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目覚めたら窓の外は雨一色 たたきつけるような音に 今日は一年に一回の日だというのに 涙が出そうになった 好きだと謳う言葉 その願いを
朝から続いていた雨は、昼を過ぎる前にどしゃぶりになった。激しい音は閉鎖空間である教室の中までも入り込んでくる。 容赦の無いそれに千石は窓に背を預けたまま、溜息をついた。 溜息を一つつくと、幸せが一つ逃げていくと言ったのは昔の自分。(昔といってもそれほど前ではない) でも、今はもうそんな風に思ってもこの胸から吐き出される息を止める事が出来ない。 黒板の右脇に書かれた今日の日付け。『11月25日(火)』。 時折視界に入るそれが、とてもわずらわしい。 なぜなら、今日この日は千石の誕生日だからだ。 普通なら喜ぶべき日なのに今日、外は生憎の天気だし、何より祝われる当人の気持ちが酷く暗い。 「…みなみ、結局会ってない」 ぽつんとつぶやく。 記憶はもう逆回りしすぎて、伸びたビデオテープのように疲れ果ててしまった。 何度でも繰り返す。繰り返したくないのに繰り返す。 彼の顔。 笑って欲しいのに。 いつかこのままでは、彼の笑った顔すら思い出せなくなるかもしれない。 「千石ー!誕生日おめでとよ!」 「え?あ、うん、サンキュー」 思考は奥底に落としたままぼんやりと窓の外を眺めていたら、級友からふいに声をかけられた。 おめでとう。その言葉を伝えられてもなんとも感じないのはどうしてだろう。 感情の薄い千石の反応に級友は少し首をかしげ、一つ二つ千石の肩を叩いたあと。少しだけ苦笑して別の友人のところへ行ってしまった。 その背中を視界に納めることもなく、千石はただまた溜息をつく。 「ハッピーバースデイ…なんて気分じゃないよ」 「そりゃあその辛気臭い顔ならな」 呟きに返って来た言葉に。 むしろその声質に、千石は反射的に顔を上げた。 勢いよくぶつけられた千石の双眸に、いつのまにか隣に立っていた東方は少し驚いたようだった。 「…東方」 「よ」 呆然と千石がその名を呼ぶ。 彼は片手を軽く上げた。 しかしその姿を目にした時、千石のどこかが小さくうめいた。 それはあくまでイメージで実際にはなんのうめきも聞こえたりはしなかったけれど。 千石が眉根を寄せたままでいると、東方は一つ息を吐いて千石と同じように窓に背を預ける。 「なに?」 「久しぶりに会ったのに、そりゃあないだろ」 「だって」 久しぶりといえば確かに東方と会うのは久しぶりなのだろう。 けれどもそれを千石はしばらく認識できなかった。どうして東方と会わなかったのか? 答えは簡単だ。 彼と共にいる事の多い、南と会っていないからだ。 「まあまあ、誕生日おめでとう」 「…どうも」 東方は千石の態度に何を思うのか、視線は合わせず言葉だけを淡々と紡ぐ。 千石もどうしたらいいのかわからないので、ただおざなりに言葉を返すしかない。 冷たく感じる態度なのかもしれない。 それでも、チクリと胸に感じた痛みは東方に向かっていて。 それが嫉妬心からくるものだという自覚ぐらいはあったが、だからといってそれを上手く昇華できるほど千石はまだ大人ではなく。 なのに、そんな千石を見て東方は薄く笑った。 「なにさ」 その表情を敏感に察し、千石はぎろりと東方を見る。 視線をぶつけられながら東方はそれでも笑った。 笑って。 「ほんと、お前らってそっくりだな」 「?!」 「南とお前」 「なにいってんの?」 何を言われたのかわからない。 南と自分が似ているって、いったいどこが。 聞きたいが、それを聞く前に東方は窓に預けていた体重を自分の足に戻した。 「テニ部の部室行ってみな」 「は?」 「行かないと損をすると思うけどな」 「ちょっと!」 言いたい事だけ言うと、東方はさっさと教室を後にしてしまった。 中学三年にしては大きすぎる背はあっという間に廊下に消えてしまう。 取り残された千石はしばらく呆然と立ち尽くして。 そして、ふと我に返って彼の言葉を反芻する。 「…テニス部の…部室?」 何があるのかわからない。 わからないが、ここで迷うよりは動いてしまった方がきっと楽なんだろう。 立ち止まっているのにはもう疲れすぎたから。 「なにがあるっていうのさ」 呟きながら、足早に馴染んだ道のりを過ぎて向かった。 かつての想いが全て詰まっていた、あの部室に。 テニス部の部室に行くには一度中庭を抜けなくてはならない。 必然的に外靴に履き替える必要があるわけで、千石は昇降口まで戻りそこから靴を履き替えて部室へ向かった。 外は相変わらずばしゃばしゃとバケツをひっくり返したような雨が続いている。 傘たてから自分の傘を取り出しさして行く。 バンバンと傘に雨の音を聞きながら、ただ歩みを進めた。 見慣れた部室が見えたのは2分ほど歩いた頃。 雨雲で暗い中、部室には晧晧と灯りがついていた。 蛍光灯の白い光が刷りガラスからぼんやり映る、その中に人影を見て千石は息を飲んだ。 それまで動いていた足が、ぱたりと止まってしまう。 足下では雨に打たれた大地が雨水と交じり合い、泥になって広がっていた。 「…まさか」 千石の呟きに同じくして、ふいに部室の明かりが消える。 そして間を置かずに扉が開かれた。 ノブの回される音と蝶番の軋む音がして、視界に飛び込んできたその姿は。 「みなみっ!」 叫ぶつもりなどは毛頭無かった。 が、しかし現実には千石の言葉は雨音にもかき消されぬほどの音量で、目の前の人物に届いてしまった。 部室から今まさに出ようとしていた南は、千石の声に顔を一瞬向け。 千石を見とめた瞬間、目を大きく開き。 そして、瞬きの間に部室に駆け戻ってしまった。 バタン!という扉の閉まる激しい音に千石の意識が引き戻された時には、南の姿は部室の奥に消えてしまっていて。 千石は慌てて部室に駆け寄る。 傘をたたむのももどかしく投げ捨てて、ノブを握るがガチャガチャといやな音をたてるだけで一向に開く気配は無い。 内鍵をかけられたのだろう。 ノブは雨のためか氷のように冷たく、千石の吐く息も白かった。 しばらくそうして扉を開けようと試みていたが、まったくの無駄で。 中には南がいるのに。 扉一枚を隔てたこの距離が酷く遠くて。 「みなみ…南…」 呟きはとても痛々しく響いた。 と、ドン…と扉の奥から音がする。そして振動がそれにあわせて扉越しに伝わってきた。 「…南、そこにいるの?」 「ねえ」 「南」 言葉は返ってこない。 ただ、雨の音と千石の言葉が打ち消しあうだけ。 それでも、この扉の向こうには南がいる。南がすぐそばにいる。 そう思った瞬間、千石の中でくすぶっていた小さな決意が表出した。 「南、みなみ、聞いてよ。 俺さ、ずっとずっと言わなくちゃいけないことが南にあったんだ。 ずっとずっと…」 ごつ、と冷たい扉に額を押し付けて。 できるだけこの言葉が南に届きますように。 祈るように両手を扉に添えた。 「南…大好きだよ。漫画の話なんかじゃない。ドラマでも何でもない」 「俺、南のことが…好きだ」 「南は迷惑かもしれないけど」 「南が友達以上に思えないって事もわかってるけど」 「好きだよ」 「好き」 「好き」 「好き」 「南の顔がみたいよ」 「声が聞きたいよ」 「頼むから…笑ってよ」 「南の笑ってる顔が好きなんだ」 「ねえ…好きなんだよ」 「みな…」 「恥ずかしいからやめろって!!」 バタン! 瞬間、勢いよく扉が開いて。 「あいてっ!」 ゴツッ 扉にずっと額をつけていた千石は、当然の如くそれにぶち当たった。 そのまま数歩後ろへ後退し、額をさすりながら視線を戻す。 「わっ、悪い!」 「…南」 千石の目の前にいたのはまぎれもない。 南本人で。 きのせいかうっすらと耳が赤くなっているような気がする。 「大丈夫か?でこ、ぶつけたんだろ?」 「南だ…南だぁー…」 「ちょっ!おい!」 千石が額をぶつけたとあって、流石に悪いと思ったのだろう。 南がそばによってきて顔を覗き込んだので、千石は思わずその首にしがみついていた。 当然南は慌てる。 慌てて、しかしケガを負わせたのは自分という負い目があるのか引き剥がす事も出来ず。 「千石…」 「南は、俺のこと好き?」 唐突に聞かれて、南は硬直した。 千石は南を見つめる。それはあの日の廊下での視線。まっすぐなまっすぐなそれにさらされて。 息が止まる。 「俺はもう誤魔化さないよ…南が好き。南はどう思ってる?」 「…それは」 「答えてよ…悪い答えでも、いいからさ…」 「…千石」 「あの日から、屋上前の時から…南の姿をずっと探してた。 だから…教えてよ。俺、今日誕生日だから、それぐらいいいよね?」 悪い答えでもいい、と言いながら。 首から伝わる千石の体温は震えていた。 おそらく寒さの為ではない。違う部分から来るそれに心が締められるようで。 「…好きだよ」 「え」 「お前の事、好きだよ…これが恋愛感情かどうかなんて、まだわからないけど…」 「みなみ…」 「あのとき屋上んとこでさ、あんなこと言っちまって…」 「え?」 「なんかもう、自分が恥ずかしくなってさ。 どうしようもなくなって、お前に合わす顔なくて」 「…」 「お前が嫌だったんじゃなくて、俺自身が嫌だったんだ」 避けててごめんな。 そう言って、すまなそうに言葉を紡ぐ南。 それはとても柔らかくて。 「俺の都合のいい夢じゃないよね」 思わず問い返すと、南は瞬間的に真っ赤になった。 「ばかっ!何度も言わせるなよ!」 「やだ!もう一回言って!」 「言えるかっ!」 その問答すら久しぶりで、千石は自分の目が勝手に潤み始めるのを感じた。 恥ずかしい。 でも、抑えられない。それぐらい、それぐらい。 「南、好きだよ」 「……俺もだよっ」 「−−−っ!へへっ」 「あーもう…」 笑みがこぼれるのだって止められやしない。 南はへらへらとしまりなく笑う自分をどう思ったんだろうか。 少しあきれたような顔で。 (それだって見るのは久しぶりで) 「南」 「…誕生日おめでとう、千石」 ただ呼んでみたくて、名前を口にしたら。 とどめにふわっと笑われてしまった。 「ありがとう、南…」 雨はまだ降り続いていた。 バタバタと屋根を叩く音は変わらずに響いている。 それでも。 今はもう、その音を気にすることもなく。 ただ、冷えた空気の中を二人で歩いた。 五時限目はもう始まってしまっているだろう。 ただ二人。 すれ違って。 ぶつかって。 遠ざかって。 それでも逃げられなくて。 季節は冬を示そうとしている日。 寒い、雨の日のこと。 小さなハッピーバースデイと、大きなこれからの幸せを。 まだ見えない未来を。 僕らは謳った。 『好き』という、何よりも純粋で複雑な形に。 終
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 終わりました。『小さな窓』から続いて書いていた(実はいつのまにか続き物)山吹物語が。 なんとかかんとか今回で決着を図ろうとしたために、色々な齟齬が出てきた事が一番自分の力量不足を否めませんでしたが。 千石が幸せならばそれでいいと思うのです。 南は自分の気持ちに、自分で決着をつけたんだと思います。(そこらへんをすっ飛ばしてしまいました) 東方は初登場?で素早くいいところをとっていかれました。すごいや。恋のキューピット・東方。(地味) 千南というよりも南千。 そんな気分がひしひしといたしますが、もういいんです。 千石も南も幸せならどっちでもいい。 千石の誕生日祝いのつもりのラストでしたが、祝いではない…気が。 |