクスの中で苛立ち、怒りに似た感情が膨れ上がる。

「あいつはてめぇのもんじゃねぇ!!」

「私のものさ。あの子の生も死も…全ては私の掌の上にある」

「ふざけんな!」

殴ってやりたかった。
腕は鎖を無視して、男へ向かおうとする。
硬く冷たい金属にはばまれながら、手首に食い込んで血が滲んでもそれを止められない。

ガシャン ガシャンと鎖が鳴る音が響く。

「野蛮だね…
私はふざけてなどいない…至って本気だよ。
まぁ、愚かな君達にはわかるべくもないことだろうけどね」

冷たく笑う。
まるでモノでもみるように。

「あいつは人間だ!一人の考える事の出来る人間だっ!
てめぇの、てめぇらの玩具なんかじゃねえ!!」

「本当に面白い男だな。さすが、単身でここまで乗り込んできただけはある。
しかし、その強気がここではたしてどこまで続くかな?」

「拷問かよ…ケッ、やれるもんならやってみやがれ。」

爛々と挑む瞳は燃えるように彼を睨む。
それにすら、彼は笑うだけ。

「確かに…そうしたいのはやまやまだが、私にはこれからあの子を慰める時間が必要なのでね。
君のような低俗なものと付き合う時間はそうそうないのだよ」

慰める、という単語にニクスの顔色が変わる。

「あいつに…セムに少しでも触れやがったら、ぶっ殺す!」

「少しでも?
ははは、なら私は何度死ななければならないのかな?」

楽しげに笑う。
その気配がビリビリと神経に障る。
なにより、その言葉の意味に…返す言葉なく固まってしまったニクスを見て。
彼はよりいっそう楽しげになった。

「あの子の全てを知っているのは、誰よりも私なのだよ。
そう、神よりもね…」

「貴様ぁッ!」

ガシャリと鎖が一際強く引かれる。
しかし、渾身の力でもってしてもびくともせず、手首を傷め続けるだけ。

それに彼は低く笑い。
そして後を見ずに、去っていく。

ガチャンと再び鍵が落とされる。


「待ちやがれっ!
…畜生、畜生ッ!!」






うめく様な痛みを伴った叫びと。

金属の軋む音は。



深く深く 暗がりに響いた。




でも。

ただ、それだけ。




























『 自由 を望む事は   罪 ですか? 』

















end