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ヒラリヒラリと舞い遊ぶように 姿見せたアゲハ蝶 夏の夜の真ん中 月の下 喜びとしてのイエロー 憂いを帯びたブルーに 世の果てに似ている漆黒の羽
「アゲハ蝶、か……」  某CDショップでのアルバイト中、鳴神は不意にあるCDへと手を伸ばし、そう呟いた。 『アゲハ蝶』


 神界で。  彼はよくフレイヤを目にした。  気位の高い美人ということで、その名声はいつも絶えない。  別に彼女を見るという行為に、深い意味はなかった。  ただ、そこにいたから見えただけ。  いつも凄まじいヒステリックさを公衆の前で見せびらかすものだから、少し気になって見ていただけ。  別に、深い意味はなかった。  少なくとも、彼・トール神はそう信じてやまなかった。  そして現在で。  彼はよく玲也を目にした。  いつもちょろちょろロキにくっついて歩いている少女。  別に彼女を見るという行為に、深い意味はなかった。  ただ、そこにいたから見えただけ。  何をしても危なっかしいし神界での面影を欠片だって見せない様子が、少し気になって見ていただけ。  別に、深い意味はなかった。  少なくとも、彼・鳴神はそう信じてやまなかった。  ただ一つだけ言えることがあるとすれば、神界に居た頃も現在でも、世界は明るかった。  それだけ。 「あっ、ナルカミさんっ。アルバイトですか?」  ふと気がつくと、そこには本を持った大嶋玲也の姿があった。  夏休み、小学校低学年の課題図書、この二つのヒントを組み合わせて考えたところ、 その本が読書感想文用のものであることに気づく。 「おう。読書感想文か?」 「はいv」  玲也はニコリと微笑む。  屈託のない、小学生の笑顔。 「ナルカミさん、お昼ごハン食べたですか?」  少女は鳴神の立っているカウンターの時計を見ながら尋ねた。  午後1時23分。  文字盤を見たときなんとなく玲也が嬉しそうな顔をしたのは、123と続いた番号な時間だった からであろうと推測される。 「バイト1時半までだからこれからだぜ。レイヤ食ったんか?」  そして鳴神は腹減ったなぁ、と付け足した。 「まだです。本、1時間くらいずっと選んでました」  にこりと微笑む玲也の台詞に、彼はずっこけそうになる。  確かにこの少女はのんびりしたほうだと思うが…。  鳴神は苦笑したまま言った。 「じゃあ一緒に食べねえか?おごるぜ、ハンバーガーだけどな」  すると少女の顔には、予想通り、いや予想以上の笑みが浮かべられる。  そしてもちろん、首を縦に振るのだった。 「ナルカミさん、今日はもうバイトないですか?」  ハンバーガーを両手で持って口に運びながら、玲也は尋ねる。 「あと3時からのがあるな。次はケーキ屋だっけ」  昼をとうに過ぎ、もう午後2時。  彼らがハンバーガーを頬張るそのファーストフードショップは、素晴らしくがら空きだった。 「じゃあレイヤもケーキ屋さんしたいですv」 「へ?」  予想もしなかったような玲也の一言に、鳴神は0コンマ2秒で返す。 「どーしたんだ?」 「レイヤ、今日何もすることナイです」  オレンジジュースの氷をストローの先で沈めながら、玲也は呟くように言った。  氷は何の抵抗もなしに、つつかれるまま落ちて行く。  少女にその氷の自由を返す様子はない。  沈められた氷は、そのままそこで静止する。 「ロキんち行かねーのか?今日は」  よりいっそう、氷は深くに落とされた。  鳴神は次の瞬間、ヤバイと本能で気づく。  別に玲也の何が変わったわけでもないのだが、なんとなく玲也が泣きそうな気がした。  別に空気の何が変わったわけでもないのだが、なんとなく空気が重くなるような気がした。  けれど。 「まゆらさんとお買い物ですv」 ――………!!  少女の顔に浮かび上がったのは、涙でも哀愁でもなく笑顔だった。  鳴神少年は、そこにいる幼女の顔に絶句する。  天使みたいな、でも女神にも似ている、形容しがたい笑み。  いや、形容しがたいのではなくただそれがなんなのかよくわかっていないだけだ、と言われれば 反論はできない。  わかっているのは、それが隠し持つ感情が喜びではないということだけ。  愛らしい笑顔ではなくて、美しいそれ。  小学生に対して使う言葉でもない気がするけれど、本当にそう感じられた。  美しい。  そして、ふっと想った。  あの音楽CDの歌詞―― ――アゲハ蝶………  刹那、何故か急に暗くなった。  別に蛍光灯はそのままであるし、空はなお快晴だ。  なのに、鳴神の瞳から見た全ては、急に暗くなった。  世界の表情が、堅くなった。  今まで、ずっとずっととても明るかった世が、顔を変えた。 「ナルカミさん、どーしたですか?」  玲也の顔は、元に戻っている。  鳴神の顔をのぞき込むその様子は、小学生だった。 「いや、なんでもねぇよ」  にこっと笑って返してやる。  そうすれば、きっとあちらもいつものように笑顔を返すから。 「お、そろそろ行かねえと」  そして遅刻は厳禁だかんな、と付け足す。  気が付くと、壁に掛けられた時計は2時半を指していた。 「あの、レイヤちょっとおトイレ行って来ます」  玲也は少し恥ずかしそうにしながら立ち上がり、なるべく早く行こうと思ったのか心持ち早足で 歩いていく。  鳴神はコップに少しだけ残ったオレンジジュースをくいっと飲む。  コロン、と、なんとも涼しげな音がグラスの中で響き、その空気の震えが 鳴神の鼓膜をゆらした、、、と、その瞬間。  彼はそんなにのんびりしていられなくなってしまう。 「うあ〜〜〜!!!火事だぁ!!!!!!」  調理室の方から叫び声が聞こえた。  そういえばさっきからどうも煙たいと思っていたが。  従業員がこちらまで来て、『早くお逃げ下さい』とばかりに手招きをし、それが鳴神をはじめ数 人の客に伝わったと確認すると自分も逃げ出す。  客もみな、よく理解しきれないまま騒ぎながら出口へ向かう。 「ま、マジかよオイ……!!」  ガタンと音をたて立ち上がった鳴神は、出口とは逆方向のトイレへと走った。  煙がだんだん濃くなってきた気がするし、心なしか温度も上昇中だ。  少し丈夫に造られたドアをドンドンと壊れそうないきおいで叩く。 「レイヤ!!!!早く出てこい!!!!!火事だぞ!!!!!!」 ドォォォォン!!! ガタガタン!!!!!!  瞬間、何かの爆発音と共に床が揺れた。  近くに飾られていた観葉植物が倒れ込む。  きっと大量の油か何かに炎が燃え移ったのであろう。 「な、なんだよ………!」  そう振り返った鳴神の目に映ったのは、赤々と燃え上がる紛れもない炎だった。  爆発音を境に、火は凄まじいスピードで全てを燃やし始めているらしい。 「レイヤ!!!!早くしねえと逃げ遅れっぞ!!!!!!何してんだよ!!!!!!!」  鳴神はあらんかぎりの声で叫ぶ。 ガタガタガタ……  ドアが震えている。  いや、中で押したり引いたりが狭い間隔で行われているのだ。  何かおかしい。  これだけこっちが叫んで危機を知らせているというのに、ドアは何故か開かない。 「ナルカミさん!!!開かないです!!!!!」  レイヤの悲痛の声。  さっきの地震みたいなもので、なにかがバランスを崩したのかもしれない。 「なんだと!?!?………。仕方ないな…、レイヤ、できるだけドアから離れてろっっっ!!!!!」  トイレの中は明らかに狭いということもわかりきってはいるが、この際手段は選べない。 「ハイです!!」  鳴神は覚悟を決め、右肩で思いっきり丈夫そうなドアにタックルをかました。 ――ドォォォン!!  ドアは一度目ですぐに壊れた。  玲也もなんとか無事らしい。 「ダイジョブか?」 「ハイ……、ごめんなさい、レイヤのせいで……」 「今そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。どれよかオイ……」  一瞬ほっとしたのも束の間。  気が付くと火は完全に彼らを囲んで襲い来る勢いであった。 「や、ヤベェな……」  額の汗を腕で拭く。  気温は明らかに外よりも高い。  テーブルは一つ一つ燃え尽き、力無くガタンと崩れ落ちる。  しっかり乾いたこの服でこの数メートルはある距離を走り抜くのは不可能、水道も使い物には ならず、彼らは助けを待つしかない状態へと陥っていた。 「誰か、誰か助けて……!!」  玲也はあまりの恐怖に、ただ一歩一歩魔物から逃げるように後ずさる。  目は見開かれ、涙も出せず震えて赤い物を見続けていた。  その時である。 ガタァァァン!!  柱が玲也に向かって倒れてくる。  それは真っ赤に燃えており、当たったりしたら一貫の終わりだ。  少女の足はガクガクして思うように動かない。  ……避けられない。 「イ、イヤ………!!!!!」  落ちる、落ちる、落ちてくる…、その瞬間。 「……ダイジョブだ、オレが守ってやるから」  鳴神は壁にぺたりと張り付いている玲也の前に立ち少女を囲う形になった。 「だっっっ、ダメです!!!!!!ナルカミさん!!!!!!」  鳴神は、にこりと笑った。  何故笑えたのかはわからない。  自然に出来た動作の意味など、鳴神が考える必要はなかった。 「最期のコトバ、覚えとけよ」 「い、いや……、ダメェェェェェ!!!!!!!!!」 ――ガコォォン  柱は落ちた。  玲也は片目から、ゆっくりと目を開ける。  そこには、先と同じような体制で目を強く瞑っている鳴神の姿があった。  すると、柱は玲也の後ろの壁にぶつかって立てかけられたようになっていた。  ちょうど鳴神の頭の20センチくらい上あたりで止まっている。  玲也はすっと両手を伸ばし、鳴神の頬に触れた。  彼のあの表情を声でつぶしてしまうにはあまりに惜しく、無意識に少女のとった行動はそうだった。  熱い鳴神の頬から玲也の指先、手のひら、腕、と、彼の肌より吹き出した汗がゆっくり玲也を伝う。  そのなんともいえない微妙な感覚を感じていると、鳴神は目をやっと開いた。 「お……、た、助かったか……。……ってアツっっっ!」 「ど、どーしたですか?!」  燃える柱から火の粉が降ってきたのだ。 「どーってことねぇよ」  玲也はその状況をやっと理解して叫ぶように言った。 「ダ、ダメです!!!ナルカミさん燃えちゃうですよ!?!?」 「まだダイジョブだよ…」  ポツン、と玲也の鼻に水滴が落ちる。  こちらも鳴神の汗らしい。  彼の身体は今完全に汗だらけになっているので、少しくらいの火の粉ならなんとか大丈夫なようだった。  しかし玲也にはそれがどうも許せない。 「レイヤ、替わります。レイヤがナルカミさん守ります……!!」  そう言ってもぞもぞ動こうとしてみるが、どうにも動ける状態ではなかった。 「動くなよ。あんまそんなことしてたらその髪燃えるだろ」  ふっと苦笑して、鳴神は言う。  玲也より鳴神が大きいのは明らかで、守れるはずもない。  それを必死にいうものだから、こんな事態になっていても心がほんのり安らいでしまう。 「レイヤ、髪の毛無くなってもイイですっっ!……あ………!」  そう訴えた少女の目に入ったのは、先ほど倒れた観葉植物だった。  炎の手は、今まさにそれへとのび、その細い幹を燃やし始める。  火は破壊するということにかけては天下一で、その早さはだれにも止められないものであった。  少女の目は極限まで見開かれている。  しかし足はガクガクと絶えず震えていて、どうにもならない。  幹から始まりそれを伝って葉っぱが燃える。  そして、もともと緑色をしていたはずのそれは真っ黒になって横たわっていた。 「レイヤ…、何も守れない……です………。あの葉っぱサンが助けてって言ってるのに、 レイヤ、レイヤ、躯が、動かなかったです………。……強く……、なりたいのに………」  鳴神はそんな少女の頭に片手をポンと載せた。  またにこりと笑う。 「レイヤは十分強いよ」  そう言って、初めて気が付いた。 ――今日レイヤ、一回も泣いてねぇんだ……  この少女は、確実に毎日成長し続けている。  確実に毎日強くなっている。  そしてきっといつかは、あのフレイヤくらい強くなってしまうのだろうか。  ここは、それはもう暑くてサウナ状態になっているが、何か居心地の良さを感じた。  数十秒に一回の割合で火の粉は降ってくるが、どこか優越感、いや、満足感を感じた。  それから数分もしないうちに消防車はやってきて、二人はすぐ救出された。  あんなに激しく燃えていた炎が、ほんの数分だけで消えてしまう。  鳴神と玲也は危機を逃れてからも、まだその元ファーストフードショップの前で固まっていた。  完全に消火されて、野次馬もいなくなって、消防車ももう見えないところまで行ってしまって。  そこまできて、玲也はふっと動き出した。  開きっぱなしになったドアから、まるで引き寄せられるように中へ入っていく。  それを見た鳴神も、のんびりと後へついて歩いていった。  玲也は、燃えたあの観葉植物の前で立っている。  そしてじっとその亡骸を見つめていた。  とりあえずついていった鳴神であったが、彼は何故か少女から半径10メートルより先へ進めない。  荒れ果てたその地で、玲也も黒く焦げた洋服を着てはいたが、少女は美しかった。  笑ってはいない。  怒ってもいない。  泣いているわけでもない。  ただ無表情に変わり果てた観葉植物を見つめていた。  その様子が、どうにも美しくてたまらなかった。  決して近づけなくて、手を伸ばしても届かない。  そんな彼女だからよけいに"欲シク"なる。 ――………!欲シク……?  そうか、と鳴神は思う。  彼は別に、少女のことをどう想っているわけでもない。  ただ単に、欲しいのだ。  美しすぎるそれを、欲しいとおもってしまったのだ。  その美しさから連想されるのはどうやったところでフレイヤ。  そうか。彼は、ただ欲しくなってしまっただけなのだ。  玲也は炭と化したそれを潰さないように触れる。  鳴神は見た。  黒い炭から滴る雫は、何かの終わりを告げていた。
荒野に咲いたアゲハ蝶 揺らぐその景色の向こう 近づくことはできないオアシス 冷たい水をください できたら愛してください 僕の肩で羽を休めておくれ



†いながき かおり†

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