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好きとか 嫌いとか 愛してるとか 憎んでるとか 難しいね 簡単だね ぜんぶ 心の中にあるものたち 衝動の理由を僕は知りたい 「南…殴ってもいい?」 「は」 ばきっ あっさりと拳は空気を切って、振り向いた南の頬に吸い込まれた。 手の甲の骨に硬いものが当る感触。 熱い、痛いと感じる頃には。 「ってぇ…」 南は殴られた勢いに、数歩下がって頬を押さえていた。 殴った本人である千石は、南には目もくれず自分の手を見つめている。 殴った右手はジンジン痛み出して赤い。 「痛いね」 「あ!?」 ようやく視線を拳から上げて、南の頬を見る。 けれど呟いた言葉はどう聞いても自分に向けていっていたもので。 何の前触れ無く殴られた南は、もちろん眉を釣り上げて低く聞き返してきた。 それでも反射的に殴り返さないところが、南らしいといえばそれまで。 「南も痛い?」 「あったりまえだろ!んだよ、急に殴りやがって!」 南の目は本気。 本気で怒っている。 「うん、殴りたくなったから」 「ふざけんなっ!」 がなりたてて、南の手が振りあがる。 けれど、そこからいくら待ってみてもその手は落ちてこない。 「…殴らないの?」 「っ! なんなんだよ、お前ッ!」 唇を噛み締めて。 ぎりぎり、歯も軋んでいるよう。 千石はただ南を見つめて問い掛ける。『殴らないのか』と。 わけがわからないのは南。 どうして、先ほどまで普通に会話していて。 部活後で後輩は帰っていて。部誌を書いていたため南と千石だけになっていて。 着替えをして帰ろうと、背を向けたときのことだった。 「理由、ないのかよ!」 「人を殴るのに、理由っているの?」 「−−−っ!!!」 ガンッ 鈍い音が、けして広くない部室に広がった。 音の元は少しへこんだロッカー。 そこに南の拳が当てられている。 握り締められて白くなっていた南の手が、少しずつ赤く染まっていく。 「痛くない?」 ぼんやりとそれを見つめて、千石は問う。 それはまるで、明日の天気はなに?と聞くかのようなもので。 南の噛み締めた唇から、一筋血が流れる。 殴られた方の頬はやはり赤くなってきていた。そのときに唇を切っていたのかもしれない。 「わけわかんねぇよ!!」 目をつぶって怒りに身を震わせる、高い背。 パニック状態に近いのかもしれない。 千石は音も無く南に近づく。 寄る気配を感じているだろうに、南は目を開けない。動かない。 硬い表情。怒っているのか泣いているのか。 南の顔を少し下から見上げるようにして。 「メンゴ」 ぬるい感触。 ぺろりと何かが唇を滑っていく。 予想しなかったやわらかさに驚き、南が目を開くと直前に千石の顔があった。 それはすぐに離れて、笑みを形作る。 「南があんまり優しいから。 衝動でした」 「んなっ」 「血ってしょっぱいね」 「こんの馬鹿野郎!」 ブン 南の拳が空を切る。今度は迷いの無い、千石の顔を狙った勢い。 もちろん身体的に誇る動体視力の冴えで、千石はなんなくそれをかわして身を翻した。 「こら!馬鹿千!殴らせろ!!」 「残念でした、もう殴らせてあげよう月間は終了だよー」 「んなもの始まってもいねえだろ!」 「逆切れ南、こわーい!」 「こんのっ」 ドタバタと机もある、ロッカーも並ぶ部室を駆け回る。 そのうち千石はヒョイと自分の荷物をかっさらうと、扉を軽々とくぐってしまった。 南も慌てて机の上にあった荷物を掴み、後を追った。 「てめっ!待てよ、鍵締めてんだぞ!」 「遅い遅い」 ふらふらと千石はテニスコートの傍を走り回る。 南は焦りに定まらない手元と格闘しつつ、舌打ち一つで鍵を閉めた。 「せんごくーーー!!!!」 「ここまでおいでなさーい♪」 空にはいつのまにか丸い月。 月光の下での他愛もない(くだらない?)追いかけっこはしばらく続いた。 (君のことを俺の全てで想っている) (好きも嫌いも全部混ぜて) (君を殴った手が痛いのも、嬉しい) (君の頬の赤い跡、消えなければいいなぁ) 「逃げんな!千石清純!!」 終 |