思い返されるのは 君の声 
 
 
脳裏に焼きついたままの 君の言葉 
 
 
 
 
 
そして 
 
 
 
 
あの日の君の笑顔 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もう少しこのままで、なんて我侭を。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カチカチと時計が秒針を正確に刻む音のする部屋。 
俺は部活後の疲労を溜め込んだ体を愛用しているベットに投げ出した。 
バフ、と軽い音をたてて枕代わりにしている大きめのクッションが沈む。 
 
サラサラとした肌触りが気持ち良いなあ、もうシャワー浴びないでこのまま寝ちまいたい…そんな風に考えて。 
目を閉じた瞬間、ふいに瞼の裏に一枚のシーンが絵になって浮かび上がった。ついでに音声付で。 
 
 
 
 
 
 
 
『みなみ、好きだよ』 
 
 
 
 
 
それはあまりにも突然の、世界の変革だった。 
ほんの数日前、人気の引けた廊下で。放課後で。そうだ、隣には千石しかいなかった。 
そこで、千石は言ってのけたのだ。 
 
 
ナゼ今急にそんなことを思い出してしまったのか。 
馬鹿、俺の脳味噌。 
考えたって仕方ない。 
だってその言葉が何を意味するのかなんて。 
俺は知らない。 
 
 
知りたく、ない。 
 
 
 
 
考えまい考えまいとクッションに額を押し付けてみても。 
一度浮かび上がってしまった思考はなかなか消えてはくれない。 
体は睡眠を求めているのに、もう脳内だけは冴え渡りくだらない事ばかりに思考が走る。 
 
 
 
あの瞬間。 
普段ふざけた顔ばかりの千石が、珍しく真面目な、というより神妙な顔をしていた気がして。 
すぐにあいつは口を釣り上げて笑って見せたけど。 
目が笑ってねぇんだよ。 
 
それでもだからといってその言葉。 
その真意が見えるわけは無くて。 
ただこれは冗談じゃないのかもしれない、そう思ったら怖くなった。 
 
 
 
 
 
 
俺と千石の付き合いは中学に入ってからで。付き合いって言うか知り合ったのがほんとに中学からだったんだけど。 
初対面は入学式の日だったけど、ちゃんと言葉を交わしたのはテニス部の仮入部の時だったように記憶する。 
 
『俺、せんごくきよすみ!よろしくね』 
 
にかりと笑う今よりも幼さの色濃い表情を、今でも鮮明に思い出せる。 
それぐらい、コイツは自分と違う人種だと本能的に感じたのだ。 
それぐらい、意識していたのだ。 
 
実際、無意識に予感していたとおり、千石はテニスが上手かった。 
入部したての頃から、他の追随を許さないようなゆるぎなさが彼にはあった。一年でレギュラー陣と張り合えたのは彼だけだった。 
一方で対人関係はあけっぴろげ、誰にでもすぐに打ち解けていたように思う。あの明るさがそうさせたのだろう。 
彼は些細な事ですぐに問題を起こしたり人を怒らせたりしてはいたけれど。 
本当の意味で彼を憎める人間なんて、いないように思えた。 
 
そう、まるで太陽のようだった。 
なんてことはけして言えるはずも無かったけれど。 
 
そんな千石がどうして俺とつるむようになったのか、理由はあるようでない。 
気に入られたのかもしれない、からかわれていたのかもしれない。とにかく言えるのは先にコンタクトを取ってきたのはあっちで。 
あいつの真意など俺には読めるはずも無くて。『気に入ったんだよ』と笑顔で言われれば、褒められている気こそしなかったが別に悪い気はしなかった。 
千石は色々な問題を起こして何故か大概そのお鉢が俺に回ってきてしまい、気づいたらあいつのことで謝ってばかりなんて構図にもなっていたけれど。 
それでもあいつと一緒にいるのは楽しかった。 
 
三年になりどういう流れか俺が部長になっても、あいつは変わらなくて。 
小さな問題ばかり。 
小さなイタズラばかり。 
飽きることなく飽きることなく。 
眉間に皺を寄せる事も少なくはなかったけれど、それでも。 
 
 
「楽しかったんだよなぁ…」 
 
いつの間にか思考が声に出ていたらしい。 
小さな俺の声は、クッションに塞がれていた事でなおさらくぐもっていた。 
しかし別に聞かせる相手がいるわけでもないし、自分の声は耳の中で反芻されるから気にならない。 
でも自室でぼんやりベットの上で独り言っていうのは…ちょっと情けなくはないだろうか。 
目を閉じたまましばらく昔の思い出(といっても一年二年程度だけれども)を思い返して、やはり俺の記憶量の膨大な位置を占めていたのは千石だった。 
ダブルスのパートナーである東方とも同じ位の付き合いではあったが、千石のようにイチイチ忘れられないようなとんでもないことをしでかす事はなかったので、失礼なようだがあまり鮮明には覚えていない。 
全国に初めていったときのこととか、ああそういえばあいつ結局片思いで玉砕して…なんてまだ覚えてるの知ったら東方怒るだろうな。 
結局印象に強い方の勝ちということで、俺の中で勝利のポーズ(何故か片手に生茶パンダ)をして満面の笑みを浮かべる千石の姿が思い浮かぶ。 
悪い、東方…。 
 
別に謝る必要なんてないようにも思うが、とっさに悪いと思ってしまったのでもうしょうがない。 
イメージの中でだけ片手をあげて、これまたイメージの東方に謝罪の意を表して。 
何してんだ俺。 
自分の思考パターンが信じられなくなってきた。 
 
 
思考を払拭しようと、ぷぅ…と小さく口から息を吐いて。 
改めて、唇にクッションが当ってしまう。 
その柔らかい感触が脳まで届いた瞬間、ふいに。 
 
 
 
 
『なんてね』 
 
 
 
 
小さな声が蘇った。 
思わず体を起こし、片手で口元を押さえてしまう。 
当たり前の事だが自分の指で触れた唇はなんともなくて。俺はリップを愛用するなんてことはないので、今日はかさついている。 
だのに、思い返されてしまった少し濡れたような感触。リップ特有の甘い香り。 
 
「…なんで」 
 
あの時、返せなかった言葉が。聞きたかった疑問が口をついて出た。 
どうしてあんなことをしたのか本当は聞きたかった。けれど。 
『タッチごっこ』だなんて言って。千石はふざけてやったんだよと、冗談にしようよと投げかけていた。 
 
 
…違う。 
 
 
 
 
≪  俺が  冗談にしたかったんだ  ≫ 
 
 
 
 
千石はそれを敏感に感じ取ったに違いない。 
だってあいつの顔が、歪んでいたんだ。 
あいつは俺がわかってないと思ったんだろうけど。騙せてると思ってるんだろうけど。 
笑ってても、笑ってなかったから。 
お前が本気で笑ってるのか、そうでないのかぐらい三年もつきあってればわかるんだ…。 
 
 
でも俺は。 
その時何もいえなかった。 
お前が冗談だって笑うから、俺も冗談なんだなってとって。 
 
そうじゃない。 
千石のせいじゃない、そうじゃない。 
 
いつの間にか全身の汗は冷えて、なのに掌だけがとても熱くて。 
握り締めたシーツ。皺になっちまうよなぁ。 
表層の意識は現実を言葉で表現しようと必死なのに、深層にいる俺はただただ千石のことを考えてしまう。 
 
 
 
 
 
 
 
『みなみのことが、キスしたいぐらいに好き』 
 
そう言って、ただ笑っていた千石。 
 
 
 
 
 
 
 
もしかしたら、千石は本気だったのかもしれない。 
 
 
 
 
 
 
本気? 
 
 
 
      何に? 
 
                   俺に? 
 
  誰が? 
 
                                千石が? 
 
 
 
 
    俺 を  好      き     ? 
 
 
 
 
                                          どうして。  
 
 
 
理解するには俺は臆病すぎて。 
俺が返した言葉は今もすぐに思い出せる。 
 
 
『どこのみなみだよ?』 
 
 
われながらなんて姑息なことをしたものだろう。 
あれは千石を否定していただろう。 
もしかしたら本気だったとも取れる、千石のその心を潰したのかもしれない。 
それでも逃げたかった。 
だから確認を取るように聞いてしまった。なんでもない話題のつもりで。 
バレバレな嘘を。 
ついた。 
 
 
なのにあいつは。 
 
 
『あだち充の【タッチ】のミナミチャンだよ』 
 
それを飲み込んでくれた。 
その時の笑顔を忘れられない。 
 
 
 
 
 
 
ああもう、頭のなかがグチャグチャだ。 
 
思い返す順番なんてもうバラバラ。 
合ってもいない。 
でもそれでも繰り返し出てくるものは変わることなく。 
 
 
笑いながら泣いているような、読めない千石の顔。 
触れたか触れないか程度の温もり。 
 
 
 
 
 
だってどうしたらよかったんだ。 
俺は男で。あいつも男で。 
なんでもない振りして『俺も好きだよ』と返せばよかったのか。 
そんなこと考えてももう時間は過ぎた後で。 
後悔はあとで悔やむから後悔というのだし。 
 
 
友達として好きかと言われれば好きだ。 
部活の仲間としても信頼してる。 
でもそういうことなのか? 
千石が示したかったのは、そういうことなのか? 
 
聞けば戻れない。 
この道は閉ざされてしまう気がして。 
 
誤魔化した俺は今も臆病なままだ。 
 
 
 
いっそあの時、千石が俺の感情ごといつもの勢いで持って掻っ攫ってくれれば良かった。 
そうすればこんなふうに。 
こんなふうに。 
ああ、他人のせいにする俺は本当にどうしようもない愚か者で。 
 
 
 
 
 
 
「けんたろう、ご飯よー!下りてらっしゃい」 
 
 
階下からの聞きなれた声に思考を強制的に中断する。 
 
 
「今、行く!」 
 
咄嗟に返した声は、いつも通りだと自負して。 
まだ眠気が全体に浸っている体を叱咤して、ベットから降りる。 
足下が少しだけよろけたけれど、転ばなかったので別にいい。 
きっと帰ってからずっと今の今まで制服で寝ていたなんていったら、お小言を喰らってしまうに違いない。 
それでも今は、一刻も早くこの部屋から出たかった。 
自分の部屋なのに。 
 
目を閉じれば思い出されるのは同じ顔。 
だからもう、俺に考えさせないでくれ。 
 
 
 
 
 
 
お前が好きだよ千石。 
 
 
 
この感情がどんな意味を持つものなのかなんて、悔しいが経験の無い俺には区別がつかないけれど。 
 
それでも俺は確かに、お前のことが好きだよ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だから。 
 
 
 
 
 
 
 
もう少しこのままで、なんて我侭を。 
 
お前は聞いてくれるか? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  終