じりじりと肌を蝕む周囲の気温
 
蒸し暑いぐらいなのに今僕の隣に君がいません
 
 
 
それだけで
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ま る で 真 冬 の 夜 空 の 下

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うだるような熱気が室内に蔓延していた。
汗は次から次へと流れ落ちて止まらない。本当に、脱水症状か熱中症になるんじゃないかってぐらいの、環境。
教壇の上、教科書を片手に話す教師の言葉が聞こえない。
誰も聞いてないに違いない、こんな暑さの中。教師だってやる気が失せるだろう、中年ぶとりしている数学の教師は、額に浮いた汗をしわくちゃになったハンカチで拭いていた。
 
「しんじらんない…最悪」
 
呟いた言葉は、きっとこの部屋にいる人間全員の心と同調しているだろう。
ありえない話があった。
冷夏といわれた今年の夏も終わったのに。
新学期が始まって、最後の足掻きのような真夏日の今日。
教室のクーラーが壊れました。
うんともすんともいいません。
 
「ありえないー…」
 
文句をいつくか並べてみたが、それがどうにか効力を発してくれるわけもなく。
こんなときぐらい、特別教室を使えば良いのにという生徒大半の気持ちは回転の遅い学校体勢には反映されなかった。
窓から差し込む日差しは既に殺人級。
窓際席はほとんど空。あたりまえだろうか、みんなやっていられずサボタージュだ。
なのにこうしてわざわざわかりにくい教師の声を聴いているなんて。
 
「俺、おかしくなっちゃったかな」
 
今までの自分なら、きっと今ごろ涼しい場所を求めてさぼり決定。
快適ライフを送っているに違いない。
けれど現実にたちもどれば、変わらず耳に聞き取れない教師の声。
机の上に無造作に置かれた教科書とノート。書き取りは授業開始5分で諦めた。汗で鉛筆なんて持ってられません。
黒板にはミミズがちょっと成長したような字。
二つ前のメガネ君が、必死にノートを取っているのが見えた。きっと彼はあとであのノートをみんなに奪われるに違いない。
なのに今あんなに頑張って。
頑張って。
 
誰かを思い出しそうだ。
 
 
そう思った瞬間、ふわと脳裏によぎったのもの。
もう見慣れすぎてしまった顔。
 
 
『 せ ん ご く 』
 
 
困ったように。少しだけ眉間に皺を寄せて。
笑う顔。
 
 
「…みなみ」
 
声に出せば、色彩のついた記憶が鮮やかに浮上する。
明るい空の下で。
ああ、この記憶はいつだったかな。
窓からの蝉の声、教壇の上の教師の声。全部に蓋をして、頬杖をついたまま目を閉じる。
ゆっくりと記憶をすくい上げるように息を吐いた。
 
 
 
 
 
屋上。
青空。
白い雲。
 
少し錆びた重い扉を背にして。
見つめた瞳の色は黒。
風に運ばれてきた、薄桃色の花弁。
 
 
「…四月だったかな」
 
 
 
三年になって。
新しいクラスもすぐに馴染んで。(といっても三年間で知った顔ぶればかりなので馴れる馴れないもないが)
そろそろ飽きの来る頃。
中庭の隅に咲く、遅咲きのボタン桜を窓から見たら、もう教室にいるのが馬鹿らしくなって。
三年になってはじめて、屋上で見事なサボリをした日。
 
「南はずっと、苦労性だよね」
あの時も南は、わざわざクラスが違う俺を探しに来てくれたんだ。
おそらく担任とかに頼まれたんだろうけど。
 
扉を開けて俺を見つけて眉根を釣り上げかけた南に。
俺なんて言ったんだっけ?
 
 
『           』
 
『千石…』
 
返す南の声と、その表情は憶えているのに。
おかしいな。
 
「俺、なんて言ったかな」
 
憶えてない。
でも南が笑ってて、嬉しいなとか。
他意無く思ったことは鮮明で。
 
 
その表情が今はとても懐かしいことに、気づいてしまった。
 
 
 
記憶はどんどん流れていく。
時間の経過は曖昧。
脳が作り出した過去の世界で、記憶の中で。
 
春が終り、夏に近づき。
 
写真をバラバラに眺めるみたいに、変化する南の顔。
曇っていくそれ。
消え始めた笑顔。
それは、あの日を境に。
 
 
長い廊下。
夕暮れ。
 
 
 
 
 
ごめん。
ごめん。
ごめん。
 
 
 
「…メンゴ、4月の俺」
 
お前が望んでたものは、今はもう俺の手にないよ。
落っことしてしまった。
はずみで。
 
 
「だから。俺、真面目君になっちゃったんだね」
 
 
さぼれば南が探しに来てくれた。
どこにいても、見つけてくれた。
そして怒ってあきれて。
笑って。
 
そんな以前は見えたビジョンが、今は見えないから。
 
 
「もしも、探してくれなかったらとか」
 
そんなことはないだろうけど。
責任感のかたまりみたいな、不器用な彼だから。
 
「だけど、きっともう笑ってくれない」
 
君は。
 
 
 
 
『千石、見つけたぞ!』
 
 
幻なのに、鮮やか過ぎる空の青。
 
 
 
 
 
 
額から流れ落ちる汗が瞼にかかって。
手で反射的にそれをこすりながら、目を開けば現実が戻ってきた。
壁にかけられた時計を見ると、時間は意外とたっていなかった。
 
メガネ君は消しゴムをかけている。
もはや『教える』気が無いとしか思えない教師の声は相変わらず。
クーラーは鎮まりかえったままで。
誰かがバタバタと、下敷きで仰ぐ音が鼓膜を叩く。
 
 
 
はやく。
はやくこの時間が終わらないものか。
 
 
 
 
愚にもつかないようなことばかり考えてしまうのは、きっとこの暑さのせい。
吹き出るような汗のせい。
シャツがじっとりと張り付いて、わずらわしい。
 
なのに、指先が冷たい。
寒い。
 
無性に幻の体温を求めてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
 
「だれかたすけて」
 
 
 
 
 
 
震える声は他人のように聞こえた。