---ロキさまぁ、レイヤ、クッキー焼いてきましたぁ。 僕の好きなコーヒー味のクッキー。 それ以上に大好きな少女の笑顔。 黒い髪をふわふわさせて蝶のように舞ってくる。 多分そう見えるのは僕だけなんだろうけど、僕にとってそれは事実。 近づいてくる少女。共に漂ってくる筈のほろ苦い香りは僕に届かない。 ふと僕の足元に風が吹いた気がした。 俯いてみる、と、そこには切立つ崖。 ---レイヤ、止まって、止まるんだッッ。 少女は気付かない。 あと三歩ほどで大木一本容易く飲みこめそうな地割れがあるっていうのに。 笑顔絶やさずこっちに走り寄ってくる。 ---止まるんだレイヤ、止まってくれッッッ!! 瞬間。 ---ゃ、イヤァァァァァッ!!! ---レイヤぁぁぁぁ!!!!! 僕は崖になったそこに身を乗り出して叫んだ。 玲也の顔は丁度僕の方を向いて、まるでスローモーションみたいなスピードで落下していた。 その顔は、酷く蒼い。 目を見開いて、僕だけを見つめている。 もうその目はさっきの笑顔とは違った、氷のようだ。 感情を失ったような、僕を責めたてるような。 ---!!!!!!!!! そして僕は現実に堕ちた。 silent angel 時計を見るとまだ午前2時過ぎ。 もうなかなか寝付けないのはわかっていたから、ベッド沿いの窓のカーテンを開いた。 やっぱり外は暗い。 向かいの家をじっと見つめてみる。 灯りは点いていなかった。 ほんの少し前までは、この窓から内緒のやり取りをしていたのに。 恥らうように頬を染めて笑う少女が居たのに。 いや、あの子は居るんだ。すぐそこに。 窓を開けばそこに居るのはわかっているんだ。 ただ、笑ってくれないだけで。 玲也が交通事故に遭ったのは二ヶ月前だった。 いつもみたいに、二人で学校から帰る道。 少し恥ずかしくて、でも触れていたくて、だから指二本だけで手を繋いでいた。 決して太くはないし長くもないかもしれないけれど、強い繋がりだった。 学校の話、友達の話、今日はどこに行こうかという話、そんな他愛ないことばかり話していると、急に後ろから中学生くらいの話し声が聞こえてきた。 かなりのスピードで近づいてくる。 気付いて僕が後ろを振り向いた時にはもう遅かった。 キィィィィ 自転車のブレーキの音と共に、僕と玲也は引き離された。 僕は民家の壁のほうへ、玲也は車道のほうへ。 そこからの記憶ははっきりしない。 何故って僕は、壁沿いの溝に嵌って頭を強かに打ち気絶していたのだから。 最後に見たのは、玲也がトラックにぶつかったのか、高く舞い上がっていたことだけだった。 今だから不謹慎だと思うけれど、天使みたいだった。 どんな事件があろうと流れ行く時が疎ましい。 僕がどれくらい思い悩んだかなんて知る由もなくて、ただ太陽はまた昇ってくる。 学校に行く時間が来る。 「レイヤ、おはよう」 寝不足の続く目を擦りながらとぼとぼ歩いていると、玲也を見つけた。 学校への道のりを前とは違った様子で歩く彼女に声をかけるのは、実は精神的にものすごい重労働。 「おはようございます」 愛想笑いすら浮かべてはいなかった。 わかっていたはずなのに。 その黒いふわふわの髪に笑顔を期待してしまうのが、自分のことながら痛々しい。 すたすたと僕より速いスピードで学校へ向かっていく少女の後姿は、拒絶的だった。 夢の中の少女を思い出す。 地割れに吸い込まれていく少女の、無感情で、それでも責めたてるような、そんな顔。 それこそ今の彼女だった。 あの少女の内なる気持ちを示しているのかもしれない。 おかしいのは彼女なのか、それとも僕なのか。 天使の笑顔はもはや幻にすぎないのか。 fin.