土曜日の午後。 僕はこのところ、いつもある場所へ出かける。 町外れの、洋風で小洒落た図書館。 そこで会える、愛しい愛しい少女の元へ。 こんな習慣がついたのは、僕のほうからだ。 この図書館には、強い思い入れがある。 以前は足を向けるのが酷く辛かった。 懺悔の色を帯びたそこで、後悔することが習慣になっていた。 別に少女のせいというわけでもなくて、今そこはほんの少し切ないだけの、普通の場所と化した。 だからこそ毎週、足取り軽く向かうことができる。 あの愛しい愛しい少女のもとへ。 今日も少し女神への期待を含ませて。 Have A Good Sunny Day
木漏れ日射す図書館。 自然と早足になっていたのか、少しばかり心臓の動きが早い。 少女はいつもの一番奥の席で、小さな手の平に余る分厚い本を読んでいた。 児童書とはいえ、このところ社会現象を起こしたとまで云われる作品の最新作である。 別に読書が大好きというわけでもないらしかったが、こんな習慣ができてからはいつの間にか僕と同じ、 またはそれ以上に読書を愛する人間になってしまったようだ。 あんまり深く物語の中に入り込んでいて、僕が近づいているのにもまるで気づかない。 僕だっていつも同じようなものなのだから理不尽だといえば理不尽なのだが、ほんの少し腹が立った。 未だ気づかない少女の椅子まで辿り着くと、しかしそれを通り越して、後ろにまわる。 そして。 「レイヤぁ〜…」 その溜め息まじりな言葉がちょうど耳たぶに触れるような場所で後ろから抱きしめた。 「ひゃっ……、ろ、ロキさまですかぁ……っ」 顔を真っ赤にしたこの少女の声はあんまり可愛くて、禁断症状を抑えるためにしている行為が逆の結果へ と導いたりしているのだが、きっと気づくこともないのだろう。 禁断症状―――。 考えてもみてほしい。 玲也はよくウチに来るけれど、やっぱりたいていは闇野クンが居て、そうでなくとも鳴神クンが居たりヘ イムダル――東山和実――がストーカー行為をしていたりと二人きりになるようなタイミングなんてほとん どないし、しかも彼らはみんな僕が神サマで大人だってことも知ってるから、小学生の玲也といちゃいちゃ なんて絶対にできない。 一番マシだといえるのが繭良だっていう事実こそ、この僕の切なさを最も正しく表現してくれる唯一のも のだろう。 それでも玲也はヤバいくらい可愛くて、週に一回はこれくらいしておかないと本気で禁断症状が表れそう だ。 しかも嫌じゃないのかそれとも単に言えないだけなのか玲也は特に何も言わないから、ある意味やりたい ほうだいなわけである。 ロリコンと言われようが何といわれようが、なんだかもう関係ない。 そしてふいに、一番会いたくない人―――っていうかノルンを思い出した。 黒いストレートの髪を揺らし現在を司る運命の女神。 頭がよく、人をからかい面白がることにかけてはある意味僕以上の才能を持つ。 ………このごろの彼女らの行動を見ていると、一体何をしにきているのかよくわからないのではあるが。 いや、それより何より今は、一週間ぶりの彼女の感触、温もり、香り。 全てが僕の疲れをフッ飛ばした。 ……理性はフッ飛ばされないように注意しながら。 「あの…ロキさまぁ……?」 束縛された状態のまま玲也は頬を染めてこちらを見上げる。 …そんな上目使いされたらここが図書館だろーが何だろーが我慢できなくなっちゃうんだけど。 いや、一番奥だし人少ないし、いっそのこと我慢なんてしないでもいいか…。 なんて結局できもしないことを考えてみたりしながら、 「ん?」 緩みに緩みきった頬を自分で実感しつつ、少女に問う。 すると微妙に潤んだ瞳を伏せて呟くように言った。 「ロキさまは、どうしてレイヤといっしょにいてくれるデスか…?」 「え…」 予想していなかった言葉に、思わず声が出る。 その声に、目の前の玲也が悲しそうな顔をして。 そんな表情をさせているのが自分だと言う事はひどく嫌だったが、語尾を鎮めた切ない声に、大変不謹慎 極まりないのも承知で微妙に悦を感じてしまう僕って絶対ケダモノなんだと思う。 「レイヤが…、スキだからかな」 かなり恥ずかしいけど、いつまでも玲也が沈んだ顔をしているのはもっと嫌だった。 案の定少女は少し嬉しそうな表情を浮かべて、しかしなおも僕に問い掛ける。 「ロキさまはレイヤよりとってもオトナですし……」 これがこの少女でなかったら、引きつった苦笑を浮かべて心のうちで『いい加減にしてよ』くらい思って いたかもしれない。 だけど僕の中にひょっこり顔を出したのは、玲也のコトバに対する嬉しさと微笑ましさだけだった。 実は未だに後ろから抱きついたまま拘束し続けていた玲也をやっと開放して、その向かいの席に座る。 「これ、ナイショのことなんだけど、僕は前世からレイヤが好きだったんだ」 敢えて冗談交じりな声にしたのに、この純粋な少女は僕の言うことをそれがたとえば冗談であっても鵜呑 みにしてしまうから、本当に可愛らしい。 「前世から……ですかぁ…?」 軽く頬を赤らめる少女。 女の子っていうのはこういうロマンチックなナンパ言葉に弱いらしいが、これは本当のことだから罪も何 も無い。 そしてふと考えた。 このまま結局何も起こらなくて、玲也は今までどおり成長を重ねて、そしたらいずれフレイヤと玲也は融 合してしまったりもするのだろうか。 フレイヤも別に昔から性格破綻―――こんなの本人に聞かれたら殺されるけど―――していたわけではな いだろうし。 僕としては黒髪も金髪も捨てきれないから、できればそんなこと望まないけど。 ………というよりずっとこのままの状態であってはいけないっていうことはわかっているつもりだから。 とはいえこんなほんわかした雰囲気が無くなるなんて、考えたくない。 こういう台詞って本来女の子のものなんだと思うけど、このまま時が止まってしまったらいいのに、なん て考えてみたりもする。 「うふふ……vロキ様ったらいつから小学生まで範囲になりましたの?」 「ゲッ、その声ってもしかして…………」 品のあるサラサラな黒髪を窓から出でる風になびかせて、僕の後ろに立っていたのは先ほど思い浮かべた 決して会いたくないヒト。 「ヴェルダンディでございますわvロキ様、浮気はいけませんことよ?」 あの笑顔は好きになれない。 何が隠れているのかわからない穏やかな微笑みは、僕の知る一番美しい女神のそれと対照的だと思う。 ふいに、太陽が見たくなった。 「そ、そーゆーことこんなとこで言ったらどーなるか……っ、わかってて言ってるだろっ」 「あらぁ、そんなにムキになりますと逆効果ですわよv」 「だっからそーやって頭なでたりしたらぁ………っ!!!」 図書館だってことも忘れて焦りまくる様子を楽しそうに遊ぶヴェルダンディ。 恐る恐る玲也を振り返ると、案の定わなわなと震えていた。 「ロキさまがキレイなおねーさんに頭ナデナデされて赤くなってるですぅ…。ロキさまオトナ好みですし、 レイヤはコドモですし、きっときっとかなわないですぅ…………っ!」 「いや、ちょっと待ってレイヤ、赤くなってんのは怒ってるからで、別にオトナ好みなわけでもないし、 ……って聞いてる??」 僕の努力も虚しく、 BOOOOOOOM 美女は現われた。 窓より出ずる陽と重なって、その美女は太陽になった。 「フレイヤ様、お久しぶりですわぁvv」 表情を一つも変えず、否、むしろ一層喜んだようにヴェルダンディは手を組み頬に摺り寄せる。 完全に諦めた僕は、この人ヒマなんだなぁ、なんて呟いた。 「ノルンのくせに、あたしのに手ぇ出すなんていい度胸じゃない?」 と、さっきとは反対にフレイヤは僕の椅子の後ろまで来て椅子ごと僕を後ろから抱きしめる。 僕って所有物なんだ…とか思いながらもこの状況に少し悦びを感じている自分がひどく惨めだった。 「あらぁ、わたくし、ロキ様をおとりする気なんてありませんわぁv浮気というのはフレイヤ様のことです のにvではそろそろ行きますわ。わたくし、ヒマではありませんので」 最後一言、妙に怖い視線をロキへ残して彼女は去っていった。 「久しぶりね、ロキ」 堂々と机の上に座るフレイヤから、玲也を想像することはできない。 あぁ、そういえば最近玲也とうまくいきすぎて、フレイヤとは会っていなかった。 「そーいえばさ、ちょうどフレイヤに会いたいと思ってたとこだったんだv」 ともかく、怒らせないような言葉を頭から手繰り寄せる。 いや、この場合も本当のことだから、やっぱり単なるナンパ文句とは違うんだけど。 「あら、レイヤと仲良くしてたじゃない」 女神フレイヤ神と大島玲也が同一人物であるというのは変わらないことで、それでも彼女らが――玲也の ほうも心のどこかでは気づいているのだろう――どこか割り切れない部分を抱えているのを僕は知っている。 ……だからといってあのトゲトゲした声をどうにかすることなんてできない。 「あ、あはは…、フレイヤはまた別格だしねぇ」 苦笑いを浮かべて必死にご機嫌をとるのみだ。 いつからこんなにも邪神っぽくない邪心になったんだろうって、このところ僕はいつも思っている。 「あっそ。それにしてもここ、本多いわねぇ。久しぶりに本でも読もうかしら」 結構素っ気無い言い方の中に見つけた少しの笑顔。 玲也が読んでいた児童書を椅子に座ってパラパラ捲っている。 図書館なんだから本が多いのは当たり前で、思わず吹き出しそうになった。 彼女のことだから、本を四分の一も読まない間に寝てしまうだろうことは易く想像できる。 だからってそんなこと言ったらもしかするとこの図書館が半壊ぐらいしちゃうかもしれないから言えない けれど。 「じゃーさ、なんか本持ってきてあげるよ」 「あぁ、ありがと」 この雰囲気になんだか合わないゴージャスな身なりの女神を置いて僕はその場を発った。 たぶん難しくない本ご希望だろうから、簡単で読みやすいものを選ぶ。 いつの間にか図書館の中は僕とフレイヤだけになっていたらしく、二人きりなんていつぶりだろうなんて ニヤけてきた。 もとの場所に戻るとき、図書館が完全に空っぽになるなんて珍しいな、とか思いながら。 「フレイヤ、これどう?………フレイヤ?」 「…………」 思わず息を呑んだ。 玲也の読んでいた児童書のしおりから進んだのは約2ページ。 本を押し広げてその上に頭をのっけて眠り込んでいる。 閉じた瞳に被さる睫毛は長く、桃のような頬、柔らかそうな唇、机に広がるブロンドの髪など、こうやっ て見ると本当に美しいんだと実感してしまった。 静かに暖かい日が差して、本当に時間が止まったみたいだ。 髪を撫でてみる。 何も言わないし、起きる気配も無い。 「起きたら、レイヤになっちゃうのかなぁ…」 それはそれでいいんだけど、と呟きながら、髪を梳かして口付けた。 起きてるときにやったら死刑ものだけど。 閉館にはまだ時間があるし、なんだか本当に眠くなってきた。 「僕もちょっとだけ寝よっかな」 フレイヤの隣に座って机に頭を垂れる。 机はほどよく暖かくて、すごく気持ちいい。 彼女の顔が間近にありすぎてどうしようかと思ったけど、案外小心者の僕は何もしないで――というか必 死に堪えて――目を閉じる。 柔らかい彼女の匂いが僕を包んでくれているみたいだった。 「わたくし、恋のキューピットにもなれるかもしれませんわねv」 気まぐれな運命の女神が窓の向こうで微笑んでいたのを、僕は知らない。