冷たい雨より

激しい風より



ただ真っ青に澄み渡る空が 皮肉に思えた










【空の名前】







ふいに、呼ばれた気がして見上げてしまった。

青い 空を。



「中佐!積荷の確認終了いたしました!」

と、背後から声をかけられて我に帰る。
振り向いた先には、もはや見慣れた者の顔。

「中尉…あぁ、ご苦労だった」

短い。
そして少々固すぎるとも思われるねぎらいの言葉をかける。
淡々としたその口調に、しかし中尉と呼ばれた青年は顔を紅潮させた。
薄い緑色の瞳が、日の光に輝いて映る。
もっとも、その輝きは光の加減だけではないようだったが。

「出立は20分後ということです。では、私は先に戻っておりますので」

そうして、くるりと背中を向ける彼にセムは短く「わかった」とだけ返す。
黒いブーツが下草をいくつか踏みしめて。
ふと、数メートルほど歩いたところで彼が振り返った。

「中佐は、空がお好きなのですか?」

言葉が、詰まった。
おそらくは彼には無自覚の、なんとはない疑問だったのかもしれない。
しかしセムはそのたった一言に、足下から縫い付けられたように動けなくなった。

「…そう思わせるような行動が私にはあったか…?」

ようやく吐き出したのはそんな、具にも突かない疑問。
セムの声色が変化したのに、普段傍らに常にいた彼は気づいたのだろう。
自分がなにがしか、地雷を踏まなかったかと逡巡しつつ言葉を捜す。

「何かお気に触られるような発言であれば、お許しください。
ただ、私は中佐がよく空をごらんになっていられると思いましたので…」

「…よく、見ているか……私は」

「…はい。差し出がましいことを申しました」

慌てて彼は膝をつこうとするので、それをセムは手で制す。

「いい、お前が気にする必要はない。
先に戻っていろ」

「…了解しました」

彼は顔を下げたまま、言われたままに去っていく。
その後姿を最後まで見送る事もなく、セムはまた顔を上げた。
赤い瞳に映るのは、どこまでも澄んだ空。
青い世界。
宇宙を透かして見える透明な蒼。

あの日と…変わらない。


「ッ…くそっ」

思わず吐き捨ているように。
そして、瞳をそらそうとして。
しかしそれは出来なかった。

雲のない空は、どこまでも高く。
どこまでも遠く。

セムに落ちてくる。


「何故ッ…」

どうしてこんなにも、目をそらす事が出来ない。
どうしてこんなにも、この青に惹かれてしまう。




『お前さ、本当に空を見るの好きだよな』

記憶の奥で、誰かが笑う。

『そういう・・・こそよく見上げているじゃないか』

そして幼い愚かだった自分も笑う。

『好きだからな、お前もだろ』

青い空を背にして。
逆光で顔の見えない誰かがいた。

何よりも青かった空は。
澄んだ空気は。


今も変わらないのに。



「止めろ…ッ……そんなモノは、要らない!」

わずらわしいばかりの。
愚かしい、不確定な未来に淡い希望を抱いていた頃の自分など。
遠い過去に殺してしまった。
深い深い奥底に、二度と出て来れぬように埋めたのだ。

蘇ることのないように。


深く、暗く、激しい想いは憎しみにも似ている。
そこまでして、それでもなお。
瞳は空から逃れられない。
そらせない。


「ど…うして……ッ」

微動だに出来ず。
指一本、動かすことさえ出来ぬまま。
ただ見上げた。
ただ空を、見上げていた。

深い色の前髪が表情を覆い隠し。
それでも空は降りてくる。


瞳から一筋。
涙と呼ぶことすら出来ないものが、つ…と流れ頬を伝って。
堕ちた。



遠く、召集の刻を告げる音が鳴っていた。





















見上げた先に 変わることのない空



それは不変の青への羨望


そして

変わってしまった自分への深い絶望
















end