もう何も考えることなく
ただ 沈んでしまいたい

消えるものがあるとすれば


それは『自己』を確立する意識 それだけだった








【沈黙】







「…で、これからどうするんですか?現状は手詰まりといった状態ですが」

沈黙を破る第一声は、唐突に呟かれた。
広いとはいえない部屋に身を置く数人が、まんじりともせずその声の方を見つめた。
視線を一斉に集めて彼はふいと横を向いた。
その先には、赤い穂先。

「…わーっとるわ、んなことは」

むすっとした表情。
もう吸うべきところもないほどに灰ばかりになったタバコをくゆらせた、YUZ。
鼻から煙が抜け、低い天井で凝り掻き消える。
その周囲に座す人々も、ほとんどが同じような表情だった。

「ニクスはずっと出てきませんし」

「…ほっといたれや」

誰もが思っていたことを、ずかずかといわれてしまい。
おもわず睨みの一つでもきかせたくなってしまう。もっとも、そんなことをしたところで今目の前にいる長身の男が動じるとはどうしても思えないが。
ここ。
解放軍のアジトに戻ってから彼らの同士の一人であるニクスは、ある一部屋にこもり出てくる気配が無い。
仕方のないこと、とYUZは思っていた。

「どんな事情があるんかは知らん。けど、ここに身を置くやつらは何処かしら見せられへん傷をおうとるもんばかりや。
それをわいらがイチイチ口つっこんどったらやってけへんやろ」

お前もそれはわかっとるはずや、識。
暗に視線でそういわれ、識は苦笑した。

「まぁ、そのとおりですけどね」

「それより目先の問題は、こっからどおするかや…
いちお、今んとこは例の作戦通り進んできとる。あとはあちらさんの出方を待つしかないやろ」

「どこまで…崩れますかね」

「…情報の信憑性しだいやな」

解放軍の中でもトップの二人、その会話に周囲(といっても数人であったが)の人々はただ流れを見守るのみだ。
外は再び砂塵が荒れ狂いはじめていた。
嵐のようなそれに反するように、室内は重く静かで沈黙を要していた。












「…殺せ」

囁きに近い声音は、まるでそれが全ての望み。全ての希望というように、響いた。
透明なそれを耳に留めたニクスは、再び顔をしかめた。

「…おまえなぁ…いい加減にしろよ」

嘆息。
そして視線を移すが、何処までも赤の瞳は映しあうことは無い。
黒い、長すぎる前髪が表情を覆い、それは全てを拒絶する盾のようでもあった。

「殺さないのなら、いつか俺が貴様らを殺す」

それは共に生きることなど出来ないという、どちらかが倒れる事でしか存在できないと突きつける心。
壊れかけたものを集めたよせあつめだったのかもしれない。

じゃり…と不快な金属音が耳に馴染む頃、セムは目を覚ました。
しかし、それは覚ましただけだった。
意識は常に浮遊して、時に激しく時に冷たく。全てを拒絶した。
金属音は手首から発せられる。視界でとらえずともその正体は明白だった。
彼は今、安い金属製のパイプベットに横たわり、両手と両足を枷で戒められていた。
顔を動かすことでかろうじて認識できる範囲にあるものは、目障りな手枷。見慣れぬ板金の低い天井。
そして常にそばにいる、一番目障りな、一番見たくない男の顔。
記憶の隅にずっと息を潜めていた過去の遺物だった。

「殺すとか、殺されるとか…それ以外に考える事はないのか」

男は、ニクスはまめに動いていた。
セムが軍本部より拉致されて、おそらく数日の間。常にそばにあり、彼の面倒を見ようとした。
それが、何よりセムの神経に触れた。苛立たせた。
はじめの頃こそ軽口をたたいていたのだが、時間がたつうちに変化の無いセムの状態に痺れを切らしたのか。
余裕が消え始めているように見える。けれどそんなことはセムにとって欠片も関係のないことであった。

「リリスはいない。そして俺が存在する必要ももはやない」

「…復讐、したいとかおもわねぇのかよ?」

それこそ、軍相手に。もしくは反乱軍に。または双方に。
そういった激情をぶつけるのではないかとニクスは思っていた。そう感じた。数日前のあのときは。
しかし今はセムの瞳にそんな激情は見つけることは出来ない。

「復讐がなんになる。そうすればリリスは還って来るのか。
違う。
もうどこにもリリスはいない。俺の妹はもうこの世の何処にも存在しない。
それなら…
俺など在る意義はない」

「だから殺せとかいうのかよ」

「本当なら自分で後始末もしたいところだ…だが貴様らがこんなことをするから、その方法が取れない。
舌を噛んでもいいとおもったんだがな…これが上手くやらないとなかなか死ぬ事はできない」

笑い話のように言うが、その表情は冷めたままで。
なにより彼岸めいていた。
死への憧憬が強すぎると、ニクスは感じた。共に、この処置をした識にわずかばかりの感謝をする。


『人は受け止められる許容以上のものをぶつけられたとき、咄嗟に死を憧れたりしますから。
身体は自由にならない方がいいんですよ』

苦笑に近い表情でのその言葉は、どこか重みを持っていたようにニクスは感じていた。

確かに、今のセムの命は四肢の枷が繋ぎとめていると見てもよかった。
ほおって置けば何をするかわからない。だからこそ、ここから離れる事は出来なかった。

「…お前にとっては世界は妹だけだってのか」

「違うな…リリスこそが、俺の世界だったんだよ…」

嘆く事もなく。
思考だけが全てをあきらめて手放した状態で。
誰の言葉を聞くこともなく、何を見ることもなく。
ただ死んでいこうとしていた。

その切な声を。
小さな部屋の、小さな入口の、小さな扉。
そのむこうで聞いたものが居た。












カタカタカタ

鍵盤を踊る指は規則的に。
その画面も呼応している。
そして、それを目で追い続ける一人の青年。
眼鏡の奥の瞳は、一字一句を見逃すことなく。

「ケイナ」

背後からかけられた声にも、何一つ動かさすことはない。
ただ、声は届いたというように、彼の座る椅子が小さく『キィ…』と鳴った。

「ケイナ…ねぇ」

振り向きもしない。
そんな背中にもう一度かける声は、普段の彼を思うととても不自然なほどに小さく。
そこで初めてケイナはいぶかしく思い、指を止めた。
斜めに立てられた黒い画面に、後ろに立つ彼の姿が映りこむ。

「どうしたんや、孔雀」

問いながら、回転軸のついた椅子を回し後方へと向き直る。
赤い髪がぐしゃぐしゃで、そこからのぞく瞳は常と違い沈んでいた。
昨日はひさしぶりの肉で喜んでいたはずなのに、とケイナはぼんやり思い返しつつ、僅かに離れた位置をキープしている孔雀を引き寄せた。

「なんや、解放軍のやつらにでもいじめられたか?」

それは笑うところなんだと思う。
ケイナなりのジョークだったのだろう。
事実、ここ解放軍に情報を提供し、ついでに寝食も頂いてしまっている手前ではあるが。
孔雀は強い。身体的な面で言うならトップに切り込むぐらいには。そんな孔雀がいじめられるなんて、まず無いだろう。
だしぬけに明るい彼が、ひなたに似た空気の存在があてこすりをされたぐらいで弱音をはかないことを、ケイナは知っていた。

「…あのさ」

孔雀はケイナの前で立ち尽くしたまま、うなだれた。
手は繋がれていたが、そこから先に動くこともない。
ようやく呟いた声は小さくて、ケイナは眉をちょっとだけしかめる。

「なんや、もっと大きい声でいいや。
きこえんで」

「…あの人の…調べられないかな」

「あ?」

あの人…とは誰の事だろうか。
とりあえず言葉自体聞き取りきれず、反射的に聞き返す。
孔雀はそれを否定と思ったらしい、視線をさまよわせながら言葉を捜した。

「あの、今閉じ込められてる…左腹部の部屋の…あの人の妹さんのこと」

「あ…あー、なんやセムとかいう中佐さんのことか」

そこまで言われてケイナはようやく思い出した。
確かYUZに売った情報の中に、軍内部の弱い人間…つまり何かしら捨てられない物を軍に握られて従っている者達のリストの中。
トップのほうにあった名前だった。
階級も年齢も他の群を抜いていたので、なんとなくであったが記憶していたものだった。
今はなかば拉致された状態で、このアジトに軟禁されていると聞いたが。
しかし、どうしてそんな他人のことを、孔雀が気にかけるのだろうか。

「…なんでお前そんな気にしてるんや」

「えっ」

「なんかあったんか」

とりあえず何よりも気になるのはそこ。というあたり、自分も冷血なんだろうとケイナはぼんやり思いながら孔雀を問いただす。
孔雀はそこを問われるとは思っていなかったらしく困惑する。
しばしの間、沈黙が続き。

「こんなこというと怒られるかもしれないけど…カワイソウだから」

「同情か」

「…もしかしたらそうなのかも…でも。
でも、ずっと独りで戦ってきて、ずっと一つの希望にすがってきて!
なのになんにも残らなかったなんて…悲しすぎるよ」

「孔雀」

うつむいて、ぽつぽつと呟き。
そうして急に顔を上げて訴えた彼は、痛いほどの感情をたたえていた。

「扉越しに聞いちゃったんだ、話しているの。ここ、壁薄いだろ?」

「壁が薄いんやなくて、お前の耳がよすぎるっつう線を押すけどなぁ」

「茶化すなよ…
聞こえてきた声さ、ほんとにもう何もかもどうでもいいって…そんな風で。
俺、聞いてられなかった。昔の俺みたいで」

ギッと椅子が鳴って、ケイナは立ち上がった。
そして手を伸ばし、孔雀の髪をぐしゃりとなでる。

「お前は乗り越えたやろ」

「うん、でもあの人はまだ乗り越えられない。このままじゃダメなんだ…
ケイナの売ってた情報、まだ途中なんだろ?あのあともう少し、調べるはずだったんだろ?
生死の確認…本当に出てたの?」

パソコンを指差しながら問いただされて、ケイナは少しだけ視線を泳がせた。

「お前…時々めっちゃ鋭いとこあんよなぁ…」

「別にいいだろ。じゃあやっぱり、確認とれてなかったんだ」

じいっと見つめられて、ケイナは両手を上げた。

「降参や、確かに確認はとれとらん。
YUZ等はとりあえず軍の内部を崩すきっかけがあれば言いゆうてたから、あんでも十分やて思うたんや」

「じゃ、もう一度調べに行こう」

ケイナがみなまで言い終わらぬうちに、孔雀はさっさと離れデスクに乗せたままだったパソコンを持ち上げる。
配線を全て閉じ、持ち運べる形態にさっさとしてしまう孔雀にケイナは慌てた。

「もう一度って…あんなぁ、あの後警備余計厳しくなったんやで?」

「ふーん…ケイナでも抜けられないようなやつなんだ?」

ああ言えばこう言う。
しかも挑発的に笑われてしまえば、もちろんケイナにだってハッカーとしてのプライドはあるのだ。

「んなこといっとらん!
あーもー!ただ働きは今回だけやで!まったく、お前にはかなわんわ」

それ落とすんやないで!
そう言いながら、さっさと部屋から外界へと続く扉へ向かう。
その背中を追いかけて、孔雀は笑った。

「たまには人助けするのも浄化作用になっていいんじゃん。
お金以外で働くのもいいことだって」

ケイナは頭をガリガリ掻きつつ、ぼやいた。


「このご時世でんな思考回路もっとるの、お前だけや。天然記念物もんや」


足音は、少しずつのびていった。

















そして真実は

全てのヴェールを脱ぎ去って



再度 彼らの前に落ちて来るだろう












end